昨日のこと「今日はポッキーの日なんだぜ!」
ナガラが手に持つビニール袋は、ポッキーの箱でいっぱいだった。
「そのポッキーどうしたんだ?」
「名古屋支部のみんながくれたんだ!」
「少しは遠慮しなよ…」
僕は呆れて頭を抱える。バレンタインのときも、こどもの日のときも、ハロウィンのときもそうだった。ナガラはやたら名古屋支部の職員たちからお菓子をもらう。人懐っこい性格もあるだろうが、遠慮を知らないところもあるだろう。あとからお礼をして回るこっちの身にもなってほしい。
「兄貴の分ももらったぞ」
そう言いながら、数箱手渡される。
「別にお祝い事でもないのに、みんな大袈裟すぎるよ」
俺にまで気を使わなくていいのにと、なんだか申し訳なくなってくる。
「そもそも今日はポッキーの日だけじゃないんだ」
「そうなの?なんかの記念日だったっけ?」
早速ポッキーを食べ始めたナガラが首を傾げる。世間はポッキーの日一色だが、11月11日は他にも面白い記念日がたくさんあるのだ。
「11人対11人で行うスポーツだから、サッカーの日。囲炉裏で焼いてる4本のきりたんぽに見えるから、きりたんぽの日。並んだ箸に見えるから、いただきますの日」
ナガラはポッキーを食べるのを忘れ、へーと興味津々に聞いてくれている。それが嬉しくて、僕は続ける。
「下駄の足跡が『1111』に見えるから、下駄の日。漢数字の『十一十一』が『プラスマイナス』に見えるから、電池の日。『1111』や縦書きした『十一十一』が左右対象だから、鏡の日」
「詳しいんだな」
そこへリュウジさんがやってくる。その手にはポッキーの箱が2つ。それはすぐに僕とナガラに渡された。リュウジさんからもらったポッキーは特別だから、すぐに鞄にしまった。
「前に記念日辞典を読んだんです」
「よく覚えているな。他にも教えてくれないか?」
リュウジさんに褒められて、僕はより調子に乗る。
「鉛筆が4本並んでいるように見えるから、コピーライターの日。『1』を四つ組み合わせると折り紙の形になるから、折り紙の日。煙突が4本並んでいるように見えるから、煙突の日」
4本並んで見えるばっかだなと笑うリュウジさんに、本当ですよねと僕も笑う。
「4本並んで見える系だったら、あとはチン、アナ…」
そこまで言いかけて、僕は言葉に詰まる。
「兄貴?」
「えっ?あっ、チンアナゴ!チンアナゴの日!」
心配そうにするナガラを見ないフリをして、僕は続ける。
「チンアナゴが砂から顔を出している姿が『1』に似ていて、群れで暮らす習性もあることから、1年で1番『1』が集まる日の11月11日がチンアナゴの日なんだ」
説明し終えてチラリとリュウジさんへ視線を向けると、ばっちり目があった。それだけで、僕の顔は沸騰したかのように熱くなる。そんな僕の横で、チンアナゴ見たことないんだよなぁとナガラが呟いている。
「そうだ!リュウジさん!今度、名古屋港水族館にチンアナゴを見に行きましょうよ!」
名案だとはしゃぐナガラに、ずるいという言葉を必死に飲み込んだ。僕だってリュウジさんと名古屋港水族館に行きたい。できれば2人で行きたい。この我が儘はナガラの前では言ってはいけない。
「構わないが、名古屋港水族館にチンアナゴはいるのか?」
「きっといますよ!いなかったらシャチを見ればいいし!」
「当初の目的がブレてるぞ」
「シャチも見たいんです!」
「じゃあ、次の休みの日にな。昨日が休みだったから、来週以降かな」
やったーとナガラが嬉しさに、リュウジさんの周りを走り回る。兄貴も行くよなとナガラに訊ねられれば、もちろんとぎこちない笑顔で僕は返した。
「あっ!ナガラくんいたいた」
そこへ浜松さんが顔を出す。
「浜松さん、どうしたんですか?」
「羽島指令長がポッキーくれるって言ってたよ」
「本当ですか!行きます!行きます!」
先程までナガラの頭は水族館でいっぱいだったのに、すぐにポッキーに塗り変わる。
「俺、ちょっと行ってくる!羽島指令長が究極リッチなポッキーくれるって言ってたから!」
浜松さん行こうぜと、なぜか浜松さんを連れてナガラが走り出す。廊下を走るなよとその背中にリュウジさんが声をかけるが、おそらく聞こえていないだろう。
ナガラがいなくなれば、部屋は静かになった。リュウジさんと二人きり。リュウジさんの息遣いさえ聞こえてくる。意識してしまうと、心臓の鼓動がより早くなった。この心臓の音がリュウジさんに聞こえてしまいそうで、少しでも治れとぎゅっと胸のあたりをつかんだ。
「シマカゼ、どうした?」
リュウジさんの問いかけに、どうしたもこうしたもないですよと顔を逸らす。だって、リュウジさんの顔を見ていられないから。
「リュウジさんのせいです…」
僕は椅子にぺたりと座る。
「昨日のこと思い出しちゃって…」
それだけ言うと、リュウジさんがあぁと頷く。
昨日はリュウジさんの休みの日で、リュウジさんが一人暮らしをしている家に遊びに行った。そこでそういう雰囲気になり、お互いの昂りを触りあった。僕にとって初めての出来事で恥ずかしさと、好きな人に触れられているという充足感でいっぱいだった。しかし、僕がいくら望んでも、リュウジさんは頑なにそれ以上のことはしてくれなかった。歳の差という事実をここまで呪ったことはない。
「リュウジさんは平気なんですね…」
リュウジさんはいつも通りで、こういうことに慣れているのだろうと面白くない。僕ばかりが意識して、僕ばかりがから回っている。だが、そんなことないぞと、リュウジさんは否定する。僕が何か反論する前に、リュウジさんに頬を撫でられた。
「シマカゼが可愛く見えて仕方がない」
「えっ?」
優しく頬を撫でるリュウジさんに、昨日のことをまた思い出してしまう。こうやって頬をなぞられているうちに、そんな雰囲気になったのだ。しかし、今日は頬を撫でていた手がするりと顎へ移動する。
「今にも食べてしまいたいくらいだ」
そのまま顎をクイっと持ち上げられる。意図を汲み取って、僕はそっと目を閉じた。しかし、期待する場所にリュウジさんの感触は訪れない。その代わりに、リュウジさんの唇がそっとおでこに触れた。パッと目を開いた時には、リュウジさんは既に僕から離れてしまっていた。
「今は超進化研究所だからな。これで我慢してくれ。続きはまた今度にしよう」
リュウジさんは僕のことを鎮めようとしてくれたのかもしれないが逆効果だ。僕の心臓は今にも飛び出しそうなくらいドキドキしている。もっとリュウジさんに触れたいし、リュウジさんに触れられたい。