毒から出た真ソロモン王をハルマに取られるのは業腹である。
アジトの会議室でテーブルを囲むメギド達の意見は概ね一致していた。少なくとも、ハルマが擁する王都のシバの女王より、別の相手との第一子をソロモン王に作って欲しいと望むメギド達はそう信じていた。
ソロモン王の恋愛事情は、定例会の折に出た雑談の一つだった。
それがあれよあれよと大きくなり、ついには特大級の火種に育った。
定例会とは言え、自由参加型の上、他の用事でアジトに人が多くなる日時の近辺に参加者希望者が多く居たら開くと言う、本当に定例会と呼ぶべきなのか分からない会で、ハルマに好意的かつ穏便なメンバーが偶然参加してなかったのも話が大きくなる後押しをした。
そして、調停者に混沌に吟遊詩人と交渉官と、書記に徹する道化と酒瓶を片手にした大柄な傭兵が、ソロモンにとっては大きなお世話でもある、誰がソロモン王の伴侶に相応しいか論争の口火を、張本人抜きで切っておとしたのである──
決して良いとは言えない空気の中、金髪の吟遊詩人のバルバトスがハの字の眉をして両手で空気を抑えるような動作をした。
「まあまあ、ソロモンにはまだ早すぎるよ」
「早すぎるって事はねえだろ、早すぎるって事は」
じろりとバルバトスを睨んだのは調停者のバラムだ。
「ジャラジャラ王の後継はハルマに握られたくねえ」
調停者と言うのは、つまるところヴァイガルドに追放されたメギド達独自のコミュニティを作る、バラム自身の望みの為の活動を、誰かがそう名付けたのだ。
「次代のソロモン王がハルマの手の中ってのは、ハルマがその気になればメギド全員が首輪に繋がれるって事だ。俺はハルマを信じた訳じゃねえ」
それは、未来にバラムが望む追放メギドのコミュニティが形作られていても、ハルマの横槍でいとも簡単に崩れ去るのと、同じ意味でもあった。
「やっぱりそこが問題か」
バルバトスは嘆息した。
実はバルバトスは、ソロモン王がシバの女王と懇意にする事は問題ないと思っている。だが、それと同時にソロモン王である少年には、人生を楽しんでもらいたいと言う気持ちが、女性に不慣れな少年……ソロモンの回りに妙齢の女性ばかりを集めて冒険する企画を立てる程には、バルバトスには旺盛だった。それでも、ソロモンがシバの女王と付き合うのも、女王以外と付き合うのも、政治的な意味合いを帯びてしまう。無理強いしたくもないが、子供を作っていないのも不安なのだ。そう言う存在に少年はなってしまった。
バルバトスはその事を承知していたので、心中で天を仰いだ。どうのこうのと言っているが、バラムは甘い所のあるメギドである。ソロモンがシバを好きだとはっきりと言うのなら、バラムは嫌みや小言は言っても結婚を本気で反対はしないだろう。
つまり、バラムはソロモンの煮え切らない態度にこそ不服を申し立てているのだ。そんな態度を続けていては、ハルマに付け込まれて相手側に一方的に有利な婚姻を結ばされかねない、最悪、種とメギドを統べる力だけ取られて終わりと言う結末さえあり得る。
バラムの理想に近いコミュニティを統べる王に、そんなことになってもらっては困るぞと。
唸り声を上げるバラムに、アスモデウスが横から声をかけた。
「この場で騒がしくしても仕方がなかろう。キャンキャンと怯え吠え立てる駄犬か? 喚くだけならばソロモン王やハルマに言え」
「なんだと、言うに事欠いて駄犬とはなんだ、この頭乾燥ワカメ女!」
「話は最後まで聞け。……だが、貴様の言葉にも一理ある。ハルマ共より、我々の立てる存在をソロモン王には娶らせたい、後継者もこちらで確保しよう」
女性の姿をした混沌のメギドは、珍しく微笑を見せた。
「それは意見として共有するが、異論はないな」
「……こちらで確保するってのは、ワカメが確保するって意味じゃねえだろうな、だったら俺は反対だぜ」
「そんな疑いを持つとは、駄犬のように怯えるどころか、惰眠と蟻塚を貪る獣のように誇りまで失ったか? 貴様が心配するような事は起こすつもりはない。余りにもソロモン王や貴様らが不甲斐ない姿を見せるなら、当然私が手元に置くが、その時は正面から奪うか、あるいは後継者自身が私の庇護を求めるだろう」
「全然安心できねえじゃねえか、そして誰が誇りを失ったオオアリクイだ!」
バラムとアスモデウスが恒例の言い争いに発展しかけていた時、どん、と酒瓶が乱暴にテーブルに置かれた。
「俺の意見を言うぞ」
酒で濡れた口を手で拭い、大柄な傭兵ブネが喋る。
喧嘩だかじゃれ合いだかを続けながらも、意見は反ハルマでソロモン王にはシバの女王以外と今すぐにでも結婚するか婚前交渉をしてもらいたいと意識が一致した不死者二人から、ソロモンを助ける援軍を求めていたバルバトスは、あてにならなさそうだと予感を抱いてしまった。
「ハルマは敵だ」
機嫌が底を突き破ったような声をブネはしていた。
予感は当たった。バルバトスは再び心のなかで天を仰いだ。
「ハルマにだって話が通じる奴も居るよ」
今まで耳を傾けていた交渉官が口を開いた。軽やかな純メギドの声だ、だが、手ぐすねを引いていた三連撃が待っていた。
「話にならねえな」
「ならば、我々が満足するに足る条約を結んで来い。それも出来ずに軽々しくハルマに与するようならば、今すぐ後悔の本当の意味を知るだろう」
「一度メギドラルに帰るか?」
交渉官ヒュトギンは、低めの発音で次々と叩きつけられた言葉に、全身で諦念の色を浮かべ、バルバトスの方に向いた。バルバトスの援軍として努力してくれる意思が交渉官にはあったらしいが、あっさりと潰えたらしい。
ブネは王都の騎士団を訪ねて出掛けた時は普通だった。だが、帰ってきた後の機嫌はご覧の通りだった。王都のカマエルと一悶着あった後、問題解消の前にアジトに帰らざる終えなかったのだろうとバルバトスは推測していた。つまり、ブネの今の機嫌は、元々存在したハルマへの敵愾心がカマエルとの一件で増幅して居るのであり、ハルマでもソロモンでもないヒュトギンやバルバトスが簡単に解消出来る道理はなかった。
ブネ以外の2人を沈静化させられるかに関しては、もう語らずとも答えは出ているだろう。
口を動かすのが仕事の交渉官も吟遊詩人も、こうなってしまえばお手上げだった。ここから説き伏せるのは、絡み酒を続ける酔っ払いにコップを手離させるのと同等以上に難しい。
道化師は涼しい顔で筆記を続けている。そう言えば、カイムはハルマ嫌いだとバルバトスは何処かで聞いたことがある気がした。口には出さずとも、カイムは元からブネ達寄りの意見なのかもしれない。それでも、何時もならこの混沌とした有り様には皮肉の一つも叩きそうなものだが、本物の混沌の化身……しかも余り機嫌良くは見えない……が居るこの場で、皮肉を言う勇気はカイムに限らず持つ者など存在しないだろうとバルバトスは思った。
つまり、道化師も事態からは一歩引いて澄ましているので、バルバトスの助けにはならない。
バルバトスが、三人が満足するまで相槌を続ける機械になり、何とか実害を起こさないままこの会議の解散を目指す悲壮な覚悟を固めたとき、救いの悪魔がやってきた。
バァン!
「ククク……この俺に全てを委ねるが良い」
会議室の一つしかない扉が勢い良く開く。ヒールの足音を高く慣らし、マントを靡かせ部屋に入ってきたその悪魔は腕を広げ堂々と宣言した。
デカラビアである。
「委ねるって、俺達の会議の内容が分かって言ってんのか? やりました出来ませんでしたじゃ済まないんだぜ」
「ふん。その割に実の無い話し合いに終始して居たようだがなァ」
「うっせ」
「まあ、事の重大さ位は分かっている。その上で言うのだ、俺に任せろ、悪いようにはせん」
嘘はつかないが誤解を招く言葉でヴィータを惑わす事を好むデカラビアを頭から信じるのは、とんでもない事態を引き起こすかもしれない。
バルバトスは、デカラビアの発言の意味を不安に思ったが、最早この魔女帽の転生メギドしか頼れる存在も居ないのである。
それに、デカラビアがソロモンの事を好いているのはバルバトスとて信じていた。その好意にはヴァイガルドの王にソロモンを着けようというソロモンにとってみれば大きなお世話である内容が含まれているが、本物ではあると軍団のメギドなら誰しも認めるだろう。
「……って、言ってっけど、どーするよ」
デカラビアの相手をして居たバラムが、机を囲む会議メンバー達をぐるりと見渡した。ここがチャンスだとばかりに、バルバトスは発言する。
「話ぐらいは聞いてみても良いんじゃないかな」
異論は誰からも出ず、案外すんなりと聞くことになった。
それからしばらくして、取り出した薬瓶を片手で玩びながら、会議室で喋り続けたデカラビアは口を閉じた。
「……例えば、これをフォラスに飲ませれば、妻が居るはずの自宅へ走り出す。量が多ければ脇目も振らず全力疾走だな。ああ? 心配はするな、安全性には配慮してある。危険がある場所ではそれなりの行動をする。脇目も振らずと言うのは、あくまでも喩えだ……ククク」
デカラビアの説明の要約はこうだ。
薬瓶の中の液体を飲んだ者は、恋慕う存在を目指して移動する。飲む量が多ければ、慕う相手の名を呼び、相手に好意を告白し、「そういった」行為をしようとする。
「つまり媚薬か」
「つまり精力剤か」
「つまり自白剤か」
「つまり強力な酒か」
「つまり洗脳毒じゃないか」
話を聞いていたカイム以外のメンバーは、或いは都合よく、或いは不安げに、デカラビアの説明を解釈した結論を口にした。
デカラビアは好き勝手に騒ごうとする者も居るメンバーに一瞥を送り、冷や水を被せるように、氷のように冷たい声を発した。
「どう思うのもおまえ達の勝手だがな、これは感情を作り出す事ができる程便利な物ではないし、ソロモンがイ○ポなら、効果は出ない。だが、それこそがおまえ達の求めて居たものではないか?」
デカラビアの言葉に、真っ先にヒュトギンが反応した。
「デカラビア……もう少し言葉を慎んで」
「ふん。ソロモンに歯痒い思いをして居るのはおまえ達だけでは無いと言う事だ。ソロモンの思う女や好みのヴィータについて探りを入れたり、グロル村での恋愛歴を調査しているアジト内グループも居る。女共は、同性間で協定を結んでいる者も多いが、協定から隠れて、或いは最初から入らず積極的なアプローチを仕掛ける者もいない訳ではない。何より俺が好きな女を斡旋してやると持ち掛けたのに、あの男は歯牙にもかけずに断った。心因性か元からかは知らんが、立たん疑いの一つ二つは出て来る。何が今はそう言うことを考えられないだ、若いヴィータのオスだぞ」
悪びれなく滔々とデカラビアは語った。ヒュトギンは言っても聞きそうにないデカラビアへの指摘を早々に諦め、デカラビアの提案した内容の咀嚼に入ったようだ。
バルバトスはこのデカラビアに直接斡旋を持ち掛けられた挙げ句にその事実をこうして公開されているソロモンへの同情が半分、デカラビアがここまでアジト内部のソロモンを巡る事情を知っている事への驚きが半分で呻いた。
「そう言うこともしてたのか……」
「割りとな」
「キミがそこまで言うって事は、かなり正確な情報……いや、事実なんだな」
顎の下に手をやってヒュトギンが言う。もう盛っても良いじゃないかと交渉官は思案していそうだった。交渉ってなんだろうなとバルバトスは思った。盛るのは交渉ではないはずだが。
「ともあれ……吟遊詩人、交渉官、これでも否を唱えるか?」
「ど……薬を使うかはともかく、これはキミの目指す方向としてかなり望ましいんじゃないかい、バルバトス」
毒って言おうとした。
この「薬」をヒュトギンがどんな風に思っているか、バルバトスは悲しいほどに理解した。バルバトス自身も同じ気持ちだったからだ。だが、ソロモンの意思を出来る限り優先しつつ、後顧の憂いを断っておくならば、これは絶好の機会だった。ど……「薬」の悪魔が齎す救いに飛び付くしかない所まで追い込まれただけの気もしたが、バルバトスは乗り気になった。何より、ソロモンが好きな相手が居なければど……「薬」の効果はあって無いような所だと言うのが特に気に入ったし、ソロモンに思い人が居れば手伝ってやれると言うお節介な気持ちもあった。
「ソロモンの思いを暴いてしまうのは気が進まないけれど」
「王族なんてそんなものだよ。全部他人に知られて管理されるのが普通さ。だからこそ彼らは王族として認められるんだ。ソロモンくんだって俺は王族として扱うよ。その上で、古株のキミ達の意見は尊重するけどね」
「俺だって、吟遊詩人だ。高貴な方に招かれる事はあるからね。噂は耳にするし、そう言った話を直接聞かされたことだってあるから、承知はしているさ。……していた筈なんだけどな。だけど、デカラビア、キミに乗るよ。この辺が潮目なんだろう」
「ククク……最初からそうやって素直になれば良い」
「その言い方はちょっと嫌なんだけど」
「お互いの納得が大事だね。交渉には手順と言うものがあるんだよ」
「何を考えている。別におかしな意味はない」
話が終わって話題が在らぬ場所に大暴投されようとしていた寸前。
デカラビアとバルバトスとヒュトギンの会話が途切れたのを狙っていた、不死者二人が席を立ち上がり、デカラビアの両脇に近づく。
「話は分かったが、おまえの作った物をジャラジャラ王に飲ませて本当に大丈夫か?」
「生ぬるいな」
「……ならば帰る。特に調停者……ここでなにかを仕掛けるか、しくじれば、今度こそ俺を生かしてはおけんと言うのだろう。生憎そんな警告に恐怖を覚える性分ではなくてな。それに、拾った命(チャンス)をこんな騒ぎでむざむざ棄てもせん。だが、俺に権限や自由がない事は承知している。おまえ達が認めんのならば、それまでだ」
言い捨てたデカラビアはくるりと背を向け、扉に向かって足を出す寸前だった。
「待て。生ぬるいとは言ったが、面白い案でもある。やる価値はあるだろう」
「乾燥ワカメ女、それ本気か? ……万が一があったらどうすんだよ」
「私が認めたのだから、成功は保証される。なあ、間違いはないのだろう、デカラビア」
「ククク……効果についてはさっき説明した通りだ。それ以上でもそれ以下でもない。成功するとも限らん。成功とは、ソロモンに性交渉するをさせることだと定義するならばだがな」
「それで問題はない」
「問題しかねーよ!」
ゴトッ、カラン。
空の杯が机の上に乱雑に置かれた音だ。
酒を飲み干したらしい、据わっている目をしたブネが言った。
「アスモデウス。勿体ぶってないで考えがあるなら言いやがれ。いくらなんでもデカラビアの言うことを頭から信じて行動は起こさねえだろ」
「私はそれでも良いのだがな。臆病な貴様らの意見も取り入れよう。つまり、事前に試せば良い。なあ、デカラビア?」
全員の視線がデカラビアに集まった。部屋の中に振り向き直し腕を組んだデカラビアが悪びれる事無く言った。
「まあ良かろう。フォラスに飲ませればはっきりするだろう」
「(躊躇無く巻き込んだな)」
フォラスならど……「薬」を飲ませた所で本気で怒りそうにないと言う点では、的確な選択だ。
バルバトスが思い、ヒュトギンが言う。
「キミってフォラスの事嫌いだったっけ」
いっそキョトンとして、デカラビアはヒュトギンに答えた。
「……いや、どうしてそう思った?」
「だって、飲ませるって言うから」
「一服飲ませるのが、敵意の証ならば、俺はソロモン王の事も嫌っている事になるぞ。……ソロモンの事もフォラスの事も嫌ってはいない、ソロモンに反意は抱いているがな……ククク……」
「キミって……いや、何でもない」
「ククク……さすがの対話派も、俺を説得は出来んと匙を投げたか?」
「概ねそんなところだよ」
「はーいはいはい、……仲良しのお喋りはそこまでにしてだな。」
バラムがヒュトギンとデカラビアの肩を掴み、ぐっと引き寄せた。
「触るな」
「ずっとおまえさん達が話してるからだろ~」
デカラビアの拒否を無視して、馴れ馴れしく二人の肩に手を回し、顔を並べ、バラムは語りかける。
「……毒味をするってなら、妥協しても良いぜ。ただ、一回だけってのは頂けねえ、最低二回。その内一回は、ソロモンに飲ませるものと全く同じものを、薬を作った張本人が飲んでくれるって言うなら、納得出来るんだがな~」
「ふざけるな、調停者。俺はあくまでも……」
バラムの言葉に、デカラビアは反論する寸前のようだった。だが、その反論を打ち切るように、アスモデウスが宣言した。
「それで決まりだな、サッサと次の段階に進めるぞ」
「……ちっ」
アスモデウスに異論を挟む気はなかったのか、デカラビアは顔を歪め、舌打ちをした。
バルバトスはさすがにデカラビアをかわいそうに思った。
「おやおや」
今まで書記に徹していたカイムが、ペンを置いてノートをバタンと閉じ、揶揄するような声を出した。
デカラビアの表情は益々歪んだ。
書類仕事をしていたフォラスがアジトを横断して、ポータルに飛び込んで自宅に帰ったらしいという報告が、会議室にいたバルバトス、ヒュトギン、ブネ、カイムに届いた。
そのほぼ直後、デカラビアを抱えるようにして個室から連れてきたアスモデウスが居る。バラムの出した条件に全員の前で薬を使うのだけは嫌がったデカラビアの最後の抵抗の結果である。一悶着はしたが、デカラビアの希望と公平なくじ引きの結果により、アスモデウスがデカラビアの観察係、バラムがフォラスの観察と追跡、その他は結果待ちの待機と、それぞれの担当は決まって居た。
ついには動かなくなったデカラビアを小脇に抱えて、彼女は堂々と言った。
「媚薬の効果に虚偽は存在しない。私がこの目で確認出来たのは、特別な恋情を抱く相手が存在しなかった場合の効果だがな」
「どんな感じだったんだい?」
一同を代表してヒュトギンが問いかけた。
「少し素直になるだけだ。自らだけでは移動も何もしようとしない。可愛らしいものだったぞ」
アスモデウスが平然と答えると、デカラビアがピクリと動き「言うな……」と弱々しい声を発した。
「バラムからも報告は来ない」
「問題ないって事だね」
チラリと見える耳が真っ赤になっているデカラビアを無視して、ブネとヒュトギンが現状を口に出して整理する。
最早誰にも止められずに、事態……デカラビア風に言えば計画は進んでいく。
「では、これからソロモン王に薬を飲ませるとする。まずは台所に行くぞ、デカラビア」
行くぞと言う割には、アスモデウスはデカラビアを抱えたまま移動しようとする。抱えるのが気に入ったのか、或いは混沌にしかわからない秩序だった理由があるのか。
「ならば次はこの私めの出番ですね」
今まで黙っていたカイムが席を立ち、デカラビアを霊宝枠に入れるようにして扱っていたアスモデウスの背中を追う。
「必要はないが?」
ジロリとアスモデウスは道化に目を向ける。
「邪魔しようと言う訳では無いのです。ですが、貴女が台所に入り、我が君への差し入れを作る罪人を見張り、我が君の部屋まで付き添うのは目立つでしょう。それこそ余計な横入りが存在しかねません。無論、どのような横入りも、退ける自信があっての行いだとは存じ上げておりますが、我が君はとても優秀な御方です。時に、どのように微少な違和感からでも答えを見付ける事でしょう。さすれば、目的は成功はするでしょうが、アジトが騒がしくなるかもしれません。その点、私めであればいつもの事ですので……如何でしょうか?」
「ふむ、私には見張るつもりは無かったが、一考の価値はあると認めてやろう」
「おや、それはそれは申し訳ありません……ですが、見張りを必要と思われないのなら、どうして共に行かれるので?」
「見守ってやろうとしたのだ」
「……なるほど。ところで、我が君の口にするものをデカラビアが作るのであれば、身を清め着替えさせたいのですが」
「良かろう、怯えで鈍重になるのは論外だが、その程度の時間が無い訳ではない」
アスモデウスとカイムは会話しながら去っていく。
バタン。
二人とデカラビアが見えなくなってから、ヒュトギンも席を立った。
「オレも、そろそろ行くかな。じゃあね」
バタン。
「そろそろ、とらしいことを言っていたがありゃあ……」
「根回しだろうね。それともダンタリオンに相談かな」
部屋の中に残ったのはブネとバルバトスだ。二人で机を囲んでいる。
ブネはかなり機嫌が戻ったようで、バルバトスの方に身を乗り出してから言ってきた。
「まあ、陰謀好きが何を考えていようと構わねえんだ。……なあ、ソロモンは誰を選ぶと思う? 俺はレラジェ辺りが怪しいんじゃないかと思うんだが」
中年の酒精混じりの吐息を近くで嗅いだバルバトスは、赤くにやけたブネの顔から距離を取りつつ言った。
「俺は……ニバスなんかは、案外有り得るんじゃ無いかと思ってるよ」
「転生してねえじゃねえか」
「でも、普通に仲が良いだろう?」
「待て待て、それが有りなら、ヴェルドレはどうだ。ありゃ、若ければクラっと来るんじゃねえか?」
「……いやそこまではどうかな」
「なんだ、不服か?」
「俺がニバスの名を上げたのは、あくまでソロモンが好んでいそうだからであって……セックスアピールの強さを言い出すなら、シトリー」
「分かった。一旦話を戻すぞ。で、他には誰だ?」
ソロモンの結婚を楽しみにしているお節介な仲人おじさんと化したブネの話に、バルバトスは付き合う覚悟をした。この話題なら当初よりは相当に気が楽である事だし。
「バティンや、ウェパル、オリエンスなんかは、双方に気にしている様子があるようにも思えたけれどね。相手からの思いの強さだと、ティアマト、アスタロトなんかも印象に残るな」
「他の二人とティアマト達は俺には良く分からねえが……ウェパル、ウェパルなあ……」
「はは、まあ、答えはもうすぐ出るんだ。気にしなくても……」
「何を言ってやがる、答えが出る前が面白いんだろうが。バルバトス、誰に賭ける? 負けた方はソロモンの結婚の前祝いの資金持ちだ」
「ああ、そう言う事なのか……シバの女王って言うのは?」
「それだけは却下に決まってんだろ」
「だよな、じゃあ……」
わいわいと、年頃の甥や弟の相手を話題にしたような雰囲気で、中年と実際年齢老人の会話は続いていった。
「しっかりとお勤めしてくるんですよ。くれぐれも我が君に失礼の無いように」
ソロモンの部屋の前で、カイムがデカラビアと向き合い声を掛ける。デカラビアはいつものマントや帽子、分厚い手袋は取り外して、シンプルな青いズボンと白い長袖のシャツに着替えていた。髪は後頭部で一纏めに括り三角巾を被ってエプロンを付け、銀色のトレイに刺激的な芳香のブレンドコーヒーカップと甘ったるい匂いを放つミルクたっぷりのラテのカップを乗せ、捧げ持っている。
ソロモンの部屋の扉はすでに開いており、中から部屋の主がデカラビア達の様子を少しそわそわしながら伺っていた。
「ほう? そこまで念を押す程心配であれば、付いて来ればよかろう。そこで俺が何をしようとも、おまえがソロモンの盾になればいい。それとも、恩着せがましい程の王への献身は口だけか?」
「おや、普段は鬱陶しげに付いてくるなと言っておりましたのに、いざ一人にされそうになると、その様な訴えを始めるとは。もしや、心細いのですか? 飲料を運ぶ程度の事も付き添わなければ出来ないとは、まるで子供……いえ、子供でもままごとで盆を運ぶ位は出来ますから子供に失礼でした。訂正致します。赤子のようですな」
「誰が子供や赤子だ。その程度出来るに決まっているだろう」
二人の会話を聞いていたソロモンは、困った顔をして口を開こうか迷っていた。この二人の言い合いは何時もの事と言えば何時もの事だったが、何時もと違いソロモンの部屋の前であったから、気にもなった。デカラビアとカイムはそんなソロモンの様子を見て取り、いち早く反応したのはカイムだった。カイムはお喋りはお仕舞いとばかりに、両手をパンパンと叩いた。
「我が君をこれ以上お待たせしてはなりません。飲み物が冷めますよ」
「ぬるめの茶でも良いだろう」
「そう言う事を言っているのではありません、それに、それはただの貴方の好みではないですか。熱い飲物は熱いまま届ける方が善いと、貴方でも知っているでしょう。それとも、その程度の常識さえ捨ててきたのですか?」
「珍しく直截的な物言いをするものだな、カイム」
デカラビアは面白そうに言って、数度瞬きをする。
「罪人が王に近づくのがそれ程我慢がならんか、渡すのはただの水と変わらんような物だぞ。ククク……無害だとも、つまらん程にな。まあ、貴重な物を聞けた礼に、素直に扉の先に消えてやらんでもない」
「分かっていますよ。行ってらっしゃい」
カイムはソロモンの部屋に向かうデカラビアの背を押してやった、それは手伝うと言うよりも押し入れるような動作で、デカラビアはコーヒーやラテをこぼしたらどうすると少し不満そうに言っていた。だが、カイムが扉を閉めてやるとデカラビアは愚痴を止めた。その後は静かになる。
ソロモンの部屋の外には小さな椅子と机がある。使われることはそう多くはないが、ソロモンの部屋の見張りに立つものが自由にして良い品だった。
カイムはやれやれと、我が君の部屋の外、扉の横に置いてある椅子に座り、懐から小さな本と耳栓を取り出す。
ぼそぼそと、ソロモンの部屋から、二人分の喋り声が聞こえる。聞こえるだけで内容までは分からないが、少なくとも険悪な調子では無さそうだった。
肘掛けがわりに傍らの机に体重を預け、本を開き目を落とす。片手で本を支え、もう片手で耳栓を弄ぶ。そのままリラックスして、本を読み進めようとした時──ガタンっっ
ソロモンの部屋の中から大きな音がした。
「もうですか、思ってたよりも、随分と早い」
悠然とソロモンの部屋の方に顔だけ動かして、カイムは一人言を呟く。
今大混乱が起きているはずの室内に居る片割れ、デカラビアは差し入れ用のど……「薬」と飲み物を用意しながら言っていた。
「量は調節する。飲むのがあの男なら……精々、アジトの中を移動して、好きな女に告白する程度にな。抱いている感情の強さにも左右されるが、一番遠い部屋の女を好むのならば告白まで辿り着かず扉の前で正気に戻るだろうよ。王城に向かい始めたならば、俺は知らん。何処にも向かわなかった場合も知らんぞ。アジトの女に告白して振られた場合は……後に手伝ってやらんでもない。……ほぼ有り得ん事だろうがな」
カイムの我が君は、デカラビアの事を気に入っている。カイムはその事を知って居た。カイムの我が君であるところの少年は、デカラビアを殺したくなかった。仲間だから当然だ。少年はドが付く程のお人好しで優しいから、その感情は当然だろう。だが。
程度の差はあれ、人は感情と行動を切り離す。
少年は善人だが、他人を切り捨てたり、被害を無視したり、救うのを諦める事はあった。その相手は悪人であった。少年と交流が無かった。救いを望んで居なかった。その様な理由のある相手達ではあった。
善人であっても、他人を救ってばかりではないのだ。救う対象を選ぶ事もある。
殆ど仲間と交流が無かったとされるデカラビア。ソロモンだって、その例外では無い。ちょくちょくと、お互いに構ってはいたが、ソロモンの周囲には仲間がいつも沢山いて、デカラビアはそれに好んでは近づかない。
ソロモンにとって、デカラビアはアジトの中では遠い仲間だったはずだ。
デカラビアの部下は、ソロモン達に何度も敵対し、度を越えた被害を与えようとする事も屡々であった。一歩間違えば甚大な被害が出ていた事件も複数だった。そして、甚大な被害だけはソロモン達が防いできたが、彼らが悪事をしなければ、結果が変わっていた事件だってあったかもしれない。救われるべきで救われた存在も居るかもしれない。
デカラビアは王都を混乱に落とした。死人だけは出さなかったものの、それは結果が良かっただけだ。仮にうまく行っていても、世界は危機に陥っていた。それに、怪我人なら出ているのだ。軽く見過ごせる事でもない。死刑になって当然だと言えたし、本人も全部を背負っての死を望んでいた。
デカラビアは仲間だったが、善人である少年であっても見捨てる条件が揃っていた程度には悪人だった。
カイムの我が君の部屋から、ちょっと待て、おまえ正気か、寄るな、考え直せ、等と、とても主君に言って許されるものでは無い台詞が混じった罪人の必死の声と、ドタバタと動く音が聞こえる。
ついでに、我が君の部屋へ足音が一人分やって来るのも聞こえる。足音の方にカイムは目を向けた。
「こんにちは、原稿の進歩は如何ですか、小説家様」
「こんにちは、進歩ダメです。だから、ネタを探しに来たのよ、……っと、凄い音が聞こえるみたいだけど、どうしたの、無視していいの?」
やって来ていたのは背中に羽を生やした女性の姿のメギド、フルーレティだ。
「ただ止めても納得なさらないでしょう。部屋の中を伺っていいですよ。ですが、どうかご内密に。口外は決してなさらないとお約束下さい」
「貴方は様子を見なくていいの? 見張りなんでしょう」
フルーレティの不思議そうな声にカイムは応じた。
「小説家様が見て下さるのなら、それが見張りになるでしょう。それとも、目になさらないので? 無論、気が進まないものを無理矢理に勧めているつもりはありませんが」
旗色の悪さを感じ取ったのか、フルーレティは慌ててソロモンの部屋の扉に張り付いた。
「あ、ごめん、見るわ、見る」
「それはよう御座いました」
扉を少しだけ開けて中を覗くフルーレティが、わぁ、そんな、ええっ、など、とても小説家とは思えない語彙力の驚きの言葉を発している横で、カイムは耳栓を自分の耳に近づけて行く。
ソロモンはデカラビアの事を多く理解していた。
それを、ソロモンの理解力が高いからだと片付けるのは短絡的だった。理解力が高い者など、軍団には数居るのだ。その中には、デカラビアとの会話の機会が比較的多かった者も居るだろう。
なのに、ソロモンだけが深く理解していたのは何故か。
これ本当に見てていいの? と、問いかけてくる小説家様に、カイムはゆっくりと頷きを返した。
視界に捉え続ければ理解は深まる。
視界に捉えようと目で追い続けるなど、強い感情が無ければ中々有り得ないことだ。
簡単過ぎる謎解きだった。
フルーレティは完璧な覗き魔になっている。部屋の中は順調そうだった。
罪人が発する普段だったらとても聞き捨てならないような我が君への罵声が、カイムの耳の鼓膜に届いたが、カイムは寛大な心で許してやった。つまりは無視を決め、耳栓を自分の耳に嵌めた。
罪人の薬の説明の中には、薬の効果を発揮する際に、飲まされた者の思い人が異性である必要性は一切説明されてなかった。カイムはその事について嫌味の一つや二つ言いたくもなったが止めていた。理解した罪人に逃げられても困って居たからだ。
カイムの世界は無音になった。本の頁を捲る。
アルスノヴァ血統とやらが、血ではなく魂でも伝播するものなら、血の繋がった後継者など、極論必要ないのだ。
カイムは力だけでソロモンを主君だと仰いでいるのではない。だが、ソロモンを悩ませるような事柄は少ない方がいい。ソロモン王の後継者は作れる方が有り難いのであった。
アルスノヴァ血統が好きになった相手がアルスノヴァ血統なら、その二人が好き合えば、魂の伝播とやらも起きやすくなるだろう。血が繋がってなくても、家族や親子関係は、魂の触れ合いを推進する。
滅多に見ないお人好しと、悪人でも案外に情が深くなりがちな者が同じ家庭を構成すれば尚更である。
一目惚れなのか、アルスノヴァ血統とやらの共感力なのか、はたまたカイムが想像も付かぬ理由があるのか。
ソロモンがデカラビアを好む理由は分からないが。
目立った付き合いの無い相手を、分が悪くて理が無くとも、必死に救命しようとし相手の考えを理解し尽くすなど、その対象への無条件の強い興味と好意が有るとの宣言のようなものだ。
罪人が自身の毒を飲まされた時の態度を伺うに、あの罪人は恋愛感情など抱いた事はなさそうだが、王侯貴族は愛がなくとも婚姻や愛人関係を結ぶなど普通の事だ。
それに罪人の方だって、他のヴィータよりカイムの我が君を好いているのは明らかなのだから、問題はないだろう。
「寧ろ光栄に思いなさい」
次にソロモンの部屋の扉が、中から大きく開くまで、カイムは本を読み続けた。
終。
毒から出た真、登場人物達。その後エピソード。
デカラビア
体中が痛い上に、フォラスの仕事を代理で数日間行うハードスケジュールを遂行したので精根尽き果てた。
それが終わった後は、暇な時には離してくれないようになったソロモンに驚きながらも満更でも無さそう。
ソロモン
ど……「薬」は盛られたが、現状に不満は無い。ただ、薬を使って他人を操らないで欲しいと言っても聞いてくれそうにないデカラビアと、歯止めが効かなさそうになっている自分には困っている。
アスモデウス
ど……「薬」について生ぬるいと意見はしたが、結果には満足そうだ。
どの辺が生ぬるかったのかを表だって聞いた者はいない。
もしサラに子供が産まれたら、ソロモンとデカラビアに育てさせられないか思案した。ソロモンの事は思っていたよりいい趣味だと評した。
バラム
今回の計画の結果を聞いたときは動きがフリーズした後、あの乾燥ワカメ全部知ってやがったなと絶叫していたが、ソロモンとサシで話し合った結果、全てを吹っ切ったらしい。男友達の彼氏なんて、長い不死者生でも無遭遇なので、デカラビアとの関係は模索中である。ソロモンの事を思っていたよりずっと趣味が悪いと評した。
バルバトス
予想していた方向性とは違うがとんでもないことになってしまった苦労人。ソロモンがデカラビアに告白したと聞いて、自慢の顔が他人に見せられない位崩れた。すぐに立て直したが、眉間の皺が深くなっている。完全に割り切るにはもう少し時間が必要そうだ。
ヒュトギン
ハルマにどう説明すればいいのか悩んでいる。率直に言って胃に穴が開きそうだ。シバの女王と子だけでも持たないかソロモンに交渉しようとしたが、断られ続けている。
デカラビアが対話派に勧誘されていたかもしれないと言う話を、今回の計画の最中に思い出した。勧誘出来ていれば交渉できていたかもしれないと言う捕らぬ狸の皮算用にも苦しんでいる。
カイム
道化よりも道化ですね、あの罪人は。と言うコメントを述べた。アスモデウスの考えを察知し、ペルペトゥムの王子/王女に相応しい子供が居たらソロモンの養子にできないかを伝手を頼りに探してみたが、やっぱり見つからず、長期計画を練るか直ぐさま我が君に思うところを伝えてみるかを思案中。
ブネ
若い者の考えは分からん俺も年かと言いながら、酒場で酒を飲んでいるのが見つかった。嫁をもらった後のソロモンに、俺のようにはなるなよと酒を飲みながら話すつもりがあったのが霧散した。
フォラス
妻のセレナと久しぶりにとても仲良くできたらしい。
恥ずかしい思いもしたが、セレナの機嫌が良いし、休みも取れたので、デカラビアの事を怒れないでいる。
プルソン
アジトの見張りを積極的に引き受け、今日も頑張っている。
フォラスさん、あんなに叫んで走って特訓ですか!? 偉いな、俺も見習わないと!
デカラビアとソロモンが最近とても仲が良くなったと思っている。真実を知らされるのは結構後になる。
フルーレティ
血統が絶たれる寸前だった貴族の家が、遠い血を引く親戚の男子を養子にした。だが、ただの村人として暮らしていた貴族の隠し子の存在が発覚して本家に引き取られ嫡男になってしまう事になる。そして、同じ屋敷で暮らすことになった二人の男子の新作を出してヒットを飛ばしてしまう。