遅咲きの初恋 失ってから大事なモンに気づく俺は愚かだ。
ああしていたら、こうだったらともしもの妄想の連続をいくら繰り返したってアイツは帰ってきやしない。あの瞬間に戻れたらとか不毛だから辞めた。
ちゃんとその時を生きてきた人間がしてきた選択をせめて無駄なモンにしないようにとするばかりなんだ。遺されたモンの責任だ。
…わかってはいんだけどよぉ。
なぁ付知。
何度も何度だって、俺は後悔しかない
※※※
「あ〜そうだそうだぁ、巌鉄斎。悪いけどそれ、預からせてもらうよ」
「…はぁ?」
「十禾殿?」
誰が仙薬を持ち帰り公儀御免状を手にするかの話し合いにより俺がその役目を有り難く頂くことになって、それ以外が各々の小舟に乗り別れを惜しみ達者でと見送ったあと。俺と佐切と酔っぱらい男の三人だけになり、先程まで賑やかだったものがなくなってさらに寂しさが募るのか懸命に泣くのを抑えようと佐切の鼻をすする音がデカい船で響く、そんなしんみりとした空気を台無しにブッ壊すかのような酔っぱらい男の言葉に俺は耳を疑った。
それ、と言って野郎が指を指したのは俺の眼帯。それ呼ばりをされたのもだが、酒臭い息でへらへらと指差されたのが元の持ち主を侮辱されたようで無性に苛つく。
「つーか!なんでテメェに!!」
「ねーもう本土に着いちゃうからはやくはやく!早漏も萎えちゃうけどぉ、焦らされ過ぎるのも怠いからさぁほらほら、出して出して♡あっもしかして急かされるとイケないタイプ?」
俺の怒りを受け流してさらっと息をするように下ネタを吐くのはこの男の癖みたいなもんなのかいやまだこいつ酔っ払ってんのか?とゲンナリした。怒りから思わず抜刀出来る構えをとっていたがそれも呆れから手を離す。
目を佐切に向ければ無表情で首と手を横に振り、気にするなと視線で話された。娘盛りの嬢ちゃんに聞かせるモンでもねぇけどこんなの日常茶飯事だった山田家っつーのはなかなかに懐が深いのかスルースキルがあんのかとにかく感心した。それは置いとき、何でコイツに眼帯渡さなきゃなんねぇんだと再度噛み付く。
「そいつは出来ねぇ!こいつは俺んだ。没収されなきゃなんねぇ理由なんざ…」
「アンタこそわかってるくせにぃ。…ねぇいい?アンタの眼帯に使われてる鍔は山田浅ェ門のもの。それを身に付けているのはどうかと思うんだ。渡した相手も面倒くさいことしてるけどそれは置いといて。なぁ巌鉄斎、公儀御免状を手にするまではアンタ罪人のままだって忘れてない?おそらくは身につけているものすべて一旦没収され牢に入るだろうね。その時にその鍔をみた役人は…どう思うだろうね?」
わかってるだろう?と鋭い目で射貫かれる。
全力でふざけていた癖にここぞという時には真剣な物言いになるこの男、ころころと変わりやがる。へべれけだったくせにいきなり饒舌になりやがって、何も言い返すことがなく正論すぎる野郎の言葉に悔しいが頷くしかない。
でもこの眼帯は手放したくはないと動けずにいれば、また念を押される。
「いいの?大事なものでしょそれ。もう二度とアンタの手に帰ってこないかもよ。そんなのまた嫌でしょうよ、ねぇ」
また、という言い方に喉が詰まる。確信犯のそれで俺の心見透かされてるようでそわそわ落ち着かない…わけわかんねーけど従っていたほうがいいと思わせる説得力に頷きたくなるが渋る。コイツは得体が知れなくてまだ完璧に信用ならないと、何より俺の勘がコイツに関わるなと言っている。
「テメェじゃなく佐切ならいい」
「あら、信用ない」
「逆にあるとよく思えたなぁ?あ?」
「巌鉄斎さん、大丈夫です私が…」
「佐切ちゃん」
手を差し出してくれた佐切の間に入り、奴が邪魔をする。俺に聞こえない声でぽそっと耳打ちをされた佐切は何故か手を引っ込めてしまい、かわりに酔っぱらいが掌を広げる。
「大丈夫、俺がちゃんと預かるよ。そもそもこれは付知くんの形見だもの。俺達の家のものなんだから」
「……」
「ほら、巌鉄斎」
佐切の急な態度の変化と俺達の家って言い方が妙に気になったが、船からはもう港が見えてきた。時間の猶予はない、決断は早くと思うが眼帯の紐を解く手がやはり動かない。
─…手放したくない。これは…俺の。
「もしかして義手だから眼帯解けないとか?やってあげようか?十禾さん手元覚束ないから自信ないな〜」
「触んな!」
「おー痛っ!わかったよ触らないからはやく解いてよ自分で」
「……っ」
やられた、と唇を噛む。選択肢をうまいこと排除して自分の良いように結果を運んでるように仕向けている。眼帯の紐を解こうとした奴の手を振り払った瞬間時に察した。触らせたくないとなれば自分で解くしかない、このままつけたままでは間違いなくこの眼帯は俺の手元に帰ってこないというのも頭ではわかってはいるが行動を起こすものがあれば実行するしかない。まだ俺の第六感がこの男に気をつけろと警報を鳴らしたままだが…いい加減、覚悟を決めた。
眼帯を貰ったときから一回も解いていない結び目に指をかれば見えない筈の左瞼の裏に情景が見えた。
ヤスリ掛けし出来上がった眼帯を小さい身体背伸びして、ああでもないこうでもないと何回も角度を気にし結んだり解いたりしていた、この鍔の持ち主。目頭が熱くなるのを首振って懸命に誤魔化す。…すまねぇ、と心の内で謝って紐を解いた。
カチャリ、と小さく金属音が掌に落ちる。あの時懸命に削っていたなぁと込み上げるものを無理矢理呑み込み、かわりに目の前のへらつく男に眼を飛ばす。
「……傷つけたりでもしたらテメー殺すからな」
「おー怖っ!しませんよ」
僅かにまだ名残惜しいのを感じたか、さっさと俺の手から眼帯をとって懐に仕舞われた。むっとなりつつ俺の物だったそれがある場所を見てしまう。
本当に大丈夫なのだろうか…と不安が拭えない。これからの御免状を貰うかどうかよりもそちらが気になって仕方がない。
何を考えているのかやはり読めない垂れ目が俺の視線に気付いてさらに細められた。
「なになに?やっぱり唆る?唆ってきた?いいよぉ?上陸する前にシちゃう?」
両手拡げて勘違いしてる色恋阿呆に一生やってろと今度こそ無視決め込んだ。
「…なぁ佐切。コイツマジで時期当主か?山田家潰れねぇか」
「…全く不安がないとは正直言い切れません」
「あんなのと嫁になりたくねぇだろ、ていうか俺が許せねぇな…そんときになったら闇討ちしてやろうか」
「折角御免状頂けるのになに別な罪背負おうとしているんですか、いいですよそんなの。自分でなんとかしますんで」
海の向こうの島があった方と、先程別れた奴らのそれぞれが行った方角と、自分たちがこれから帰る大地へとゆっくり見て、しっかりと真っ直ぐに前だけ見据えしゃんと背筋を伸ばしていた。
女の人生ではなく山田家の人生でもなく、己の佐切という人間の人生は自分が、と。迷いはきっとまだあれどしかりと決めていける想いをみてとれた。
「…強ぇな」
「弱くも迷ってのこと。本当、皆さんのおかげですよ」
また画眉丸達への想いが込み上げてきたのか鼻を啜りつつも誤魔化して笑う佐切に、俺もそうだなぁと続けて呟いた。
あの島に行ってから、誰もが変わった。それぞれ口にしなくともわかるし実感しているだろう。…俺も変わった。でも。
「俺は、どうだろうなぁ…」
潮風が直に隻眼に当たる。
感覚がないはずなのに滲みるような弱くなったような気さえしてきて、今迄護ってくれていた眼帯がなくなって心細くなってんのかなと喉で笑う。見えてるはずの右目も強い風に煽られて
目を閉じた。これからどうしたらいいか、よく見えない。
「歳はとりたくねぇなぁ…」
…そして俺はまた繰り返す。
何故また過ちを犯すんだろうか。後悔を、やはりすることになる。
あの男のしたり顔が俺には見えていなかった。
※※※
「おい」
「おやぁ?良い男が待ち伏せしてくれるなんて、十禾さん感激!」
…あの島から本土に着いて数日経ち、また数刻前。役目報告だ、俺の御免状、仙薬、画眉丸の岩隠れ衆のこと、親玉の爺の始末など、隠し事はそのままにうまく裏で手も舌も器用にまわしこの一連の物語後始末の仕事をした男。へべれけな姿の方に意識がいきがちだが、本当にコイツはやることはちゃんとやる男なんだなと先程の真面目な風貌を罪人の場から横目で見直していたがそれもどこへやら。仕事が終えればすぐに元のへらへらした面に戻っていた。
御免状を手にして晴れて罪人ではなくなった俺が真っ先にしたことは、この男の出待ちだ。通るであろう場所を佐切に聞いて待っていたが、マジかよほんと。遊郭の門前ってよぉ…。数日は待つつもりでいたがその日のうちにくるとは思ってもいなかった、さすがに。
「大仕事終えたから別嬪さんに会いに来たんだけど、巌鉄斎が折角会いにきてくれたしいいよぉ。あの島でデキなかったことシよっか?」
「馬鹿に付き合ってられねぇんだよ、用事はテメェじゃなくて懐のやつだ。ほら寄越せ、返せ。そしたらあとテメェは用済みだ。遊郭の極上の姐ちゃんたらふく喰えや色男」
手を出しておらおらと詰め寄る姿はガラの悪いそれでしかなかったが俺は俺のものをとられたのを返しに来てるだけなのだから気にしない。奴はいやーんこわい!っと袖を口元にやって泣き真似しやがるから自然に苛つく。
「まぁまぁ、やっとアンタも無罪放免になったし!お祝いしてあげる♡俺にちょっと付き合ってよ〜」
「テメェ…いい加減」
「別に俺はいいよ?」
奴が懐に手を入れわざとカチャリ、と俺の大事なものの音を鳴らすのでぐっと口を閉じる。思わずあげた拳も下げた。くそ、人質だ。コイツの言うことをきかないと俺の大事なものが戻ってこない。
「まぁ、付いてきなさいって。アンタが相手してくれるなら別のとこ行こ」
踵を返し来た道を早々と戻る男に仕方なく後ろを付いていく。
「あ?遊郭に行かねぇのか?」
「アンタ今度は一躍有名人の自覚ある?まだ瓦版とかで出廻ってないからいいけど、あの誰も帰ってこれない桃源郷から化け物退治して一人仙薬を持ち帰り罪人から無罪放免になった謂わば時の人よ?八州無双剣龍の名が更に世に知れ渡る。そんな人と山田家の時期当主が遊郭に一緒にいるとこ見られるのもどうかと思うんだよね」
辻褄合わせにそういうことになったわけだからそれもそうか、と興味なさげに返事した。
「おいおい時期当主の遊郭入り浸りはいいのかよ」
「それはそれ〜人生一度きり、楽しく遊ばなきゃ損じゃない?俺は俺のやりたいように …ってかあれ?思っていたより反応鈍いじゃない?嬉しくないの?巌鉄斎、念願叶ったも同じだろ?」
振り向きながら心底意外そうに話す時期当主の意味が一瞬分からず足を止めた。向こうも首を傾げ立ち止まる。
「…そういやそうだったっけな…」
船の上での話し合いの結果、どうしたって俺は剣客に顔が知れて逃亡生活は無理で尚且つ目立って仕方がないと御免状を貰い受けることになったわけだが。それはもうずっと思い描いてきた俺の長年の夢が叶うのも同じ。
…でも心はすっかり火がなくなったみてぇに静かだ。理由はわかりきっている。そもそも俺は無罪放免は本当の目的じゃなかった。天下に轟く偉業を成して俺の名を民谷巌鉄斎を時代に生き続ける不老不死になると、あいつには誇大妄想じみた夢と言われたもんだが俺は本気だった。俺の命なんざ二の次で名を残せればそれでよかったと…だから別にいいと言ったはずなのに。なんで俺を助けちまったのか…ほんとによぉ。
俺の夢のはずだったのにな。
「…まぁまぁ、あとは酒呑みながらお話しましょうよ、もうちょいで着くからさ」
気づけばいつの間にか離されていて見失わぬように大股で慌てて追いかける。撒かれるかと思ったが相手はそのつもりはなく俺が追いかけてきたのを見てにやにやと笑いながらこっちだと案内される。何が目的かわからねぇが、さっさと返してもらいてぇ一心でついていけば、ここだと立ち止まったところがまた信じられなくやっぱりなんのつもりだと相手と門構えにある札の文字を睨む。まだ遊郭だったほうがマシじゃねぇか。
「ようこそ山田浅ェ門邸へ。歓迎するよ、巌鉄斎」
両手拡げてにぃっと笑う山田家時期当主はやはり得体が知れないと改めて思うしかなかった。
※※※
「…おい」
「…んぁ?まだまだ呑むよぉ十禾さんは〜」
「いや寝てただろてめぇ、いい加減にしろよ」
ここに連れて来られてからずっと呑み続け夜四つ(亥の刻/22時)になる頃だろうか。今夜は雲ひとつなく晴れて月も綺麗に見える、酒呑みにはうってつけであるというのに隣にいるのはすっかり出来上がって寝っ転がってる酔っぱらい、しかも別に気心知れた仲でもなけりゃ出来れば呑みたくもねぇ相手なのだから旨い酒も台無しだとデカいため息吐いてぐい呑みを再度傾けた。
ここは山田浅ェ門邸のとある一室。招かれるとは思ってもいなかったのでなんのつもりだと何度問いただしても、今色々と山田家も混乱して生存している門下生には暇を出していると、ここには誰もいないから平気だとはぐらかし笑みを貼り付けるだけでコイツの腹の中が本当に見えず戸惑うしかない。俺はただ大事なモン返してもらいてぇだけなのに何してんだ…とまたヤケクソで酒を煽る。
「思ってはいたけどテメェ酒すこぶる弱ぇな?」
酒は相手に先に酔われると楽しくもなんともない。酔っ払いの付き合いほど面倒くさいこともなけりゃつまらない。空いている徳利の数は俺のほうが多いのは明らか、まだまだ余裕だ。
「そういう巌鉄斎は強いね、さすが剣龍。アッチの方も強そう♡」
「下世話なこと言うなや、面白くもねぇ。なぁ、酒もたらふく呑んだしいいだろ。もう返せ」
ごろんごろんと畳の上で寝っ転がる酔っぱらいは人の話を無視しそういやと自分の話を続ける。
「お酒で言えば山田家ではね、殊現が一番強くて次に士遠、付知くんだったの。呑めない子もいるけどその中で俺は一番弱っちぃ〜」
「…へぇ、あんなちぃせぇくせに呑めるクチだったんか」
話の内容に興味があると同時に意外だったのでつい返す。酒が強いとは思わなくそいつぁ一緒に呑んでみたかったなとぐい呑みに残ってる酒へ視線を落とす。傾ければ波が広がりその中に酒を共に交わす幻覚が見え、どうしようもない妄想だと頭をふった。
「…ふーん?やっぱ付知くんね…」
「ん?」
「もっと話そうか?聞きたい?アンタが知らない山田家にいた付知くんのこと。俺のほうがアンタより付知くんのこと知ってるもの」
「…あ?」
急にヤツの声色が…いや空気が変わった。
「アンタと付知くんは下調べの時も合わせたところでほんの数日程度だろ?大した時間一緒にいないのにさ、そんなあの子に執着してなに?なんでアンタそんなにこれ返してほしいの?」
これ、といった瞬間に聞こえたカチャリという金属音。酒に酔った身体怠そうに上半身を起こして、俺の大事なもん見せびらかすように目の前でちらつかせた。ふいに懐から出された人質、俺の視界に捉えた瞬間頭で理解し指令を下す前に身体が動く。
渡してしまった船の上でも牢の中でも御免状貰うときもそして今も。ずっとずっと気が気でない。隻眼が望んでる、早くそれで蓋をしてくれとせがんで蹲いて仕方がない。
俺のだ、それは!と全身で吠える。
「…返せ!」
持っていたぐい呑みそのあたりにふっ飛ばして手を伸ばした。自分でも俊敏だと思う動きだったが酔っぱらいのヤツのほうが行動が素早く伸ばした腕をうまくすり抜け何故か俺の着物の襟を自分の方へ強く引っ張る。俺も若干酔いがまわっていたせいか反応が遅れ、引っ張られた方へ体勢を崩す。人質を掴まえるはずだった手が空回りし畳の上にダンッとデカい音立てて手をついた。
誰もいないという山田浅ェ門邸にただ静かにその余韻が響いて風が木々を撫でる音だけが俺と奴の間に揺れる。前に画眉丸と杠が出会ったばかりの頃の話を聞いたがその状況に似てるなと頭の片隅で冷静に理解した。そして危険だということも。
寝っ転がった奴の上に不本意だが組み敷く姿勢、覆い被さっている俺の影が奴の上に落ちて妖艶な雰囲気が変に纏う。
「わお、大胆♡ときめいちゃうな」
自分からそう仕向けた癖によく言う、と悪ふざけはいいから早く避けろと動こうとするが奴の両腕が俺の首にするっとまわされ俺の後頭部で金属音がし動けなくなる。人質がすぐそばにあるのにこの体勢から奪い取れない、変に動くとこいつの思うツボに嵌りそうでどうしたもんかと変な汗がでた。
「ねぇあのさ、巌鉄斎」
引き寄せられて色男の顔が近くなる、何故か逸らせない見透かされてるようなその目は一体何をみているのか。
そういや、やたら左側を見られている気がして落ち着かない。隻眼で隻腕がすべて左側なのだから仕方がない、道行く何処の誰もが好奇の目で見るがそれとも違う。コイツは何かが見ているような気がしてならない。この違和感はなんだろうかと気になっていたところで俺の耳元ヤツの吐息混じりに話す言葉に思考が停止する。
「俺、アンタの眼帯返すなんて一言も言ってないよ?」
「…あ?」
野太い、怒りを含んだ低い声が俺から出た。
「思い出して?預かるってしか俺言ってないよ?それにここまでついてきて簡単に、はいどうぞって俺が渡すと本当に思ってた?信用してなかったんじゃなかったっけ?誰もいないここに連れてきたのも何だと思ったの?ある程度は察しるんじゃないの?そうじゃないなら結構純粋なもんだねぇ。可愛いなぁ巌鉄斎」
愚かで、と付け加えられ耳元で不敵な笑いを鼓膜に落とす。やられた、なにもかもコイツの思うツボだ。そもそも俺が罪人になった原因も酒の場だったし相手も酔っぱらいだった。俺はつくづく学ばないのかと頭を抱えたくなる。
「そうこれは口実。島でアンタとふたりきりになったときさぁ、ほんと不思議で。この眼帯みてほんと面白くてさぁ?あのときは緊急事態の化け物退治、生きるか死ぬかのそんな状態だったからお預けだったけど今はどう?唆らない?アンタ女にしか勃たない?男の良さ、十禾さんが教えてあげようか…ってああ、もう知ってるのかな?」
俺の結んだ髪あたりで眼帯の鉄の質感を感じさせつつ奴の右手が着物をはだけさせようと滑らかに伝う。勝手にべらべらと饒舌に捲し立ててくすくすと笑う声がねっとりと気持ち悪くて仕方がない。やな予感しかしない。
「俺が好みでないのなら」
首に回していた手をするっと外し眼帯を手に左目を隠してヤツは口の端あげた。
「付知くんみたいな小さい子が好みなの?」
ぶちん。
何かが盛大に音立てて切れる音が俺の中でした。俺の大事なモンでわざとらしくおちょくってくる奴が許せないと腸煮えくり返っていい加減限界だ。組み敷いた姿勢のまま向こうも動けないことをいいことに頭振り被って勢いよく頭突きを食らわしてやる。
「…っ痛ぁ!?」
至近距離だったのと頭突きがくるとは思わなかったのがさすがに避けられなかったようだ、ざまぁみろと痛さに怯んだところ見計らって今度こそと眼帯に手を伸ばす…が。
「っとぉ?酷いなぁ巌鉄斎」
素早く俺の下からうまく抜け出して、額をおさえつつ距離をとられる。眼帯は奴の手の中のままでまたしくじったと舌打ちする。何もかもがこの男為すこと言うこと全てに苛ついて仕方がない。俺に稚児趣味があるみてぇなありもしねぇ勘違いされたこともそうだが、腹からムカつくのはもっと別だ。
「これ以上、侮辱すんなら許さねぇ…」
「おりょ?なにそんな目くじらを立てて…何に怒ってんの?」
「ふざけんな!何もかもだ!俺はテメェみてぇなスキモノじゃねぇよ!勘違いすんなっ…ンなことするはずがねぇだろ!断じてしてねぇ!」
「へぇ?剣龍はガチガチにお硬いのね?…でも寂しいんじゃないの?付知くんの代わりに慰めてあげようか?」
「だから!テメェになんざ…」
「じゃあ何さ」
「………あ?」
散らかったぐい呑みや徳利、こぼれ落ちた酒を綺麗に避けて空いているところに座る姿があの島での共闘のときを思い出される、瓦礫の中で唯一足場が出来る場所を知っているかのような、物事を何もかも見透かしているあの情景が。また纏う空気も変わる。眼帯を前に突き出して、先程からののらりくらりのいい加減なものではなく真剣な目の色になって俺を睨む。
「アンタにとって、付知くんは何だったのさ」
どくん、と心臓が大きく波打つ。
無遠慮に鷲掴みされたような感覚、核心に触れられ身体が強張った。
眼帯を取られたときから思ってる、それがどういうものなのかというのを俺の中で思い知らされて煮詰められて溢れそうだ。もう蓋をしていたいのに、なぜコイツは人の神経逆撫でに抉じ開けようとしてくるのだろうか。
「死罪人と打首執行人の担当関係ってだけで?アンタにとってこの眼帯がそんなに大事なの、なに?」
「……貰ったモンだ。俺のモン返してもらうのは道理だろ」
「まだ理由付けが弱いね、俺が納得する言葉を貰えなけりゃこれは返さないよ。また、俺が満足するまでアンタもここから帰さない」
「なに…、」
「なぁ、巌鉄斎」
ふざけるなと文句を言おうとすればまた遮られる。
「その気持ちは口に出して生かしな」
「……っ?」
「アンタ一生それを自分の中で燻っていくつもり?」
なんのことだとシラを切りたいがきっとコイツはわかってきいている。
俺が、伝えられずにいることを
─…ずっと、後悔してると。
「俺は確かに山田浅ェ門の左団扇が欲しくて色々手をまわすような悪い奴よ。自分の利益の為にしか動きたくない男、好きなことして楽して生きたいよ。でもそれはそれとして弟弟子は可愛いからさ。彼が報われないのは嫌だなって俺は思うの」
「…」
「付知くんもアンタさぁ、鍔のない刀がどういうことかわかってただろ?あの状況でよくさぁ…やっぱあの子はどこかおかしいよ。でないとこんな自分の刀の鍔で罪人に眼帯なんて送るかね。櫛や簪以上に重いね、これは」
眼帯の鍔を撫で削るのも難儀なのにねぇ妬けちゃうなと笑うそれは兄弟子の顔か、みたことのない柔らかさを含んでいた。
眼帯を俺に見えるように掲げて、ほらごらんと目を細める。
「こんなの愛しかないじゃない」
…あのときの必死に削る光景が鍔に映る。鍔を懸命に削ったと思えば今度は結ぶ角度気にして出して、待ちくたびれてもうやらせたいようにさせていたときに、この角度!と決まったときのやたら嬉しそうな顔が今でも鮮明に思い出される。
その眼帯を隻眼に当て俺のものになった時にはもう俺の中で気づいていた。
本当は、とっくに知っていたんだ。
「もう一度聞く、巌鉄斎」
お前からの想いも。俺の、想いも。
「アンタにとって、付知くんはなんだったの?」
そんなの、ただひとつだ。
「…俺は」
「うん」
「…テメェとヤる気はない」
「あらしっかり俺振られちゃうのね」
「不貞行為は許されねぇだろうが」
「…やっぱり硬いねぇ?未亡人ほど唆るものないんだけどなあ?」
「こうみえて俺は一途なんだよ」
くくっと喉で笑う。
本当、四十にもなって子供みてぇに。
わざと名前を呼ばねぇようにしてたのも、自分の想いを自覚したくねぇからなんて俺はとんだ馬鹿野郎だよな
(付知)
「俺の生涯、もう付知だけだ」
─ぽた。
…ああ、蓋ができなくとうとうこぼれ落ちたかと、どこか他人事のように思えた。
(…付知)
名を呼ぶたびに思い知らされる。
もういないという現実があるだけだ。
─ぽた、ぽた。
あふれるしかない、勝手に出てくるものだからそれはもう出してしまったら呑み込めねぇ。もう俺の中だけでおいていけない。
(なぁ、付知)
告げる勇気さえ持たなかったくせに隠していた気持ちをこぼれねぇようにと名前を呼ばずに喉の奥で抑え込んで。
─ぽた、ぽたぽた、と。
俺から落ちては畳にシミを作っていく。
後悔しかない。
あの時ちゃんとお前に届いていたどうか、もはやわからない。
(…ごめんなぁ、付知)
もっと名前を呼んでおけばよかった。
後悔ばかりだ。
今更こんな年甲斐もなく泣いたところでなにもならない。
「…っあ、うぁ…付知」
やっと名を呼んでもお前が返事しないんじゃ意味がない。
「付知が好きだ…っ」
俺も好きだと
やっと言えても意味がないじゃねぇか。
嗚咽が堪えられない。
情けねぇ、情けない、わかってはいるけれど止められない。
やっと俺の腹の中でぐるぐるとしていたものを声に出せたというのに何もかもが遅すぎた。
残酷な現実だけが伸し掛かる、ぼたぼた止め処なく落ちる思いのすべてを手で顔を覆ったくらいで拭いきれない。
左の眼窩からも落ちていくそれに、眼球がなくても泣けるんかと自分の身体なのに不思議に思えば思い出す。見るところと泣くところは別回路で、涙腺が損傷していなければ出にくいとかはあるかもしれないがおそらく問題ないはずだと左目の手当をしてもらったときに付知が言ってたことを。左手と一緒でどこからか目も見つけ出して眼球の解説しだしたので俺の元一部でやめてくれやと喧嘩したっけかと。
ああ、ほらみてみろや。ちゃんと機能してんだなって教えてやりてぇ。お前のせいで大泣きしてるって、笑ってくれるか。
思い出すのはほんの数日の出来事であるはずなのに。俺の生きてきた人生の中でなんでこんなに大事なんだ。いや、もっと大事にしたかったんだという後悔がこんなにも押し寄せてくるなんてこんなの知らなかった。生きていてはじめてだ、こんなの。
自分の夢だけを追い求めてその結果何が残った?さらに強くはなれた。いろんな奴に会ってもっと強い奴もいて面白ぇとわくわくするものは今も勿論ある、これからまだ会えるのではないかとかそういうものは変わらずに俺の中にある。でもどうだ。いざ俺の念願の不老不死に近付いたというのにこのなんともいえない虚無感は。達成感なんてものはない。心躍るものもなくなった、あの島に置いてきた。お前も置いてきてしまったから。左手も左目を失くしても得られたものはたくさんあった。不便があったところでそこに後悔は微塵もないのに、お前だけが後悔だ。
師の教えの捨てて捨てて残ったものの中、のぞきこんでもお前がみえねぇ。
付知、お前がいない。
…名前を呼べば呼ぶほど思い知らされる。
なぁ、付知。
何度も何度だって、俺には後悔しかない。
「巌鉄斎」
呼ばれて力無く十禾の方に顔をあげた。きっとまぁ、今までで一番情けねぇ顔曝してんのはわかってる、こいつにはお見通しなんだろうかと隠す気にもなれなくて、拭うこともしない。デッカイ図体しょぼくれて、目から垂れ流れてるものを十禾は茶化すことも慰めるようなこともなく、静かに差し出される。返して欲しくてたまらないものがそばにあって俺を呼んだかのようにカチャリと鳴った。
「悪かった返すよ。付知くんに怒られたくないからね」
眼帯と十禾を見比べて、十禾の手からゆっくり壊れないようにとる。付知から貰ってさほど経っていないはずなのに懐かしい重みを感じ、ああやっと俺のとこに戻ってきたと大事に握り締めた。鍔の上にまたぼたぼたと落ちて、わりぃ濡れちまうなと何度と擦る。あいつの蒲公英頭を撫でてるようなあれと一緒で何故かあたたかい。
「そんなのなくとも、ずっといるのにね」
そこあたりに散らばっているたくさんの徳利から中身があるのを見ずに手にとり注ぎながら十禾は言う。
「アンタのそっち」
ぐい呑み持った手でゆったりと指を差されたほう、俺の左。隻腕と隻眼の方というよりはその隣、視線はもっと下。また目尻を下げ笑う。
「付知くんがいるもの」
十禾には物事の道理が視えていると聞いた。ならなんだ、霊とかそういう類いも視えているのか、わからない。その言葉をそのままとればなんのことだと思うところだが、ただわかる。
「いるよ、ずっといる。巌鉄斎のそばにいるよ」
斬れないものは、見えないものは信じないと頭硬い俺達だったからタオっていうやつ使いこなせなかったんだよなぁとまた思い知らされた。
「…そうか」
見えていなくてもここにいたんだな。
ごめんなぁ…付知。
「…いてくれてんだよなぁ…」
左手の断端の縫い目をなぞる。目を腹を、あちらこちらの傷は全てアイツが手当してくれた。それはもう甲斐甲斐しく。
俺の命まるごと、俺の中深くに付知がすでにいるんだった。
「歳はとりたくねぇな…マジで」
近いものほど見えにくくなるってやつかと、十禾に気付かされて情けねぇなとまた自虐的に笑うしかない。
十禾のいうような交合だって勿論してないし口吸いすらしていない。想いあった奴らですることを一切していないし、なんなら好きだと惚れたも言っていない、付知からも言葉で聞いていない。
でも、確かに通じていた。長い時間を一緒にいたわけでもない、それはとても短くても。確かに俺達の大事な育んでいた想いだった。
間違いなく恋だった。なんなら初恋のそれだ。こんなに心臓が張り裂けそうな程に好きになるやつなんてもうきっと二度とないのだから初恋だこれは。
「付知よぉ…」
年甲斐もなく、恋をしていた。
泣き叫ぶほどにお前が恋しい。
※※※
「鼻水ふいてさ、ついておいでよ巌鉄斎」
「…あんだよ」
ひとしきり泣いて腫らした瞼が重くて、照れくささから鼻啜ってぶっきらぼうに返事した。
いい歳して大泣きしたこともそうだが、コイツの前で醜態晒したのがほんとやらかしたと変な照れがあとから襲ってぎこちない。佐切に言いふらさねぇだろうなとか弱みを握られた気が拭えない。そしてまた眼帯とられねぇように懐の奥に仕舞っといた。
当の本人の十禾は気にせずに手元に灯りを持ちよたよたと覚束ない足で、よっと庭へ降りた。
「いいからおいで。山田家に巌鉄斎を連れてきた本当の理由がこれからなんだから」
「?」
よくわからないまま足を進める十禾の後ろを灯りつけてついていく。
山田浅ェ門邸は広い。屋敷はデカイし色々な部屋がある中でこれまた広い庭の端っこにある倉に案内される。ギィと重い扉開ければ少し埃くさく、独特な匂いが鼻をつく。俺も嗅ぎ慣れてる匂いだ。窓も高い位置にしかなく月明かりが入らない、暗くてなんだここは拷問部屋かなにかか?と首を傾げた。
「ここ、なんだかわかる?」
そういって手元にもっている灯りをぐるりとまわす。照らされたところには数え切れないほどのたくさんの書物。医学書かなんかだろうか、それが無造作に置いてあるのと綺麗に並べられて俺の背の高さまである棚にびっしりと引き詰められている。灯されたとおりに見遣れば、瓶に入った何かの液体につけられた元人間の一部とか、おそらく薬になるような干された草とか。人体の骨もいくつかあって、また付知の腰にぶら下げていたような覚えがある解剖器具がズラッと綺麗に並べられていた。
「…付知の部屋かなにかか?」
「ほぼそんなもんだね。研究室というか付知くん専用。たまにここで寝泊まりもしてたよ、よくできるよねぇ。首斬られた人のお化けとか出てきそうじゃない?」
「そんなの気にする奴じゃねぇだろ」
確かにっと笑う。
さすが山田家。首斬りだけでなく製薬やいに力を入れているのは本当だと圧倒される。付知が俺みたいな浪人よりも社会の役に立っているのはそのとおりだと、罪人の首で食う飯はうまいかなんて言われちゃそりゃ怒るよなと改めて反省した。
ここで腑分けをしてのだろうなというのがわかる血の跡があるデカイ台の上に十禾が気にせず、よっと腰掛ける。お前も大概、罰が霊だって気にしてねぇ奴だなと鼻で笑う。
「巌鉄斎。無罪放免のお祝い気に入った?」
「?」
なんのことだろうかと首を傾げれば、手をパンッと軽快に叩いて大きく両腕広げた。
「これ全部アンタにあげるよ!」
じゃーんっとあっけらかんという十禾に、拍子抜けした声しか出なかった。
「…は、はぁ?!」
意味がわからない。意味がわからなすぎて夜中だというのにデカい声をだしてしまって倉の中全体に俺の声が木霊して響き渡った。
うるさいなぁと顔をしかめる十禾にいやいやと詰め寄る。
「藪から棒になんなんだよ?!」
「あのねぇ、付知くんみたいな奇人…おっと、医学馬鹿の厄介者……あ、いや珍しい…優秀な?人間はなかなかいなくてね。後継者とかそういうのも付知くんああだからいないし」
「たらふく本音が洩れてっぞ。…まぁ確かにな…アイツについていける奴がいるのかよ」
「他の子達は遠巻きにしてたからねぇ。理解できない人寄せ付けない雰囲気ダダ漏れじゃない?付知くんって。佐切ちゃんや仙くんも見てるだけだったけど…あー殊現は腑分けを手伝っていたな。付知くんと人体の仕組みとか話したりして、夢中になれば夜遅くまでふたりきりでそれはいつまでも楽しそうに…」
「…へーー?ほーーー?」
「あ、嫉妬に狂う男は見苦しいよ巌鉄斎」
「うっせぇよ」
自覚したんだからヤキモチくらい焼かせろや、と唇尖らせる。やっぱあの黒二才とは馬が合わねぇなと思っといたが、いやいやまて、と話が逸れたので本題に戻る。
「いやおい。これをなんで俺に?」
きょとんとするしかない。付知の遺品、の分類で片付けられない量のもの。ただの形見分けではない。
わからないかなぁ?とまた見透かした目が笑う。
「ここにあるのは付知くんが九つから山田家にいて培ってきたものすべてだよ。それを時期当主である俺があげるっていってんだからいいの。ありがたく貰っておきなよ」
「いや…これを俺がもらってもよぉ…」
「これからのアンタに必要だと思う」
「……?」
やはり意味がわからないと首をひねる。
「いやねぁ?時期当主になるのに色々と面倒くさいのはやりたくないんよ。捨てるか燃やしたほうが手っ取り早いかなぁって思って」
「テメェ付知のやってきたこと消し炭にするつもりかよ!?」
「だって俺には邪魔なんだよねぇ」
「御家の為とか人の為とかねぇのかよ?守ろうとか、なぁ付知の想いは?」
「だから俺は人の為じゃなく自分の為にしか動きたくないんだって」
とんでもねぇ時期当主だと、今すぐここで斬ってしまって佐切に任せたほうが絶対山田家の未来は明るいと思ってしまった。
でもさぁ、と十禾が顎を撫であげて続ける。
「巌鉄斎にあげるなら無駄にならないからね」
「…? 」
「俺にはわかるよ」
これからの未来がこの男にはなにかしらみえてるのだろうかよくわからない。先見の明を持ってんのか?とじぃっと訝しげに十禾を見る。あの島の時からそう、話す言葉全て嘘か真かわからない。貼り付けている笑みの裏も表もあるのか。捉えどころのないやつだと、やはりよくわからない。
「付知くんも巌鉄斎ならって喜んでくれるんじゃないかな?知らんけど」
「投げやり適当過ぎねぇかおい」
「いやまぁ、これから巌鉄斎がどうするかなんて俺には関係ないけどさぁ?」
やっぱ適当だと肩を落としたところで、倉の小さな窓から僅かに入る月明かりが十禾を照らす。
「願うことはするよ」
他人にも自分にも期待しないほうがいいと言っていた男の言葉にしては人間味があるというか。
あの島での印象ともまた違う。 …こいつの本心はどこにあるのかわからない。得体が知れないのは出逢ってからずっとそうだが、少しだけ十禾という男の底が見えたような気がした。
「まぁ、今直ぐ持っていけとはいわないから、あと気が向いたら連絡頂戴よ。佐切ちゃんに言伝でもいいし。アンタもまだ腰を落ち着ける場所とかないだろうし。それまではこのままにしとくからさ。でも早く連絡くれないと処分しちゃうから早めにね」
「半分押し付けてねぇか…?」
「お手伝いだって。アンタのこれからの夢を応援くらいさせてよ。…まぁいいや。呑みすぎてもう眠いから俺寝るよ、今日はやること多くて疲れたしねぇ」
座っていた台から降り、欠伸しながら扉の方へのらりくらり歩いていく十禾を呼び止める。
「…おい待て…!これからって」
「もう遅いから巌鉄斎も遠慮せずここ泊まりなよ。まだここいて付知くん感じてもいいけどあとさっきの部屋に戻って…あれなに?やっぱ俺の閨にくる?」
「微塵も行かねぇよ馬鹿野郎」
「あらつれない」
ぴしゃりと断れば残念と肩を下ろした十禾だったがすぐに眠そうに瞼擦りながら言葉を続ける。
「同じ夢ばっか人はみないでしょ?今度はまた別の夢色々見るの当たり前なんじゃない?ゆっくり考えなよ、ひとりよがりはモテないしね」
「……」
それはどっちの意味なのかとさらに聞こうと思えば、おやすみ良い夢をっとひらひら手を振って十禾はさっさと出ていってしまう。
倉には俺がひとりぽつんと残された。月も高い位置に来て遅い時間になったせいか空気がひんやりと冷たく耳を澄ませば庭にいる虫の声と風の音だけしかしない。持っていた灯りをまわして全体を再度見る。
そのあたりに散らばっていた医学書を手にとり至る所に手垢や折り目がついているのが見えて持ち主が読み込んだことがわかる。試しに頁を捲れば何のことを書いてあるかさっぱりで首をひねった。
「…凄ぇな…付知」
九つからか、と指で年数を数えて俺が戦を経験してた頃にはここにいたんだなぁとか記憶を巡れば俺達全然関係ねぇ生き方なんだよなと、年齢も違ければ、出身も生き方もなにもかも本来なら交わることがないはずだったのになんの因果か偶然か。お前に出会えたのが本当に不思議なぐらい。
生きていれば何が起きるかなんて本当わからねぇよな。
「新しい夢か…」
不老不死が今までの俺の夢だった。
「…お前がやろうとしてたこと、俺にもできんのかわかんねぇけどよぉ…」
お前のようなことはそっくりそのままはできないかもしれないが、せめて付知からもらったこの命をお前の為にも生きたいとは思う。
人の為と思って生きてきたお前ならどうするか。
俺もまだいろんな手練に会いたい。世の中広ければ剣の道もまだまだ奥深い。今まで生きてきたことそのまま俺のもの、全ては捨てられない。
また育てる側も悪くねぇなとも思う。桐馬に剣を教えたとき、若ぇ奴が生意気にどんどん成長していくのみるのは面白いなと。そういう新しく夢見るのも悪くねぇなと思えたのはあの島のおかげだ。
「…ま!今すぐどうしたらいいかまだわかんねぇけど。悩んで迷ってみっかぁ。どれかひとつとか考えなくてもいいよなぁ」
デカい声の俺の独り言が倉に響く、ここにいた持ち主に許可をもらうかのような、聞かせてるような感じで。返事は勿論ないけども。
新しい夢を付知を通して一緒にみてもいいだろ?
─いいよなぁ、付知。
師匠がやっていたように指で輪を作り覗き込んで見る。ぐるっと倉の中みてまわして、俺の左側もそこからみる。やはり俺には何も見えない。でもわかる、俺の深いとこにいる。付知お前がいてくれる。
…お前が好きだ。今でも好きだ。どうしてあの時と、何故もう会えねぇのだろうかと後悔はある。きっとずっと一生後悔ばかりだろう。
でもお前を追って死にたいとかお前のいない世の中全てに絶望も出来ない。白状とか思わないよな?むしろ追いかけてしまったらお前めちゃ殺しそうな勢いで怒りそうだもんな。
お前に貰った命は簡単に死ねやしない。
大事にしたいと思うがこれからどうしたらいいかわからないとそういう悩みを十禾は汲んでくれたのだろうか。付知への想いを自覚させて…新しく夢見ろときっかけをくれたのかと思うといやアイツのこと買いかぶり過ぎか?と肩で笑う。
懐に仕舞っていた眼帯を手に取る。懸命に削ってくれたからかなめらかな触り心地、あいつも子供みえぇにやわらけぇ肌してたってかぁと鍔の形に沿ってゆっくり撫で指の腹で付知を感じる。愛おしくて仕方ねぇと目を細めた。
「付知好きだ」
そっと目を閉じて、眼帯の鍔に唇を寄せる。
初めて口吸いするような緊張感にも似て、おぼこかよっとガラにでもねぇと自分で笑ってしまった…
─その時。
閉じた瞼の向こう側で懐かしい気配がした。
『巌鉄斎』
鼓膜に揺れるのは、見た目からしたら思いのほかすこし低めで通りのいい耳に残る声。
目を開ければ蒲公英の色が鮮やかに俺の瞳に一目散に入る。大きく吸い込まれるような黒色に驚いたような顔の俺が映ってて、頬を緩ませている。腑分けしていたであろう台の上に立ち上がっても俺の唇までには少し届かずに背伸びしてる、俺の頬触る手が震えてるのはそのせいなのかなんなのか。
おそらく一瞬であろうこれは、幻覚と幻聴、俺の酔いがまわったのかそれとも霊の類いか俺の願望かと色々と頭に巡るがどれも違う。
確かに付知だ。
眼帯の鍔ではない、金属ではない別の感触が確かに俺の唇に触れた。
『僕だって好きです』
そう柔らかく笑って俺に告げれば、満足したように、ふーっと蒲公英の綿毛が飛んでいったかのように消えていく。
思わず手を伸ばして掴みたくとも掴めないそれに、また目から溢れそうになるが堪える。
掴めなかった手の中には貰った眼帯の鍔だけが元通りにあった。
わざわざ出て告白しかえしてくるなんて。
「…ったく、負けず嫌いかよ」
手の眼帯が文句言ったかのようにカチリと鳴った。
2023/5/12