全年齢これからってところで終わるショヤネタぶら晶♀ 「なんだか、腹が立ってきました」
北の国での任務を終えほっと息をついたのも束の間、ミスラがぽつりと漏らした呟きに晶は表情を強張らせる。
厄災の影響で凶暴化した魔物の討伐、という北の魔法使い向きの任務だった。こういう時こそ我らの出番じゃ!とスノウとホワイトが(強引に)北の魔法使いを集めて任務にやって来たのだが、いざ対面した魔物が思いのほか弱かったのだ。
無理やり連れてこられた挙句、討伐対象の魔物には歯応えがなく、極めつけに最後の一頭をオーエンに掠め取られたミスラは、現在大層ご立腹だった。
(これはまずい……)
同じことを思ったらしい双子が「落ち着くのじゃ!」と長身にまとわりついている。ちなみに晶の隣にいるブラッドリーはどこ吹く風といった顔で、元凶の一端であるオーエンは早々に姿を消していた。
「ま、この程度の雑魚ならおいぼれのじじいだけで十分だったな」
「失礼なやつじゃ!」
「こーんな可愛い我らになんてことを言うのじゃ!」
ふん、と鼻を鳴らしたブラッドリーに、双子が頬を膨らませる。
「そんな態度をとってよいのかのう」
「我らはそなたの刑期を伸ばすことも……」
にやにやと悪巧み顔で双子がブラッドリーに迫ったその時、ミスラがとんでもない独り言を呟いた。
「ちょっとオズでも殺してきます」
ぎょっとしたスノウとホワイトがミスラの元にとって返した。晶もその後に続く。
「待つのじゃ、ミスラ!」
「早まるでない!」
「お、お腹が減ってるんじゃないですか? ほら、日暮れも近いですし……」
茜色に染まり始めた西の空をちらりと見ながら、晶は何とかミスラを宥めようとした。
しかし、
「てめえの獲物を横取りされたんだ。飯食ったくらいで忘れられるわけねえよなあ?」
背後から発せられた声に、心の中で「終わった……」と呟く。
(ブラッドリー。そんな、ミスラの背中を押すようなこと言わなくても)
案の定ミスラはその気になってしまったようで、空間の扉を作り出すと、自分の両手を掴んで引き留めようとしていた双子を鬱陶しそうに振り払う。
「日が沈む前に決着をつけてやりますよ」
妙に自信満々な顔で、ミスラは空間の扉の向こうに姿を消した。また魔法舎が半壊してしまいそうである。夕食は夜空の下で食べることになるかもしれない。
「ミスラちゃん!」
「お願いだから待って~」
スノウとホワイトが猫なで声でミスラを追って、空間の扉をくぐる。
(今日って魔法舎には誰がいたっけ? 一緒にミスラを止めてくれるひとがいるといいんだけど)
そんなことを考えながら、晶も魔法舎へ戻ろうとした。その肩を後ろから伸びてきたブラッドリーの手が引き留めてくる。
「ここから少し行ったところに、俺が昔使っていた隠れ家がある」
先ほどミスラをけしかけた時とは打って変わって、低く艶のある、落ち着いた声が耳元で囁く。今までに聞いたことがないような声音。
顎を持ち上げるようにして、晶は後ろを振り仰ぐ。辺り一面が真っ白な北の国で、より鮮やかに見えるロゼの瞳は、晶をまっすぐに見下ろしていた。
「来るか?」
何の説明もない、唐突な問いかけ。え、と短い音が唇の隙間から漏れ出た。
ブラッドリーはそれ以上何も言わず、銀色の指輪が輝く左手を持ち上げる。晶の頤を捕らえ、親指で下唇をすり、と撫でるのは一体なんの示唆だろうか。
もしかして、と小さな期待が顔をのぞかせる。それを咎めるように、すぐに心の中で否定の言葉が出た。
(いやいや、まさかね……)
これまでずっと何もなかったのだ。小さな期待が何度も裏切られた記憶に、今更そんなわけないと心が萎れていく。
それでも、期待が完全に消えることはなかった。
ごくりと唾を飲み込む。夜な夜なひそかに家を抜け出そうとする時のような、高揚感と緊張感に襲われる。
晶がブラッドリーから目を背けながらも頷くと、肩に乗っていたサクリフィキウムの気配がふっと消える。
「あっ……」
ブラッドリーがサクリフィキウムの首根っこを掴んで持ち上げたのだ。
「じじいどものの使い魔は連れて行けねえからな」
小さな猫のような何かはブラッドリーによって空間の扉にひょいと放り込まれた。サクリフィキウムが身軽に着地したその瞬間、空間の扉は光の粒となって消える。
「行くぞ」
「…はい」
晶はどこか機嫌が良さそうなブラッドリーに返事をして、大きく息を吸い込むのだった。
❄︎
でも結局、ただ馴染みの場所を見せてくれるつもりってだけなんだろうな。
表に出てこようとする期待をぐいぐい押し戻しながら、晶はそう思っていたのだが――。
(いや、これってやっぱりそういうことかも⁉)
膝を抱えて肩まで湯船に浸かりながら、想定外の状況に晶は目を白黒させていた。心臓がばくばくと音を立てて水面をかすかに揺らし、お湯に浮かべられた白い小さな花たちがゆったりと揺蕩う。
誘いに応じた晶を箒に乗せて、ブラッドリーはしばらく北の国の空を飛んだ。ほどなくして雪に沈む森が見えて、その中に立つ古びた屋敷が彼のかつての隠れ家だった。
驚いたことに、その屋敷には明かりが灯っていた。しかしブラッドリーは驚いた様子もなく、「律儀なやつらだ」と呟くばかり。
箒を降りたブラッドリーがさも当然という顔で屋敷のドアを開けるから、晶は咄嗟に彼の名前を呼んでその腕を掴んでしまった。しかし屋敷の奥から現れた初老の女性が、僅かに目を瞠ったあと「お帰りなさいませ」と迎え入れてくれて、彼女がこの隠れ家を管理していたことを知ったのである。
『こいつの面倒見てやれ。メシは軽くでいい』
『かしこまりました。――さあ、こちらへどうぞ』
管理人に導かれ、あれよあれよという間に服をはぎ取られ浴室に押し込まれたのである。その最中、かつてこの近くの集落をブラッドリーが救い、以降代々彼の隠れ家を守り続けているのだと聞かされた。
(人助け、というより気まぐれで助けたって感じなのかな)
失礼ながら、彼が善意で人助けをするとは思えなかった。何か目的があったのか、気まぐれか、どちらかだろうと勝手にあたりをつける。
そのブラッドリーはというと、「ゆっくりして来いよ」と晶を見送ったけれど、今は何をしているのだろう。
鼻の下までお湯に浸かり、ぶくぶくと泡を作る。その音に混じって晶のお腹がぐうと空腹を訴えた。
もう外は日が落ちただろうか。いつもなら夕食を食べているような時間だ。
(ブラッドリー、お腹空いてないのかな。軽くでいいってあの人に言ってたけど……)
任務から帰ったブラッドリーが、キッチンのネロに「腹減ったからなんか出せ」と言っている姿をよく見かける。そのブラッドリーが軽くでいい、なんて。
いつもと違うことがこれから起こるのかもしれない。それが何かを勝手に想像して、落ち着かなくなる。
「心の準備とか、全然できてない」
ちょっとだけ体を起こし、水面ぎりぎりで小さく呟く。
晶は、ブラッドリーと何度もキスをした。一緒に眠ったことだってある仲だ。しかしこの関係に名前はついていなかった。
好きとか愛してるとか、月並みな言葉をもらったことはない。晶からだって言ったことはない。一緒に眠るのだって本当に文字通り一緒に眠っているだけで、そこから先に発展する気配なんて微塵もなかった。きっと、ちょうどいい抱き枕くらいのつもりなんだと、たくましい腕に抱えられながらいつも考えていた。
キスも――ちょっと揶揄っているだけなのだろう。揶揄うだけで舌を入れてくるのはタチが悪いとは思うけれど。
彼に抱いていた、憧れにも似た淡い好意をひた隠しながら、拒むことも自ら先へ進もうともしてこなかった。
それなのに、この状況。
(ブラッドリーって、そういう風に私のこと見てたの?)
お湯に浸かって、何度こう考えたか分からない。
本人から直接聞いたことはないけれど、彼がこれまでにたくさんの女性と関係を持ってきたことは、言動のはしばしで感じていた。
そんなひとに欲を向けられるほどの魅力が自分にあると、とてもじゃないが思えない。これは謙遜などではなく本心そのものである。
丸めていた背を伸ばし、姿勢を正して浴槽に座ってみる。胸元を見下ろすと、板というほど平らではないが、豊かとは言い難いなだらかな線が見えた。
かつてブラッドリーが関係を持った中に、果たしてこんな薄っぺらい体つきの女性はいたのだろうか。
(もっとこう、出るとこが出てる女の人が好きそうなのに)
というのは晶の勝手な想像である。
勘違いかも。いや、そういうことかも。
かもしれないを頭の中でずうっと繰り返し、気もそぞろのまま髪と体を洗った。いつもよりも気持ち念入りに。
芯まで暖まったところで風呂から上がり、用意された寝間着に袖を通すと、例の管理人が廊下で晶を待っていた。
案内されたのは屋敷の二階、一番奥の部屋。「どうぞ、ごゆっくり」と微笑まれて、なんと反応すれば分からず軽く会釈をするだけに留めて部屋に入った。
「えっと、上がりました」
「おう」
ブラッドリーはカーテンが閉じられ薄暗い部屋の中、晶に背を向け、暖炉の前の長椅子に座って寛いでいた。晶がおずおずと声をかけると、振り返ることなく短く応え、手の中のグラスを傾けている。その液体の色を見て、晶は小首を傾げた。
「……飲まないんですか? お酒」
長椅子の傍にある小さなテーブルには、食べ物が入ったバスケットと水差し、それにワインボトルが置かれている。軽めに、というブラッドリーの要望に沿ってあの管理人が持ってきたのだろう。
そしてグラスを満たしているのは透明な液体。つまりは水だ。
水とワインがあって、ブラッドリーが前者を選ぶ理由が分からない。ブラッドリーの背後にゆっくりと近付くと、彼はようやく晶を振り返った。晶と同じようにお湯を使ってきたのか、髪はかすかに濡れていて、肌触りのよさそうなシャツを身に着けている。
「風邪ひくぞ」
晶の濡れた髪を一瞥したブラッドリーが、呪文もなく小さな魔法を使った。顔にぶわっと吹き付けた温かな風は一瞬で髪の水気を吹き飛ばし、乾いた髪が肩に落ちる。
「あ、ありがとうございます」
「ほら、腹に入れとけ」
顎で示されたバスケットを覗きこむ。中には暖炉の火の光をつやつや反射する瑞々しい果物と固焼きのパンが入っていた。隙間を埋めるように入っている小さな瓶はジャムだろうか。
「んなとこ突っ立ってねえで座れよ」
「そう、ですね」
言われるままにソファの前に回って、ブラッドリーからなるべく離れた隅っこに腰を下ろす。いちごに似た小さな赤い果実を一つ摘まんで食べてみると、濃厚な甘みとほのかな酸味が口いっぱいに広がった。
「っ! おいしい!」
思わず声を出すと、ブラッドリーはくくっと喉の奥で笑ってグラスの水をぐいとあおった。
「色気のねえやつだな」
これから何するのか分かってんのか?
暗に示された『このあと』にぎくりと体が強張った。晶が抱いていたもしかしたら、が確信に変わった瞬間だった。
口の中のものをごくりと飲み込んで、そそくさと席を立つ。
落ち着け、落ち着け。視界に移った部屋の隅の寝台からは目を背けて、窓辺に立ちカーテンをそっとずらした。
外はもうすっかり日は落ちていて、しんしんと雪が降り続いている。雪が音を吸収して辺りはしんと静まり返り、ぱちぱちと火が爆ぜる音だけが聞こえた。
いや、他にも聞こえるものがある。暴れまわっている晶自身の心臓の音だ。
ふう、と息を吐き出す。別に、先に進みたかったわけじゃない。けれど、先に進まないままでいることに、思うことがあったのは確かで。
ぎし、と背後で音がした。次いで、毛足の長い絨毯を踏むかすかな足音。
足音は晶の後ろで止まり、長い腕が伸びてきた。それは晶が開けたカーテンを手荒に閉め、そして肩をぐっと引き寄せてくる。
背中がブラッドリーの胸板にあたった。耳のすぐそばを、彼の吐息が掠めていく。
「ここに来ると言ったのは、てめえだぜ?」
❄︎
清潔に整えられたシーツに体を沈めると、大きな影が間髪入れずに覆いかぶさってきた。 緊張に体を強張らせ、ぎゅっと目を閉じていると、「腹くくれよ」と揶揄うような声が降ってくる。
「まさか、分からねえままのこのこついてきたわけじゃねえだろうな」
「もしかしたらとは、ちょっと思いましたけど。でも、きっと何もないんだろうなって」
「あ⁉ なんでそうなるんだよ」
頬をぎゅっと掴まれて思わず目を開ける。眉根にぎゅっと皺を刻んだ大層不機嫌そうな顔が目の前にあって、気まずさから視線を明後日の方向に逃がした。
「だって、今までこんなこと、一度だってなかったじゃないですか」
つい本音がこぼれて、はっと視線を戻した。
ブラッドリーはきょとんとした顔をしてから、呆れたようにため息をついて見せる。
「お前なあ、あんなあぶねえ場所でおちおち女なんて抱けるかよ」
「抱っ……‼ 危ない場所って、魔法舎がですか⁉」
「ったりまえだろうが。オズにミスラにオーエン、フィガロと双子もいるんだぞ」
「確かに、ブラッドリーにとってはそうなりますか……」
では、別にそういう欲がなかったわけではなく、ただ機会をうかがっていたと、ただそれだけということなのか?
(魔法舎に戻らなかったのも、最初からそのつもりで――)
晶が全部理解したことが表情に出たのだろう。ブラッドリーはやれやれといった顔で晶の顔の両脇に肘をついてきた。もう鼻の先が触れそうな至近距離に、思わずその胸を押し返す。その手を取られてキスされるから、うわあと情けない声が漏れた。
「ほかに言いたいことがあるなら先に聞いてやる」
「えっと、その、私、そんなに魅力的じゃないって自分で分かってます。ブラッドリーが知っているきれいな女の人たちに比べたら……」
つい可愛くないことを言ってしまうと、ブラッドリーは晶を鼻で笑ってみせた。
「なら、なんで俺はてめえに手出そうとしてんだ? これまで俺がお前にしてきたことは何だったと思ってる?」
「それがずっと、分かりません。分からなくて、自信がないから、ここに来ても何も起こらないんだろうって、思ってたんだ」
こんな弱音みたいなこと、ブラッドリーの前でだけは言いたくなかった。自信にあふれて、堂々としていて、その生き様に惚れ惚れしてしまうような魔法使いの前では、自分がただのちっぽけな人間であることがあまりにも鮮明になってしまうから。
情けなくなって顔をそむけたのに、顎を掴まれてすぐに戻されてしまった。そのまま噛みつくようにキスが始まって、何も考えられなくなる。
うまく息ができなくて、苦しくなって、体を押し返そうとした手は頭の上で押さえこまれた。力の入らなくなった唇を熱い舌がこじ開けてきて、キスはどんどん深くなっていく。
「安心しろ、これから分かる」
ひととき唇が離れた隙に、ブラッドリーは晶にそう囁いた。
もう抵抗はないと思ったのか、手の拘束は解かれる。そして大きな手が寝間着の上から体の線をゆっくりとなぞるから、反射で全身に力が入った。
「緊張してられんのも今のうちだぜ?」
すぐに何も分からなくしてやるよ。
寝間着のボタンがゆっくりと外されていく。無防備な首筋を唇が下りていって、鼻の奥から甘い吐息が漏れた。