Farmer's Market 青果店で緑のグリーンフラワーを手にしたその時だった。商店街の何処かに消えていったはずの師匠に手首を掴まれた。
「まさか君、ディナーにコールスローを出すのか? 」
「どうしてそうだと? これを使うならグラタンかもしれないのに」
「そのグリーンフラワーに合わせる食材は、寒がりコーンくらいしか家になかったからね」
ちっ、バレたか。なんて厄介な記憶力なんだ。今日は暑いから師匠の好みを度外視してでも、火を使わない献立にしたかったのに。
「冷たい料理で野菜をとるならアスピックはいかがかな。甘めの味付けだとさらに喜ばしい」
「アスピックだぁ? んな手間のかかる料理、徹夜と酷暑でバテバテの愛弟子に作らすモンじゃないでしょ」
大体私が二徹したのも炎天下で作業したの新しい発明品の試運転のせいだ。なんで真夏にあんなもん思いついたんだ。いや、思いつくのはまあいい。私がリマインドするから設計を冬まで伸ばして欲しかった。
「そうだな、君の発言にも一理ある。では、今夜は西の国指折りの一等地にある人気店で奢ろうか。君への労いだ」
勿体つけないでシャイロックさんのお店に行こうって言えばいいのに。今日も無駄にカッコつけだなこのひと。それにあのバーに向かうのならそれ相応の準備がしたい。私の普段着は師匠のように礼服なんかじゃないし近所に足を伸ばすだけのつもりだったから化粧だって粗末なものだ。
「何を躊躇っているのかわからないな。店主は清潔な身なりで礼儀を弁えれば、たとえ寝巻きの客だって歓迎してくれるさ。きっとね」
「いやぁ、流石に寝巻きは……。でもシャイロックさんもなぁ、案外面白がるかも」
「だろう? 」
したり顔で微笑む師匠にうっかり納得させられそうになった。あぶない。こんな格好であそこに行くのは私が嫌だ。残念ながら凡人は他人の評価や噂が気になるもの。あそこにだらしない格好で行ったら店主はともかく他の客に向こう50年はネタにされる。なにより単純に恥ずかしい。
「いや、騙されませんからね。急いで支度するんで待っててください」
そう言って、手にしていたグリーンフラワーを置いて方向転換したわたしの背中に師匠の声がかけられる。
「じゃあ、賭けをしよう。店に到着するまでに追いつけたならなんだって奢ってあげる」
「はあ? さっきアンタ、奢ってくれるって約束──」
「さっきの台詞をよく思い出して、マリー。俺は"提案"しただけだ。"約束"にはなっていないよ」
「そんなの言葉遊びじゃない! 」
悲痛な私の抗議をよそにいつの間にか箒に腰掛けた師匠がふわりと宙に浮いた。グングン高度を上げていく。"賭け"は本気のようだ。腹立たしいが街中で彼を撃ち落とすわけにもいかない。大慌てで自分も研究所に戻ることにする。
覚えてろよアイツ、絶対追い抜いてめちゃくちゃ高いボトル奢らせるからな!