二つの顔を持つ男「はぁ、今日は疲れちゃった……」
「お疲れ様でした、フィガロ」
フィガロの部屋、二人並んでベッドに腰を掛けお茶をすする。そんな夜のゆったりとした時間が晶は好きだった。
「大活躍でしたね。ミチルとルチルが知らないままなのはちょっと残念ですが」
「二人の前であれをやっちゃうと、さすがに疑われそうだったからね」
今日は南の国へ異変の調査に行ってきたのだ。原因となった古い魔道具の力は大いなる厄災の影響もあって膨れ上がり、並みの魔法使いが手出しできる状況ではなかった。それをフィガロがひそかに手を回し、見事封印したのである。
事情を知る晶とレノックスが口裏を合わせ、ミチルとルチルは異変そのものが住人の勘違いだったと信じているはずだ。彼らの先生が存分に力を振るったとも知らずに。
「でもちょっと頑張りすぎたかな。あんなに強い魔法を使ったのは久しぶりだよ」
体の力を抜くようにふぅっと息を吐き出したフィガロは、残っていたお茶を飲み干しカップを魔法で片付けると、晶の方へ上体を傾けてきた。思いきり体重をかけられたせいで手元が揺れて、危うくお茶がこぼれそうになる。
「わっ、危ないですよ」
「フィガロ先生、頑張ったんだけどなぁ」
「それは私もレノックスもちゃんと分かってますよ」
「可愛い恋人に労ってほしいなぁ」
こめかみのあたりにぐりぐりと額を押し付けられ、晶は観念したという意味を込めて大きく息を吐き出した。普段は頼りになる年長の魔法使いだというのに、時々子供のように甘えてくるのである。
「……分かりました。ちょっと待ってくださいね」
少し冷めてしまったお茶をぐいっと飲み干す。フィガロがぱちりと指を鳴らせば手の中からカップがぱっと消えた。
これでお茶をこぼす心配はなくなった。お好きにどうぞ、というように両手を膝の上に投げ出せば、待ってましたとばかりに長い腕に抱きしめられた。
「あー、落ち着く」
髪に頬を寄せられる感触がなんともこそばゆい。
寝間着の上から二の腕を撫でていた大きな手が肩と首筋を通り、耳までやって来る。親指と人差し指に耳朶をすりすりと擦られて、思わず背中がざわりと粟立った。
(甘えてるだけ、甘えてるだけ)
変に意識してはいけない。そう自分に言い聞かせるのだが、フィガロのもう片方の手も怪しい動きを見せる。それまでお腹を覆っていた手がじわじわと上を目指してきて、その指先が胸のふくらみの下をつうっとなぞったのだ。
「フィ、フィガロ……」
上ずった声で彼の名前を呼び、顔を見上げて息を呑む。灰の虹彩に輝く榛色の瞳孔が獲物を狙う獣のように晶をじっと見据えていた。
頑張ったから労って、なんて甘えてきた男の瞳は、隠し切れない熱に満たされていた。
これだからこの人には敵わない。南と北。それは相容れない性質の魔法使いであるはずなのに、その二つの顔を自在に操る恋人の前では晶は蛇に睨まれた蛙、もしくはまな板の上の鯉も同然だ。
気付けばベッドが背中の下にあって、うっそりと微笑みながらこちらを見降ろすフィガロに観念して目を閉じる。
とんでもない人に捕まってしまったと、他人事のように思う。
それでも逃げ出す気なんてないから、覆いかぶさってくる骨ばった体に晶はそっと腕を回すのだった。