告白の答えを聞くアシュくんの話「……お慕いしております」
幼い手で掴んだ服の裾。見上げた紫水晶の瞳は驚いたように見開かれた後、猫のように細められた。
父が指導しているクル国の王族たち。その中で一際尊大な青年は、持っていた棍棒を持ち替えて右手で俺の額にかかっていた髪を払った。
「知っておる」
ーーーそれは初めて旦那に想いを告げた日。
よく遊びに来ていた叔父が不死者だと。お前も同じなのだと告げられた日。
最後まで話を聞かず飛び出した俺は鍛錬の途中だった旦那に飛び込んだのだ。もちろん王族である旦那に飛び込むなんて出来るはずもない。それ以上にいざ旦那を見て怖気づいた俺が言えたのはそれだけだった。
ーーーお慕いしております。
否定されなかったことにすがりついて。
俺は何度もその言葉を繰り返した。賑やかな宴の後の穏やかな沈黙に、鍛錬の後で見る夕焼けの明るさに、出陣前の昂りの前に。
その度に旦那は同じ言葉を返す。
ーーー知っておる。
それに安堵し、それが苦しくて、でも否定されない事が嬉しくて。嬉しくて。ずっとこの問答が続くのだと思っていた。
今日までは。
血に汚れ横たわる旦那の顔は潰れ、太ももはひどく抉られている。夜明けの光は突き刺すように命の終わりを測っていた。
夜襲に失敗して旦那を失望させた俺は、もう出来ることは何もない。
旦那の硬い戦士の手を押し戴いて、その世界よりも大切な重さを祈っていた。
「…アシュ…ヴァッ…」
ゴロゴロと喉から血を吐き出しながら旦那が俺の名を呼ぶ。
慌てて顔に耳を寄せると、旦那は激痛に耐えながら言葉を紡いだ。
ーーーわし様に言うことがあるだろう?
なんとか聞き取れた言葉に俺は途方にくれる。夜襲の報告はすでにした。この後のことは俺がやることで旦那に背負わせる事ではない。だから。言うとしたら。
「あ…」
言うことがあるとすれば。それは。
「愛しています」
本当は告げたかったこの言葉以外にはなかった。
旦那の表情は分からなかった。ビーマに潰された顔はそんな機微を読み取ることなど不可能だったから。
でも、俺は旦那が微笑んだのだと思った。
旦那の歪んだ口が開く。でも、そこから出たのはひゅーひゅーという喘鳴だけだった。
耳をすませても、耳をすませても、なんの言葉も聞き取れなくて。聞き返す意味もなくて。ゆっくりと力が抜けていく旦那をずっと、ずっと、見つめていた。
ーーー望みがあった。
自分が不死者だと聞いて。旦那も父もいなくなった世界で長く長く生きていかなければならないと覚悟したあの日から。
幼い子どもの戯言にしか聞こえなかっただろう、あの言葉を『知っている』と旦那が受け止めてくれたあの日から。
いつだったか。旦那は俺に言った。
『お前が北方を治めているあの王国のもう半分を併合して、お前を名実ともに王にしてやろう』
褒美のつもりの旦那に俺は首を振った。
『俺は王にはなれねぇし、なりたくねぇよ。ーーーだって王になったらあんた達の面倒をみれねぇだろ』
『確かにおまえは弟達の面倒をよくみておるが……それでいいのか?』
『それでいいんだ。俺がやりたくてやってんだから』
そう、俺はやりたかった。
旦那が生きている間は、その弟達や子供達の面倒をみて、旦那が死んだ後は旦那の孫の面倒をみて、旦那の子供が死んだ後は旦那のひ孫達の面倒をみて。それを繰り返して。ずっとずっと旦那の面影と血脈に沿って生きていきたかった。
ーーーお慕いしております。あなたが死んだ後もずっと。
言わなかった言葉をきっと旦那は知らなかっただろうけど。旦那は俺の言葉を否定しなかったから。拒否されなかったから。そうしようとずっと思っていた。
それだけが望みだったのに。
どうして、それだけのことが叶わないのか!
◆
カルデアの人工の光が部屋の中を満たしている。サーヴァントに支給された部屋の一室。椅子に座った人の長い紫の髪を俺は梳いている。
「……旦那」
「なんだ?」
名前を呼べば答えが返ってくる。
旦那は手に持っていた回転鏡をくるくると回して遊んでいる。その鏡面になんの瑕疵もない旦那の顔が写って、俺は眼球の痛みをやり過ごす。
召喚されたばかりの旦那は即座に最終再臨まで強化されたもののまだ目に映るもの全てが珍しい様子だ。今も通常の鏡と拡大鏡がついている回転鏡にいろんな物を写しては楽しんでいる。
俺は、女性サーヴァントに頭を下げて薦めてもらったブラシをゆっくりと滑らせた。
長い髪はさらさらと流れて、すくい上げた手からも滑り落ちていく。
旦那がかちりと回転鏡と止めた。拡大された旦那の顔が鏡越しにこちらを見る。
「アシュヴァッターマン。……わし様に言うことがあるだろう?」
旦那の髪を弄んでいた手が止まった。
その口調はあの夜明けに聞いたものと同じだった。
だから、俺は同じ言葉を返さなければならない。
「愛しています」
そう告げて、俺は顔を伏せた。
「旦那はまた『知っておる』って言うだろうが。俺はずっとーーー」
急に旦那が立ち上がった。
くるりと俺に向き直る。
「アシュヴァッターマン。わし様検定30点!落第だ!!」
「は??」
目を白黒させる俺に旦那は指を突きつけた。
「わし様は違う問いに同じ答えを返すほど愚かではなぁい!!」
椅子の上に回転鏡が投げ置かれる。
「わし様は優しいからな。追試してやろう。ーーーもう一度言え」
「愛しています?」
勢いに呑まれた俺に旦那はうんうんと頷いた。
「誰をだ?」
「旦那を」
ーーー旦那、だけを。
そうだ俺は旦那だけを愛している。
血脈に沿いたいなんて自分へのごまかしに過ぎない。本当は旦那の側にずっと居たかった。叶わぬと分かっていても死出の伴を願ってしまうほどに。
ーーーずっと旦那だけを愛していた。
黙りこくった俺の額の宝珠を旦那がゴンゴンと突っつく。
「その様子だとわし様の返答は聞こえていなかったな。馬鹿者」
責められてうなだれた俺の額を旦那は指で弾く。
顔を上げれば、旦那はどこか得意そうに笑っていた。
その歪みがない唇が開く。
「俺もだ。アシュヴァッターマン」