腹の内 超進化研究所名古屋支部の車両基地。その一番奥に鎮座している黄色の新幹線の前に僕は立っていた。
リュウジさんにこの黄色の新幹線、ドクターイエローの運転士にならないかと打診された。それにはいと答えることができなくて、考える時間をくださいとお願いした。そんな僕にリュウジさんは優しい眼差しでわかったと頷いてくれた。それが数十分前のこと。あのやり取りから、僕はずっとここに立っている。
N700Sの運転士はナガラに譲った。ナガラの成長に必要なことだと思ったし、なによりナガラとN700Sは相性がいいと確信があった。だから、後悔はしていない。そう折り合いをつけていた僕にシンカリオンに乗るチャンスが再び訪れた。それを喜んでいいのかわからない。そんなモヤモヤを心に抱えているから、乗りますと言えなかったのだ。
それでも目の前にあるのは目標としている人がかつて乗っていたシンカリオン。その事実に対する胸の高鳴りは確かにあって、つい手が伸びてしまう。そんな僕の指がドクターイエローに触れる瞬間だった。プシュッと突然目の前のドアが開く。
「え?」
まだ僕のZギアにはドクターイエローのシンカはダウンロードされていないから、開くはずがないのだ。それなのに、このドアは開いている。なぜと困惑していると、不意に誰かに呼ばれた気がした。誰に? と訊かれても答えられないが、確かに誰かに呼ばれているのだ。強いて言うなら、目の前のドクターイエローだ。このドクターイエローはただの事業用新幹線ではない。シンカリオンなのだ。ならば、そう言うこともあるかもしれない。そんなことを考えているうちに、気づけばドクターイエローの車内に足を踏み入れていた。
シンカリオンには乗ったことがある。デュアルグランパスシステムでナガラと一緒にN700Sに乗ったのだ。その時、N700Sの車内には座席はなかった。しかし、このドクターイエローには普通の新幹線のように座席があった。そういう仕様なのだろうかと思いながら座席の間の通路を歩いていると、車両の真ん中あたりの窓際の席に誰かが座っていた。
「誰?」
ここは超進化研究所名古屋支部の車両基地。それも最新鋭機の中である。関係者以外その存在を知らされていないこのシンカリオンの中に見知らぬ少年がいる。その少年はただ座っているだけなのに、妙に目を引かれた。
歳は同じか少し上といったところだろう。髪は黒くて、肌は白い。よく見ると怪我をしているようで、左腕を三角巾で吊っていた。そんな彼はただひたすら窓から車両基地を眺めている。その姿はどこか儚げで、触ったら消えてしまいそうだった。
ここは関係者以外入ってはいけない場所だ。どう入ってきたのかはわからない。誰かにバレる前にお暇してもらったほうがいいんじゃないかと声をかけようとしたところで、気配に気づいたのか彼は窓から僕へ視線を向けてきた。先程まで醸し出していた儚い雰囲気とは違い、その目は力強いものでドキリと心臓が跳ねる。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ。どこから入ってきたんだ?」
「そ、それは僕のセリフ!」
「は?」
僕が言おうとしていた言葉を、そっくりそのまま投げかけられる。それで僕たちは顔をしかめ合う。
「僕はれっきとしたここの関係者。ドクターイエローの運転士候補だよ」
「ドクターイエローの? それなら俺も運転士候補だが?」
少年に自分の正当性を訴えるが、彼もそう反論してくる。その反論も僕のものとほぼ一緒だった。
名古屋支部には運転士候補生は僕とナガラしかいなかったはずだ。それなのにドクターイエローの運転士候補を名乗る少年がここにいる。もしかしたらドクターイエローの運転士は僕が適任だと言っておきながら、リュウジさんは保険としてもう一人運転士候補を用意していたのかもしれない。その可能性を考えて、ギュッと握り締められたように胸が苦しくなる。
「他にドクターイエローの運転士候補がいるなら、俺がわざわざN700Aから乗り換える必要はないじゃないか……」
「N700A?」
「俺は元々N700Aの運転士だ」
彼の一言でリュウジさんの疑念はすぐに晴れる。だってN700AはN700Sへフルモデルチェンジされ、今は運用されていない。それなのに、彼はN700Aの運転士だというではないか。そんなのおかしい。
「僕は元々N700Sの運転士候補生だったんだ。N700Sの運転士は弟のナガラになったけど」
「N700S? なんだそれは?」
そして、彼はN700Sのことを知らなかった。そんな僕たちのいまいち噛み合っていない会話から、一つの仮説が導き出される。
「N700SはN700Aの後継機なんだ」
「N700Aの後継機? そんなバカな。君は未来から来たとでも言うのか?」
「そのまさかかもしれない……」
彼もその仮説に気付いたようで、ゴクリと息を飲んだ。
「今年は何年だ?」
「二○二二年」
「俺は二○一八年だ」
これが答え合わせだった。どうやら僕たちは生きる時間軸が違うらしい。
「本当に君は未来から来たのか?」
「わからない。もしかしたらパラレルワールドから来たのかもしれない」
彼の世界と地続きの未来を僕が生きているとは限らない。もしかしたら、並行世界を生きているのかもしれない。それを確かめる術を今の僕たちは持っていなかった。
「俺も君もドクターイエローの運転士候補だから、もしかしたらドクターイエローが巡り会わせてくれたのかもしれないな」
「あまり驚かないんだね」
今だに信じられないと焦る僕とは対照的に、彼は随分呑気なことを言っている。それに呆れていれば、今更だろと彼は続ける。
「新幹線のロボットに乗って、バケモノと戦っているんだぞ。なにが起きたって、もうそんなに驚きやしない」
そう言われてしまえば、そうかもと頷いてしまう。得体の知れないバケモノと何度も対峙してきた。謎の巨大地下空間も目の当たりにした。なによりアニメのように巨大ロボットに乗って戦っている。それに比べれば、過去から来た人に出会うなど、そんなに驚くことでもないのかもしれない。それに彼の言う通り、ドクターイエローが巡り合わせてくれたのならば、この出会いに何か意味があるのではないかと思ってくる。
「せっかくだから少し話さないか?」
きっと彼も同じことを考えたのだろう。隣に座るように促される。だから、僕は彼に従い隣に座った。
「ドクターイエローの運転士じゃなくて、お互い運転士候補だなんてな」
「すごい偶然だね」
「そうだな。それで、君はなんで候補なんだ?」
「え?」
いきなり核心を突かれるような質問をぶつけられ、言葉に詰まる。彼はどういうつもりで、その質問をしてきたのだろうか。僕がなぜ候補に上がっているかということを言っているのだろうか。それともなぜ運転士ではなく候補のままでいるのかと言っているのだろうか。もし後者だったら……。そう思うと迂闊に答えられない。
「シンカリオンの力を最大限に引き出せるほどの適合率を持っている者は中々いないんだ。つまり。何人も候補を見つけられるほど、運転士になれる人材はいないということだ」
彼の丁寧な説明で、あの質問の真意は後者だったかと確信する。
「ドクターイエローに乗らないかって言われてるんだけど、まだ返事してなくて……」
それで、言葉を選んで答えるが、彼は容赦がない。
「ドクターイエローに乗りたくないのか?」
「そ、そう言う訳じゃないんだ!」
さらにぶつけられる問いかけを、僕は必死に否定する。だって、ドクターイエローに乗りたくないわけじゃないから。ただ……。
「N700Sの運転士を決めるとき、弟にシンカリオンには乗らないって啖呵を切っちゃったんだ。その手前、乗りにくいというか……」
「しょうもない理由だな」
「なっ!」
僕が抱いていたモヤモヤを、彼はバッサリ切り捨てる。
「俺も弟がいるから、弟にカッコつけたい気持ちはわかる。だが、大局を見ろ。君がドクターイエローに乗ることで、君たちの戦いを優位に進められるかもしれない。そうであるならば、君の些細な意地など取るに足らないことだ」
彼が言い放つ正論にぐうの音もでない。アブトが乗るダークシンカリオンは強敵だ。敵の目的だってわかっていない。そんな現状を打開するためのドクターイエローなのだ。それはわかっている。わかっているからこそ、改めて突きつけられると素直に受け止められない。
「それを言うなら、君だってドクターイエローに乗りたくないような口ぶりだったじゃないか」
「俺が?」
「だって、さっきN700Aから乗り換える必要がないって言ってた」
確かに彼はそう言っていた。N700Aから乗り換えたくないということは、ドクターイエローに乗りたくないということだ。僕からの指摘に、彼は苦虫を噛んだような顔をする。
「俺だって乗りたくない訳じゃない。ただ……」
そして、三角巾で吊った左腕に触れる。
「N700Aで負けたんだ」
そんな彼から紡がれた答えは、僕が想像もしていなかったものだった。それに、なんて返していいかわからなくなる。
「クロス合体の時間稼ぎもちゃんとしてやれなかったんだ。それに、仲間を危険に晒してしまったし、N700Aも大破させてしまった。挙げ句の果てに俺はこんな怪我までしてしまって、今も仲間に迷惑をかけている」
シンカリオンでの戦いで怪我をする。その可能性があることは普段からリュウジさんに口酸っぱく聞かされている。しかし、実際に怪我をしたという人を見るのは初めてだった。改めて、自分たちが身を投じているのは危険な戦いだと実感させられる。きっと彼は僕たちが体験したことのないような厳しい戦いを潜り抜けてここにいるのだろう。
「俺は負けたんだ。負けっぱなしで、新しいシンカリオンに乗り換える気にはなれない」
ギュッと彼が右手を握り締める。そこに握りしめたのは、負けた悔しさだろうか。それとも必ず雪辱を果たすという決意だろうか。わからない。でも、その感情たちはシンカリオンには似合わないような気がした。
「大局を、見ろだったっけ?」
「それがどうした?」
「君がさっき僕に言ったこと」
彼が言い放った正論の中に出てきた言葉。それを口にすれば、なにが言いたいと彼は睨みつけてきた。でも、僕は怯んだりしない。
「目の前のことに囚われすぎているような気がしたから」
そして、そう続ければ、彼はグッと奥歯を噛み締めた。
「負けたままじゃ悔しいから、リベンジしたいから、N700Aに乗り続けるの?」
「それは――」
「シマカゼ」
僕のさらなる問いかけに彼が答えようとした瞬間、どこからか名前を呼ばれた。その声につられるように窓から車両基地へと目を向ければ、リュウジさんの姿があった。それで僕の関心は完全にそちらへ移ってしまう。
「まだここにいるのか?」
だって、リュウジさんが僕を探しているから。それに早く応えねばならない。
「ごめん。呼ばれてるから、僕は行くね」
「あ、あぁ……」
僕からの簡単な別れの言葉に、彼はどこかホッとしたように息をつく。そんな彼の右手を掴む。
「また、ここに来て!」
「え?」
「まだ答え聞いてないから」
そして、僕がそう迫れば、彼は戸惑いながらもわかったと頷いてくれた。
♢♢♢
次の日、訓練を終え、ドクターイエローにやってくると、昨日の彼が昨日と同じところに座っていた。彼は昨日と同じように、窓から車両基地を眺めている。
「来てくれてよかった。もっと話がしたかったから」
そう声をかけながら彼の隣へ座る。そうすれば、彼はチラリと僕へ視線を向けてくれた。
「俺と話しても楽しくないぞ」
そして、投げやりに言い捨て、視線を車窓へと戻してしまう。
なんだか昨日より距離を感じる。昨日の最後の質問に気分を害してしまったのかもしれない。でも、僕だって心に抱くモヤモヤをしょうもないと簡単に切り捨てられた。それはあまりいい気分ではなかった。だから、おあいこじゃないかと心の中で毒吐く。でも、せっかくドクターイエローが巡り会わせてくれた相手。ギスギスしたまま別れてしまうのはもったいない気がする。
「ねぇ、今日も話そうよ。せっかくまた会えたんだし」
「わかった」
そんな僕の切実さが伝わったのか、身体が僕の方へ向くように彼は座り直してくれた。
「それで、何を話すんだ?」
「えーと、それは……」
話そうと言ったものの、何を話していいかわからない。なにせ彼と会うのは二回目だ。彼のことを僕はほとんど知らない。
「弟がいると言っていたな。どんな弟なんだ」
そんな僕を見かねた彼が、話題を提供してくれる。そういえば、昨日の話の中で弟がいるとお互いに言っていたではないか。それを彼は覚えていてくれたのだ。
「僕の弟はとにかく明るくて、とっても元気なんだ。ちょっと騒がしすぎるところもあるけど」
さっきまで一緒だったナガラのことを思い出しながら話す。訓練中も上手くいけば元気に飛び跳ね、攻撃が外れれば大袈裟なまでにガックリしてみせる。何かあるたびに騒ぐナガラは、ちょっとうるさいくらいだ。
「でも、成長するために自分から新しい環境に飛び込んで、そこでやり抜く強さを持っているんだ。伝統派空手からフルコンタクトに転向したときも、すぐに大会で優勝しちゃうんだよ。弟ながらそういうところはすごく尊敬してる」
フルコンタクトに転向したナガラは、より一層努力を重ね、すぐに結果を出してみせた。ナガラは成長するために新しい環境に躊躇なく飛び込める強さがある。そして、そこで結果を出すために努力できる強さがある。そんなナガラを僕は尊敬している。
「空手……」
僕の話を静かに聞いていた彼がポツリと呟く。それに僕は顔を向ける。
「俺もやっていたぞ」
そうすれば、彼はそう続けた。
「本当に!」
さらに見つけた共通点に僕のテンションは上がる。
「僕も空手やってるんだ! 父さんがやっていてね、それに憧れて始めたんだ!」
「そうなのか」
「父さんが帰ってきたら、よく組み手の相手をしてもらうんだ。君とも組み手してみたいな」
「ここじゃ狭いだろ。それに、この腕じゃ相手をしてやれない」
はしゃぐ僕を彼が嗜める。それで、僕は背筋を伸ばして座り直す。
「君の弟の話も聞かせてくれないかな?」
僕ばかり喋りすぎてしまったかもしれない。それに彼のことももっと知りたい。それで、催促するように質問を投げ掛ければ。いいぞと彼は頷いてくれた。
「俺の弟も元気でうるさい奴だ。それに、よく食べる」
元気な弟がいるというところも同じだと僕が目を輝かせていると、あとと彼は続ける。
「俺と違って人懐っこい性格なんだ。誰とでもすぐに仲良くなれる。そこは少し羨ましいと思うときもある」
ナガラも人懐っこいところがあり、すぐに友達になってしまう。僕たちの弟もずいぶん似てる。
「すぐ迷子になっちゃうタイプでしょ?」
「あぁ、気になるものがあるとすぐにどっかに行ってしまう」
「うちもそうだよ」
弟が似ていれば、苦労するポイントも同じだ。そうやってお互い苦労するなと笑い合っていると、ブーブーとスマホが鳴る。一つ断りを入れ、画面を確認すれば、母さんからメッセージが入っていた。
「母さんから、今夜はすき焼きだから早く帰ってこいって」
「そうか。なら今日はここまでだな」
そう言って、彼は立ち上がる。でも、僕はまだ話し足りなかったし、彼のことがもっと知りたかった。だがら、次の約束を取り付けなければと必死に誘い文句を考える。そうしていると、彼が先に口を開く。
「楽しかった。またここで話せると嬉しい」
そして、紡がれた言葉に、もちろんと僕は大きく頷いた。
♢♢♢
あれから毎日のように彼と会った。ドクターイエローに乗り込めば、いつも彼が待っていてくれたから。
彼には妹もいるらしい。歴史も好きなようで、特に合戦や戦に詳しかった。シンカリオンのチームの中で最年長であることも教えてくれた。少しずつ彼のことを知っていくにつれて、もっともっと彼のことが知りたくなる。
「俺を指導してくれている人は普段は少しだらしなくてこっちが世話を焼きたくなる人なんだが、シンカリオンのことになるとすごく頼りになるんだ。あの人が指令室にいるだけですごく頼もしい」
今日の話題は僕たちの指導員だった。
「僕を指導してくれている人は元運転士なんだ。その人は本当にすごくて、シンカリオンのことだけじゃなくて、普段の立ち振る舞いからも学ぶところがたくさんあるんだ。僕の目標にしている人だよ」
頭に浮かぶのはリュウジさんの背中。その大きすぎる背中にいつか追いつきたい。肩を並べられるようになりたい。それだけじゃない。
「頼ってもらえるようになりたい」
常日頃から思っていることを口にすれば、俺もだと彼も頷く。
「これも同じだね」
「そうだな」
また見つけた共通点。僕と彼はよく似ている。こうやって共通点を見つけるたびに、それは確信へと変わっていく。
「なら、その人の為にも、なおさらドクターイエローに乗ったほうがいいんじゃないのか?」
「え?」
そう浮かれている僕に彼は言う。
「君がドクターイエローの運転士になることは、その人のお墨付きなんだろ?」
「いや、その、そうだけど……」
ドクターイエローの運転士にならないかと言ってきたのはリュウジさんだ。だから、僕がドクターイエローの運転士になることは、リュウジさんのお墨付きと言っても過言ではない。でも、だからこそ……。
「僕にさ、ドクターイエロー、乗りこなせるかな……?」
「さぁな」
「えぇっ!」
前のときのように、僕の不安を彼は軽くあしらう。それに不満げにすれば、仕方ないだろと彼は息を吐く。
「俺は君がシンカリオンを運転しているところを見たことがないし、どれだけの適合率があるかも知らない。だから、ドクターイエローの運転士の適性があるかどうかなんてわからない」
彼とはここで会って話をするだけ。僕がシミュレーション訓練を受けているところを彼は見たことなどないし、適合率がどれだけあるかという話も彼としたことはない。それに加えて、空手の手合わせすらしたことがないのだ。そんな状況で、シンカリオンの運転士の実力を図れだなんて無理な話だ。そんなのわかっているのに、彼に僕ならできると言って欲しかった。肯定して欲しかった。背中を押して欲しかった。
「怖いのか?」
「怖い、のかも……」
彼は嘘をつかないし、彼は僕に嘘を求めていない。そんな彼の前では本当を語るしかない。
「僕さ、リュウジさんの期待にちゃんと応えられる自信がないんだ…」
あのリュウジさんに僕がドクターイエローの運転士に相応しいと言われた。かつて西日本のエースと呼ばれたあのリュウジさんにだ。だが、そんなリュウジさんのようにドクターイエローを乗りこなすことができるだろうか。みんなの助けになってやれるだろうか。ドクターイエローには他のシンカリオンにはない機能がたくさん搭載されているらしい。それを駆使して、ちゃんと超進化研究所が求める成果を上げることができるだろうか。考え出したらきりがない。たくさんの人の期待が詰まったシンカリオンだからこそ、そのプレッシャーが僕に重くのしかかってくる。
「なら、やめておいた方がいいんじゃないのか」
「なっ!」
「その程度の覚悟で乗ると、俺みたいに怪我をするぞ」
彼は僕を甘やかさない。何度も僕に正論をぶつけてくる。それが図星だからこそ、ムッとしてしまう。
「じゃあ、君はその程度の覚悟しかなかったから怪我をしたってこと?」
売り言葉に買い言葉で言い返した言葉に、彼は俺にはと語気を強める。
「俺には覚悟がある。あのときだって、差し違える覚悟だった」
勢いよく返された答えは思いもよらぬもので、僕は唖然とした。だって、彼は自分が犠牲になってもいいと言うのだ。そんな覚悟、許すわけにはいかない。
「君こそ乗らないほうがいいよ」
「なに?」
「誰もそんな覚悟望んでない」
彼には弟がいる。妹もいる。それに尊敬する指導員もいれば、大切な仲間たちもいる。そんな彼の周りの人たちは、彼が傷つくことを望んでいないに決まっている。僕だって、その一人なのだから。
僕が言い放った言葉に、威勢のいい反論が返ってくるものばかりだと思っていた。だが、彼は静かに知ってると呟く。
「みんなに怒られたし、泣かれた」
そして、そう続ける。
「俺はもうシンカリオンに乗らない方がいいのかもしれない」
彼は三角巾で吊った左腕に触れた。それから、ギュッと右手を握りしめる。そこに握りしめたのは、悔しさなのだろう。今ならその悔しさの本当の意味がわかる。だから、僕は硬く握りしめられた右手にそっと触れる。
「守りたかったんだよね」
僕の言葉に彼は目を見開く。
「君は、君のN700Aとみんなを守りたかったんだよね」
時間稼ぎができなかったと言っていた。みんなを危険に晒してしまったと言っていた。N700Aを大破させてしまったと言っていた。怪我をして、仲間に迷惑をかけていると言っていた。それは全て懺悔だったのだ。
「守りたかったし、ハヤトと速杉指導長の期待にも応えたかった」
前も言っただろと彼は続ける。
「俺は負けたんだ」
初めて彼からその言葉を聞いたとき、敵に負けたのだと解釈していた。でも、そうじゃない。その言葉は自分の不甲斐なさを悔いている言葉なのだ。
「君はみんなが君を大切に想う気持ちを知ったんだ。だから、もっともっと強くなれると思う」
大切なものがあると強くなれる。そんなことをよく耳にする。それを経験したことはない。でも、彼にはそうであってほしいと思うのだ。
「君は優しいな」
ふふっと彼が顔を緩ませ、僕に笑いかける。それがなんだか照れくさくて、そうかなと視線を逸らす。
「そうだ。だから、ドクターイエローに乗ったらどうだ?」
「へ?」
脈絡もなく彼がそう続けるから、僕は思わず間抜けな声を出してしまった。
「君がどんなふうにシンカリオンに乗るか興味が出た。だから、やってみればいいさ。きっと君の優しさが君の仲間を救うよ」
「僕がみんなを救う?」
「かもしれない」
悪戯っぽく彼が続けるから、適当すぎやしないかと僕は呆れる。そんな僕に、そうかもなと彼は笑った。
そうしていると、コンコンコンと外から誰かが窓を叩いてきた。リュウジさんかと思ったが、彼の奥にある窓から外はよく見えなかった。
「呼ばれてる」
だが、彼には見えているようで、座席から立ち上がる。その表情はどこかスッキリしていた。
「俺はドクターイエローに乗る」
そして、続くその一言でその表情の意味を知る。彼は決めたのだ。
「シマカゼはどうする?」
「っ!」
彼の問いかけに目を見張る。
「意地を張っている場合じゃないぞ」
「ちょ、えっ?」
「じゃあ、俺は行くよ」
「ま、待って!」
ずっと彼のことが知りたかった。彼との共通点を見つけるたびに嬉しかった。彼の力になりたかった。そんな自分になんの疑問も抱いていなかった。だが、今ならわかる。だって、彼が――。
「リュ――」
♢♢♢
「シマカゼ?」
名前を呼ばれ、ハッと目を開く。そうすれば、目の前にリュウジさんがいた。
「リュウジさん?」
「こんなところで寝ていると風邪をひくぞ」
「え?」
リュウジさんにそう指摘され、自分の状況を確認するように周りを見渡せば、ドクターイエローの前にあるベンチに座っていた。そして。リュウジさんの言うことが正しければ、ここで寝ていたらしい。
「あ、れ……?」
でも、さっきまでドクターイエローの座席に座っていたはずで、そこで彼と話をしていたはずなのだ。
「さっきまでドクターイエローの中で――」
「ドクターイエローの中? まだシマカゼのZギアにはドクターイエローのシンカをダウンロードしていないから、ドクターイエローは反応しないはずだが?」
確認するようにZギアを取り出してみれば、確かにドクターイエローのシンカはダウンロードされていなかった。
「本当だ……」
さらに画面の日付と時間はリュウジさんとここでドクターイエローに乗らないかと話をしてから一時間ほどしか経っていなかった。そんなはずはない。だって、毎日のようにドクターイエローに通い、彼と話をしたはずなのだ。あれは全て夢だったということなのか。
「変な夢を見るくらい、悩ませてしまったんだな。すまない」
そう顔をしかめていると、申し訳なさそうにリュウジさんは言う。そんなリュウジさんに向かって、違いますと僕は叫ぶ。
「変な夢じゃなかったです!」
あの夢は決して変な夢なんかじゃなかった。だから、そう語気を強めれば、そうかと戸惑いながらリュウジさんは頷いてくれた。
「もう遅いから、今日は帰るといい。ドクターイエローの運転士の件は家でじっくり考えてくれればいいから」
それでも疲れていると判断されたのか、帰宅するよう促される。でも、帰る前にリュウジさんに聞いてほしいことがあった。
「いえ、その必要は無くなりました」
「シマカゼ?」
「僕もドクターイエローに乗ります」
僕はリュウジさんをまっすぐ見据える。
「だから、僕がどんなふうにドクターイエローに乗るか、見ててください」
僕の一言にリュウジさんは目を丸くする。かと思えば、ふっと顔を緩ませた。
「わかった。シマカゼのこと、しっかり見ておくよ」
そして、よろしく頼むと差し出されたリュウジさんの右手を、もちろんですと力強く握り返した。