ベッドよりソファでしたい事がある
「ユージ、もういっかい」
と言いながら悟はそのまま寝てしまった。ユージは気怠い手足をなんとか動かし190センチの身体の下から抜け出すと、色んなものでべたべたになった自身を見下ろした。
「……なんかなあ」
前はこんなんじゃなかった、と思う。前はもっといろんな話をして、目が合うだけで照れたりしていた。でも今は家に行ったら即寝室に引っ張り込まれ、そして気絶するように眠り、朝風呂場を経由して帰るだけ。悟はにこにこしてまたねと言い、ユージもうんと返して。それだけ。
(……今日、お笑いやってたのになあ)
最後に一緒にテレビを見たのはいつだろう。
緊張して端に座ったのをからかわれたリビングのソファの形が曖昧になっているのはユージの記憶力が悪いからじゃない。
「……悟くん。俺帰るね」
寝ている悟に小さく言ってユージは服を着た。べたべたするがシャワーを浴びる気力は無かった。
ベッドを見ると悟がすうすうと眠っていて、顔がいいな、好きだなとユージは思った。でも同時に悲しくなってきて、滲んできた涙を袖で乱暴に拭った。
ーーー
『どうして帰ったの』
『ごめん。小テストあるの忘れてた』
翌日にこうメッセージのやり取りをして、それ以降ユージは悟と会っていない。誘いには適当な理由を付けてもう3回断っている。
(悟くん、怒ってるかな)
自室の布団にくるまりもぞもぞと寝返りを打つ。ユージはずっと悩み続けていた。学校にいても元気がないと、親友の恵や担任のゲトーにも心配されてしまっている。でも自分たちの関係は特殊で、秘密でなくてはならない。相談なんて出来ない。
(これじゃダメだよな……会いに行かないと)
前向きな気持ちはある。それに悟が嫌いになったわけじゃない。本当は会いたい。でも会って「やりたくない、一緒にテレビが見たい」なんて言ったら、……どうなってしまうのかなんて明白で。
悟の冷めた顔が目に浮かぶ。彼はあまり何かに執着するタイプではなく、興味が失せた物はすぐ捨ててしまうようなところがある。
(俺って、悟くんの何?)
天井の明かりを避けるように布団の中へ潜り込む。中は真っ暗で、悟の寝室のようだった。悟はいつもユージをこうして閉じ込めて、ユージを動けなくしてしまう。だからユージはいつも寝室にしかいられない。
ユージはいつも寝室にしかいない。
(……俺は、)
悟にとってユージは、寝室にしか存在しないのだろうか。
ーーー
「返事が来ないんだ。もう駄目だ。僕は終わりだ。あの子に嫌われた……」
居酒屋のテーブルに突っ伏し嘆く友人をゲトーは哀れんだ。
「悟。諦めは大事だよ」
「お前それでも教師かよ!?」
嘆いては絡み、また嘆いてはと、シラフなのに酔っ払いのようなこの友人は、いま断崖絶壁の先端にいるらしい。
「活発だし、忙しい子なんだ。だから友達とカラオケの先約がって断られてから土日はデートに誘ってないし、出来るだけ拘束しないように家で会ってるし、朝早いって言うから名残惜しいのを我慢して送り出してっ……」
長い上に話がいくつかループしている。親友ながら恋愛面では冷めた男だと思っていたから、こんなに落ち込んだ悟の姿は意外だった。正直面白い。
「なに、毎回朝ポイって放り出してんの?学校くらい送ってあげたら?」
聞いていないようで聞いていたらしいもう1人の同席者、共通の友人である硝子が呆れた声を出す。悟は僕だって送りたいよ、と呻く。
「でもあの子、そんなのダメって怒るんだ。絶対ダメーって……」
「なにそれ」
「さあ?あの子、僕らのことは秘密がいいんだって」
そんなことどうでもいいと悟はまたテーブルに沈んだ。だが硝子は何か引っ掛かったらしい。
「それって、見られたくない誰かがいるんじゃないか?」
「……は?」
「学校に彼氏がいるとか」
悟はフリーズした。ゲトーはまたしても親友の「二股かけられてフリーズ」という、激レア姿を目撃したのだった。
ーーー
ユージは4度目の誘いにどう応えたらいいのか悩んでいた。悩んで悩んで悩み過ぎて限界だったから、授業中に普段は当たるわけのないボールを顔面で食らってしまった。
ボールを当てた真人はユージをライバル視している所があったので、大の字にひっくり返ったユージをここぞとばかりに馬鹿にした。
「話さなくてもいいけどな、無理すんな」
保健室で恵はそう言って、擦り傷と鼻栓を付けたユージを軽くはたいた。
メグミィ……と痛みに悶えながらユージはありがとうと少し泣いてしまった。
ーーー
放課後、ユージは恵と連れ立って自宅へ帰り、ぽつぽつと悟の話をした。恵はこの上ないほど顔をしかめて悟への不快を示したが、ユージは話す内に不思議と気持ちが上向いていった。
「ーそれで、どうするんだ?そいつに会うのか?」
「……うん。今なら会えそうな気がする」
恵に話せたお陰かなとユージが笑うと、恵はため息をついた。
「いいのかよ。そいつ、お前を都合よく使……都合のいい存在にしてるかもしれないんだぞ」
「それなら仕方ないよ。本当にそうなら…」
偶然知り合って、告白されて。初めてながらちゃんと恋愛しているとユージは思っていた。しかし悟は違ったのかもしれない。ユージは目を伏せた。
「その時は俺、ちゃんと……」
ぴんぽん、とインターフォンが鳴った。
「?こんな遅くに誰だろ」
ユージが玄関に向かい扉を開けると、
「ユージ〜?二股かけてるの〜〜!?」
という叫びと共にふらついた悟がなだれ込んで来た。
「さ、悟くんっ!?おわっ……」
「ちょっと悟、急に相手の家に押し掛けるなんて失礼ーーえ、イタドリ君?」
「ゲトー先生っ?」
ユージは悟に驚きながら後ろへ倒れた。そして悟の後からやって来たゲトーはユージに驚き、何事かと玄関へ駆け付けた恵はゲトーに驚いた。混乱に一同は固まった。
少し遅れてゲトーの横へ硝子が顔を出した。恵を見、次に悟の下でもがくユージを見て、煙草の煙と共に呟く。
「なーんか、若くない?ほんとに大学生?」
ーーー
悟はユージと並んでテレビの前にいた。
画面ではタカバとかいう芸人が微妙な笑いで周囲を冷やしている。
「……ユージ〜?」
「……」
ユージは悟の肩にもたれ掛かり眠っている。悟は訳が分からない。居酒屋でやけ食いしたデザートに入っていたのだろう(極小量の)アルコールに酔ったらしく記憶がない。気が付いたら深夜になっていて友人達の姿はない。そのうえ何故かユージの家にいる。
「ゆ、ユージく〜ん?」
「……」
ユージは全く起きる気配がなく、悟は動くこともできないままテレビと向き合っていた。
「マジでどういうこと……?」
ーーー
親友が生徒と付き合っていたなんて。なんて事をとゲトーは頭を抱えていたが、恵が「とりあえず話をさせてやって欲しい」と言ったので、何かあったら連絡するよう言い残し、悟だけをユージの家へ置いていく事になった。
帰り際に恵はユージにちゃんと言えよとまた軽くはたいた。
ユージはふらふらした悟を居間へ連れて行き、並んでテレビを見ることにした。
(最後かもしれないし……少しだけ)
ユージは以前のように悟と過ごしたかった。彼の酔いが覚めて話をするまで、少しの間だけ一緒にいたかった。彼がユージをどう思っていようとも。
「……ん〜?なに?ユージ?」
「テレビ見よ?悟くん」
ユージは悟の横に座りテレビをつけた。悟はいいよぉとへらりと笑った。
ーー
「……えーっと、何だっけ?あいつらと話してて、硝子の奴が二股とか言い出して……そうだ、二股!ユージ!」
悟は青くなりながらユージの肩を掴んで揺さぶった。しかしやはりユージは起きず、ぐにゃりと悟の方へ倒れてきてしまった。悟は慌ててユージを抱きかかえた。
「ハァ、ユージ……起きてよ……」
懇願するも耳元では規則正しい寝息が聞こえるだけだった。どっと笑い声がして顔を上げると、テレビで今度はナントカ本舗という二人組が爆笑をさらっている。
「……そういえば」
そういえば、ユージと一緒にこの芸人たちを見た事があった。ユージが好きだと言っていて、また見ようと言って……あれはいつだっただろう。随分と前だった気がする。
「……ユージとテレビ見るの、久しぶりだな……」
悟は何故か落ち着かない気分になって、ユージをぎゅっと抱え直した。
ーーー
「ーーあ、起きた?」
目を覚ますと悟の腕の中にいた。いま夜中だよと微笑まれる。
「さ、悟くん……ごめん。俺寝るつもりじゃ」
「そうなの?」
「うん……テレビを見……あ、えっと」
「テレビが見たかったの?」
ユージが何から言えばいいのか分からず口籠ると、悟はああと何かに気付いたようだった。
「もしかして、あの二人組?芸人のナントカ本舗」
「え……ハラッタネ本舗?」
「それそれ。さっきクイズ番組に出てたんだよ。ユージ好きなんだよね?録画しておけば良かったなあ……」
まだやってるかなと悟は抱えたユージ越しにテーブルにあるリモコンに手を伸ばす。ユージは驚いた。
「お、俺がハラッタネ本舗好きなの覚えてたの……?」
「え?もちろん覚えてるよ?」
「……!」
一緒にテレビを見たのはずっと前で、しかもこのコンビを見たのなんて一度か二度だ。
(俺のこと……覚えててくれてる?)
小さな希望を感じ、ユージはぎゅっと目を閉じた。
(悟くんは、俺のこと、どうでも良くいんじゃないの……?)
「あったあった。チャンネルは確か……あーごめん。さすがにもう終わってるみたい」
「……っう……」
「ユージ?……えっ!?」
ユージはぼろぼろと涙を溢していた。悟はぎょっとして、ちょ、うそ、なに、と慌ててユージを抱きしめる。
「え、ええ〜……どうしたのユージ?なになに?ハラッタネ本舗そんなに見たかった?」
「ううぇぇっ……」
「違うの?どっか痛いの?大丈夫?落ち着いて、ほら……」
「ざ、ざどるくん……っ」
背中をさすられながらユージは嗚咽する。
「おれ、さ、悟くんに話、しなきゃって……ずっと言えなくて、振られんの怖くて、返信も出来なくて、おれ……」
「は?振られるって、僕がユージを?何それ一体どういう……」
「俺、ただ、テレビ、見たかっ……ソファで、悟くんとっ……っく……うぇぇ」
「ゆ、ユージっ」
「っ……」
耐えられないとばかりにユージは本格的に泣き出してしまった。悟の服をぎゅっと握り締めてわあわあと泣いている。悟は意味が分からない。
(話って何?それに振られるって……振られるような話って二股のことか?でも二股なんて言ってないし……)
他の誰かの話ではなく、出ていたのはテレビがどうのという話で。
(テレビ、テレビ……って、見てるよな、今?)
悟は居酒屋でデザートを食べたあたりで記憶が途切れ、気付いたらここにいた。
(で、ユージが横にいて……寝るつもりはなかったって言っていて……じゃあそれまでは僕とテレビを見てた?なのにテレビが見たいって……)
「うう……ぅ、っう……」
……やはり分からない。分からないのにユージの悲壮な泣き声に罪悪感が押し寄せる。悟は困り果て、とにかく泣かないでとユージの頭を撫でた。
「ねえユージ……そんなに泣かないで?テレビが見たいなら見よう?ハラッタネ本舗はいないけど、配信版あるかもしれないし、前ので良ければ僕の家に録画があるかもしれないし……」
「……」
「ね?今からだっていいよ。移動してさ、何か食べながら一緒に見ようよ」
「…………い」
「ん?」
ユージがぽつりと反応した。
「いーの……?……悟くんと、テレビ見て……」
「ん?いつも見てるでしょ?でも最近はあんまり見てなかったから、ちょうどいいよね」
そう言って笑いかけると、ユージはまた目に涙を溜めた。
「……うん。悟くん、俺、行きたい」
「ほんと?じゃあ、行く?夜中だけど行っちゃおうか」
「……うん」
ユージはのろのろと悟の首に腕を回して抱き着いてきた。悟はまだ泣き止まないユージが落ち着くまで頭を撫で続けた。
「………………」
少しするとユージは眠ってしまった。
「あ、寝ちゃったか……」
何がなんだか分からない上に二股の話もまだ聞けていない。けれど、とりあえずユージの希望を聞くのが先だと悟はユージを抱きかかえて立ち上がった。
ーーー
「はあ……!?」
翌朝。悟の家のソファで目を覚ましたユージは今までの話をした。悟は驚愕した。
「ぼ、僕がユージをテイ良く利用してるって……本気でそんなこと思ってたの!?」
「だ、だって悟くん、会いにいくとや、やるだけだっただろ……」
あまりのことにショックを受ける悟にユージは目を伏せ「だからそうなのかなって」と言った。
「そ、それは限られた時間しかないから……ついがっついちゃって」
「悟くん、そんなに忙しいの?」
「忙しいのは君でしょ?友達とカラオケ行くから会えないって言ってたよね。だから土日は避けて……」
「全っ然忙しくないよ俺。前はたまたま約束してただけだし、カラオケなんてそんな行かねーし、土日ヒマだし……」
「えっ……!?」
話が違う。お互いの認識全てが噛み合っていない。
「そ、そうだったの……?でも、ユージも一度もどこかへ行こうって言ってくれなかったよね?」
「お、俺だってほんとは悟くんとどっか行きたかったよ。でも悟くん誘ってくんないし、大人ってそういうもんかなとか、誘っていいのかも分かんないし、その前に俺ら秘密の関係だし……」
「ひ、秘密の関係……」
ユージはよく関係を秘密にしたがっていた。以前は気にしていなかったが、二股疑惑もあるため悟は理由を聞いた。
「それって、僕の存在を知られたくない誰かがいるってこと……?」
「誰かって……誰でもだよ。俺が未成年だからバレたら大変だろ」
「………………あ、あー……!なんだ、そういう」
一瞬で晴れた疑惑にほっとする。ユージはただ自分達の関係を心配していたらしい。
「僕はてっきり他に付き合ってる誰かがいるのかと……」
「なにそれ?俺悟くんと付き合ってんじゃないの……違うの?」
「あ、いや、そうだよね!僕ら付き合ってるよね!」
しゅんとするユージを見て慌てて抱き締める。ユージはびくりとして驚いたが、自分も悟の背に腕を回した。
「変なこと言ってごめん。泣かないでユージ」
「……な、泣いてないよ」
「本当?」
少し体を離して顔を見れば、ユージは笑っていた。
「へへ……」
「ユージ……」
「……悟くん」
今度はユージから悟へぎゅっと抱き着く。
「……本当にごめんね、ユージ。僕のせいで辛い思いさせちゃって……」
「俺の方こそ、勝手に悪い想像して決めつけてごめん。……悟くん、許してくれる?」
「ユージは何も悪くないよ。だから、仲直りしようか」
「……うん。する」
えへへと笑うユージにつられて悟も笑う。どちらともなく顔を寄せて触れるだけのキスをすると、ユージは顔を赤くしてまた笑った。
「悟くん。すき」
「僕も好きだよ。ユージ」
「へへ……」
悟の肩に頭を預けてユージは目を閉じる。前と同じように悟と過ごせることが嬉しくてたまらなかった。
「そうだユージ、テレビ見る?」
「うん。見たい!」
せっかくだからねと悟はテレビをつけると録画画面を開く。
「ちょっと待ってね。ハラッタネ本舗の録画残ってるかな……」
「あ、別に探さなくてもいいよ」
「そう?」
「うん。悟くんと見られるなら何でもいいし、それに……」
「それに?」
「俺、ハラッタネ本舗の漫才が好きなわけじゃないんだよね」
「え?」
オシが変わったの?と悟が聞けば、ユージは少し言い辛そうに答えた。
「じゃなくて、コンビのいつも右側にいる人いるだろ?金髪の……背の高い人。あの人が悟くんに似てるなーって……それで」
「は?」
「ほらサングラスしてるし、なんか、似てるな〜って……」
悟は途端に無表情になりテレビのリモコンを放り出しスマホで画像を検索した。
画面にはハラッタネ本舗の宣材写真が表示された。薄い色合いの金髪のサングラス男性が微笑んでいる。
「さ、悟くん?」
「ユージ」
「えっ」
「僕の方が1000倍はイケメンだよね?僕が!好きなんだよね?」
何故か焦り気味に迫る悟にユージはハハ……と苦笑した。
おしまい