星を呑む「助かるぜ」
機械工のメギド、タムスが弾んだ声を出した。ハンマーに歯車、作業途中でも手軽に食べられる保存食、彼は意気揚々と一式抱えて作業場に戻っていく。
その姿を見送り、ソロモンはほっと一息をついた。
「気に入って貰えたみたいでよかった」
ソロモンのアジトのメギド達には、軍団長たるソロモンからプレゼントを贈られる習慣がある。
そして、当然の事だがメギドによって喜ぶプレゼントは様々で、少し困ったことに要求方法も様々だった。
先程の機械工の彼は、そう言う意味では分かりやすいメギドだった。ヴァイガルドに慣れてない所があるのか、他の理由か、欲しい物を直接の品名で言うのは苦手のようだが、どういった物が欲しいのかは自覚していて、それをソロモンに要求するのにも躊躇が無い。甘え上手で、ソロモンにとっても楽な相手だとも言えるだろう。
楽な相手が居るならその逆もある。
何が欲しいのか伝えて来てくれない相手は、様々なメギドに応対してきたソロモンにとっても難敵だ。
ソロモンは、次に贈り物を贈ろうとしていた相手、紫衣装につば広の尖り帽子を被ったメギドを思い浮かべて片手を顎に当てる。
尖り帽子のメギド、デカラビアは、最近は何が欲しいか伝えて来る事は無く、黙ったままだった。とは言え、ソロモンを試すような、欲しい物を当てて見せろという沈黙とはそれは違うようだった。もしかしたら本当に欲しい物が無いのかもしれなかった。
それでもソロモンはまだデカラビアに贈り物をするつもりであった。アジトのメギドたちは同じ回数のプレゼントを貰う事が習慣になっていて、デカラビアはその回数を受け取っておらず、じゃあそうですかとデカラビアに何もプレゼントをしないでおくことは出来ない、と言うのが表向きの理由だった。
「……あれで大丈夫かな」
表があるなら裏があった。裏のもう一つの理由は、純粋にソロモンがデカラビアに贈ってみたい物があるというだけだった。
だけど、相手が欲しそうな素振りを見せていないプレゼントを贈るのは、何度目でも緊張するものだ。
デカラビアは図書館の隅で椅子に座り、本に目を落としていた。
「仕事中にごめん、デカラビアを少し連れて行くけど、いいかな?」
ソロモンが図書館の主のようなメギドに尋ねると、本の整理をしながら、チラチラと怯えのような視線をデカラビアに向けていたメギド、アンドロマリウスは喜色を浮かべて承知した。
現在のデカラビアは、ついこの間ある騒ぎを起こした咎で単独での行動を禁止されている身分だ。
アンドロマリウスは本日のデカラビアの監視役であり、彼を見張っていたが、生来臆病な彼女は監視任務を持て余していたようだ。喜ぶ彼女に見送られ、ソロモンは黙って席を立ったデカラビアと共に、図書館を後にした。
「どうぞ」
静かな台所で、ソロモンは一杯のラテを、デカラビアに差し出した。
コトリと小さな音を立てて、彼の前の机の上にソーサーとカップを置く。
「……わざわざ誘い出してまで、何事かと思えば、もしやそれが今回下賜される品物か」
「贈り物ではあるけれど、そこまで言うのは大仰じゃないか……?」
「わざわざ人気が無い場所で、手ずから飲み物を淹れて差し出す行動程でも無かろうよ。よい顔をしないやつも多いだろう、何故俺と二人きりになろうと思った。せめて部屋の外に護衛を立たせるだけでも、クソ長い小言が飛んで来るのを防げるだろうに」
「デカラビアと二人きりになっても、大丈夫だ」
「だと良いがな」
「危険は無いよ。怒られることはあるかもしれないけど……」
「……クックックッ。明確に言い淀んだな、面倒事は起きると聞こえるが?」
デカラビアは、いかにも、口煩い連中に絡まれる隙を作るぐらいなら、食後のついでにでも出せばいいじゃないかとの風情だ。……ソロモン王である少年に手を出す匂わせが無いので、まだましかもしれない。言葉に出しても信じて貰えないと早々に諦めた説もあったが。
「そうだけど、それじゃあんまり雰囲気が無いじゃないか」
「雰囲気? 面白い事を言う。四六時中張り付かれて、そんなものは雲散霧消してしまっているだろう」
「だからさ、その、今……」
人気の無い台所をソロモンは一瞥した。
食事時も仕込み中も外した時間帯。椅子は少しガタついて、壁や机に傷が付いており、スパイスや調理器具が並ぶ様は、流石に落ち着いた飲食店等とは違うけれど、デカラビアとソロモンだけしか居ない静かな空間だ。
デカラビアはソロモンが見たのと同じ方向に視線をやった後、自分の前に置かれたカップに向き直った。
「気を使ったつもりか? それとも憐れんだか」
「そんなんじゃないよ」
「フン、分かっている」
この少年なら、後々の説教を承知の上でこっそり飲物を振る舞う行為でも、特別気を使った訳では無いのだろう。
「なら何で聞いたんだ……」
「最近の俺は物事を悪く受け取り過ぎるらしくてな?」
「自分で言うことじゃないだろそれ……って、余り喋っててもラテが温くなっちゃうだろ。いや、もう遅いかな……?」
ソロモンは慌てて用意したラテを確認した。
「やっぱり少し冷めてる……どうする、淹れ直した方が良いか、デカラビア?」
「……殊勝じゃないか」
折角なら美味しく飲んで欲しいのだろう、ソロモンは問いかけながらも、すぐにでも再び竈の方に向かいそうだった。
「だがこのままで構わん」
デカラビアはサッと手を伸ばしてカップを掴み、クイ、と一気に半分ほどを飲む。
「……甘過ぎるな」
「そっか。別の物の方が良かったか?」
「完全に好みの味かと問われたならば、否というしかない代物だが……嫌いじゃ無いぞ。……どうして、これを選んだ?」
デカラビアは、カップを持って空に浮かせたまま、ソロモンに問いかける。
「以前、そのラテ……エトワール・オレって言うんだけどさ、他のメギドに贈るとき、デカラビアが見てたことを思いだしてさ。味がどうこうって言うよりも、食べ物や飲み物は余り欲しくないのかなとも思ったんだけど……興味はありそうだったから。デカラビアは、星や夜空が好きそうだから、前もエトワール・オレを見てたのかなって……だったら星の模様のラテを、実際に飲んでみるのもいいだろ?」
いつもより口数多く語るソロモンが、デカラビアの薄い色の瞳に映った。
「それだけか?」
「う、う~ん」
実は、それだけでは無い。デカラビアにも、もうバレて居るだろう。
最近のデカラビアは、アジトから少し外に出るのも外出許可と同行してくれる誰かが必要で、大した運動をしていない。更に、一人の時間も自由に取れない。流石に私室に籠もればしばらくは一人だが、必ず誰かが様子を見に来る。
他人と親しくする性質ではない上にそう言った事情で神経質になっているデカラビアは、小型の犬猫でももっと食べそうな量の食事しか取っていない。
そんな時でも、糖分とフルーツのエキスをたっぷりと溶かし込んだラテなら、栄養源になるし固形物よりは摂りやすいかもしれないと、ソロモンが考えたのは事実だった。
だが、ソロモンはそれを口に出さなかった。それを形にしてしまえばデカラビアのプライドを傷つけると思ったからだ。バレバレだとしても、言わないほうが良いこともある。代わりに、嘘では無い別の思いを吐く。
「……星を見てるとさ、デカラビアみたいだなぁって……」
「ふうん? ……服か」
デカラビアは沢山の光る素材を身に纏う事が多かったし、帽子やマントの裏地は正しく星空みたいになっているものもあった。
「それもあるけどさ」
「なんだ、はっきり言え。今更誤魔化す事も有るまい」
デカラビアにせっつかれると、これは言って良かった事だろうかと今更ながら不安が増す。ここで言わないのは許されないと言うのは分かっていたので、覚悟を決めたが。
「メ、メギド体がさ……」
「星が、俺に」
「う、うん……リジェネ前も、後も似てるよな……」
「……」
「……黙り込まないでくれよ……」
「おまえに似ていると言われながら、食料を振る舞われた者としての態度を決めかねていてな」
「だから言い辛かったんだよ……ごめんってば」
「ククク……罪人のメギド体を揶揄っただけで平謝りとは、ソロモン王も形無しだなあ?」
「デカラビアのメギド体を変な風に言うつもりは無くてさ……」
「分かっている」
「じゃあなんで言ったんだよ!」
「良い茶請け代わりだったからな。……茶請けを探そうとするな、もう全部飲みおわる。ほら」
「……あ。本当だ」
デカラビアが見せてきたカップの底は空になっていた。
「……ご馳走様」
大仰で皮肉に満ちたよく聞く悪役台詞とは違って、案外丁寧な言葉。
目を閉じ、胸の前で軽く手のひらを併せながら、デカラビアはそれを言った。
「お粗末様でした」
デカラビアの態度に、ソロモンは心の中で胸を撫で下ろした。ソロモンの返答と贈り物は問題なかったらしい。
「後は任せて良いのだろう」
続いて放たれた声は問いの形をしていたが、返事を待つつもりは無いようだった。デカラビアは席から立つと、台所の外に向かって歩いて行き、振り向かないまま片手だけを上げて、そのまま去って行こうとする。
「待ってよ。片付けは俺がやるけど、図書館まで送っていくから……」
「……ちっ、見過ごさんか」
「わざとだったのか!?」
軽く騒いでいると、台所の入り口から気配がして、青い髪の女性が顔を覗かせた。
次の食事の仕込みのためにやって来たウァラクだ。彼女は怒らなかったが、やんわりとソロモンとデカラビアの二人をまとめて台所から追い出しはした。
「片付けは送ってきてからやれって……」
「不思議ではあるまいよ」
「……次に欲しい物は、出来たか?」
「随分とがっつくじゃあないか、それとも俺へ何かしらを寄越すのは、早く終わらせてしまいたいのか?」
「そんなつもりじゃ」
ソロモンは、ただ、喜んで貰える物を贈りたいだけなのだ。慌てて弁解を始めそうなソロモンにデカラビアは意地悪く笑う。
「 ……クックック、そんな顔をするな、これもわざとだ」
「焦った……からかわないでくれよ……」
「ククク……詫び代わりに、次に所望する品物のリストを伝えておこう」
「リストになるぐらい思いついたのか」
他愛もない話をしながらデカラビアを送って、その日のプレゼント配りも終わった。
ソロモンがエトワール・オレをデカラビアに贈って数週間は経った後。以前と同じ時間に、ソロモンはアジトの図書館に向かっていた。
「デカラビアさん、このシリーズは一番高い棚に並べてください~」
「一々言わなくても分かっている。この状況で真下から話しかけるな、離れていろ」
「ええ~。説明しながら本を渡した方が置きやすいかなって思ってぇ~。このシリーズ読みました 読むと分かるんですけど、こっちのシリーズと繋がりがあるんですよ~。だから並べて置きたくて~」
「知るか。離れていろと言ったはずだが」
図書館に入ると、二人の声の理由は見て取れた。書架の横の梯子の上に立つデカラビアと、それを下から見上げるアンドロマリウス。
以前は怯えていたはずのアンドロマリウスが、デカラビアに指示を出し、図書館の本の配架を手伝わせている。
ソロモンは苦笑して、アンドロマリウスに声を掛ける。そして、一列分の配架を手伝った後、デカラビアを図書館から連れ出した。遠慮が無くなり各種雑務を押しつけてくるようになったアンドロマリウスへの、デカラビアによる愚痴が始まる。ソロモンはそれを聞きながら共に廊下を歩いた。
「どうぞ。……デカラビア、本当にこれでよかったのか」
台所で二人きりになった所で、ソロモンが帽子を脱いで着席したデカラビアに差し出したのは、前と同じ、エトワール・ラテ。
「軍団長に強請る(ねだる)事の出来る、数限られた機会に好まぬものを頼むほど酔狂な男に見えるか 俺は」
コトリと目の前に置かれたそれを数秒間注視した後に、デカラビアは口をつける。
「そこまでは言ってないさ でもさ……」
ソロモンはデカラビアを見た。喉を動かして居るが、やはり特別にラテに舌鼓を打っている様子も無い。
「……まあ、おまえの心配も分かるがな」
カップに落としていた目を、デカラビアはソロモンに向ける。
「その心配は正解だぞ。悪くは無かったが、全てを飲むには甘過ぎる。残りはおまえが飲め」
「ええっ」
ソロモンが驚いている間にデカラビアは席を立つ。慌ててラテとデカラビアを交互に見るソロモンを、喉の奥で笑って居る。
「(ほ、本気だ……)」
デカラビアがどうしてこんな気まぐれなような事を言い出したか、ソロモンには分からない。ただ、嘘を言わない彼は本気で、飲みかけのラテを放置して台所から出て行く気らしい。
リンゴのエキスで星を描いたラテ。デカラビアは器用にも、泡の部分を崩さず、星もそのままに、ラテの半分以上を減らしていた。
「そんな自分勝手なっ……待てよ、デカラビア!」
折角用意したものをこのまま放置するのも噴飯ものだし、カップとソーサーを洗わずに置いていく訳にも行かないし、デカラビアに置いて行かれるのもよくはなかった。最近驚くほど大人しかったデカラビアは、どうしてこんな所では奇妙なわがままばかりを言うのだろう。やっぱり監視されているストレスが溜まっているんだろうか。食欲も余り戻っている様子がないし。
焦ったソロモンは、普段ならしないことをした。カップの取っ手を握って、ラテを飲み干してすぐ、デカラビアのマントを掴んだのである。果たして間に合わないかと思われたその手は、割合に余裕を持ってその布を手中に収めることが出来た。こんなことなら、これほどまで急ぐ事は無かったかもしれない。
急いでラテに手を伸ばしたため少し屈み気味になったままマントを掴んでいるソロモンを睥睨して、デカラビアは言い放った。
「……必死だな? 口の周りに白いひげが生えて居るぞ。ククク……」
「……誰のせいだと思ってるんだ……」
「次はおまえが衣装を降魔祭の時に纏ったらどうだ。地域によっては、白いつけひげもつけるらしいぞ」
「まだ根に持ってたのか……?」
「ふん。そんな下らん感情では無い。だが、他人にやらせたのに手本も見せて貰えなかったからな」
「しっかり気にしてるじゃないか」
デカラビアはもう去るつもりは無くなったようで、喋りながらもソロモンがしっかり立つのを手伝った後、おもむろに自身の手袋を外した。
「……飲んだな」
「ああ、エトワール・ラテか? 」
いきなり手袋を外し素肌を晒したデカラビアの行動を不思議に思いながらも、ソロモンは頷いた。ソロモンのそれより少し下の目線にある、帽子を被ってない彼の貌が今日はよく見えた。素肌と言い、帽子を外した所と言い、いつもは見せない姿に少しドキリとする。
「……デカラビアがもう要らないって言ったから、残りを飲んだよ……不味かった?」
「いいや、それでいい」
デカラビアは、手袋を外した手を、ソロモンの口元に伸ばし、ラテの泡の跡を指で拭って掬った。唇とその周囲を触られる心地に、このために手袋を取ったのかと合点が行った。
「星を飲んだな」
「?」
ソロモンの口元を拭った指先を、引いてデカラビアは嗤う。
「俺を呑んだな」
「ちょっとぉ」
「おまえが言ったのだろう、俺が星のようだと」
「言ったかな……? あ あれはメギド体がって意味で……」
「責任を取れよ」
引いた指先を、デカラビアは自身の口元に持っていき舐めてみせた。
ラテをデカラビアが飲み干さなかったのはこのためかとソロモンは赤くなる。
クスクス笑いになったデカラビアは、ソロモンに伸ばしたのとは逆の手で、置いていた帽子を手に取り、頭に被り直す。
デカラビアは、最初からソロモンが追ってさえ来るならば、ここから逃げるつもりは無かったのだろう。帽子を脱いでいたのも、マントが掴みやすかったのもそのせいで、慌てすぎてそれに気付かなかったソロモンがしてやられただけだ。
好きなことを言い放ち終えて満足したらしい、猫のように体重を預けてくるいたずらが好きな星に、ソロモンは言った。
「……元よりそのつもりだったよ」
覚悟だけは言われるより先に、最初から持っていたとソロモンは頷く。
「だから、デカラビアも気をつけてくれよ。……食事とかさ。働いて貰うつもりなんだからさ、その内に」
「いきなり現実的な事を言うな」
「じゃあ、何て言えば良かったんだよ……」
気まぐれに空で輝いていた、落っこちそうだった星を捕まえて、飲み下せば、それは傍に置いた責任と言うやつを迫って来る。
甘い毒を流すように、より高みに登れと囁いてくる星の望みを、叶えるつもりが無いならば、手を伸ばさなければよかっただけで。
つまりは、お互い様の共存共栄ってやつだ。
贈り物(エトワール・ラテ)は喜んで貰えたようだった。