尾追いの鳥跡 メドーとリーバルが優秀過ぎてテバが身の上話をする時間がなかったために、テバのことを全然知らないままリトの仲間たちと合流したリーバルの話。
「おーいリーバル~、お前宛てに手紙だぞ、て・が・み!」
今日も今日とて厄災の放つ魔物の尖兵たちを退けて、戦闘任務から拠点に帰還したリーバルを出迎えたのは、いやに猫なで声で自分を呼ばわる古株のリトの戦士の声だった。
「手紙……? わざわざこのキャンプまで……?」
リーバルはいぶかしんだ。リーバルの居住地は公にはリトの村ということになっているから、戦闘任務のための拠点であるベースキャンプまでリーバル宛てに手紙が来るというのは珍しいことだ。大厄災の戦乱が極まる中でシーカー族の古代技術の復興が進み、ワープによってあちこちの前線拠点へと移動できるようになってからは、戦士であるリーバルが滞在しているキャンプ地を特定することから難しいため、さらに珍しいことになった。
そのため、手紙と言ったら、王家からの勅令や謝辞を記した書状か、連合軍が救援に赴いた街々に住む人々が宛先が分からずキャンプに届けた感謝状がたまたま居合わせたリーバルに渡されるか、というのが関の山だ。
「珍しいですね。王家からの書状なら、一兵卒に渡さずに王家直属の連絡兵が直接リーバル様のところに書状を渡しにくるはずなのに」
「また連合軍宛ての感謝状でしょうか?」と一緒に帰還してきたテバが少し声を弾ませて言うのを聞きながら、リーバルは何とはなしに警戒を解かずにいた。
──感謝状……?どうも、違うような気がする。
リーバルは嫌な予感を覚えつつ、ひらひらと手紙を持ち上げている戦士の方へ向かった。そしてその古株戦士とその後ろの年配リトたちのニヤついた顔と美麗な封筒を目にして、思い切り嘴の端を下げた。
──またか。
嫌な予感が的中した。心なしか期待に満ちた顔付きで手紙を渡そうとしてくる戦士に対して、リーバルは片手のひらを前に出して待ったをかける。
「要らない。読まない。相手に返送するか、適当に処分しといて」
「はあ?!」
にべもないリーバルの言いように、戦士は信じられないという顔で見つめてくるが、それを無視してリーバルは自分の執務机があるテントへさっさと歩みを進めた。
ざわつく戦士達の間を縫って早足で行くリーバルに、一拍遅れて追いかけてきたテバが声を潜めて尋ねる。
「お読みにならなくていいんですか?上等そうな封筒でしたけど」
「いい、どうせ中身は『あなたとお茶を飲んでやってもいい』なんていうくだらない誘い文句なんだから。」
「え?それって……」
テバが何か言う前に「おいおいリーバル!」と別な声に呼び止められる。いつの間に回り込んだのか、さっきの古株戦士が不満そうに腕を組んでリーバルたちの前に仁王立ちしていた。
「なんで開けてやらねえんだよ、せっかくの“恋文”だってのに!」
──リト達は噂が好きだ。惚れた張れたなぞ格好の話のタネである。戦士達が寄り集まれば、武勇自慢に次いで、誰それから貰った恋文付文の表す自分の魅力がどうだこうだと自慢し合っているのが、ヘブラの酒場の日常風景である。
リトの戦士にとって、武功を認められることは何にも勝る名誉と喜びだ。それが同じ戦士の志を持つ者からの讃辞であればなおさら誉れだ。生きるに張り合いを与えるのは、一つに翼の風切るのと、一つに弓弦の高く鳴るのと、一つに武勇でその名を詩歌詠さるることに他はなし、というのがリトの戦士達を一つ束にして空へ駆り立てる誇りと矜持なのである。
──だってのに、この色ボケどもめ……。
リーバルは無理やり手に握らされた“恋文”をくずかごに放りたい気持ちを抑えて、未処理の書類ボックスに突っ込んだ。
「だって僕には、いま、やりたいことが山積みなんだ。伴侶だの子供だの……まだきちんと責任が取れるかわからないことは抱え込みたくないよ。戦況だってやっと小康状態に入ったところだし……そんな状況で戦士の限りある時間を取ろうっていうような考えなしの人をそもそも伴侶には選びたくない」
「責任意識があるのは結構。だがなあ……せめて断り方はもう少し考えてくれねえか?そうやってろくに返事もしてやらずに突っぱねてばっかりだと、“あの人は心知らずの冷たい人だ”何だの言われて、“後の信用”に響くぞ? 戦士に仕事を持ってくるのは、戦士の実力を信用の第一に置いてくれる人間ばかりじゃねえんだから」
「大きなお世話だ!僕は僕の実力を認めない相手となんて仕事はしない」リーバルはフン、と鼻をならしてリトの仲間達の心配を一蹴した。それを見てますますリト達は不安げにため息をつく。その中にテバの姿を見留めて、リーバルはさらに嘴の端をひん曲げた。
──なんだよ、いつもなら僕の後をくっついて、僕のことを褒めて、僕の味方をするくせに。僕に憧れてるんじゃなかったのかい。
テバが他のリトと同じようにリーバルを扱うのが、いつにもまして面白くない。テバを含めてリト達がみんな自分をのけ者にして息を揃えて意見を持っているのが、気に食わない。さっき、手紙が恋文だと気が付いた時よりもずっと、リーバルの気分は最悪になった。そんな不快感に合わせて自分の胸に浮かんだ言葉の子供じみた有様に、リーバルはちっと舌打ちした。
「なんだよ。そもそも何だって僕ばっかりが非難されなきゃあいけないんだい」
「お前ばっかりって、それこそ何だよ。リーバル、ここまで潔癖に断りまくってるのはそれこそお前だけだよ」
そうだそうだも少し愛想をふり撒けよ、と遊び人のリト達が茶々を入れる。そちらをぎっと睨みつけてから「だ~か~ら~……!」とリーバルは自分の機嫌を最悪にした元凶に向かって言い放った。
「それは、テバだって、同じことじゃないか!」
「……へっ?」
突然に会話の矛先を向けられたテバは、目を丸くして気の抜けた声を出した。
「テバ、君が君宛てに届いてる文の類を関所でばっさり処分を頼んでるの、知ってるんだからな。声かけ手かけられたって何でも、いっつも知らんぷりして見るもせず全部断ってるのは、何も僕だけじゃない、君も同じじゃないか!」
指さし向けられて、びっ、びっ、びっ。リーバルに詰められたテバは句点ごとに一歩ずつ後ろへと追いやられた。
「ええっと、あの……」
どうしよう、という困惑が透けて見える困り顔でテバがきょろきょろと辺りに助けを求める視線をやった。向けられたリトの仲間達は肩を竦めつつ、「だってもなあ……」と互い顔を見合わせる。
「そりゃまあ……テバはなあ?」
「うん、テバとお前じゃ事情が違うだろうがよ」
「ミライから来てんだろ?いつになるか知らんが、テバはミライに帰っちまうんだからよ、今後長くこっちで信用つくって仕事するってわけじゃないんだからなあ」
テバと他のリト達が、またリーバルを置いて分かった風に頷き合う。それが気に入らないリーバルはますます苛立って意固地になる。
──……面白くない!
テバが未来からやってきた、そんなことは実際に未来から介入された現場にいたリーバルの方が知っている。知っているから苛立っている。八つ当たりだってしてやる気になる。
──未来からの救援者・テバ。
リーバルのことを憧れの戦士だと宣い、他のリトとは一線を画した恭しい態度を取る、最近リーバルをよく喜ばせたり苛立たせたりしている元凶は、なんと今から100年先の未来に生きているリトだという。
厄災復活のあの夜、幾人かの恩人たちが、未来から時を超えてきたことについて、連合軍では後日シーカー族の学者たちがあれこれ説明をしていた。しかし大半のリトはその理屈を理解していない。もう一度聞けと言われても大半がぐうすか眠ってしまうだろう。
リトたちのテバに対する理解は一つだ。
「近い知り合いの孫だかひ孫だかのそのまた孫くらいの子孫が、祖先を想って、ずいぶん遠くからすっ飛んできたらしい」
と、それだけ。
出稼ぎに行った孝行息子が危篤の親の面倒を見に生家に帰省したらしい、くらいのノリである。
この様子に一番安堵したのは、何を隠そうこのリトの英傑リーバルだ。
厄災の復活に伴って乗っ取られていた神獣ヴァ・メドーの制御を取り戻し、ハイラル平原付近の厄災の攻勢を蹴散らして戦況を持ち直す──なんと、この大仕事をリーバルは凄まじい速度で成し遂げた。
そのスピーディーな活躍ぶりと言ったら、メドーに同乗して彼の補佐がてら自己紹介をしようとしたテバが、「俺は未来から来た英傑リーバルに憧れるリト族の戦士のテバ……」とまでしか嘴を開けなかったほどである。「です」のワンセンテンスさえ言い切れないほどに、リーバルの仕事は速かった。速すぎたくらいだった。
その悪影響はリーバルが自分の仕事ぶりに満足してメドーから降りる時に発覚した。
メドーから手近なヘブラの拠点へとワープして、さあ仲間の皆に無事を報せようといつもの集会所に歩み出したところで、リーバルは視界の端に白い塊が動くのを認めた。それで思い出した。
──そういえば僕、この戦士のことを戦う実力と名前くらいしか知らないぞ。
と気が付いたのである。仕事の速いリーバルは慌てて「君の紹介は後日改めてする!今日はゆっくり休んで傷を癒してくれ!」と言い放って自身は執務机にかじりついて夜を明かした。
「ほとんど名前しか知らぬ相手をどうやって仲間たちに紹介するか?」
「紹介したとして、どう説明をしたら信用してもらえるか?」
リーバルは大いに頭を捻ることになった。考え込みすぎて戦場でもかかないほどの脂汗が浮き、リーバルはその汗を流すのに一晩に三度も温泉に入ることになった。
それなのに、結局その考え込んだ成果は、ゼルダ姫の称揚演説やシーカー族の研究者たちの見解発表などで日が流れに流れて、日の目を見ることのないままになってしまった──リーバルの知らぬ間にテバは勝手にリトの仲間達と打ち解けていたのである。
そう、そのシーカー族の研究者たちによる未来からの助っ人についての見解発表がかなりの問題ごとだった。
その時、自分たちの埒外のことだとるかいを放棄してぐうすか寝ていた他のリト達と違って、リーバルは律儀に最後までよく聞いて質問をしてその仕組みを半分くらいは理解した。
──そのせいで疲れたから、その日は後の“宴会”は出ずに早く寝ちゃったし……それなのにぐうすか寝ていたリト達は皆その“宴会”でテバと馴染んだなんて……一人で必死で考えてた僕が馬鹿みたいだ。
他のリト達はリーバルのいないその“宴会”で何やらテバと打ち解けたらしく、次の日には「恩人のテバ殿」から「仲間のテバ」の扱いになっていた。それが──リーバル自身は認めたがらないが──それが少し取り残されたようで寂しい、などというのが彼の最近の苛立ち、そしてこの度の八つ当たりの主な原因である。リーバルは、テバが未来からやってきた事実理屈についてはリトの誰より知っているが、テバがどういう人物なのかは戦場での姿以外のことをほとんど知らないのである。
閑話休題。
ともかく八つ当たりの理論だって、「あいつは未来から来てるんだろ?」程度のいちゃもんで穴が開くような杜撰なことを言うほどリーバルは馬鹿ではないのだ。とりわけ、テバが未来から来た云々という話なら尚更引けはとらない。
「いずれ帰るとしてもだ。テバだって今じゃ連合軍の看板戦士の一人だろ。それが『人の心を持たない冷血漢だ~』なんて言われて、連合軍の支持率が下がったらどうするんだい? すげなく返したお嬢さんがハイラル指折りの資産家だったら? 縁故ある資産家たちから次々と連合軍への支援を打ち切られて、前線への補給物資が足りなくなったら? ……信用の話をするなら、テバだって同じことだろう!」
整然と理論武装をするリーバルに対して、しかしリト達はなおも煮え切らない態度だった。
「うーん。いや……でも、やっぱりテバはお前とは立場が違うだろ……」
「だから、何が違うって言うんだよっ?」
言葉をぼかして分かった風に頷き合うばかりのリトの仲間たちに一人もどかしさから地団太でも踏みそうなリーバルを見て、おずおずと声をかける者がいた──当のテバだ。
「あの、リーバル様。一つよろしいでしょうか」
「何!?」
不機嫌を隠さない声でリーバルが振り向く。テバはちらともひるまず、咳ばらいをしてから「あのですね、」と言う。
「リーバル様、俺はそもそも責を取るべき家庭があります。誘いに乗る乗らぬの前に、そうやって目移りすることからいかんのです。リーバル様はこれから、もしかしたら恋文の相手なり街で見かけた誰ぞなりを伴侶と見初めることがお有りかもしれませんが、俺は既に一生を添うと決めた相手がいますから、」
「……は?」
「つまり、俺は妻帯者なんです」
「子供もいます」とテバはあっけらかんと言う。周囲からちろりと心配そうな視線がリーバルに集まる。
ここでもう一度──リーバルは、テバが未来からやってきた事実理屈についてはリトの誰より知っているが、テバがどういう人物なのかは戦場での姿以外のことをほとんど知らないのである──。
つまり、“今この場で初めてテバのパーソナリティに触れた”リーバルは、毒気の抜けた顔でぽかりと嘴を開けた。
「……君が?」「はい」「妻帯者?」「そうです」「無鉄砲で命知らずだし、子供と同じくらい目を離すとうっかり死にそうな上に弓と飛行技術に首ったけで戦場以外のどこにも生きていけそうにない生粋の戦士で、どうやっても人を心配させるばかりの君が?結婚を??」「あの、えーと……はい」「君が、人の親……?」「その通りです」
テバが一つ頷く度に、つきつけていたリーバルの白い指先がしおしおと力を失って下がっていく。
「不肖の身には勿体ないほど出来物の番を迎え、気骨の良い子を授かった果報者であると自負しております」
あちゃあ、と嘴に出さないまでもその場のリトたち全員がそう思った。
このヘブラいちの自信家のリトの青年が、ことに自分を慕うこのテバという男に対しては殊更に背伸びをしたがり、時にガキのように甘えを見せて、さもおとっつぁんと息子みたいな執着をみせているのを重々承知しているからだ。
リーバルが苛々している理由が途中で恋文云々から彼に与しないテバの態度へと移ったことも、リトの仲間達はちゃんと承知している。知らぬは自分の言に照れたのかきゅっと嘴を引き結んでいるテバその人だけである。
リーバルの嘴はぽかりと空いたまま塞がっていない。
それから一分ほどの静寂があった。固唾を飲んで二人を見守るリトの仲間達が、そろそろ何か茶化してフォローに入ってやらなきゃまずいだろうか、と互いに視線を送り合い始めた時。
リーバルが嘴の端を震わせながらタバンタの渓谷の底を這うような低い声を絞り出した。
「……テバ」
「はい」
「ちょっと外ェ出なよ」
「はい?」
◇
リーバルの「表へ出ろ」と喧嘩の売り文句のような言葉でテバが連れ出されたのは、なんと地上のどこそこではなく、ヘブラ上空を回遊する神獣ヴァ・メドーの背の上だった。
──この人、腹を割って話すのに、わざわざ神獣の搭乗許可を取ったんだろうか?
テバは黙々とメイン制御装置に向き合っているリーバルの背を見つめながら疑問に思った。いかな神獣の繰り手とは言え、これだけ大掛かりな兵器を運用するとなると、事前にハイラル王家への申請手続きか、向こうからの要請があってから動かすのが通例である。テバも「君がいるとメドーの出力が上がってるみたいだから」という理由で何度も神獣ヴァ・メドーの出陣に供をしていたから知っている。
よほどの緊急事態を除いて、王家の紋章が入った高そうな羊皮紙にサインをするところから神獣の出撃は始まる。繰り手当人と陣頭指揮を執るゼルダ姫かハイラル王かの署名をそろえて始めて搭乗が許されるのだ。手筈の込み入った慎重さは、それだけ命がけの繰り手の任務の過酷さを裏付けるもの。
──だから、よっぽど“私情”で神獣を動かすなんざできないもんだとばかり思ってたんだが。
メドーの進行方向はどう見ても戦場ではないどこか僻地で、武装の砲すらまるで出す様子はない。戦闘任務での出陣ではないことが明らかである。一緒にメドーの上までワープしてきたリーバルは、ついてから一言もなく制御装置に立ってメドーを操縦している。
これからいったい何が始まるのかまったく見当がつかず、緊張感にテバは身震いした。実際、普段よりも高度が上がっていて少し寒気がする。
「フン……ここいらでいいかな」
リーバルがようやく一言目を発したのは、メドーがヘブラ山を見下ろして、その頂きが点のように見えるほどの位置になった頃だった。さあ何が来るか、と身構えて鼻をすすったテバを振り返ってリーバルはまず、こう言った。
「君の家族、奥さんと子供が……一人?二人?もっと?名前はなんて言うの?」
「へ?」
「君の家族はどういう人なわけ?」
「あの……」
意図がまったくわからない。拍子抜けを通り越してテバは困惑の眼差しでリーバルの方を見つめたが、リーバルはテバの沈黙をどう取ったのかぎゅっと眉を寄せて不機嫌そうに声を低める。
「皆には話したのに、憧れの英傑様である僕には答えられないのかい?」
「い、いえ!ええと、俺の家族は妻のサキと一人息子のチューリとの三人家族です。チューリはあなたに憧れて幼いながらも戦士を目指す男の子で……」
「ふうん、そうなんだ。奥さんと出会ったのはいつ? 好きになった理由は? 結婚したのは? 仲人は誰だった?」
「え、は、あのっ?」
「答えられないの?」ぎろり、とリーバルがねめつけて来る。
「け、結婚を申し込んだのは弓術大会で優勝した時で、仲人はハーツ……」
「ハーツ? 誰だいそいつ、知らない名前だ」
「ハーツは俺の親友で……って、あの、こんなことを聞いて英傑様にいったい何の得が……?」
リーバルの威圧に流されて喋りそうになりながら、テバはなんとか必死で尋ね返した。リーバルはぴくりと片眉を跳ね上げたが、依然として仏頂面で、不機嫌そうで、威圧的なので、何が気に障ったのかがよく分からない。
「別にこれと言って得はないよ」
「じゃあ何故……?」
「僕はどうやら君のことを他の皆が知っていることさえも全然知らないみたいだから、この機会によく知っておく必要があると思ってね。僕には他の皆よりも君のことよく知るべき権利があるから、君にはあらいざらいこれまでの“隠しごと”を全部吐いてもらう」
いったいどういう権利なんだそれは? とテバは思ったが何とか喉元で呑み込んだ。
「これまでのことを全部? ええと、あの、過去に来てからこれまで……ということですか? 」
そうであってくれと思いながらテバはおそるおそる問いかけた。しかしリーバルの返答は無情である。
「は? 全部って言っただろ。君が産まれてから今まで全部、だよ。小さい頃の失敗談から好物から、さっき誤魔化した奥さんとの馴れ初めまで全部きっちり白状するまで、メドーからは出さないぞ」
「んなっ?! 」
ばっと思わずテバが上空を見上げると、白い雲を背景としてうっすらと緑に発光する“膜”が見える。メドーのバリア機能だ。普段ヘブラ上空を回遊している待機状態の時にメドーが勝手にバリアを張ることはないから、リーバルの操作でバリアを張っているのだろう。厄災復活の時はカースガノンに操られてリーバルを閉じ込める檻となっていたメドーが、今はテバを尋問し閉じ込めるための檻となっているのである。訳が分からない。
「な、なんだってそこまでして俺のことをお知りになりたいので……?」
「……君が僕についての話を知ってる数の分だけ、僕には君の私生活について追及するべき権利が、いや追及しなきゃいけないんだよね。これは天におわします我らが女神に誓って遂行すると決めちゃったことだから、うん、やり遂げないとさ」
「そんな理屈がありますか!?? 」
テバはとうとうツッコミが声に出た。ガキの我儘だってもう少し整った屁理屈を言う。
「僕の言い分が屁理屈だって?そんなら多数決でもしようか?結果は僕の言い分の方が正しいって決まってるだけだよ?」
「多数決って……俺とリーバル様の二人しかいないのに、引き分ける以外にあるんですか?」
「ちがう、“三人”だ」
むっとした顔でリーバルが指先を三本、テバの眼前に突きつけた。
すると計ったような丁度のタイミングで、キュオオオオンとメドーが高く鳴声を上げる。それを頷き腕組みしながら聞いてリーバルが勝ち誇ったように胸を張る。
「ほらね、メドーも“そうだ”と言ってるよ」
「そんなまさか、ちょっ……待ってくださいよ?!」
さすがに嘘だろ、おい。神獣ヴァ・メドーに意思があるとかないとかの話は一旦置いても、片方だけにしか正誤の判断がつかない意見を盾にするのは幾らなんでも“ズル”だ。いくらリトの英傑贔屓のテバだって、それくらい疑う反骨心は持っている。
テバは目をむいて横暴を訴えたが、リーバルは素知らぬ顔で「なあメドー? 僕が正しいよな?」と呼びかけている。神獣は利口にも主の呼びかけに応じてキュウキュウ鳴いている。今だけは恨めしい忠節ぶりである。
この青年、メドーが必ず自分の味方をするからと踏んで、テバが絶対にアウェイになる状況を作って、“隠しごと”とやらを吐かせようとしているのだろうか。
──口喧嘩に親じゃなくって神獣を持ち出すってのも、いったいどうなんだ?!
大人げない、いや実際に大人と言うにはリーバルはほど若い青年であるのだが、それにしたってだ。
テバは嘴元をひきつらせた。何が原因かはわからないが、ともかくこの青年はテバに対して相当に何かしらの鬱憤を湛えていることが分かった。
さらにはその鬱憤を晴らすために、何やらテバの半生を恥も誉も分別なく洗いざらい徹底的に語らせる心づもりであることも分かった。
その上で、どうにかテバはこの嘴達者な青年を宥め、容赦を請わねばならないのである。
──とんでもなく分が悪いな……。
テバはあまり嘴が回る方ではない。この青年が機嫌を良くしてこちらの考え方に融通を利かしてくれる時だってさえも言いくるめることは難しいというのに、このような不機嫌で、テバの訴えを聞き入れてもらうというのはほとんど不可能に近い。そういう時は、嘴ではなく行動に出るのがテバの得意技なのだが、“メドーの上”という場所に縛られてはその手札も封じられている。完全に詰みだ。
しかし全く勝ちの目が見えなくても、何とか言い繕わなければ、テバはこの憧れの戦士の前で根掘り葉掘り過去の恥や他人に言うには照れ臭い思い出たちを披露しなければならなくなる。それは避けたい。
「そ、そりゃ俺はあなたのことを尊敬してますし、この戦乱の中で家族か手下かのように扱われるのも満更じゃあないが……それとこれとは別だ、俺にも譲れない線はあります!!」
そう、憧れの相手だからこそ知られたくない、ということも往々にしてある。そして先のリーバルの態度からして、そんな部分を見逃してくれるどころかより詰めてくることが分かっているのだ。ここは引けない。
「いくら近い間柄だって、べらべらと身の上話どころか年譜を作れるってほど行い信条をそっくり申し上げなきゃいけない道理はない。戦士として誇れる者でありたいという志はもちろんありますが、俺だって人だ、身内に留めておきたい恥の一つ二つはありますよ……!」
テバは切に言葉を選んで訴えてみたが、リーバルの反応は芳しくない。
じとりと含みを持った眼差しでテバを見据えて、顎をさすりながら「ふうん」だとか「へえー」だとかしらじらしく言っている。まったく納得していないようだ。
「なるほどなるほど、“一介の戦士”である君は、プライバシーの権利を主張して、僕の知りたい気持ちは行き過ぎた行いだと非難するわけだ」
「そ、そこまでは言ってませんが、まあ、おおむねそうです」
「じゃあ聞くけどさ。君。“僕のことをどれだけ知ってる“?ああ、僕ってのはもちろんリト最強の戦士リーバルにして風の英傑リーバルである僕……つまり、君の憧れの“一介の戦士”のことなんだけどね?」
ことさらに嫌味っぽい声をしてくどい言い方をするリーバルに対して、未だずっとその意を掴めないテバは首をかしげるしかない。
「えっと……?」
「言ってごらんよ、ほら。いつも僕のことを言うみたいにさ!」
「は、はあ。ええと、では……」
何が何だかわからないまま、テバは滔々と自分の知るリトの英傑伝説について語った。それは元居た100年後の世界で調べ集めたものから、過去にやって来て同じようにリト最強の戦士に憧れるリト達から聞いた逸話まで、まるきり全部。ミンフラーの秘湯のかけ流しのごとき怒涛の滑らかさで語り尽くした。
途中から熱が入ったり、心のこもった美辞麗句に気を良くしたリーバルが「その話には実は続きがあってね……」と「逸話」の「続き」を語ってやったり、それにまたテバが目を輝かせて褒めたりするので、えらく長い時間がかかった。
リーバルの「実はね……」という横道自慢が5度目にもなろうかというところで、キュウウウウンとメドーが鳴く。
びっくり肩を震わせて、はた、と両名が我に返り。
今度はテバにも神獣の意見がよく理解できた──「いい加減にしろ」の意である。誠に主人思いのできた相棒だ。
えへん、と咳ばらいをしてリーバルが何故か声を潜めてテバに尋ねかける。
「……な? わかっただろ? 」
「リーバル様の凄さがですか? 」
えへんえへん、ともう一度リーバルが咳払いをした。彼の長い尾羽が少し浮き上がっているのが身体越しに見える。あれは照れるか内心嬉しい時の癖だとテバはリトの軍に加わってすぐの頃に仲間達から聞かされた。
「ちがう、いや違わないけど……そうじゃなくって……君は知っているわけだよ。僕のことをそれこそ『赤ん坊のころから知ってる古馴染みのリトの仲間達』みたいにさ!未来で知ったのか、こっちに来てから聞き歩いたのかは知らないけど!」
「赤ん坊の頃からは流石に……幼少のみぎりにやせ我慢をしてポカポカ草の実を食べ過ぎて嘴の中に火傷をなされたという話までしか知りません……」
「おいちょっと、それ言ったの誰だい?!……じゃない!……ほ、ほら、君は知ってる!知りすぎてるじゃないか!」
「おまけに僕がいないのをいいことにそっちの僕の日記まで読んだらしいじゃないか?!」とここぞとばかりにリーバルは責め立てる。
「ど、どうしてそれを?!」「……シドから聞いた!」
それでテバは得心がいった。シドは英傑の御代について資料を持ち寄り話し合う研究仲間である。あの篤実な青年のことだから、告げ口なんかではなく、実に厚意で「テバはこんなにあなたを敬っているのだ」と示すつもりで言ったのだろう。その厚意は残念ながら裏目に出てしまったようだが。
「いえ!しかしそれは貴重な歴史資料の保管のためであって、決して俺の私情だけによることではなくてですね……」「滅多に帰らない自宅で誰でも覗き込めるような開きっぱなしにすることが君の“保管”だって?!」「いやそれはその……システムが……」
やいのやいのと言い合っていると、またメドーが鳴いた。ぎゅおおおん。「話を進めろ」と言わんばかりに今度は少し低くおどろおどろしい声で、はっと二人は座り直した。
「……わかっただろ。君は僕のことを知りたがって、そして事実知ってるわけだ。“一介の戦士”のプライベートな枠を超えて、何でもかんでも。そんなら僕だって君の事を知らなきゃ不公平だろう」
「だ、だが、だってそりゃあなたは今も昔も英雄だからで……」
「そんなことは分かり切ってる! 僕の名が知れ渡る代償に巷に流布してる風説を止めようなんてそんな無駄なことできっこないのは僕だって諦めてるよ。僕じゃなくって、君の自覚が足りないんだ!!」
「俺の自覚……ですか?」
これだけ詰められてなお戸惑う様子のテバに対して、ぐ、とリーバルの目が据わった。腕を組んで、背筋を反るほどぴんと伸ばして肩肘を張って、いかにも偉ぶったような態度でテバに向き直る。
「いいか……いっぺんしか言わないからね」
──まるでどこぞの演劇の告白シーンみたいだな。などというテバのぼんやりした考えは次の言葉を聞いて吹き飛んだ。
「君がヘブラを守った僕に憧れて僕のことをなんでも知りたがるみたいに……君に助けられた、大事な故郷と仲間を救う機会を君に貰った僕が、君のことを知りたいと思うのが、どうしてわからないのさ!!」
また、尾羽が浮いた。今度は二本。テバのも同じ動きをした。
「ぁ、の……よく……わかりました……」
かろうじてそれだけ言葉になった。それだけテバにとって覿面に効く文句だった──戦士の憧憬とは、かくも眩きものだったか。
「よし、それじゃ洗いざらい吐いてもらう。さっきのハーツとかいう奴との話からだ。どうも僕はそいつのことを良く知っておかなかきゃいけないような気配が首筋にチクチクしてるんだ」
「ええと、ハーツは……俺の馴染みの弓職人で──……」
今度のテバは抗わずにリーバルの求めに応えた。リトの英傑の武勇を語るのと違って、訥々とした語り口は、何度も詰まったりあちこちに話が飛んだりしたが、リーバルは文句も言わずに聞いていた。
しかしそれでもテバの人生丸ごとと言わんばかりの物語だから、時間が一日あっても足りはしない。日も暮れてきてリトの羽毛でも寒さが堪える頃になると、二人は神獣を待機中の定位置へと戻し、自らも拠点の寝床へと戻ることにした。
続きはまたの機会に、とメドーを降りたが、果たして語り切るのにどれだけかかるのやら。そうして語らう時間をいかに作るかと、楽しみなような面倒なような、少し面映ゆい気分で二人して知恵を絞って帰路につく。
その途中で「そうだ」とテバが妙案とばかりに嘴を開いた。
「いっそ、交換日記でもしてみますか?」
少し頭上からのわくわくとしたような眼差しを受け、リーバルはフッと笑みを浮かべる。
「それは絶対イヤだ」
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