手に取ったボールでドリブルを始めれば、ダムダムダムと心地よい音が体育館に響き渡る。この音は拠点としているアメリカで聞いても、久々に帰ってきた日本で聞いてもかわらない。どこにいたって、俺の身体を熱くする音だった。
高校を卒業して、アメリカの大学へ進学した。それで今では一端のNBAプレイヤーである。結果が出るまで日本には帰らないとそんな覚悟で海を渡ったから、日本に帰ってくるのは日本代表に招集がかかったときくらい。NBAはオフの代表活動期間に制限がかけられている。そういう事情もあり、日本代表の強化合宿や強化試合による帰国もかなり久しぶりだった。
NBAで強いやつと勝負するのは楽しい。だが、代表で知っている顔と一緒にプレーすることにも楽しさを見出せるようにはなっていた。だから、今回の帰国もそれなりに楽しみにしていたのだ。
ダムダムダムとまだ誰もいない代表練習が行われる体育館を駆けていく。そして、ボールをリングに叩き込めば、よおと背後から声をかけられる。
「久しぶりだな、キツネ」
俺のことをそう呼ぶ奴は一人しかいない。だが、そいつのために振り向いてやるのも癪で無視していると、無視すんなとギャンギャン騒ぎながら近づいてきた。
「もう頭は大丈夫なのか?」
そして、景気良く頭を叩いてくる。
「はぁ?」
頭が大丈夫じゃねーのはてめぇのほうだろうとその手をはたき落としたところで、待て待てと宮城先輩が割って入ってきた。
「会ってすぐに喧嘩すんなって、これでも花道も心配してんだぞ」
「心配?」
頭のことかと眉をひそめれば、最終戦のだよと宮城先輩は続ける。
「ディフェンスとぶつかって脳震盪起こしただろ。それ、大丈夫だったのかってこと」
宮城先輩の説明で、あぁとやっと合点がいった。
シーズン最終戦でダンクを決めようとしたところで、横から手を伸ばしてきたディフェンスと接触して派手に床に落ちた。それで頭を打ったのだ。
「問題ないっす」
一瞬意識が飛んだから、試合後にすぐに病院に連れて行かれ隅々まで検査された。それで、大丈夫だとお墨付きをもらっている。だから、少しも問題はない。
「大事なくてよかったな」
わはははと機嫌良く今度は肩を叩いてくるどあほうが鬱陶しくて、あれくらいなんともねーとまた手をはたき落とす。それに俺だってと張り合ってくるどあほうを、こんなことで張り合うなよと宮城先輩がため息混じりに宥めていた。
そうやって懐かしい面子で騒いでいると、また誰かが体育館に入ってくる。それは二人組で、ガッチリと筋肉をつけた男とスラリとしなやかそうな身体を持つ男だった。ガッチリとしたほうは前回の代表合宿でも一緒だったような気がする。もう一人のほうは知らない顔だった。その男の顔をじっと見つめていると不意に目が合う。そうすると、くしゃりと人懐っこい笑顔を向けてきた。
「おっ! 流川じゃねーか!」
そう言いながらその人は寄ってくる。
NBAでプレーしていることもあり、この業界では有名人だ。一方的に知っていて、こうやって馴れ馴れしくされることはよくある。だから、そういうのはあまり気にしない。
その人がすぐ近くまで来たから、顎に傷があることに気がつく。メンバー表に載っていた写真を見たとき、顎に傷があるその人に目が止まった。それでよく覚えていたのだ。確か年上だったはず。
「ヨロシクオネガイシマス」
ペコリと頭を下げる。高校生のときだったら、わざわざ挨拶とかしなかっただろう。だが、流石に多少の礼儀は身につけた。そんな俺に驚いているのか、宮城先輩やどあほうが唖然としていた。
「な、なんだよ改まって」
だが、挨拶をしてやったその人が困惑の表情を浮かべていた。こっちはただ挨拶しただけなのになんだと顔をしかめれば、その人はやれやれと肩をすくめた。
「久々に会った先輩からかってんじゃねーぞ」
「先輩?」
この人はなにを言っているのだろうかと、今度はこっちが困惑する。
「いつの?」
「はぁ? 高校だろ」
「えっ? はっ?」
助けを求めるように宮城先輩へ視線を向けるが、その宮城先輩も唖然としていた。
「湘北高校の二つ上の三井寿。覚えてねーの?」
「あの、えーっと……」
そんな俺にこの人がそう説明してくれる。俺も湘北高校だが、この人、三井さんがいた覚えがない。
すんませんと頭を下げれば、三井さんは眉間にしわを寄せる。もしかしたら怒らせたかもしれない。だがわからないのだからどうしようもない。俺と三井さんの間に気まずい空気が流れる。それを見ていたあのどあほうさえも、開いた口が塞がらないという様子だった。
「三井サン、すんません」
そんな重い空気の中、宮城先輩が口を開く。なんだよと投げやりに答える三井さんに、たぶんなんすけどと宮城先輩は続ける。
「流川さ、最終戦で頭打って脳震盪になったじゃん。そのときに記憶飛んでんじゃないかなって」
宮城先輩の仮説に確かにとその場にいた全員が頷く。
脳震盪で病院で検査したとき、特に異常はなかった。だが、高校時代の記憶が少し無くなっていることは、あの場で確かめようになかった。
「えーと、つまり、こないだの脳震盪は大丈夫じゃなかったってことか?」
ただの仮説でしかない。だが、本当に三井さんが高校のときの先輩だと言うなら、状況的にそうなのだろう。だから、そうみたいっすと頷けば、三井さんは大袈裟にため息をついた。
「お前なぁ、結構可愛がってやったのに、忘れてんじゃねーぞ」
「すんません」
どうやら仲良くしていた先輩らしい。この俺がと不思議に思ったが、不貞腐れたような三井さんの表情を見ているとなんだか無性に申し訳なくなってきて、何度目かの謝罪を口にしていた。
「思い出せるように頑張りマス」
こうして今も気にかけてくれているし、顔を合わせばすぐに構いにきてくれる。それを俺は不思議と嫌だとか、不愉快だと思わない。だから、きっと三井さんとの思い出は悪いものではなかったはずだ。そう思うと思い出してみたくなる。だが、いいってと三井さんは言う。
「頑張んなくていいって」
なんでと顔をしかめれば、やれやれと三井さんは肩をすくめる。
「お前、ここにバスケしにきてんだろ? だったらバスケしよーぜ。俺のこといいから」
三井さんの言う通り、日本に帰ってきたのもこの代表の強化合宿とその後に行われる強化試合に参加するため。つまり、バスケをするためだ。だから、それを言われるとうすと頷くしかなかった。