Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    natukimai

    @natukimai

    @natukimai

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 23

    natukimai

    ☆quiet follow

    「あの人間さえいなければ」大魔王バーンとの戦いの直後闇のモンスターに狙われ眠りにつくアバン。それはアバンの記憶を介し、子供の頃の彼を抹殺する為だった。
    2/11開催のWEBオンリー「あばざんまいV」内のぷちオンリー「ちびあばざんまい」用の作品です。ほんのりとヒュン→アバンです。

    #ヒュンアバ
    hyunAba
    #あばざんまいV
    abazanmaiV
    #ちびあばざんまい

    【ヒュンアバ】日影から木洩れ日へのロマンス 大魔王を倒した! 世界は破滅から救われたのだ!
     人々の笑顔が輝き、世界を救うために戦った者達への拍手が鳴りやまない中、影でごそり、と動くモノがあった。
    ――勇者さえいなければ……いや、もっと以前に、あの者さえいなければ、世界は魔族ものとなり、我も栄耀栄華にあずかれるものを。そう、あの者さえいなければ。
     それは余りにも小さく、悪の気配もほぼ感じ取れない程だったために誰も気配に気づくことが出来なかったが、最悪なことに魔法の知識だけは誰よりも長けていた。だからこそ、思いついたのだ、この面白くもない状況を一変させる作戦を。
     影は小さな勇者を失ったことで打ちひしがれている人々の影と影とを渡り歩き、狙いの者へと近づくと細い針となって憎い人間を――アバンを討ち貫いた。
    「先生!」
    「アバン先生!?」
     最初にその悪意に気が付いたのはポップだった。すぐさま倒れたアバンへと駆け寄り、彼の中へと沈み込んでいく影を捕えようとしたが、あと一歩のところで逃がしてしまう。
    「くそっ!」
    「ポップ、先生は」
     満身創痍ながらも駆けつけたヒュンケルにポップは絶望的な視線を一瞬だけ向け、「いいや、まだだ」と己を奮い立たせると、丹念に思考の糸をアバンの体へと絡ませた。
     付け焼刃的に賢者となった自分に、上手くいくかは分からなかったが、何もしないよりはマシだと集中すれば、頭の中に一つの絵が浮かび上がる。
    「生きて、いる。先生は生きているよ!」
     二人に遅れて追いついた者の間から歓声が上がり、レオナからどういうことなのかと説明を求められる。
    「多分、先生の中に入り込んだ奴は人一人を殺す程の力はないんだ。だから、奴は先生の過去の世界へと入り込んで、無力な時代の先生を殺そうとしている」
    「状況は芳しくない、という訳ね」
    「しかし、話は簡単だ。奴が張った糸を手繰って誰かが先生の過去へと飛び、奴を仕留めればいい。姫さん!」
     言うや否やレオナは腰に付けていた袋からシルバーフェザーを取り出し、ポップの腕へと刺す。途端、光が放たれてポップの魔法力が全快した。
    「問題は誰が行くかだ。おれは現世界と過去の世界の橋渡しをする媒介となるだけで、先生を救う事は出来ねぇ」
    「その役、オレがやろう」
     ポップの話にヒュンケルが一歩、前へと出る。
    「それとも、こんな状態のオレでは無理か?」
     確かに誰かに支えられない程にヒュンケルは傷付いていたが、誰よりもアバンを助けたいと言う意思を示していた。珍しく不安げな兄弟子の言葉に、にやり、とポップは笑みを作る。
    「実際の肉体は関係ねーんだ。向うは向うで仮の肉体が出来るからな。実はあの敵をやっつけるのは、オメーが一番適任だとは思っていたんだよ」
    「それは、どういう」
    「ちらりと見た感じ、奴は肉体をもたねぇ、悪意の塊みてぇな奴だった。そんな敵、倒すにはどうした方がいい?」
    「……光の技、虚空閃か」
    「その通り、分かったらさっさと行って、先生を助けてくれよな」
     言うとポップの両腕には光の糸が幾筋も纏わりつき、その一筋がヒュンケルへと伸びて、その体を繭のように絡めとっていく。
    「あ、言っとくけど、アバン先生の過去を変えるようなことをしてくるなよ。でねーと、時間の渦が大きくうねって、オメーとこの世界を繋ぐ糸が切れるからな」
    「具体的には?」
    「自分の正体を明かす、とか、これからの出来事を話すとか。後は致命的な印、怪我とかさせるとか。後、なるべく過去の人間とは交流をするな。何処で綻びが出るか分からないからな」
    「注文が多いな」
    「ウルセーこれでも十分条件を絞っているんだよ!」
     光の糸は幾重にもヒュンケルを取り巻き、やがて視界が光りで覆われた瞬間、膝から力が抜けていくのを感じた。
    ――頼むぜ、ヒュンケル。どうか、先生を……。
     意識を失う一瞬、苦しいような引き絞られた弟弟子の声を聞きつつ、ヒュンケルは光の波へと飲み込まれた。
     次に目を開けた時に視界に飛び込んできたのは、緑あふれる木々、枝葉の間から零れる光の波動。
     ぱちぱちと何度か瞬きし、己の腕へと視線を向ければ、どうやら力なく大地へと放り出されている場面へと出くわす。これが仮の肉体かと不思議な気分のままに手の平を閉じたり開いたりすれば、感じていた肉体の痛みはなくなっている。
     重い手足を叱咤して起き上がると、眼下には旅人の服装を身にまとった肉体があり、これはポップの力によるものなのか、それとも時空を超えた際に起こる約束事なのかと首を捻りつつ起き上がると、頭上にあった崖の上から声が響いて思わず身構えてしまった。
    「わー!」
     崖の上から飛び込んできた影に思わず手を差し伸べて受け取れば、それは幼い子供だった。
    「ふ、うわ! びっくりしました」
     青みがかった銀の髪は肩の上でくるん、と一つに巻き、蜂蜜色の瞳で不思議そうにヒュンケルを見上げた。
    「ガケの下に人がいたのですね。驚かせてしまい、ごめんなさい」
     ヒュンケルには、この子供がアバンで間違いないと言う直感があった。身の内に奇妙な感動が湧き上がる。この世で一番大切だと言っても過言ではない人、己の命とを引き替えにしてでも守りたいと思っていた人。そんな人の子供の頃の姿を目にするという奇跡を体験しているのだ。
    「あの、その……そろそろ下ろしてもらえませんか?」
     ずっと抱きしめていた為、居心地の悪い思いがしたのだろう、少し遠慮がちに言う子供にヒュンケルはすまんと短く言いながら小さな肉体を地面へと降ろすと、途端に周囲にスライムの集団が崖の上から降って来た。
     スライムとは言えどモンスターだ。戦闘力を持たない子供には手痛い敵だろうと、積もの癖でヒュンケルは腰に手をやるが、武器はない。
    (スライム程度、素手で十分)
     呟いてこぶしを構えると、スライムと自分との間を割って入るようにして、子供が精一杯に腕を伸ばして立ち塞がった。
    「この子たちは悪いスライムではありません!」
    「そ、そうなのか」
    「はい。この子たちは決して人間を襲いません。花とクッキーが大好きな優しい生き物です!」
     スライムたちは大きな目を見開くと子供の背後へと回って、ふるふると震えてヒュンケルを見上げた。その姿はあどけない子供の様で、とても人を襲うようなモンスターには見えない。ヒュンケルは分かったと言うと構えを解いた。
    「信じて、くれるのですか?」
    「信じるも何も……いや、疑う要素など何一つない。だから、オレは戦いの構えを解いた」
     その瞬間、子供の顔がぱあっと明るくなり、ヒュンケルの手を掴むと上下にぶんぶんと振り回した。
    「わたしの話を信じてくれてありがとうございます! わたしの名はアバン・デ・ジニュアールと言います。あなたは?」
     やはり、と思いつつ、ヒュンケルは自分の名を口にしようとしてポップの言葉を思い出す。
    (ポップは自分の正体を明かすなと言った。このまま自分の名を告げる事は大丈夫なのだろうか? 今、アバンが何歳なのか分からないが、これから十数年後にこの子は幼い頃の自分と出会う。その時、名乗った名前が同じことに疑問を抱いたら?)
     いや、そこまで複雑に考えない方がいいだろうと思いつつ、ここで本当の名を告げたことで未来に支障が起こるのではないかという疑念に囚われてしまう。
     どうしたものか、と頭を捻っていると、眼下に不安そうな子供の姿があって、どうせ一時の間だけだと無難な名前を探る。
    「…………ザムザ」
     魔王軍の集まりに、あのザボエラの息子ということで父親と一緒に参加していた魔族を思い出す。理知の光を湛えた瞳を持っていたが覇気がなく、いつも父親の影に隠れるようにして立っていた男だ。彼ならばアバンとの関わりはない。多分、大丈夫だろうと判断してのことだった。
    「ザムザさんは旅の人ですか?」
    「そうだ」
    「今はどこを目指して旅しているのです?」
     それは貴方を守る為。と言い掛けて口を噤み、ぼそぼそと当てのない旅ですと言い直した。
    「それはいいですねぇ。自由キママに旅をするって憧れます」
    「貴方だって自由に旅をしていたじゃないですか」
    「えっ?」
    「いいや、その……旅はいつだって出来る。キミは幼いから旅立てないだけで、いずれは――大人になれば旅立つことが出来る」
    「そう、だといいんですが」
     少しだけ翳る笑みに胸の辺りがざわめき、ヒュンケルは何があるのかと聞こうとしたが、その前にアバンのまろい顔が持ち上がり、今日の旅の行く先を訪ねてきた。
    「この森を抜けてカール王国のしゅとへと行くのですか?」
    「あ、いや……その前に、キミは何故、崖の上から落ちてきた?」
    「あ、いや、それは……」
     もし、それがアバンの肉体へと入り込んだモンスターの仕業なら、すぐさま探し出して倒さなければならない。今なら近くに潜んでいるだろう。
    「そ、その……ガケの下からぱああって光が立ち上がるのが見えて」
    「光り、が?」
    「ええ、ザムザさんなら見ていませんか? 光の正体に! わたし、それが知りたくて背丈の低い木を飛び越えようとしたのですが」
    「飛び越えすぎて落ちてきた、という訳か」
     どうやら敵の攻撃ではないと悟ると、では、いつ仕掛けてくるのだろうと懸念する。敵はいつ、どんな時を狙ってアバンに襲い掛かるのか? しかし、当のアバンはヒュンケルの心配事など意に介さないように、「おはずかしい」と言って頬を両手で包んで真っ赤になってしまったが、その愛くるしさに胸の中がもやもやとしてしまう。
     こんな府抜けた気持ちではアバンを守ることは出来ないと、俯いてしまった子供の頭をぽんぽんと叩き、見上げてくる瞳に気にするなというように笑みを送ると、嬉しそうな笑みを浮かべ、慰めの為に肩にまで昇って来たスライムに手をやり、アバンはありがとうと呟いた。
    「そうだ、助けてくれたお礼に、わたしの屋敷でお茶とお菓子を食べませんか? 執事のドリファンの焼くケーキはとても美味しいですよ」
     旅のお話が聞きたいですと真っ直ぐ伝えるアバンに、かなう者など何者もないだろうと痛感した。


     森の木々が途切れた先、海の見える場所にアバンの生家である城があった。ヒュンケルが子供の時に一度、訪れたことのある場所はあの頃のままに、貴族の城というにはこじんまりとした佇まいでそこにあった。
     さて、真っ直ぐに城に入るだろうと思っていたアバンだが、何処か躊躇した様子で玄関の扉の前へと立つと、遠慮がちにノックすると、中から現れたのは白い髭で覆われ、杖を突いた老人だった。
    「早かったな、アバン」
    「あーあの、その」
     そして、明らかに剣呑な目で背後にいるヒュンケルを見定めると、この者は何か、と問い掛けてくる。
    「この方は旅の方でザムザ様という。おじいさま、この方がガケから落ちてしまったわたしを助けていただいたのです」
    「アバン」
     容赦ない言葉の圧力に、アバンの肩が震えた。
    「何度言ったら分かるのだ。森は危険なのだ、奥へと入りこむでない」
    「おじいさま!」
     いつの間にかアバンを取り囲んでいたスライムの姿もなく、アバンは困り果てた様子で「おじいさま」と呼ぶ人物を見上げた。
    「森に危険なんてありません。ちゃんとしたチシキを身に付け、ものの道理をみきわめれば」
    「崖から落ちそうになったのに、か?」
     痛い所を突かれたのか、しおしおと肩が下がっていくのが分かって、ヒュンケルは何とか助け舟が出せないが頭を巡らせるが、その前にアバンの祖父の強い視線に一瞬だけ気が引ける。
    「旅の者」
     白髪白髭の老人は深い溜息を吐くと、孫を助けてくれた礼を言い、しかし、早々にこの森から出て行くことを告げると、片足を引きずりながら城の奥へと姿を消してしまった。
    「すみません。おじいさまは少し、人ぎらいの気がありまして」
    「そうか」
    「なんでも昔に沢山の人にうらぎられたと言いまして」
     アバンの祖父に付いてはヒュンケルも詳しい事は知らない。ただ、階段の壁に掛けれた大きな絵を祖父だと教えてくれただけに留まるのみだった。
    「気を悪くされましたか?」
    「いいや。祖父殿は余程、アバン先……アバンが大事なのだろう」
     そうして、己の掌を不安そうに見上げている子へと乗せ、柔らかい触感のそれをぐりぐりと掻き回す。いつか、アバンが自分にしてくれたように。
    「大事だから、森の奥へ入って怪我をしないか心配だし、身元の知れない人間を連れてきたことが不安なんだろう」
    「……はい」
     そう言ってアバンは頬を微かに染める。
    「おじいさまのこと、大好きなのですが、時々、かんちがいされる方もいて……そう言って頂いたのドリファン以外初めてで……ありがとございます」
    「扉の前での立ち話はお済ですかな、ぼっちゃま」
    「ドリファン!」
     アバンの視線の先を見やれば、そこには自分の幼い頃の記憶よりも若いドリファンの姿があった。
    「わたしのお客様でザムザ様と言います。わたしの命をたすけてくれたんですよ」
    「これはこれは。私の大事なぼっちゃまの命を助けてくれたとは。大事にもてなさなければ」
    「いや、オレは単に崖から降って来たアバンを受け止めただけで」
    「だけど、そのおかげで怪我を一切、しなかった」
    「そうですぞ、ザムザさま。この世にひとつしかないアバンさまという宝を守った功績は偉大なのです。私からも十分にお礼させていただきたい」
    「それでね、ドリファン。わたしの部屋にケーキを二人分、持ってきてください」
    「はい。丁度オレンジピールのケーキが焼き上がったところでございますよ。とっておきの紅茶と一緒にお出ししましょうね」
     執事の言葉に両手を上げて素直に喜ぶアバンに、子供の頃には見られなかった一面を見て、やはり胸が騒ぐのを自覚してしまい、同時に自分が何故、ここにいるのかという使命を忘れそうで溜息が出そうになる。
    (オレはアバンを助けるためにここにいるのだ。ゆめゆめ忘れるな)
     そんな心の葛藤など知らずに、幼いアバンはヒュンケルの手を引き、自分の部屋へと案内する。そこは壁一面本で埋まった部屋であり、他にも世界地図や神話を模した絵画が飾られている部屋だった。部屋の奥には窓があり、その向こうには青い海が見えた。
     幼い頃にこの城を訪れた時、ヒュンケルはアバンの部屋は目にしていなかったので、これが初お目見えとなるのだが、いかにも学者然とした佇まいなのに、部屋のそこここに飾られた壺には剣や槍などの武器が入れられており、将来、この子供が武芸百般を極めるだろう予感が漂っていた。
    「こちらへ」
     そう言って海がよく見えるテーブルへと案内され、示された席へと座ると向かい側に席に、よいっしょっと登るアバンが見えて微笑ましかった。いつの間にか戻って来たスライムたちが周囲を跳ねまわる中、時を移さず執事がお茶の用意をして部屋の中へと入って来た。どうやらスライム達と執事は顔馴染みのようで、「君たちはこちらですよ」と用意されたクッキーの皿を床へと置くと、わらわらと嬉しそうにスライムたちがクッキーを頬張り始めた。
    「さ、私の自信作。オレンジピールのケーキでございますよ」
     テーブルに出されたのはふっくらと焼き上がった生地からオレンジの断片が見えるケーキで、甘くも爽やかな香りが鼻孔をくすぐり、これは美味そうだと顔を上げて見ると何処か自慢げなアバンの顔と目が合って思わず笑いがこぼれた。
    「余程、自信があるのだな」
    「もちろんです! ドリファンの作ったケーキは世界一なのですから」
     アバンは満面の笑みのまま、ケーキをフォークで切り分けると、一口にしては大きい一切れを口へと運んで、一息に放り込んでしまう。リスのようにぷっくりと膨らん頬のままに食べるように促し、その愛らしい姿を微笑ましいものと受け取りながらヒュンケルも一口食べると、子供の頃にアバンが作ってくれたケーキと同じ味がする。
    (なるほど、アバンのケーキ作りはドリファン譲りという事か)
     ますます、この幼子とアバンの類似点を見出してほくそ笑むと、先にケーキを食べ終えたアバンがテーブルから身を乗り出すようにしてヒュンケルへと問い掛ける。
    「ザムザさんはどんな処を旅してきたのですか?」
    「まあ、色々だな」
     世界どころか、魔界まで知っていると言ったら、この子はどんな顔をするだろうかと思いながらヒュンケルは紅茶を口にすると、アバンの好奇心ははち切れんばかりに膨れ上がったようで、矢継ぎ早に質問をする。
    「北の雪と氷の国、オーザムは!?」
    「行ったな」
    「氷で家を作ると物の本に書いてありましたが」
    「本当だ。オーザムは木々が育つような環境ではないからな。だが、少々誇張された感はあるな。かの国は永住を決めた者は石造りで家を作る。氷で家を作るのは出稼ぎの者だな」
    「出稼ぎ?」
    「オーザムは貴重な鉱石や宝石が産出される国なんだ。一攫千金を夢見る者は若い内はオーザムで働き、ひと財産を作ると生まれ故郷へと帰るから定住する者は稀だ」
    「そうなんですね。他にどんな国に行きましたか?」
     何か興味を引くことで目を輝かせるところは、大人のアバント変わらないな、と思いつつ、ヒュンケルは応える代わりに、最近、変わったことはないかと問う。
    「かわったこと、ですか?」
    「ああ、どんな些細なことでもいい。この森では見かけないようなモンスターを目にしたとか、モンスターの動きが活発化したとか」
    「そんなことはありませんが……どうして気になるのです?」
     真っ直ぐに斬りこまれて、思わず口ごもるヒュンケルだが、黙ったままではマズいと感じ、モンスターの研究をしているのだと話す。
    「気ままな旅、ではないのですか?」
    「いや、その……モンスターを研究するには系統を分けると思うのだが」
    「そうですね、竜系やら虫系やら」
    「オレはそんな部類にこだわることなく、気ままに当てどなく旅するわけで」
    「つまりは、イキアタリバッタリ、ですね」
    「そ、そうだ」
     咄嗟の言い訳にしては弱いと思いつつ、少々バツの悪い思いを抱えつつアバンを見れば、子供は感心したように何度もうなずいている。
    「なるほど、そういうのもアリですね」
    「そ、そうだろう? この森も独自の生態系のモンスターを目にしていると聞くが」
    「そんなことはありませんよ。普通の森です。モンスターの研究なら『魔の森』と呼ばれているロモスの南西へといってみては?」
    「そこは研究済みだ」
    「そうですかぁ」
     カップを手に足をぶらぶらとさせているアバンに、胸がつまるような感情を覚えながらヒュンケルは頭の中で考えていた言葉を告げる。
    「しばらく、オレをここに置いてはもらえないだろうか? その、この森のモンスターをよく知りたいのだ」
     ヒュンケルの言葉を受けて、アバンの大きな瞳が余計に大きくなるのも無理はないだろう。先程の祖父の態度、言葉を聞く限りヒュンケルは招かれざる客だ。早くここを出るようにと威圧してくる老人の声には頑固たる信念が含まれていた。
     ヒュンケルとて受け入れられないのなら森の中を野宿しても構わない。アバンとの修行の旅の中では宿よりも圧倒的に野宿が多かったのだから。しかし、アバンと離れて寝起きした場合、城の中で襲われた時に駆け付ける事が出来るかと問われれば答えは否だろう。
     ここは頭を地に付けてでも当主に城の滞在を許してもらうしかないと腹を括ると、目の前の子供はこくりと紅茶を飲み干すと椅子から飛び降るとドアへと向かい、直前でくるりと振り返った。
    「じゃあ、おじいさまに頼んでくるね」
    「それならオレも一緒に」
    「だーめ。おじいさま、よそものが入って来たことでピリピリしているから、よけいにこじれちゃうよ」
    「では」
    「まずはわたしが話をしてくるから、待ってて。大丈夫、おじいさまは本当は優しいんだから」
     それは孫に対してのみではないだろうか? 口から出そうになった言葉を飲み込み、ここはこの幼いアバンに頼るしかないと自分に言い聞かせ、待つしかなかった。
     ころころと転がったり跳ねたりするスライムを従えたまま、幼いアバンは部屋を出て行った。そうしてどれくらい時間が過ぎただろう。水平線の向こうに太陽が姿をほぼ隠し、西からの紺青色の夜の色が空を染め抜いて一番星がまたたき始めた頃、ようやくアバンは帰って来た。嬉しそうに親指を立てた満面の笑顔でだ。
     頑固そうな老人に見えたが、やはり孫は可愛いのだろうと納得して見せると、目の前の子供は肩をすくめて「世界を救うためにモンスターの研究をしているって話をしたら許してくれたよ」と鈴を転がすような声で答えてくれた。
     結局、ヒュンケルは客として城の一画で寝泊まりする事を許された訳だが、招かれざる客という事実は拭えないままに城の当主とその孫と一緒のテーブルで食事をする機会は得られなかったが、元々の目的が幼いアバンの命を救う事である以上、守護すべき者の近くにいることを許されただけで大成功であった。後は始終神経を研ぎ澄まし、闇の気配が近づくのをいち早く感知するだけ――だった。


    「ザムザさん、冒険に行きましょう!」
     客間で一人朝食を頂いていると、昨日と同じように腰に剣を佩き、何匹ものスライムを従えたアバンの姿が戸口へと現れた。
    「――冒険、とは?」
    「冒険は冒険です。ささ、一緒に行きましょう!」
     アバンの幼い手に引っ張られるままにヒュンケルは表へと出ると、朝のまばゆい光が森を輝かせているのが目に見えた。
    「さ、預かっておいてくださいね」
     そう言ってアバンは肩から斜めに掛けていたバックをスライムの一匹へと渡すと、森の奥へと吸い込まれるようにして駆けていく。
    「おい、待て!」
     一人でモンスターが潜んでいるかもしれない森の中へと入っていく無防備さに、慌てて後を追いかけていけば、アバンは幼い子供とは思えないスピードで背の高い草を掻き分けて森の奥へと走っていく。時に木の幹を蹴って隣の木へと飛び移る芸当まで見せる。スライムたちは振り落とされまいとアバンの体に必死に貼りついていた。
    (しまった、相手はあのアバンだ)
     飄々と学者風情を身にまとっている癖に、身体能力は武闘家並みにある――あのアバンだ。
     ヒュンケルは歯ぎしりしながら、しかし幼いアバンと同じ動きが出来る筈もなく、ただ、真っ直ぐに突き進むと、その動きを見たアバンが目を丸くする。
    「すごーい! わたしの後をついてくるなんて」
    「自分が無茶をしている自覚があるなら止まれ!」
    「いいえ~無茶なんてしてませ~ん」
     良く弾むボールのように縦横無尽に森の中を行く小さな物体に、ヒュンケルは振り回されながらも付いていき、開けた場所で「ひとやすみ~」と呟いた子供がようやく足を止めた。
    「お、おまえ」
     肩で息をするヒュンケルにアバンが笑顔で振り返る。
    「突然に走り出すな! あと、あんな危険な方法で移動するな……」
     全てを言い切らない内にアバンは指笛を鳴らすと、草陰から現れたのは一本の角を持つウサギ――一角ウサギが姿を現した。ヒュンケルにとっては取るに足らない存在だが、一応はモンスターだ。手に武器はなかったが身構えると「だいじょうぶですよ」とウサギの隣にちょこんと腰を下ろすと、その艶やかな毛並みを撫でて顔を上げる。
    「この子は仲間です」
    「仲間?」
    「はい」
     モンスターの中には戦うことで仲間になる種がいるが、このモンスターもアバンが戦って後に友好な関係を築いたのだろうか? そう問うと小さな頭はふるふると振られ、話し合って友達になったのですよと無邪気に笑う。
    「話を? モンスターと?」
    「はい。それよりザムザさんはモンスターの研究の為に世界中を歩いているんでしょ? この子に何か聞きたい事はありませんか?」
     一瞬、忘れたいた自分の設定に苦笑しながら、さてどうするかと頭を巡らす。
    「何も説明せずに連れてこられたのでな。監察の為の道具を持ってきていない」
    「それなら、わたしが定規と書き付けの為のノートとペンを持っています」
     そう言って、もう一つ肩から斜めがけに掛けていたバックの中から道具を出して自称モンスター研究家と渡すと、もう自分の逃げ場がない事に気付くと、ヒュンケルは観念して目の前のモンスターの体長やら体高などを計り、毛や瞳の色をノートに記載していく。
    「この森にはわたしの友達がたくさん、いますから。ぜひ、記録していってくださいね」
     自分の専門外の仕事にヒュンケルは内心げんなりとしながら、幼いアバンと始終一緒にいる口実としては都合がいい事実に気付いて皮肉な笑みを浮かべた。
    「わたしも手伝いますよ」
     そう言って取り出したのは虫取り網で、どうやら日頃から森の中に入っては虫取りをするのが好きなようで、モンスターとの邂逅はそのついでのようだった。
     虫取り網を振り回したり木に登って、うろの中を覗いたり、活発に動くアバンを見るのは微笑ましくて楽しいが、一角ウサギの後に紹介されたのは虫系のモンスターばかりで、少々気が滅入ってしまう。げんなりと気落ちしたヒュンケルを見て、アバンはらんちにしょうましょか? と言う。
    「ドリファンが持たせてくれたお弁当があるんですよ」
    「弁当?」
     しかし、アバンが持っているバックの中はモンスターや虫たちを記録する為の道具しかなく、弁当は入ってなかったと思うが? と返せば、ベススライムに預けてありますからと笑い、傍らにいたスライムに「おねがいします」と言うと、そのモンスターの隣の景色が歪んだと思うと、そこにはアバンがバックを預けていたモンスターが現われた。
    「モンスターはこうして仲間同士を呼び合うことが出来るんですよ。どういう仕組みなのか分かりませんけど、いつか解明できたらいいなって思ってるんです」
     アバンはよいっしょと声を上げながらバックを持ち上げるとヒュンケルの所まで来て腰を下ろし、重そうなバックの中から大きなバスケットを取り出した。中にあるのは大きな丸いパンで、ハムやらポテトサラダ、チーズに卵が挟まれて四等分されている。バスケットの隙間には鳥の香味焼きやサラダ、果物が敷き詰められている。
    「さ、食べましょう。ザムザさん」
     嘘の名前で呼ばれることに小さな痛みを自覚しながら、ヒュンケルはアバンの向かいに座り、小さな手に大きなパンが握られて頬張る姿を幸せな思いで眺めていた。
     こうして森の中へ入って冒険をしたり、雨の日にはヒュンケルの部屋へとアバンが訪れて旅の話をせがんだりと、穏やかな日々が続いていく。
     時折、視界の端に光の糸が見えると、その先にいる自分は、仲間達はどうしているのだろうと思う。今いる自分の世界と向こうの世界の時間の進み方は果たして同じなのか、それともどちらかが止まってるのか。
     そうして、空へと消えてしまった弟弟子のことを思い出して胸が痛む。
    ――ダイ。
     消えてしまった勇者を思って嘆いているだろう弟分の弟子達、ポップ、マアム、そしてレオナ姫。嘆く彼らの傍にいてやれない事に無力感を感じると、いつの間にか隣にアバンがいることに気付く。
    「……つらそうに見えたので」
     遠慮がちに口にする子供の顔と、勇者アバンとして一緒に旅した男の面影が重なり、ああ、やはりアバンなのだなと実感する。
    (貴方はいつもこうして、オレが父を思い出して辛い時に黙って隣にいてくれた)
     きっと、その手は悲しみに浸っている子供を抱きしめ、悲しみを包み込む覚悟は出来ていただろうに、自分がその気持ちを拒否したために、傍にいる事しか出来ない無力さに打ちひしがれていた。
    (ごめんなさい、先生。オレは未熟で考えが足りなくて、貴方の優しさを受け止める事が出来なかった。受け取れば、それは父への裏切りのように思えて)
     だけれど、心の何処かで歓喜に震えていたのも事実だった。誰もが求めてやまない存在が、自分一人の為に嘆き悲しみ、全てを持って包み込もうとする感情が嬉しかった。
    「ザムザ、さん?」
     あの時の魂の輝きのままに、アバンはヒュンケルの隣にいた。柔らかく頼りない存在として。
     無意識に手が伸びる。少しだけ乱れた前髪を撫でつければ、透明感のある黄金色の瞳の中に自分を見つけて、ヒュンケルは自嘲めいた笑いを漏らす。
    「なんでもない。さ、読書の続きをしようか」
     もし、アバンを害する存在が本当にあるならば、早く表れて欲しいと願う。
    ――でないと、オレは。

     ヒュンケルがアバンの前に現われてから五日後、スライムの一匹が姿を消した。


     最初の内は気まぐれだろうとタカをくくっていたが、やがて二匹三匹と姿を消して、どれもアバンの元へは帰って来なかった。
    「これはどうしたことでしょう?」
     アバンも不安になって残ったスライムたちに聞いてみましたが、どの子も知らないと身を揺するのみで、しかし、城の外に出る事は頑なに嫌がった。
    「外に何かあるんですね」
     意を決したようなアバンの様子に、ヒュンケルはこのまま城の中にいるように説き伏せようとしたが、子供の決心は硬いようで、止めるのを聞かずに剣を持って飛び出して行ってしまった。
     今では慣れてしまったアバンとの競争にヒュンケルは追いつくと、何か心当たりがあるのかと問う。
    「かえらずのどうくつ」
    「洞窟?」
    「森の中にある洞窟です。ずーっと日の差さない暗い場所にある。おじいさまからは近寄らないように言われているのですが」
    「なら、アバンは城で待機していろ。オレが行く」
    「ダメです。あの子たちはわたしの友達です。もし、友達があのどうくつにいて、困っているなら助けなければなりません。そして、その役目はお客様の貴方ではなく、わたしです」
    「ダメだ、危険すぎる」
    「それでも、わたしはいかなくては」
     いつも掴まえられな小さな体を、今度はしっかりとヒュンケルが抱きしめ、腕の中へと巻き込むと、大丈夫だからとアバンの耳へと声を吹き込んだ。
    「オレが行く。オレを信用してくれ」
    「でも」
     ヒュンケルは腕の中からアバンを解放すると、地面へと立たせ、自分は膝まづいて視線を子供のものへと合わせると、訥々と語った。
    「オレを信用してくれ、アバン。オレは絶対にあの子たちを助けるし、貴方を悪意から守る」
    「まもる? わたしを?」
    「ああ、信じてくれなくても構わないが、オレは貴方を助けるためだけにここにいるんだ」
    「それは……」
     だが、アバンが言い終わらない内に木陰の下にあった影が急激に増大し、まるで波のように襲い掛かるのを、ヒュンケルはとっさの判断で子供を抱き抱えて横へと飛び去る。
     まさか、こんな所で襲われるとは!
     油断した。てっきり敵は洞窟の中に潜んで、こちらから出向くのを待っているかと思っていたのに!
     黒い影は小山のように膨れ上がり、その黒い触手が触れたものは全てが枯れ果てていく。ふと、影をよく見れば中に蠢く物体――アバンのスライムたちがもがいているのが見て取れた。
    《その者を寄越せ》
     しわがれた不気味な声が辺りに響く。
    《その者さえいなければ……世界は魔族のものになるのだ》
    「お断りする。もう、すでに未来は決している。敗者は敗者らしく元いた場所へと帰っていくがいい」
    《未来は……決まっていない。オレが……オレが変えるのだ》
     影は見上げるほどに大きくなり、その威圧感で手足が痺れる。おそらく、この森にいるモンスターの負の部分を取り込み、肥大化したのだろう。『彼』の中には、この世界にいる幼い頃の勇者を殺すことしか頭に入っていない。
    「アバン、剣を!」
    「あ、あ……はい!」
    「そして、お前は目をつぶっていろ! 決してオレがいいというまで目を開けるな!」
     ポップが言っていたことが脳裏に蘇る。決して、この世界のアバンに影響を及ぼすようなことはしないように、と。
    (ならば、空の技をアバンに見せる訳にはいかない。あの技はアバンが様々な試行錯誤を繰り返して得たものでなくてはならない筈だ)
     しかし、その事を今のアバンに説明する言葉も時間もない。果たして飲み込んでくれるかという不安が込み上げてくるが、幼子は一瞬だけ目を丸くしただけで、すぐにうなずくと腰に佩いた剣をヒュンケルへと渡し、自分は両手で顔を覆って「これでいいですか?」と聞いてきた。
    「ありがとう」
     剣ならば繰り出す技は『空裂斬』だが、実際に繰り出した事はない。しかし、理屈は頭の中に入っている上、ダイの剣の稽古の相手をした際に何度か目にした。不安があるとすれば手渡された剣だろう。それは子供用に柄が細く握った感触が心細い。空裂斬を撃つ際に力が必要とは思えないが、この不安定さに神経が集中できない懸念がある。
    「大丈夫。あなたをしんじています」
     ふと、低い位置で声が聞こえる。それは顔を覆ったままの幼いアバンであったが、まるで自分のことを知っている大人のアバンのように聞こえて、心が奮い立った。
     脳裏に子供の頃に剣技を習い始めたばかりのアバンを思い出す。彼は適当な木の枝を探し出してはヒュンケルに稽古をつけていた。最初の頃は馬鹿にされたと憤って力任せに押していたものだったが、ことごとくかわされて体力ばかりが削られていったものだが、あの軽やかさ、余分な力を一切削ぎ落した構えを脳裏に描いて剣を構え、そして瞳を閉じた。
     何も見えない暗い視界に、悪のエネルギーが覆い被さろうとしているのが分かる。対する自分は胸の奥で今日の日まで溜め続けていた光の闘気を解放する。力は剣へと伝道し、剣は闇夜を裂く刃と為す。
    『死ね! 勇者の師、アバンよ!』
    『空裂斬!』
     放った力は襲い掛かる闇を裂き、断末魔の叫びが周囲に響き渡った。
     目を開ければ、闇の残骸に対して光りが侵食しているのが目に映り、とうとう脅威を退けたということが分かって肩の力が抜けた。
    「やったのですか!?」
     無邪気な声が上がって振り返ると、アバンはまだ目隠しをしたままで、見ても良いぞというと顔から両手を離してヒュンケルの足へと抱きつく。
    「すごいです! 見るからに強そうなモンスターをやっつけるだなんて! 目は閉じていましたが、すごいエネルギーがかけぬけたのは分かりました! 何をしたのですか?」
     キラキラと輝く瞳を見ろしながら、ヒュンケルは苦笑いを浮かべると「それは言えない」とだけ伝えると、アバンの頭を撫でていたが、その手が透き通るのを目にし、次に光の糸が自分を取り巻くのを確認した。
    『ヒュンケル!』
     頭の中でポップの声がする。
    「どうした?」
    『アバン先生が目覚めたんだよ!』
    「そうか、それは良かった」
    『まあ、その通りなんだけどよ。こっちの先生が覚醒した以上、そちらとこちらの世界を繋ぐ道が閉じる! 戻って来れなくなるんだよ! その前に、こちらへ引き寄せてやるからな!』
    「分かった。任せる」
    「どうしたのですか?」
     アバンから見れば意味のない独り言を呟いているように見えるのだろう、不安げな視線に大丈夫と言ってヒュンケルは腰をかがめた。
    「お別れの時です。アバン」
    「……行ってしまうのですね。また、会えますか?」
     アバンの瞳は驚きで見開かれ、次いで全てを悟ったのか顔がくしゃりと歪む。
    「ええ、必ず」
     今から十一年後に子供の自分が、貴方を憎み、そしてほのかに好意を抱きながら付いていく未来があるのですよ。と胸の中で呟き、次いで音にして今は幼いアバンへと伝える。
    「生意気ばかりを言う、我が儘なオレですが、受け入れてください」
     いや、そんなことをこの場に口にしなくても、この人は全力でオレを愛してくれたではないかとヒュンケルは振り返る。ただ、自分が素直にその愛を受け取れなかっただけで……。
    「一体、なんの……」
    「いいんです。忘れてください。この森でオレと出会ったことも全て、です」
    「そんな」
     本当は覚えて欲しい。この森で過ごした数日間は愛で満ち溢れ、愛しいばかりの日々だったから。だが、アバンの未来を思えば消し去った方がいいのも事実。
     光の糸が幾重にも現われて自分を包む。向うへ行く準備が出来たのだ。
    「アバン」
    「はい、ザムザさん!」
     本当の名前で呼んでほしいという気持ちが強くなるが、それは叶わない。何も残せないと事実のヒュンケルの中で何かが拗れる。
     ヒュンケルはアバンの襟を掴むと大きく開き、現れた淡い光を放つ肌へと唇を押し当てて離せば、そこは赤い花が咲き誇り、その事だけがヒュンケルを満足させた。
    「さようなら、です」
    「ザムザさん? ザムザさん!」
     光が視界を覆い、体が浮遊感に覆われる。意識が遠くなるのをまるで他人事のように感じながら、ヒュンケルは世界を感じる術を閉ざされた。

     次に目を開けた時、視界に入ったのは眩いばかりの日の光とアバンの姿だった。
    「ああ、目覚めたのですね」
     窓辺から、少し泣きそうに笑みを作ってヒュンケルが眠っているベッドへと歩み寄り腰をかがめる姿に、己の腕を動かしてみるが、どうにもうまく動かない。
    「ああ、無理しなくていいですよ。私もそうでした。一週間眠ったままでしたからね、体が硬くなってしまっても仕方ありません」
    「オレは……どれくらい」
     どうやら事情は飲み込めているらしいアバンへ問うと、かの人はにっこりと笑って指を八本立てる。
    「私より一日遅れで目覚めましたから、八日間です」
    「そう、ですか」
     そうして、ベッドの脇へと膝を付いてヒュンケルの手を取った。
    「事情は全てポップから聞きました。ありがとうございます、ヒュンケル」
    「当然のことをしたまでだ」
    「でも、もしものことがあれば貴方は失われていました。もし、貴方がこの世界から消えてしまったら」
    「それは貴方も同じだろう? いや、オレよりも深刻なことになる。勇者アバンは生まれず、世界はハドラーが支配し闇に覆われるだろう」
    「私がいなければ他の誰かが勇者になるだけです」
    「いいや、貴方以外にハドラーを、そしてアバンストラッシュを作り出せる者なんていませんよ。ところで、あなたの記憶はどうなっています? 世界は?」
     アバンはゆったりと笑い、手をヒュンケルへと差し伸べると、その額をゆっくりと撫でていく。
    「森で出会った不思議な旅人の記憶は、私の中に小さな栞を挟んだだけで……でも、時折、思い出しては取り出して、あれは何だったのか反復する時はありましたよ」
    「……先生」
    「そして、二十七年もの時が過ぎた頃には色褪せて輪郭も朧になっていたのですが、今回のことで色鮮やかに蘇りました」
     ヒュンケルはアバンへと腕を伸ばし、襟を開いて素肌を晒せば、首元に花の形をした痣がそこにあった。
    「先生」
    「はい、ザムザさん」
     アバンは意味ありげに笑う。果たして、アバンの中にある『ザムザ』の記憶は、あの影が入り込む前からあったのか、なかったのか。
     聞いてみたい気もしたが、聞きたくない気もする。何故なら、ヒュンケルの胸の奥に潜んでいた感情は嵐に翻弄され、浮き上がって来た宝物そのもので、しっかりと見つめ直すには時間を要するものだから。
    「先生を助ける事が出来て、良かった。オレは貴方への償いをしなくてはならないのだから」
    「償いだなんて。全然必要ないんですよ。寧ろ謝らなければならないのは私の方です。あの時、幼い貴方を川へと落とした私の罪を償うことを」
    「あれは、仕方がない事です。オレは貴方の命を狙っていた。貴方は自分の命を咄嗟に守っただけで」
    「それでも、他にやりようがあった筈です」
    「いや、それ以前にオレは見当違いの復讐心で貴方に近づき、貴方の命を狙って」
    「近付いた? 違いますねぇ。貴方は私がバルトスさんから預かって一緒に付いてきてもらっていたんです」
    「オレはアンタを利用しようとしていた。父さんを倒した、その剣の技量をオレのものにして、いつか、自分の技で倒れる苦痛を味合わせていやろうと」
    「いいんですよ。どんどん、利用して下さい。私は私の持てる全てを次代へ渡すために家庭教師になったのですから」
    「だからっ!」
    「はい、なんでしょう」
     互いに視線を絡ませ、一瞬、押し黙った次の瞬間に一緒に笑い出した。
    「やっぱり、こうなりましたか」
    「はい、こうして言い合いになるのは分かってましたよ、先生」
    「まあ、いいでしょう。あの戦いから生き残った以上、時間はあるのです。互いに言いたい事を全て曝け出して、前へと進みましょう」
    「オレの話を聞いてくれますか?」
    「はい。天気の話から恨みごとまで。でも、今は横になって下さい。貴方は貴方が思っている以上に重症なのですから」
     アバンに促され、ヒュンケルはすごすごとシーツの中へと足を滑らせると、アバンと同時に眠りについたのに、何故、こんなにも体が動かないのだろうと口にする。
    「そりゃ、あの時点で私はそこそこ回復していましたからね。しかし、貴方は全ての骨にひびが入り、暗黒闘気のダメージが大きかった。今も貴方の体は深刻なダメージを払拭出来てません」
     でも、大丈夫、とアバンはヒュンケルの前髪を梳いていく。
    「私が治して見せますからね。心置きなく頼って下さい」
    「……そうします」
     ヒュンケルは優秀な患者さんになりそうですね、と笑いながらアバンは一旦、ベッドから離れると、部屋の隅にあったテーブルで何かしら作業をすると、今度はトレイの上にガラスで出来たコップを乗せて戻って来る。
    「体を暖め、傷の痛みを遠ざける香草が入ったお茶ですよ。眠りを促す成分も入っていますから、これを飲んだら一旦、眠って下さい」
     目覚めたばかりなのに、と思ったが、頼ると言った以上、反論する訳にもいかず、ヒュンケルはアバンから湯気の立つコップを受け取ると一口ふくみ、鼻の奥をくすぐる花と蜂蜜の香りにほっと溜息をこぼし、優しい甘味を含むそれを全て飲み干した。
    「それでは、おやすみなさい」
    「……はい、先生」
     遠い昔、同じことを繰り返した過去を思い出しつつ、ヒュンケルはとろとろと訪れた眠気に身を任せる。
    『ザムザさん!』
     意識が落ちる瞬間、耳元であの子の声が蘇る。むせるような草いきれ、太陽の輝きに深い影を落とす地面に木洩れ日が降り注ぎ、あの子が――アバンがスライムたちを引き連れて駆けていくのが脳裏に蘇る。
    『旅の話をきかせてください』
    『将来、ドリファンみたいにケーキがじょうずに焼けるといいなあ……なんて、かんがえちゃうんです。おかしいですか?』
    『ザムザさん、見てください! オニヤンマです!』
    『わたし、おにいさまが欲しかったんです。ザムザさん、わたしのおにいさまになってくださいますか?』
     ああ、あの時、自分は何て言って答えたのだろう。うなずいたような気もするが、今は眠気が強くて思い出せない。
    ――オレもアバンのような弟が欲しかったよ。でも……。
     でも、今は違う望みが胸の中で生まれ、発芽し根を茎を伸ばそうとしている。
     だから、すまないとヒュンケルは胸の中で何度も謝る。
     たった一週間の間だったが、可愛い弟が出来て嬉しかったよ、と呟きながら。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖💖💖🙏💘😭😭😭💞💞❤❤❤❤❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    natukimai

    DONE2023年4月8日WEBオンリー「先生はすげえんだから!」展示作品です。
    長い間、先生とポップの出会いはこうだったんじゃないかなぁと妄想していたものをようやく形にすることが出来ました。魔法のシステムは原作を踏襲してはおりますが、大分、独自の解釈が交じっております。
    あと物語を進めるための名前ありのモブキャラが出てまいりますが、あくまでの舞台設定上のキャラです。
    緑の軌跡緑の軌跡



    「すみません。もうついていけません」
     そう言って志半ばに去っていく背中を、幾度眺めた事か。
     彼は真面目な生徒だった。生真面目すぎるほどに修行に打ち込み、そして己の才能に限界を感じてアバンの元を去った。
     彼の志望は魔法使いで、魔法の成り立ちや、各魔法で使用する魔法力の値、禁忌などの座学は優秀だったが、実践ともなると危うさが散見した。
     理論だけで突き詰めるな、感覚で魔法を掴めと言っても、目に見えないものをどう掴むのかと詰め寄られる次第で、時折、昔の盟友である大魔導士に指導を頼もうかと思うこともあるが、一旦、引き受けた以上は自分が最後まで彼を導くのだと自分に言い聞かせた。
     これで彼自身が魔法力を持さない者ならば、戦士や武闘家の道を勧めるのだが、ある程度の基本的な呪文が契約が出来たことが、彼を余計に瀬戸際まで追い込んだ。
    39191

    related works

    recommended works