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    natukimai

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    2023年4月8日WEBオンリー「先生はすげえんだから!」展示作品です。
    長い間、先生とポップの出会いはこうだったんじゃないかなぁと妄想していたものをようやく形にすることが出来ました。魔法のシステムは原作を踏襲してはおりますが、大分、独自の解釈が交じっております。
    あと物語を進めるための名前ありのモブキャラが出てまいりますが、あくまでの舞台設定上のキャラです。

    緑の軌跡緑の軌跡



    「すみません。もうついていけません」
     そう言って志半ばに去っていく背中を、幾度眺めた事か。
     彼は真面目な生徒だった。生真面目すぎるほどに修行に打ち込み、そして己の才能に限界を感じてアバンの元を去った。
     彼の志望は魔法使いで、魔法の成り立ちや、各魔法で使用する魔法力の値、禁忌などの座学は優秀だったが、実践ともなると危うさが散見した。
     理論だけで突き詰めるな、感覚で魔法を掴めと言っても、目に見えないものをどう掴むのかと詰め寄られる次第で、時折、昔の盟友である大魔導士に指導を頼もうかと思うこともあるが、一旦、引き受けた以上は自分が最後まで彼を導くのだと自分に言い聞かせた。
     これで彼自身が魔法力を持さない者ならば、戦士や武闘家の道を勧めるのだが、ある程度の基本的な呪文が契約が出来たことが、彼を余計に瀬戸際まで追い込んだ。
     瞑想することで魔法力をイメージするトレーニングを増やした次の日に、アバンの元を去る決心を告げられたのだ。
     故郷に帰り、何をしますか? との問いに、彼は苦笑いを浮かべて「取り敢えず街の用心棒になります」と言った。アバン先生の元で多少なりとも格闘術を身に着けることが出来たお陰で、無頼の輩と戦って勝つ自信はありますし、いざという時は魔法で脅かします。手品程度のものでも効果はあるでしょうと。
     彼を見送った後、アバンは踵を返して森の奥へと歩を進める。
     自分の培ってきた技や知識を後世に伝えよう、そうすることで少しでも悪に倒され、涙する人がいなくなるように後進を育てようと決心したのが十年前だ。最初の弟子であるヒュンケルがいなくなり、そこから立ち上がるまで二年を要した結果、彼を探しながら世界中を旅し、その中で新しい弟子を育てようと決心した。
     アバン流の技術を全て習得できなくとも、アバンの志を受け継ぎ、一国の騎士団長程度や上級魔法使いほどに成長して卒業を果たし者もいるが、全体の八割程度は彼のように挫折して去っていく。
     卒業の証を手渡すことも出来ずに見送った後、無性なほどのやるせなさがアバンの胸の中に去来する。彼の教育に間違いはなかったのか、もっと違う方法があったのではないかと自問自答し、悶々と自己嫌悪の闇に飲み込まれている。
    「これでは、いけませんね。気分転換にどこかへいきましょうか」
     出来るならば行ったことのない、つまりは瞬間移動で行くことの叶わない土地で何も考えずにのんびりしたい。
     アバンは荷物の中から地図を出し、自分がいる地点を確認すると、どうやらこのまま北東へ進めばランカークスという村へ行きつくらしい。
     初めて耳にする地名に、質素な村の風景が頭に浮かんで、そここそが療養に相応しい場所のような気がして少しだけ心が軽くなる。
     そうして、アバンは手にした地図を再び鞄の中へと仕舞い込むと、真っ直ぐに森の奥を指差した。
    「さあ、目指すは未踏の地、ランカークス村ですよ!」
     が、そこで隣に返事を返してくれる人間などいないことに気が付いて、苦笑いを浮かべると後ろ手で頭を掻いた。

     アバンは森の中での野宿を二晩経た後に、目的の地であるランカークス村へと足を踏み入れた。村は細いながらも街道が敷かれ、一日に一度ほど、木材を積み込んだ馬車とすれちがった。
     村を取り囲む石造りの塀は昔の魔王との大戦の名残りだろう。自然石を積み上げただけの塀は苔むして、時の長さを感じさせる。
     中へ入れば、意外と村はそこそこに発展してるようで、石畳の道の左右には小さな店が点在していた。もう少し寂れた風景を想像していたアバンは、思索にふけるには不適当だったかと頭を捻りつつ、取り敢えず、今夜の宿を決めてしまおうと歩いていくと、先の通りで元気な子供達の声を拾った。
    「わーすっごい!」
    「格好いい!」
    「ねぇねぇ、鎧はないの? 絵本に出てくるような、格好いい勇者の鎧!」
     どうやら女の子達が男の子一人を囲んで持ち上げているようなのだが、ふと、違和感を感じてアバンは足を止めた。
    「あの子――は?」
     眺めている内に、すっと女の子達の頭上から剣を持った手が真っ直ぐに持ち上がる。その手の回りから取り囲むようにして放たれている微かな乳白色の輝きに、アバンは息を飲んだ。
    「あれは……」
    「どうだい、おれん家の倉庫に隠されていた剣なんだけど、すげー格好いいだろ!」
    「うん、うん」
    「察するに、これは伝統の名剣だと思うんだよな。だって、でなければ倉庫の奥に隠されるようにして置かれている訳がないじゃん」
     年のころは十二、三というところだろうか? 跳ねっ気のある前髪に黄色のバンダナを捲いた子供だった。
     だが、アバンが注目したのは彼の姿でも剣でもない。彼自身が纏う魔法力の気配だった。それは決して大きなもではなかったが、白く淡い光の縁は虹色に輝いてこどの姿を覆っている。
     精霊の祝福を得ているのだと、アバンは直感で感じていた。
    「ふーん、伝説の剣なら、おれの剣と交換しないか?」
     女の子に囲まれている子供の背後から、今度は厳つい風情の男の子たちが、各々に武器を携えて現われた。その中でも素晴らしく背の高い少年は、背後に背負っていた長剣を抜き取ると、その切っ先を子供へと向けたのだ。
    「そんな貧相な剣より、どうだ? オレの誕生日の時に買ってもらったんだ。勿論、ポップ、お前の店でだがな」
    「へ、へぇ……そりゃ、どうも」
    「オレの親父は店一番の名剣をと注文したのに、それ以上のものが店にあっただなんて、お前の親父は嘘をついたってことか?」
     剣の切っ先は子供の額をとらえ、きらりと冷たく輝いて見ているこちらが怖気が立つ。少しでも動けば怪我をするだろうことを知っているのだろう、ポップと呼ばれた男の子機嫌が良さそうな顔は、真っ青に変わっていた。
     少年の取り巻きたる男の子たちは「お前の親父は嘘をついた」「名剣を渡したくなくて適当な剣を売りつけたんだ」とか、やんややんやと騒ぎ立て始めた。
    「いや、その……親父は分かっていなかったんだよ、倉庫にこんな剣があっただなんてさ」
    「へぇ、まあ、それならそれでいいさ。その剣が店一番の名剣だっていうなら、それはオレの物っていうことだよな?」
     その通り、と取り巻きたちが拍手する。
    「え、いやーどうだろ? その剣もそこそこいい剣だと思うけど」
    「そこそこじゃ嫌なんだよ。オレはな、伝説の剣士になる男だぞ? それが二流、三流の剣なんぞ手にする訳にはいかない。さ、その剣を寄越せよ」
     子供は必死な表情で剣を両手で抱えると、首を振りながら後ずさり、その様子が気に入らなかったのか、少年は剣を一振りすると上段に構えた。途端、子供の回りを取り囲んでいた女の子から悲鳴が上がった。
    「ならば、力で奪い取るのみだ! 抜けよ!」
    「や、やだよ。おれ、剣とか振ったことないもの」
    「知ってるよ、だから言うんだ。そのような者が伝説の剣を手にするとか、笑止千万! 女の気を引きたいが為に担いでくるなど武器への冒涜だ」
     言うや否や振り下ろされた剣は子供の額をとらえ、斬り下ろされる寸前でアバンが割って入る事が出来た。
     途端、周囲に響き渡る金属同士がせめぎあった甲高い音。アバンの剣は鞘に納められたままだが、特殊な金属で拵えた逸品は傷一つ付かなかった。
    「ノンノン、いけませんよ。見れば、貴方はこの子よりも随分と年上でしょ? 目上の者が明らかに力の弱い目下の者を恫喝するのはどうでしょう?」
    「五月蠅い! 他所者が口を出すな!」
    「おや、よく分かりましたね。私がこの村の者でないことなんて」
    「分からいでか! そんな妙ちきりんな格好をした者など、この村にはいないわ!」
     斬り結んだ剣を押しやって、アバンは少年と距離を取ると、しげしげと自分の姿を見下ろして大いに溜息を落とした。
    「妙ちきりんとは……傷つきますねぇ」
     肩に金モールを付けた上下赤の軍服に、髪型はジニュアール家伝統の二段カール。正式なジニュアール家男子の姿なのだ。
    「まぁ私のことはさておき、キミのその剣もなかなかのものだと思いますよ。武器は相性があります。幾ら伝説の名剣だろうと、相性が合わなければ、まさに無用の長物。その点、貴方とその剣の相性はばっちりです。その縁を大事しなさいと言っているのです」
    「合うか合わないかは手にしなければ分からないだろうが!」
     少年は幼い子の背丈はあるだろう大剣を振りかぶりアバンへと襲い掛かると、かの人は刃が掠めるギリギリを見極め、最小限の動きで相手の懐へと飛び込むと自分の剣の切っ先を顎の下へと押し当てた――当然、鞘から剣は抜かないままである。
    「んーやはり、キミがこの剣を扱うのは力が足りないようですねぇ。伝説の剣を扱いたいなら、まずは自分に与えられたものを使いこなしてからにしなさい」
     アバンの殺気に当てられた少年は息を飲み、こくりと小さく頷いたのを見て剣を引くと、どさりと地面へと尻もちをつき、その姿を見て金縛りから解けたかのように取り巻きの男の子たちは少年に駆け寄って二三、話かけると、一人は少年の肩を担ぎ、一人は腰を支え、もう一人は地面に落ちた剣を拾い上げて、その場をそそくさと去っていった。
    (ちょっと、殺気を当てすぎましたかね? 悪いことをしました)
    「なによ、ポップ。戦えば良かったのに」
    「そんな素敵な剣を持っていて弱腰なんて」
    「でも、ポップは剣士ではないのだし、戦うだなんて無理じゃないかしら? それに、あの子の家は代々ようへい? とか言って、戦うのを仕事にしている家の子だから」
     振り向けば、事の中心にいた子を取り囲んでいた女の子達が責めたり慰めていたりしているが、当の本人はその言葉に耳を傾ける気は一切ないようで、目をキラキラと輝かせてアバンを見つめていた。
    「えっと、怪我はないですか?」
     アバンは子供へと近付いて腰を下ろすと、胸へと抱えた剣へと目を向ける。
    「確かに立派な剣……ですが、キミみたいな子が一人で持ち出せる品物ではありませんね、危険ですからね。話を聞くにキミの家は武器屋とのことですが、この剣を持ち出すことにご両親に許可は得たのですか?」
     微かに責められているのが分かるのだろう、子供はキラキラとした目を曇らせ、アバンから視線を外すと唇を結んで首を横に振った。
    「そうですか。では、勝手に持ち出したことを謝りに行かなければなりませんね」
     そう言うと子供は素直にコクリ、とうなずいて、くるりと後ろを振り返ると「そういう訳だから、この剣のお披露目はここまでな。また、明日!」と女の子に告げると、アバンの前に立って、自分の家はこの先にあると先導してくれる。
    「おれ、ポップって言います。あの、あなたは?」
    「アバン、ですよ」
    「アバンさんは旅の人?」
    「はい、世界各国を旅しています」
    「へぇ、いいなぁ、おれも旅に出てみたいなぁ」
     こうして自分が旅人だと明かすと貴方と同じようにしたい、冒険をしたいと言ってくる子供達を何人、見てきただろう。延々と語られる冒険譚を読んできた子供達は世界に夢を見る。まだ見たことのない風景を、伝説のモンスターと戦い、竜の隠された秘法を見つけ出し、戦の中で育まれた友情を、可憐な姫との恋物語を自分も経験したいと胸に秘めて、いつか訪れるだろう機会を待っているのだ。
    (この子も同じですね)
     アバンの胸には未来に輝かしい夢を描いて羽ばたくのを待っている子供の真っ直ぐな笑顔を喜びながらも、同時に現実を知り、輝いていた瞳がどんどんと沈んでいくのを目の当たりにしてきた日々を思い出して鬱屈となる。
     ポップが手にしている剣は、柄に施された宝石は見事だが、余りにも盛り過ぎて気品を掻き、その上、鞘は錆びついていて刀身など抜けそうにない。そんな剣を「伝説の剣」と称して持ち出してきたところを見るに、冒険に夢見ていることは明らかだった。
    (しばらくは、旅のことは忘れていたかったんですが)
     五年前ならアバンは自分の生家で旅の疲れを癒してきたが、生まれる前からジニュアール家に仕え、無鉄砲な後継者を暖かい瞳で見守っていたドリファンが亡くなってからは、里帰りは却って物悲しさに拍車が掛るようで帰っていなかったのだ。
    「あれが、おれん家ですよ! アバンさん!」
     ポップの声に顔を上げると、そこにはこじんまりとはしているが、煉瓦造りの立派な店があった。喜び勇んで店に入るかと思ったポップだったが、店へはいる一歩手前で足は止まった。
    「あ、あのさぁ、やっぱ、親父に言わないとダメ、かなぁ?」
    「黙って持ち出してしまったのでしょう? ちゃんと謝らなければ」
    「だって、倉庫の奥でホコリ被っていた奴なんだよ。親父だって、きっと、こいつのことは忘れているって。こっそり、元の場所にこっそり戻したってわかりゃあ……」
    「何がこっそりなんだ。ポップ」
     その時、店の扉が開いて顔を出したのはポップと同じ髪型をした恰幅の良い男で、あからさまな怒りのオーラを前面に出して腕を組んで立っていた。
    「あ、お、親父」
     じろり、と男はポップの腕の中の剣を見るや否や、腕を振り上げて、まさに鉄拳としか言いようのない一撃をポップの頭上へと振り落とした。
    「なに、また店のモンを勝手に持ち出してやがんだ!」
     あたりの空気が震えるばかりの怒号に、なるほど、この父親に叱られたくないばかりに、こっそり倉庫に戻したかったのかとアバンは納得した。
    「何だよ! 倉庫の奥にホコリ被ってた奴だぞ!? ないも同然のもの、持ちだして何が悪いんだよ!」
    「ないも同然の物なんざ、オレの店には置いてねーんだよ! これだって立派なウチのモンだ! 非売品だけどな!」
    「ほら、売る気ねーじゃねぇか」
    「うるせぇ、売るか売らないかは、店主のおれが決める! この剣はな、この剣に見合うだけの人物に出会うまで売るんじゃねぇって、おれのひいひいじいさんの時代からの言いつけなんだ!」
    「なんだ、そりゃ、ひいひいじいさんとか、何年前の話だっていうんだよ。てか、親父は婿養子のくせに!」
    「だからこそだ。婿養子に入った以上、その家の伝統を守るのが本道だ」
    「それなら、この剣もきちんと宝箱に入れて保管すりゃいいじゃねぇか! それさえしないで……だから頑固で融通きかない武器屋の親父は、武器を作ること以外、能がねぇって言われてるんだ!」
    「なんだと!」
     ポップの父はもう一度大きく腕を振りかぶったが、鉄拳が息子の頭へとめり込む前に止めたのはアバンだった。
    「もう、その辺りで許してやってはどうですか? 彼も悪気があって持ち出したわけではないようですし」
     男はアバンをやぶ睨みで返すと、忌々し気に腕を振りほどいて、ふん、と大きく鼻を鳴らした。
    「どうせ、女にちやほやされたくて持ち出したんだろう」
    「あ、わかってらっしゃる」
    「当たりめーだろ。おれの息子だぞ?」
    「ならば、制裁は先程の鉄拳で充分でしょう。持ち出したことで随分、怖い目にあいましたし。何でしたら、私が今後一切、こういうことはしないように誓わせて見せますが?」
     ポップの父は、変わらず剣呑な目でアバンを見やる。
    「そういやぁ、アンタは何者だ?」
    「私? 私はアバン・デ・ジニュアールと申します。気ままな旅の者ですよ」
    「アバン?」
    「ええ、アバンです」
    「そりゃあ、昔の勇者の名前じゃないか」
     言うと男はにやにやと笑って顎に手をやった。
    「いやあ、一時期、英雄譚にあやかるんだと言って、男も女もアバンやらアバンティやら、やたらと勇者の名前を自分の子供に付ける事が流行ったが、お前さんほど籐が立った奴でアバンとか、珍しい」
    「ええ、よく言われますよ。お蔭さまで家庭教師業が捗ったりしますけれど、逆に本当の勇者ではないと分かってがっかりされたりと散々ですよ」
    「家庭教師業?」
     はい、と言ってアバンは懐から『名刺』を取り出して男へと渡した。そこには勇者育成業、魔法使い、戦士、僧侶もお任せくださいと書いてある。
    「随分と胡散くせぇ仕事だ」
    「まあ、否定は出来ませんね」
    「で? その家庭教師の先生が、このちっぽけな村に何の用なんで?」
    「特に目的があって来た訳ではありません。足の向くまま、気の向くままに進んできただけで」
    「気まま一人旅って奴か。で? アバン先生とやら、今夜、この村に泊まる当てはあるのかい?」
    「それが初めてくる場所なので何とも。でも」
     言うとアバンは店先に掲げられている看板を見上げる。
    「ここにこうして武器屋があるってことは、この村の周辺は結構な魔物出現があるということじゃないですか? あと、村全体を見ても道は石畳が敷かれて整備され、そこそこ活気があって行き交う人も身綺麗だ。ということは、それなりの流通があるということ。そう言えば、村に入る時に大木を乗せた場所と行き交いましたが、この村の特産物はそれだけじゃないでしょう。その上、先程、子供の身の丈はあろうかいう大剣を持った少年に出会いました。真新しい武器は貴方が作ったものだそうですが。ということは、貴方の家業もそれなりに繁盛しているのではないですか?」
     アバンのいう事に男はぽかんとすると、次に大口を開けて豪快に笑った。
    「よく口の回る男だ」
    「それしか取り柄がないもんで」
    「謙遜すんない。まぁ、お前さんの言う通り、この土地の地下には良質な鉄鉱石と石炭が取れる。オレの武器も森の奥にあ炭鉱で採れたもんを使っている」
    「なるほど」
    「だから、この村にはちょくちょく鉄を求めに来る商人や、時たま、オレの作った武器を冷やかしに来る連中がいるのさ」
    「と、いうことは」
    「あるぜ、宿屋は。それも村の中心にな。旅人相手の料亭もあるから、存分に楽しむんだな……とはいえ、森以外は何にもねぇ村だぜ?」
    「それこそ、私の求めるものです」
     どうやら、今夜は暖かなベッドの上で眠る事が出来そうだと胸を撫で下ろしたところ、背後から「アバン先生!」と大きな声で呼ばれて振り向いてみる。するとポップが瞳をキラキラさせてアバンを見上げていた。
    「この村に初めてきたのに、色んなことを言い当てられて、スゲーっすね! それに、さっきの剣術も。気を当てすぎたってなんすか?」
    「あーそれは。人の気というのは生きている限り、どんな者でも自分の周囲にまとわせているものですが、その中でも殺気は相手の意を削ぐ刃のようなもので、だから取り扱いが非常に難しいのですよ。先程の彼には悪いことをしました」
     まだまだ未熟だとアバンは肩を落としていると言うのに、目の前の子供はますます瞳を輝かせながらアバンへと一歩、踏み出す。
    「勇者、育成業なんすよね」
    「え、ええ」
    「じゃあ、おれを勇者にしてください!」
     口にした途端、またもや父親の鉄拳が振り下ろされるが、ポップはめげることなくアバンにもう一度「勇者にしてください!」と強請る。
    「なーに、寝惚けたことを言っているんだ! テメェはよ!」
    「寝惚けてなんかいねぇよ、親父! おれは勇者になるんだ!」
    「この村一番に弱くて泣き虫で、やる気にムラっ気のある奴が勇者になんざなれるものか!」
    「いーや、なれるね。今まではちゃんとした先生に付いていなかったから、おれの隠れた才能を引き出せなかっただけで。でも、アバン先生となら上手くやっていけそうな気がするんだ!」
    「馬鹿が! 炭鉱から魔物が大量発生した時、鼻水たらしながら泣き出したくせに」
    「あ、あれは」
    「夢見るのは寝る時だけにしとくんだな。そんなことより、テメェは店のモンを勝手に持ち出した罰があるんだからな」
    「えっ? さっき、殴ったじゃん。それでチャラっしょ」
    「あれは序の口だ。テメェには家の掃除と防具磨きをしてもらうからな」
     文句は言わせないとばかりにポップの父は息子の手を取り、ずるずると店の中へと引っ張って行く。
    「ア、アバン先生! おれ、先生の宿に遊びに行くから! その時には弟子入りさせてくれよな!」
     必死に声を上げるポップに対して、アバンは苦笑いを浮かべながら小さく手を取ると、騒がしい親子が店の中に入るのを見届けてから旅行鞄を手に取り、教えてもらった村の中心地へと足を向ける。
     ふと、脳裏を横切るのは子供が纏っていた魔法力の気配。その不思議な煌めきに「魔法使いになるっていうなら応援したかったですね」と呟いた。


     村の中央、開けた場所にある宿屋で一泊したアバンは、早々に勇者志願の子供に絡まれていた。
     宿の一階は食堂になっており、朝食を頼んでテーブルに付いていると、昨日の黄色のバンダナの少年、ポップが軽快な朝の挨拶と共に店の中へと入り、アバンの向かいの椅子に腰かけたのだ。
    「おはようございます! アバン先生。夕べは良く眠れたっすか?」
    「ええ、ぐっすりとね。貴方も目覚めはよろしいようですね」
    「あの後、こってりと家の中の仕事と防具の磨きをやらされたッスからね。すっかり疲れてぐーすかっすよ」
     良かった。あれ以上の暴力はなかったのだと胸の内でほっとすると、昨日の事などどうでもいいとばかりにポップは身を乗り出すと、アバンに今日の予定を聞いてくる。
    「今日は、そうですねぇ。のんびり、読書でもしていますかね」
    「えー! なんでぇ」
    「何でも何も、私はこの村に静養に来たんですよ? 歩き回る気はありません」
    「静養って……健康そうっすけど?」
     こういう時、子供は残酷だ。胸の内に出来た虚しさと共に出来た風穴を知らずに指摘してくる。とはいえ、このアバンさえ上手く表現できない感情を、子供に理解して欲しいと思うのも愚の骨頂ではある。
    「表面上はね。でも、時々、胸の辺りが苦しくなってどうしようもなくなる時があるんですよ」
    「うーん。おれの親父も、昔、骨折った所が雨が降ると痛くなるだの言っていたけど、それと同じこと?」
    「――厳密には違いますが、まあ、丸っきりの的外れではないかと」
     自分の推理が当たったのが嬉しいのか、ポップはキラキラと目を輝かせるて肩をすくませると、にんまり笑う。何とも子供らしい仕草にアバンは微笑ましくなったが、次にポップの口から出た言葉に押し黙ってしまう。
    「じゃあさ、体の痛みが取れたら、おれに勇者の指導をしてくれないかな?」
    「……勇者、ですか?」
    「そ、勇者!」
    「勇者なんて……何故、なりたいのですか?」
     勇者育成業という肩書があるにも関わらず、口を突いて出た言葉は、己に対する卑下だろうか?
    「だーって、格好いいじゃん! 一番強くて魔法も使えて、女の子に一番にモテる!」
    「剣に関しては戦士が一枚上ですし、格闘技なら武道家の方が強いでしょう。魔法なんて大魔導士から見れば私なんて赤子のようなものですし、女の子にもそんなにモテませんでしたよ」
    「そうなの?」
     きょとん、と目を丸くするポップに、アバンはまるで自分が勇者のような口ぶりにに気が付いて、「そうなんじゃないかなぁって思うんですよ」と付け足したが、どうやらポップは最後の方の言葉は聞いていなかったらしく、少しの間、考えるようなフリを見せると
    「でも、最後の敵に止めを刺すのは勇者だし、パーティをまとめるのも勇者! やっぱ勇者がいいっす!」
     手に力こぶしを作って主張するものだから、アバンも苦笑いを浮かべるしかない。
    「そうは言っても、勇者のコースはベリーベリーハードですよ?」
    「大丈夫っすよ! おれ、体は頑丈な方なんで!」
    「ご両親に許可は?」
     アバンの言葉にポップは口を結ぶと、乗り出していた体を引いて肩を落とすとぶつぶつ呟く。
    「おれ、勇者のなりたいとか言ったら、ウチの親父、お前なんかが勇者になれるかって笑ってよ。お荷物になるって言うに決まっている」
    「おや」
    「そんなことよりも畑作りに使うクワやスキ、衛兵や傭兵のために魔物を狩ることの出来る剣を作った方が勇者なんかよりも何倍も人の為になるってもんだって」
     父親の真似なのだろう、腕を組んで鼻を鳴らすようにポップは言う。
    「それは、そうですねぇ」
    「アバン先生まで、そんなこと言わねぇでくれよ。おれ、すっげぇ、憧れてんすから! 勇者に!」
     切実な声に、アバンは「まあ、まあ」と宥めてみたが、ぼそりと聞こえないような小さな声で「鍛冶屋とかなっても女の子にモテねぇじゃねぇか」とぼやくのをアバンは聞き逃さなかった。
     さて、どうしましょうかとアバンはポップを観察する。彼を取り巻く淡い光のオーラは昨日と変わらず、内側から滲むかのように輝いている。このオーラが修行によってどう変化するのが見てみたい気がしてきた。
    「――いいですよ」
     ぱっと、花が咲いたようにポップの瞳に生気が宿り、期待に胸膨らませた表情で見上げられる。
    「でもね、さっきも言った通り、勇者育成コースは滅茶苦茶ハードですよ? 今のところ誰も達成できた者はいません」
    「じゃあ、おれがなります! おれが初の勇者コース達成者に!」
     元気な生徒よろしく、片手を上げてハイハーイと声を上げるポップに、アバンは一つ、咳払いをした。
    「でも、その前にポップ。私が朝ごはんを食べ終わるのを待っててもらえませんか?」
     アバンの言葉にポップは後ろを振り向くと、そこには困った顔を浮かべたウエイターが立っていた。
    「うっわ! ごめんなさい!」
    「ちなみにポップ、あなた、朝食は?」
    「済ませてきたっすよ! ウチの母さん、すげーご飯が美味いんすよ」
    「家の手伝いは?」
    「朝飯の後片付けはしてきたっすよ。親父はまだ寝ている。あの親父、遅くまで酒飲んでるんで起きるのは昼近くになるんすよ。店を開けるのは母さんで、親父は気が向いたり、客が何か聞きたい事がある時に作業場から出てくるっすけど」
    「作業場?」
    「武器の他に畑を耕すのに使うクワとか作ってるんすよ。あと、頼まれれば修理も」
    「では、ポップも店番をしたりと忙しいのではないですか?」
    「いやいや~こんな森の中のちっさい村、客なんざ一日に数人くらいっすよ」
     アバンは運ばれたモーニング――石窯パンに厚切りベーコンエッグ、サラダはブロッコリーと豆のサラダ、それに瑞々しいオレンジと林檎のデザートが付いてくるものを、丁寧に綺麗な所作で食べ終わると、では、出掛けましょうかと立ち上がった。
    「森の中でひらけた場所はありますか?」
    「村の東の方なら」
    「では、早速、いきましょう。案内は頼みましたよ、ポップ」
     弟子との辛い別れに心を癒されようと、この村に来たのに、気が付いてみれば新しい弟子を取っている自分にアバンは苦笑したが、この新しい絆に胸躍らせる自分がいるのも事実で、調子のいい自分に苦笑する。
    (本当は魔法使いの方が適当だと思うですが……何も勇者は剣ばかりではないですし)
     若い時分、勇者とは何だろうかと自分に問いかけたことがある。力なら戦士や武闘家、魔法なら魔法使いが強い。自分など器用貧乏ばかりで突出したものがない。
     すると、アバンの考えを見抜いたのか、仲間の魔法使いであるマトリフが大口明けて笑ったのだ。
    『いいんだよ、お前さんはそのままで』
    『でも、マトリフ』
    『勇者がそこにいるだけで、オレらは自分の道が間違っていないと確信できるし勇気が湧く。勇者の武器は勇気なんだよ』
     それが本当ならば、魔法が得意な者でも勇気を周囲に分け与えてくれるなら『勇者』ではないかと思うのだ。
    「せんせ~い、こっちこっち」
     昨日であったばかりなのに、すっかりと先生呼びが馴染んだポップへと笑みを向けてアバンは歩き出した。



     剣の素質がなくとも勇者にはなれる。そう結論したアバンだったが、数時間後には頭を抱えることになる。
    「……ポップ、あなた、とことん体力がないですね」
     胸を喘がせて草むらに仰向けで転がるポップに、アバンは呆れたように声を上げた。
    「そ、そん、な……いきなり……森の周囲十周もさせる方が……おかしいんじゃ……ないっすか?」
    「十周もしてません。一周で根を上げたんですよ、貴方」
    「おお、おれにしちゃ、ずいぶん、走った……っすよ」
    「勇者になるのなら、これ位はクリアしてもらわなきゃ」
     涼しい顔で眼鏡を拭くアバンにポップは「先生は疲れないんですか?」と聞くと、問われた方はにんまりと笑い、準備運動にもなりませんと涼しい顔で言い放った。
    「さ、勇者を目指しているなら、こんな所でつまずいてはなりません。さ、ポップ、その辺に転がっている木の枝を拾って」
     げんなりとした表情のまま、ポップは言われた通り木の枝を四つん這いになって拾うと、しげしげと眺めてアバンに問う。
    「これ、どうすんすか?」
    「剣の代わりにするんですよ。これから私と打ち合ってもらいます」
    「うええええっ! 打ち合うとか、普通、こういうのって素振りから始めないっすか?」
    「ウチはウチ、よそはよそ。なーに、打ち合いと言っても」
     アバンはにこやかに足元の木の枝を拾うと、ポップへと先端を向けた。
    「私はこうして貴方の打ち込みを受けるだけです。決して、私から貴方に攻撃などはしません」
    「え、そんな……危なくねーっすか? 先生が」
    「さあ、どうでしょうね。私にかすり傷程度でも傷を負わせるくらいなら、寧ろ喜ばしい――貴方こそ勇者の器であると認めるのですが」
     せせら笑うアバンに、初めてポップが怒りの表情を見せると、木の枝を握り返して立ち上がった。
    「どうなっても知らねーっすから」
     言うや否や、ポップは大きく振りかぶると相手に向かって真っすぐに枝を打ちおろし、アバンはその勢いと力を込めた一打を軽く受けて右へと流した。
    「くっそー!」
     そうして、ポップは文字通りがむしゃらにアバンへと打ちこんでいくが、どんな方向だろうと、どんな不意打ちだろうと相手は涼しい顔で受け流していく。
    (なるほど、遊び程度には剣術の真似事はしているようですね。勇者に憧れているのは本当なのでしょう)
     昨日の相手に剣など一切、使えないと言い切ったのは相手の実力を知っていて、自分には勝ち目がないだろうと判断しての言い訳なのだろう。
     真っ直ぐに向かって来る相手の剣を受け取めることが久しぶりで、時を忘れ、アバンは鼻歌を歌いながらポップの剣を捌いていくと、いつの間にか太陽は天中を少しばかり過ぎている上に、新しい弟子はもうこれ以上は動けないとばかりに再び仰向けで寝転んだまま、激しい息遣いを繰り返していた。
    (しまった、どうしようか)
     本当なら疲れ切った所でアバンは大きな岩をポップの前まで持ってきて「さあ、斬ってみなさい」という所なのだ。そこで見事斬れたのなら、人間、滅茶苦茶に突かれている時は、最小限の動きしかしません。今までの貴方は無駄な動きが多かった。この岩が斬れたという事は、その無駄な動きが省かれたという事で――と、続くのだが。
    「もう、ダメっす。腹が減り過ぎて、指一本も動かねー」
    「そう言われてみれば……お腹が空きましたね」
    「修行で死ぬ前に空腹で死ぬ~」
    「人っ子一人いない秘境ではないのですから、餓死なんてしませんよ」
     これは悪いことをしたと、アバンはポップへと腕を差し出して小さな体を横抱きにして抱えると、腕の中の子供が目をぱちくりさせるのを視界に収めた後に、瞬間移動呪文を唱えて、村の中心部へと到達する。
    「うわっ! こ、これって」
    「瞬間移動呪文、ルーラですよ」
     突然、村の中心部の広場に姿を現した二人に、昼下がりののんびりと過ごしていた村人たちが声を上げて注目するのを察して、ポップは急いでアバンの腕の中から抜け出すと、不思議な表情でここまであっという間に移動した相手を見上げた。
    「本の中の物語でしか知らなかったけど……すげぇんすね、魔法って」
    「凄いでしょ。魔法に興味を持ちましたか?」
    「はいっ!」
    「それはよろしい。午後からは呪文の契約と瞑想の方法を教えますね。さて、私は宿で昼食を摂りますが、キミはどうします?」
    「おれは母さんがメシ、用意してくれていると思うんで」
    「では、一時間後にキミの家に伺って修行を始めたことをお話ししましょう。その時はお父様もご同席してもらってください」
     アバンの言葉に、ポップは思い切り嫌な顔をする。
    「え~親には言いたくないっす」
    「貴方の勢いに押されて修行を始めてしまいましたけど、まったくダンマリとか、そういう訳にはいかないでしょう。今日のように修業は一日掛りです。店番もしないで出掛ける貴方をご両親が心配しない筈がないでしょう?」
     それでも大丈夫、何とか誤魔化すと言ったポップを説き伏せて、アバンは宿へと戻ると昼食を摂り、休む間もなく道具屋で必要な者を買いそろえるとポップの家へと向かった。
     家の中へと入ってみると、優しそうな女性――ポップの母親が出迎えてくれ、昨日は息子が迷惑をかけたこと、困っている所を助けてくれたことに頭を下げた。ポップの父であるジャンクはさっきまで鍛冶場にいたのだろう、少しばかり石炭の匂いと炎の気配を感じさせて、椅子から立ち上がらずに憮然とした表情でテーブルについている。
     ポップはその隣に肩を落として座っているのを見るに、どうやら店番を放り出したことを咎められたのだろう。やはり、修行を始める前に、ここに来れば良かったと後悔しながら、アバンはこれまでの経緯とポップの熱意と可能性、そして、心の根底にある『人の役に立ちたい』という気持ちを大事したい、だから、修行の許可を頂きたいというと、母親は心配そうに、そしてジャンクは憮然として息子の頭を軽く小突いた。
    「こんな奴が人の役にねぇ。アンタはなれると思ってんのか」
    「勿論、思っていますよ。でなければ、こうしてお宅へは伺っていません」
    「先生っ!」
    「こいつは村一番のガリヒョロだ。それが勇者に? 片腹痛いってもんだ」
    「今は弱々しいですけれど、一年後にはどうなっているか分からないでしょう? ポップくんには才能が有ります。それを伸ばすのは今しかないんです」
    「……勇者になる才能?」
    「いえ、まだそれは可能性の一つです」
    「先生?」
     ジャンクはにやりと笑うと、今度は自分の息子の髪を大きな手の平でがしがしと掻き回した。
    「まあ、いいわ。要はこいつを鍛えてくれるつーんだろ? この根性なしがどれだけ頑張れるか見ものってもんだ」
     言葉の端端に「きっと、こいつは放り出して逃げてくる筈だ」という思いが透けて見えたが、母親であるスティーヌは心の底から心配しているようで、一体、どんなことをするのかと問うので、アバンはざっと勇者育成コースの内容を掻い摘んで話をしたが、その過酷な内容にスティーヌは真っ青に、そしてジャンクは腹を抱えて笑った。
    「命の補償はしますが、多少の怪我は仕方がないと受け止めてください」
    「ああ、構わねょ。それで、このヒョロガリが半人前にでもなれりゃあ、御の字だ」
    「――あなた」
     どうやら許可は取れたようだと、安心してアバンは席を立ってポップを伴って家を出ていくと、スティーヌは不安そうに胸の前で手を組み合わせながら、二人が森の方へと向かうのを祈るように見届けた。

     修行の場に戻り、ポップは呪文の契約ってどうするのかを聞いてきたので、アバンは一本の木の枝を拾うと、地面に対して何かしらを描き始めた。
    「こうして、魔法陣を描き、その上で精神統一をしながら心の中で『我、望む』と強く願って下さい」
    「われ、のぞむ」
    「使うに足るものだと判断されれば魔法陣は光り、呪文は貴方の中へと吸収されます」
    「そして、魔法が使えるようになる!?」
    「いいえ、それだけでは駄目です」
     キラキラっと輝いた目が失望で暗くなる。その表情の変化にアバンはくすりと笑いながら先を説明する。
    「使うにはそれに値したレベルがないと」
    「レベル?」
    「人は経験を積んでいくと、体力と共に魔法力もアップしていきます。魔法は大掛かりになれば成程、魔法力の消費量も増えていきますから、最初に使えるのはせいぜいメラ程度でしょう。でも、これだけでは駄目です。魔法の事となりを知らなければ」
    「こととなり?」
    「魔法とは何か、魔法力とは何か、です」
     そうして、アバンは懐の中から小さな黒板を出すと近くにあった木へと掛け、そこへ火、水、風、地と書きつけた。
    「この四つが自然界の四大元素と呼ばれ、それぞれに精霊が宿っていると考えられています。互いに打ち消したり高め合ったりと関わりあっています」
     ポップは頭を傾けながらもうんうんと頷いているが、次にアバンが黒板に光と闇と書きつけると、難しい顔になる。
    「その他にも光属性や闇属性の魔法があり、体力を回復する魔法の原点は水ですが、そこには光属性も含まれ――」
    「あー、もういいっす!」
     アバンの話に、ポップは両手で頭をガシガシと掻き回す。
    「やっぱ、おれ、魔法使いは向いてねぇわ」
    「そんなことは」
     アバンは黒板から目を離してポップへ振り返ると、そこにやはり魔法力の淡い光を纏った新しい弟子がいて。おまけにその光は炎の精霊の形をとり、ふわふわと意味ありげな目付きでアバンを見やりながら空へと消えていく。
    「――ないと思うんですがねぇ。では、呪文の契約は止めて、再び剣の訓練に変更しますか?」
    「い、いや、それはそれでぇ」
     午前中の訓練の厳しさを思い出したのだろう、途端にそわそわと視線を彷徨わせている様を見て、ふと、ほくそ笑んでいたジャンクの顔を思い出して成程とアバンはうなずいたが、ただ、ポップの言葉を待った。
    「勇者も呪文使うじゃないっすか。だから、今日は予定通りに呪文契約にしたいな、っと」
    「いいですよ。それでは地面に今から魔法陣を書きますので、その中心に腰を下ろして目をつぶり、先程私が言った通りに精神を集中させて下さい」
     説明しながらアバンは、地面に木の棒でさらさらと魔法陣を書いていく。
     結果、ポップは火炎系呪文の全てと氷系呪文の一つ、を契約することが出来た。
    「おお、おれって意外と才能あんのかも」
     契約を終えて手足に力がみなぎるのが分かるのだろう、ポップな自分の手の平を見つめて目を丸くするが、次の瞬間、少し難しい表情になる。
    「でも……勇者の使うライディンが契約できなかったな」
    「まぁまぁ、レベルアップすれば使えるようになるかもしれませんし」
    「本当っすか?」
    「この世界には様々な職業があって、僧侶の能力を持ちながら武道家になったり、戦士の能力を得た後に商人になったり。だから今は契約できなくても、魔法の理、力の成り立ちを理屈ではなく、肌で分かるようになれば」
    「ライディンが使えるようになる!?」
    「元々は風の魔法なので。頭で理解した上で精霊の加護があれば――ですが、さ、次は瞑想の仕方ですよ」
     アバンは手を叩いてポップの気を自分へと持ってくると、瞑想の方法――まずは自己の内面に向かう事から始め、修行は日が暮れるまで続いた。
     地面へと胡坐をかいて座り、目を閉じるだけなのだが、集中が解けてしまったり、眠くなって舟をこぎ始めると容赦なくアバンの喝が入る。ただ座っているだけでラッキーと思ってしまったポップは、予想とは違う厳しさに根を上げそうだった。
    「さて、今日はここまでにしましょうかね」
    「ふへ~い」
     半分眠っているようなポップに溜息をこぼし、アバンは再度瞬間移動呪文で、今度はポップの店の前まで来ると、扉の所で待っていたスティーヌへと愛する息子を渡してから静かに宿へと向かった。

     次の朝、アバンは昨日と同じように宿屋の一階にある食堂で朝食を摂る。
    「さて、あの子は来るでしょうかね」
     大抵の子は初日に厳しさに折れてアバンの元には来なくなる。ましてや、勇者育成コースは自分でも厳しいのではないかと思う程で、だからこそ、アバンは自分の元から去っていった弟子を責めることも追い掛ける事もない。ただ、胸に去来する寂しさを抱えて次を待つだけだ。
     時々、修行内容をもう少しだけ簡単にすべきではないかと思う時もあるが、剣術にしろ魔法にしろ、命に関わる術を習う以上、中途半端が一番にタチが悪いのだ。
     血反吐を吐くほどの努力の向こう側に、力以上に大切なもの――正義の摂理があり、そうして得たものは他人の為に使うものなのだと理解してもらう為にも、今のカリキュラムを変える気はなかった。
    (あの子はジャンクさんの言うように少々ムラっ気があって、壁にぶち当たってしまえば、その場で折れてしまうような子です。そんな子供に私は……)
    「せんせーい!」
     まさか、と思いつつ、朝食から顔を上げて見れば、そこには昨日と変わりない、いや、筋肉痛なのだろう、少々動きがぎこちないポップがいた。
    「今日は母さんに弁当作ってくれたっすよ~」
    「おお、それは有難いことですねぇ」
     大きな、明らかに一人分ではないバスケットをホクホクの呈で抱えてくるポップに、にこやかに返しながらアバンは間髪入れずに瞬間移動呪文を使い、昨日の修行場所へと移動した。
    「では、今日もぶりばり! 修行しましょう。その方がお弁当も美味しいですよ」
    「あ、あ……ちょっと待って」
     では、基礎トレーニングの走り込みからと構えるアバンに、ポップは待ったをかけた。
    「なんです?」
    「いや、おれ、あれから色々考えていたんすけど、やっぱ、勇者はやめとこうかな~って。ほら、だって、やっぱ勇者は荷が重いっていうか、皆の期待を背負って戦うのってしんどそうだし? その点、魔法使いになって影から仲間を助ける方が格好いいかなぁって。影の主役って感じでさ。母さんもその方がいいって、今、村には魔法使いがいないからって」
    「魔法使い、ですか」
    「ほら、アバン先生だって、おれは魔法使いの方が向いてるって言っていたじゃないっすか! こういうことは専門家の意見を尊重した方がいいって思うんすよ」
    「専門家?」
    「教育の専門家でしょ? アバン先生は」
    「ええ……ああ、そうでしたね」
     炎の精霊たちはポップの回りを昨日と同じようにふわふわと舞っていたが、少しだけ嬉しそうにアバンには見えた。
    「それに、おれ、ライディン使えなかったじゃないですか」
    「別に勇者だからって、ライディンが必須では」
    「やーダメダメ、やっぱ、勇者っていったらライディン使えなきゃ格好悪い。でも、おれはライディン以外の魔法なら大抵契約出来ちまっている。これって凄いことなんでしょ?」
    「ええ、まあ」
     キラキラと瞳を輝かせてアバンへと迫るポップに押されて、少々引き気味にアバンは応えると、やっぱりな! と新しい弟子はこぶしに力を入れて雄叫びを上げる。
    「おれ、魔法使いになるっすよ、先生! それも世界一の魔法使いに!」
     何ともポジティブシンキングな考えにアバンは苦笑し、しかし、それもまた良しと手を叩いた。
    「その意気ですよ! ポップ!」
    「先生っ!」
    「では、走りましょうか!」
     満面の笑みを浮かべるアバンに、顎が外れるかと思う程で口を開いて絶句するポップだが、今にも猛スピードで走りだしそうなアバンを止める事が出来たのは奇跡だろう。
    「ま、待ってきださいよ! おれ、魔法使いになりたいんすよ!?」
    「はい、それはさっき聞きました」
    「聞きましたって……魔法使いに体力は必要ないでしょ?」
    「そんなことありませんよ。全ての職業において体力は付きもんです! パーティで全力疾走する時、置いてけぼりにはなりたくないでしょ?」
    「そ、そんなの、ビューンってかっ飛ぶ方法があれば、って、ないですか? そんな魔法」
     ポップの質問に、アバンは顎に手をやると暫し考える素振りをする。
    「あることにはありますが」
    「やっぱり!」
    「でも、そこまで到達するには相当な経験値を稼がなければなりませんよ」
    「――え、そうなんだ」
    「つまり、レベルの低い今は走って走って、経験を磨いて精進するしかないんです。さ、走りますよ」
     今度こそ、ポップの制止も聞かないままにアバンは稲妻のように走り出してしまう。
    「ひー! お、おれ、まずは瞑想がいいんですけどぉ」
     どうやら昨日の鍛錬の名残りの筋肉痛があるらしく、ぎくしゃくとした足さばきでポップは走り出すと、しばらくしてから背後からアバンの声が掛った。
    「ほら、ちゃっちゃと走る」
    「え、なんで、後ろから?」
    「何でも何も、森の回りを一周してきちゃったんですよ。その結果、ポップの後ろに付いてしまったんです」
    「そ、そうっすか」
    「うーん、もしかして……筋肉痛、辛いですか?」
     アバンの問いにポップは必死になってコクコクとうなずくと、アバンの手がぽんと背中を叩いた。
    「え、あれ? 体の痛みが……消えた?」
    「ベホイミを掛けましたからね。ほーら、これで幾らでも走る事が出来ます」
     にっこりと笑うアバンに(もしかして、筋肉痛だと寝っ転がっていた方が楽だったかも)と考えるポップだったが、時すでに遅し。地獄の修行二日目が始まったのだ。


     口ではしんどいだとか、疲れた、お腹が空いただのと文句の多いポップだったが、一度たりとも「やめる」とは言わなかった。
     ただ、時々、おれには無理なのかな、だとか、でも、諦めたくないだとか自問自答する場面が多くなり、気になったアバンは、ある日の昼食時に聞いてみた。
    「何故、私の修行を受けてみようと言う気になったのですか?」
    「そ、それは……格好いいからで」
    「物語の中ではね。キミは苛めっ子から自分を守る為でもなく、森のモンスターからこの村を守る為でもなく、冒険の為に強くなりたいのですか?」
     ポップの目は強く真っ直ぐにアバンへと向けられて、僅かに震えた唇は少し不器用に言葉を綴った。
    「人は……長くは生きられないんですよね」
    「ええ、そうですね」
    「人は一つの人生しか生きられないし、死んだらそれっきりなんすよね」
    「そうですね」
    「だったら……おれ、物語の中の人物のように生きたっていう足跡をつけたいなあって思うんすよ」
     そうして、はにかむ様に笑うと照れ隠しのように頭を掻く。
    「おれ、このまま、この村でこじんまりと生きていくのかなあって思うと、辛くて寂しくて……でも、一生懸命に生きたことを誰か、出来れば沢山の人に覚えてもらえれば、きと寂しくないって思えるんじゃないかなって」
     風が吹いて木々が騒ぐ。草むらの上をひらひらと舞う蝶を目で追いながら、ポップは話を続ける。
    「こ、こんな気持ちじゃダメですか? や、やっぱ、物語の主人公のように立派なこころざしって言うのがなきゃ、ダメですか?」
    「そんなことはありませんよ」
     アバンの言葉にポップは勢いよく顔を上げる。
    「切っ掛けなんて何でもいいんです。この村を守りたいとか、健康の為に始めたいだとか……女の子にもてたい、だとか」
     最後の言葉にポップは少しだけ頬を赤らめると、てへへ、と笑って肩をすくめた。
    「生きた証を残したいのでしょう」
    「いや、そんな大層なもんじゃ……いや、そうなのかな?」
    「私はね、私の伝える術が正しい方向へと使われるのならいいんですよ」
    「正しい方向?」
    「自分の為よりも、他人の為に良いことを行うことです」
    「おれは先生から教わったことを正しく使える事が出来るかな」
    「出来ます。出会った時に確信はしていました」
    「――先生」
    「はい」
    「おれも先生に初めて会った時、すげードキドキしたんだ。まるで買ったばかりの新しい本を捲る瞬間みたいなさ」
     まるで眩しいものを見ているかのように、ポップは目を細めると告白をするように呟く。
    「これが運命だとしたら、おれは凄い物語の主人公になれるんじゃないかって思ったんだ」
     ポップの言葉にアバンは答えることなく、ただ、穏やかな笑みを返すのみだった。


     村に新しく来た旅人は相当に強い『家庭教師』という噂は、小さな村だけに瞬く間に広がった。村一番の暴れん坊である少年を倒し、ある時、村に押し入って来たモンスターのグリズリーを「殺すには忍びない」と、あっという間に気絶させると、そのまま担いで森の中へと消えていき、帰ってきた時には「もう二度と、この村には現われませんよ」と確約してくれ、その上で村のモンスターから人の居住地を守るための邪気払いはどうしているのかと村長へ聞くと、この村は周囲を取り囲むように守護石が五つ並べられているが、おそらく、石に込められた破邪力が弱まっているのだろうと、普段はこの村の魔法使いが一年に一度、破邪力を込めて村の守護を強化しているが、今、魔法使いは高齢の為に臥せっている状態で、誰も守護石の結界を強化できないでいると言う。
     村長の話を聞いて、アバンはふむ、とうなずくと、ポップを伴って村の北東にある守護石の所までやってくる。
    「何をするんすか? 先生」
     アバンの足元にあるのは何の変哲もない石だが、アバンは一見しただけで地表に出ているのは石のほんの一部で、大部分は地下に潜って村を守るための魔法陣を構成しているのだと言う。
    「で? どうするんすか、これ」
    「まあ、見ていなさい。覚えておけば、結構、役に立ちますよ」
     言うとアバンは石の前に立つと手を合わせて、念を集中し深く息を吐き、そしてゆっくりと吸い込むことを繰り返し、気合と共に両手を前へと突き出すと石が光りだし、次いで石が埋まっている地面か四本の光の線が素早く伸びていく。
    「先生、これは!?」
    「石の一つ一つに念を込めていくのもいいんですが、面倒なので、一気に込めちゃおうと。光の線は他の四つの守護石へ破邪力の線です。今、この村は五芒星魔法陣によって取り囲まれているのですよ」
    「村、全体!?」
     小さな村とは言うが総勢千人の村人が方々で暮らしている規模だ。おそらく魔法陣の規模も外周を回るだけで一日仕事になるだろう。
    「簡単ですよぉ。もう魔法陣は描かれていますからね。あとはこうやって破邪の力を」
     気が付けばアバンの両手には花火のような光がバチバチと音を立てながら纏わり、それをそのままアバンは石へと叩きつけた。
    「マホカトール!」
     途端、石は宝石のように光り、地面に走った光も火柱のような光が立ち上がり、すぐに消えた。
    「さ、これでしばらくは村に邪悪なモンスターは入って来られないでしょう」
    「しばらくって、どれくらい?」
    「えっと、ざっと百年くらいでしょうか?」
     さらりと言ってのけた数字にポップは目を向くと、アバンは笑って「貴方もこれくらい出来るようになります」と言い放って、何ら変わりはないような調子で修業を始めたのだった。
     旅の家庭教師が魔法陣を一日で強化したという噂は瞬く間に広がった。
     その日からアバンの元へと弟子入り希望の人達が宿へと訪れるようになり、気軽に食堂で食事をする事が叶わなくなったアバンは、ポップの家で食事をするようになり、そのままなし崩しのように鍛冶屋の家へと居候という形となる。
    「ねえ、あんなに大勢の人が先生の弟子になりたいって来ているのに、弟子は取らねぇの?」
     ある日の大雨の日。これでは修行にならないとアバンは屋内で出来る事、魔法の成り立ちや歴史、瞑想をするようにと弟子へと告げると、自分は日頃世話になっていますからと、台所に立って昼食を作り始めた。
    「元々、この村には休息の為に訪れただけで、弟子をとる気は一切なかったからですねぇ」
    「そうなんだ」
     ポップはテーブルの上に、アバンから手渡された分厚い本を前ににんまりと笑うと、嬉しいのを隠そうともせずにぶらぶらと足を振って見せた。
     弟子を取る気のなかったアバンから、見事、弟子の地位を勝ち取ったのは自分しかいないのだ。今後も弟子は自分一人にして欲しいし、先生が他の人間に対して手を掛ける場面を見たくないとも思ってしまう。
     くつくつと鍋が音を立てるのも、アバン先生が楽しそうに鼻歌を歌うのも楽しいし、嬉しいと思ってしまう。ちらり、と視線を厨房へ向けてみれば、キッチンには彩り鮮やかなサラダが目に入り、そして大皿にはきのこ満載のピラフがのせられている。この森の中ではピラフなんて滅多に口に出来ないものだけれど、アバンが瞬間移動呪文で米料理が盛んな街へ行き、仕入れてきたのだと言う。
     窓の外へ目を向ければ大雨で、ガラスを大粒の雨が叩きつけるのも楽しい音楽のようで、様々な音楽に囲まれながら、ポップは本の文字を目で追った。
    「……貴方のご両親は、貴方を旅に連れていくのを許してくれるでしょうか?」
     ふと、呟かれた言葉にポップは顔を上げると、困った様な表情のアバンと目が合った。
    「それは、どういう」
    「本当の魔法使いになりたいのなら、座学や自己鍛錬だけでは駄目だという事です。ここで得られる経験値は微々たるもので、一気に飛躍したいなら旅に出て、実際、モンスター相手に戦わないと」
     戦うと言う言葉にポップは緊張で喉を鳴らした。いよいよ、物語のように戦い、勝利の喜びに湧く日が来るのだ。自分はまだ弱いけれど、アバン先生がいれば大抵の困難は切り抜けられるだろう。
    「行きます! おれ!」
    「いや、貴方が行く気満々なのは分かりますが、問題はご両親から許可が得られるか。何せ、貴方はまだ十三歳なのですからね」
     世間一般的に大人と言われ、職業に就く事の出来る年齢は十五歳だ。ポップはまだあと二年の猶予がある。
    「ここで一通り教えたら、あとは二年後に迎えに来るという形に……」
    「いやです! おれはずっとアバン先生に付いていきます!」
     ポップは椅子から飛び降りるとアバンの身に着けていたエプロンにしがみつき、涙目で見上げた。
    「先生にとっての二年はあっという間だけれど、おれにとっても二年は気が遠くなるほどの時間なんです!」
    「でもねぇ」
    「おれ、先生がいなくなったら魔法修行にも身が入らなくなって、レベルが下がっているかも! 一人じゃ無理!」
     先生先生、と腰に取りすがって泣く子を、流石のアバンも引き剥がす訳にはいかず、それならばと条件を提案した。
    「貴方がご両親の許可を取って下さい」
    「お、れが?」
    「はい。私が上手いことを言って両親を丸めこんでしまうよりも、貴方の決心の硬さを両親に示して、貴方の意思で私に付いてきて下さい。出来ますか?」
     ぐすり、と鼻水ごとポップは手の甲で拭うと、出来ると大きな声でアバンへと答えた。

     その日の夕方、鍛冶屋に現われたのは、黒いローブを身にまとった顔に青黒い痣のある少女――アバンがこの村に足を踏み入れた時にポップを取り囲んでいた一人だった。
     少女は店じまいした店内に入るとポップの名を呼び、アバンと共に厨房に入っていたポップは夕方の光に照らされた店内へと顔を出し、まずは明らかに暴力が振るわれたのだろう顔を見てポップは驚いた。そうして、何故そうなったのかとを問い質したが、少女は頑なに首を横に振り、兎に角、アバン様に会わせて欲しいと乞う。
    「わ、わかった。ちーっと待ってろよ」
     これは一大事かもしれないと踵を返したところで、スティーヌの夕飯の手伝いをしていたアバンがすぐ後ろに立っていたことに気付く。
    「私ごときで力になれるなら、幾らでも話を聞きますよ。で、誰にも聞かれたくない話なんですよね?」
     アバンの問いに少女はコクリとうなずくと、アバンは身に着けていたピンクのエプロンを脱ぎながらキッチンにいるスティーヌへ出かける旨を話して、棚の上にあったアバンが焼いたクッキーの入れ物を手に二人の元へと戻り、ポップには少し出掛けてきますね、と。そして、アバンは少女の肩へとに手を掛けると、これから何をしようとしているのか察したポップが咄嗟にアバンの腰へと抱きついた。
    『瞬間移動呪文!』
     今では耳慣れた呪文の言葉を聞きながら、ポップの身に起こったことは、浮遊感、次いで下へと叩きつけられるような軽い衝撃だった。
    「ポップ、あなたねぇ……付いてきちゃったんですか」
     ポップが目を見開いてみれば、そこには見慣れない風景――夕方のオレンジ色の光に照らされた小さな城と、木々の合間から見える大きな水溜り。
    「海だーっ!」
    「海だじゃありません。貴方、スティーヌさんに何も言わずにここに来ちゃっている形になっているじゃないですか」
    「スゲーすね! おれ、海見るの初めてなんす!」
    「だから、貴方だけでも、もう一度家に帰って……」
    「あれ、全部、水なんすよね! スゲー! あ、太陽が沈んでいるっつーことは、ここは西の方? なんて場所なんす? ここ」
     呆れて説教をするアバンの声など、ポップの耳に入らない。
     初めて見る海に飛び上がって喜ぶポップに、もう一度アバンは溜息を吐くと、やはり初めて見るのだろう、海の景色に目を丸くして瞬く少女に、ポップも同席して良いかと尋ねる。
    「――ポップ、も?」
    「彼は私の弟子ですし、私が口外するなと言えば貴方の秘密は守られるでしょう」
     アバンのいう事にポップは海から目を離して振り返ると、コクコクと必死な様子で少女に対してうなずく。
    「それでも、口にすることが出来ないのでしたら、少々待っていて頂ければ、彼を家に戻してきますが」
    「えー。なんだよ、それ。なあ。おれ、秘密にするからさあ、家には帰さないでくれよ! 友達だろ!?」
     少女に迫るポップに、アバンが待ったをかける。
    「あのですねぇ、ポップ。彼女は女性なのですよ。女性には色々と、その……デリケートなことがあるんですよ。……って、その相談事が本当にデリケートなことであれば、私なんかの出番はないと思うんですが……いや、だって」
     するとアバンは頬を赤らめて腕を組んで首を傾げた。
    「むか~し、ね。ある女性の体の変化に気付いて助言をしたのですが、その事に関して仲間からどうして分かったのか、意外とスケベだったんだなとか、色々とからかわれたことがありますが……いや、一般常識じゃないんですか? 女性の体はデリケートで神秘的なものです。それを助平だなんだのと片付けられては」
    「あ、あの……」
     ぶつぶつと何かしらを言いだしたアバンを、少女が止めた。
    「だ、大丈夫だと思います。ポップがいても……その……それに、アバン様が考えているようなデリケートな話ではないですから」
    「おや、そうなんですか」
    「……はい。そんなことよりも悲惨で深刻な話なんです」
     少女はアバンへと駆け寄り、組んでいる腕へと手を掛けて訴える。
    「どうか、私の友達を助けて下さい!」
    「……分かりましたから、落ち着いてください。まずは怪我の手当てを。そして、暖かいお茶をあげましょう」
     アバンの言葉に少女の肩は震え、ポップは意味も分からず顔を傾けた。
    「顔の痣もそうですが、貴方、腕に怪我をしているでしょう?」
     言うとアバンは少女のローブを肌蹴させて、包帯で巻かれた左腕を露わにした。
    「あの、これは……」
    「これからする話に関連があるのでしょう? そのお話は後でちゃんと聞きますから、まずはこの傷の治療をさせてください」
     アバンは回復呪文を唱えると、少女の腕に治癒の光を当て、次いで顔へと光を向けると、痛々しげな黒ずんだ痣と腫れは綺麗に消えていった。
    「さ、これでいいでしょう。さ、城の中に入って下さい」
     言うとアバンは少女の背中を押して、小さな城へと歩き出した。
    「そういや、この城、なんすか? 先生」
    「私の生家、ですよ」
     アバンの言葉にポップは驚愕の声を上げ、特に取り上げもせずにアバンは城の入り口へと繋がる階段を上がると、懐から鍵を取り出して大きく重厚な扉を開けると二人に中に入るように促した。
    「ああ、やっぱり、長いこと留守にしていたから空気が淀んでしまっていますね。海側の部屋を使いましょう」
     中に入れば吹き抜けのホールに優美な湾曲を描く階段に、数は少ないものの品の良い調度品がそこかしこに飾られている。中でも目を引いたのは玄関正面に飾られた絵。アバンと同じ髪型の髭を蓄えた男性が描かれている。
    ――ここが、先生の生まれた家。
     茫然としたポップをアバンが呼び、慌てて小走りに行くと、城の一番の奥の部屋へと通されてこじんまりとしたテーブルと椅子があり、そこで座って待つように言われた。
     窓はすべて開け放たれ、そこからは海がよく見えた。オレンジ色に染まり、キラキラと輝く海は静かに凪いで、ポップの脳裏に深く刻まれる。
     そうして窓の外に囚われていたポップだが、軽い、ある意味聞き慣れた音がして振り返ってみると、椅子に腰かけた少女のローブから見覚えのある剣がのぞいていた。
    「なんだ、その剣、持っていたのか」
     少女は少しばかり動揺する風に、剣をローブで隠す。
    「い、いつも持っているじゃない。何も今日特別って訳じゃないわよ」
    「そりゃ、そうだけどさぁ」
     少女は少しばかり男勝りな面があり、友達同士と冒険の話をしては「助けられるのを待つだけのお姫さまより、格好いい騎士になりたい」と言い、誕生日の日には親にポップの家から大人が持つような大きな剣を買ってもらった程だ。当然、中身は危険な刀身ではなく、木で出来たものだが、もっと大人になったら本物の刃を買ってもらえるのだと自慢していた。
     その剣を身に着ける時は男勝りのズボン姿でいるのが常だったが、今、少女が身に着けているのは普段のスカート姿だ。そのこと自体にポップは違和感を覚えた。
    「……そういや、その剣、今のアバン先生の剣の作りと同じだなぁ……って、アバン先生がおれの家で買ったものだから同然なんだけどな」
     ポップの言葉に少女の態度は更に落ち着かない様になり、視線を彷徨わせて唇を震わせた。
    (なんだろう、もやもやする)
     胸の中の疑惑を晴らすために、ポップは言葉を重ねようとしたが、そこへのほほんとした声が掛る。
    「さて、お茶の用意が出来ましたよ」
     いつの間にかアバンはポットを乗せたトレイを片手に現われ、テーブルの上へと紅茶とクッキーを並べて、自分も椅子へと腰掛けた。
    「さあ、まずは暖かいお茶を一口飲んで、それから、私に何を頼みたいのか話してもらえませんか?」
     少女はアバンの言う通りに、暖かい紅茶を一口飲むと蒼白めいた頬に赤みがさすと落ち着いた様で、顔を上げて真剣な表情でアバンへと訴える。
    「私の友達が森の奥に巣食う魔物に捕えられたんです」
    「森の奥?」
    「はい。何十年か何百年か分かりませんが、蔦と木々に覆われた城が森の奥にあって、私達は大人には知られない秘密の場所として遊んでいたんです」
    「おれは知らねーぞ」
    「ポップには教えてないもん」
    「えーなんだよ、それ」
    「だって……エレンが教えるなって」
     上げられた名前に思い当たるものがあるのだろう、ポップは頬を膨らませて腕を組んだ。
    「しかし、この森はアバン先生が張った結界があって、モンスターなんてそうそう入っては来ねーんだけど」
    「私の張った結界は、あくまでも昔に引かれた魔法陣に沿って、です。そして、その魔法陣は村の中心地を囲むように張られていて、森の奥地までは影響が届きません」
     そうなんだ、と目をぱちくりさせる弟子は置いといて、アバンは少女に話の先を続けさせた。
    「その内、城の中には地下へと続く道がある事を発見して、私たちは冒険者のふりをしながら進んでいくと、ある扉の中に宝箱があって……」
    「あっちゃー」
     話の先が予想できたポップは声を上げて頭を抱えた。
    「みんな怖がっていたけど、もしかしたら凄い……伝説の武器とか入ってるかもしれないって。もし、そうならポップの家で高く買い取ってくれるかもって」
    「金目当てかよ! 伝説の武器が見てみたいとか、触ってみたいとか、それで冒険してみたいとかじゃないのかよ」
    「そんな夢みたいなこと、考えているのはポップくらいよ。あのカイルだって剣を振り回しているのは、お父さんの傭兵家業を継ぐためだもの」
    「――で、開けたんだな」
     ポップの容赦ない言葉に少女は一瞬、押し黙るが、胸の前で強くこぶしを握ると、コクリとうなずいた。
    「開けて……そうしたら中から黒い影が飛び出してきて……まるで闇が覆い被さるようにして辺りが見えなくなって、次に大きな手で押されるようにして壁に叩きつけられたんです」
    「貴方の顔や腕の傷はその時の?」
     アバンの問いに少女はうなずいた。
    「気が付いた時には、別の部屋に……大きな椅子の上に見たこともないモンスターが座って私に言うんです。友達を助けてほしかったら食料を持って来い、と」
    「食料?」
    「人間を、です」
     少女は一旦、黙りこくると顔を押さえると、指の間からほろほろと涙がこぼれ始める。襲われた恐怖を思い出したのだろう。
    「分かりました。貴方のお友達は私が助けましょう」
    「で、でも! 怪物は一人だけ騙して連れて来いと言ったんです! 城の周囲には怪物の配下がウロウロしていて、ちらっとでも大人数を見つけたら友達を殺すって!」
    「それで、何故、私を?」
    「せ、先生は強いですし、色々な魔法を使えるって聞きました。先生なら、上手く友達を助けてくれるんじゃないかって」
    「おいおいおい、確かに先生なら、どんなモンスターだろうとちょちょいのちょーいで片付けるけどさ、んな危険なトコ行けとか」
     ポップの言葉をアバンが遮る。
    「いいんですよ、ポップ。そして、よく、私を頼ってくれましたね」
     言うとアバンは少女の頭に手を置き、安心するようにと笑みを浮かべた。
    「さて、日が暮れて夜になればこちらが不利です。お友達の安否も気になりますし。早速出掛けましょう」
     さあ、行きましょうとアバンは立ち上がり、壁へと立てかけた剣を再び腰に差すと、少女は立ち上がりアバンへと抱きついた。
    「ありがとうございます! アバン様! 友達のこと、よろしくお願いします! 本当はわ、私が助けなきゃならないのに……でも、あの怪物を見たっ途端に足がすくんでしまって……わたし、わたし! ケイトを助けられなかった。ケイト……怪物に襲われて……う、あああぁあっ!」
     泣きだした少女を大丈夫ですからとなだめすかして、ようやく泣き止むまでに少々時間は掛ったが、アバンは再び瞬間移動呪文を使い、今度は村の森の外側へと降り、ポップに少女を家まで送り届けるように言うと、自分は森の中へと足を向ける。
    「先生っ!」
    「私の事は大丈夫ですよ、ポップ。それよりも彼女のエスコート、頼みましたよ」
     ひらひらと軽い、いつものノリでアバンが森の中へと消えていくのを見送り振り返ると、少女は先程よりも真っ青な顔で両手を胸の前で組んで震えている。
    「おいおい、まだ心配してんのか? 大丈夫だって、先生はつえーんだから、さくっとモンスター倒して戻ってくるって」
     コクコクと少女はうなずいたが足は動かないようで、肩を支えながら何とか村の広場まで歩き、それでも震えの止まらない少女をベンチへと座らす。
     蒼い夕闇が漂う村の中は人影もなく、窓から漏れる光がくっきりと地面へと落ちて夜のとば口であることを示していた。
    「あーこのままだと、おれがいらぬ誤解を受けるじゃねぇか。それにあいつらがいないことで大人達も探し始めているんじゃねーか? それをおれが説明すんの? 信じてくれるか? おれで? って、エレンとケイト以外にあと何人、モンスターに捕まっているんだよ」
    「6人……ケイトはもういないよ」
     重々しい言葉にポップは眉を顰めて、少女の隣に腰を下ろす。
    「怖い、怖かったの……ずっと……夜よりも暗い闇が天井を覆って……何をやってもあいつには効かなかったし……ごめんね!」
     わっと声を上げて顔を伏せて泣きだす少女に、ポップは何度目か分からない溜息を零すと、カタカタと震える少女の腰に剣があるのを目にする。
    (いや、こいつが剣を持っているのは知っているじゃねーか。何が気になるって……)
     少女の震えに合わせて、鉄でできた鞘がコツコツとベンチへと当たる、その音。
    「おいっ!」
     ポップは素早く少女のローブの内にある剣を引き抜くと、鞘を引いて銀に輝く刀身を目にした。
    「本物じゃねーか! どうしたんだよ、これ!」
     咎められていると思ったのだろうか、余計に少女は声を張り上げ泣き、その声を聞きつけて広場に大人達が集まって来た。
    「おい、ソフィじゃないか」
    「おい、誰かドゥークさんに知らせて来い! 娘さん、見つかったよってな」
     大人達は全員松明を手に持ち、ぞろぞろと広間へと現れる。
    「なんだ、何で泣いているんだ?」
    「おい、嬢ちゃん、オレのとこのカイトを知らねーか?」
    「なんだ、ポップ。こんな処にいたのか。オメーんとこの親父もお前を探していたぞ」
    「こんな遅くまで……大人達を心配させんじゃねーよ」
    「私の所のケイトも何処へいったか知らない? あなた達、よく遊んでいたわよね」
     大人達は好き勝手にものを言っていたが、最後の言葉に少女――ソフィはベンチへと体を伏せて大声で泣き出した。
    「おい、ポップ。これはどうした」
    「……これじゃあ、ダメだ」
     ポップは手にしていた剣を握りしめて走り出す。
    「おい! ポップ!」
    (森の中でのコイツの刀身は確かに木だった筈だ。いつもの軽い音がした。なのに、こいつは鋼鉄の刃になっている……取り替えられたんだ! アバン先生の剣と!)
     いつだ? と頭を思いめぐらせていると、森の入り口でアバンに抱き着いていたソフィの姿が脳裏に浮かぶ。
    (あの時か!)
     思えば、あの時からソフィの様子はおかしかった。悲しみ以外の何か、罪を犯してしまった悲壮感があった。
     元来た場所へと辿り着き、しかし、その森の様子にポップは固唾をのんだ。
     すでに森の中は闇で覆われている。そこは結界の外であり、普通にモンスターが徘徊しているだろう。
    (あそこにおれ一人で飛び込むのか? それに)
    『ケイトはもういないよ』
    『怖い、怖かったの……ずっと……夜よりも暗い闇が天井を覆って……何をやってもあいつには効かなかったし……ごめんね!』
     ソフィの言葉が頭の中を一杯にし、ポップの足を止める。
    (カイトがいたなら、剣を持っていた筈だ。おれ達が持っているような偽物じゃない、本物の剣……それでも敵わなかった)
     その上、ソフィの言葉から察するにケイトは既に死んでいるのだろう。ケイトの幼い体にモンスターの鋭い歯が深々と刺さり、血を吹き出すことまで想像して怖気でポップの背中を冷や汗が落ちる。
    「いや! 大丈夫だ!」
     ポップは叫んで首を振る。
    「だって、アバン先生だぜ? どんなモンスターだろうとちょちょいのちょーいで倒すさ!」
     本当に?
     丸腰のままで、どんな攻撃も通じなかったと言うモンスターに勝てる?
     ポップの手の中で剣の重みが増す。
    (渡さなくっちゃ、剣を)
     しかし、視線を上げればそこには人の存在を拒否するかのような闇がある。
    「だ、だいじょうぶ、なんじゃね? 先生、強いし」
     危険から遠ざかるように本能が叫ぶ。きっと、自分は森の中のモンスターに出会ったら勝てない。そうなれば結局、剣はアバンの元には届かないのだ。
     だったら、アバンの力を信じて待つ方がいいのでは?
    「そ、そうだ! 大人達に相談して城に向かえばいいんじゃないか? ……って、それじゃあ、城に配備されたモンスターから怪物にバレて、皆を殺されることになるか」
     きっと、大人達は自分の子供を助け出すために無理矢理にでも城に向かうだろう、自分の忠告は無視して。
    「いや、もうソフィの奴が今頃、皆に事の次第を話ししてるかもしれねーじゃん」
     そう考えれば猶予はなかった。
    「先生っ!」
     ポップは剣を握りしめてアバンを呼ぶ。
     当然、返事などなかったが、記憶の中はいつも微笑んで、どんなに自分が課題に取り組めなくても「困りましたね」と言いつつ、真剣に向かい合ってくれたアバンがいた。
    「アバン先生」
    『私はね、ポップ。貴方に会えて良かったって思ってるんです』
     記憶の中のアバンが語る。
    『弟子を何人も手放して、中には卒業の証を受け取れる優秀な生徒もいましたが、大半は志半ばに心折れて去った者も多い。自分には人を教える才能がないのかと悩みましたが、ポップ、貴方はそんな私に希望を与えたんです』
    ――希望?
    『はい。貴方は私のことを滅茶苦茶に褒めてくれるものだから、その気になっちゃってるんですよ、私』
    ――だって、先生は本当にすげぇんだから、当たり前でしょ。
    『いつの間にか消えていた自信を取り戻したんです。だから、ポップ、貴方は私の恩人でもあるのですよ。物事を軽く鮮やかに生きるための指針を思い出させてくれたんです。だから、ありがとうと言うのですよ』
     ポップの両目は見開き、いつの間にか足は駆け出していた。
     使える武器は、最近、やっと発動するようになった火炎呪文と基本だけは押さえた剣術、そして体術だけだが、スライム程度なら楽勝の筈だった。
    「それ以上のモンスターは出るんじゃねぇぞ!」
     祈るようにしてポップは闇の中へと飛び込んだ。

     一方、アバンは城の奥深くへと入り込むと、少女の情報通りに奥の間へと進み、重々しい扉を開いた。
    『来たか』
     こもったような、それでいて聞き覚えのある声に視線を向ければ、玉座のような大きな椅子の上に、これまた見覚えのある少年が腰掛けていたのを目にした。
    (この村に訪れた時、剣を自慢していた少年ですね。確か、名前はカイトと)
    『よく来たな、旅の者よ』
     暗い目で相手を見やる少年に、アバンはニヤリと笑う。
    「なるほど、別の魂が憑りついてる訳ですか。他の子供達はどこにいるんです?」
    『あやつらは閉じ込めてある。場所は言えんな』
    「いいですよ。勝手に探して勝手に帰ります」
    『そうはいかん』
     背後にあった扉が勝手に閉まる。
     室内は存外に広く、おそらく訪れた賓客をもてなす為のフロアなのだろう。大理石の灰白色の床に八方からの光で薄い影が幾重にも落ちていた。
    『お前はあの村に入る前から目を付けていたんだ』
    「カイトくん、でしたっけ? 怪我はないですか? どこか辛いところは?」
     アバンは憑りついているモンスターの言葉に反応することなく少年の魂へと語り掛けたが、返ってきた言葉はモンスターの芝居じみた言葉だ。
    「辛いところなど、今はとても気分がいいですよ、先生」
     椅子に腰かけたまま、にやりと少年は笑い、前にも見たことのある大剣を床へと突き刺す。
    「オレに恥をかかせたお前に、あの時の借りを返してやれるのだからな」
    「はて? 借りとは何でしょう? 私、キミには何一つ借りてはおりませんが?」
    「とぼけるな!」
     少年から吐き出される覇気に腐肉のような匂いを感じて、アバンは眉を顰める。
    「お前は将来有望な――世界に名だたる騎士になるだろう男を辱めたのだ!」
    「ノンノン、いけませんねぇ」
     相手が幾ら気負おうとアバンは軽やかに受け流す。傍から見れば、どちらが格上のなのかは火を見るよりも明らかだ。
    「恥と受け取るから辛いのです。自分の欠点、未熟な部分が浮き彫りになったのですから、それを好機と捉えて挑戦しなさい。きっと、貴方は伸びるでしょう」
    「オレに欠点などない!」
     少年は大剣を大きく振りかぶると、アバンへと大きく打って出たが、アバンは受け止めることなくひらりひらりと躱していく。
    「何故、剣を抜かない!」
    「抜くも抜かないも……刀身が木で出来た剣なんて、一瞬の内に真っ二つでしょ?」
    「お、お前、気が付いて!?」
     アバンはニヤリと笑うと肩をすくめる。
    「そりゃ気が付きますよ。本物の剣の重みがどれ程か知らないんですか? 少年の中にいるモンスターさん」
    「丸腰であると、それを知って……ここまで来たのか」
    「はい」
    「何故……」
    「そりゃあ、丸腰でも貴方に勝つ自信があるからですよ」
     少年の頬にさっと朱が刷かれると、剣を大上段に振り上げる。咆哮を上げて斬りかかる相手を迎え撃つべく、軽く一歩引いたところでアバンは唇を引き結んだ。
    (もう一つ、何か決め手になるものは……間違える訳にはいかないのに!)
    「先生!」
     この場にいる筈のない声を拾って、アバンは驚いて振り返れば、そこには本物の自分の剣を手にしたポップが立ってた。
    「え? カイト? 何してんだよ、そんなところで」
     だが、アバンに会えたことよりも顔馴染みの一人が尊敬すべき人に剣を振り下ろそうとしているのがショックで声を張り上げる。
    「何だよ! お前……化け物に捕まっていたんじゃないのかよ! それがどうしてアバン先生に剣を向けているんだよ」
    「……誰かと思えば、武器屋の泣き虫か」
     少年は憂鬱そうな表情で、唾棄するように言い放ち、ポップは一瞬だけ言葉を失う。
    「弱虫って、それ……カイト」
    「本当のことだろうが」
    「それ、だけは……」
     ポップの声は震えつつも、言葉を紡ぐ。
    「それだけはオレは言わないって、言ったじゃねぇかよ! 兄貴!」
     闇の気配が大いに揺れる。この吐き気を催しそうな瘴気の中で、何かが崩れ落ちようとしているのがアバンには分かった。
    「ポ……ップ……たすけ、て」
     少年の仮面が崩れ落ち、本当の顔がそこから覗いた。
    「やはり、そうか! ポップ!」
     アバンはポップを近くへと招くと、両手を差し出して真空呪文を唱える。
    「――えっ!」
     アバンの手の平に生まれた真空は、その一振りで壁の全てのカンテラを叩き落し、室内は闇に包まれた。
    「えっ! ちょ、ちょ、先生!」
    「慌てないで! ポップ」
     真の闇の中、明かりが灯る。それはアバンの手の平の中だ。
    「閃光呪文……」
    「え!? やばいよ、先生。こんな狭い場所で使う魔法じゃない!」
     アバンの腰にしがみ付きながら、悲鳴のようにポップは声を上げるが、対するアバンの声は静かに凪いでいた。
    「大丈夫です。天井ギリギリで止める」
    「そんな! ぶつかったら」
    「大爆発ですねぇ」
     他人事のように言い放つアバンだったが、手の平の光の玉は真っ直ぐに天井へと向かい、物体に触れる前に止まって周囲を照らした。
     上から照らされた光りは室内にいる三人の足元の影を濃いものにし、四方八方に広がっていた影は一つにまとまる。
    「戯言は終わりです」
     いつの間にか、アバンの手には本物の剣が握られていた。
    「空裂斬!」
     地面へと向かって剣は振り下ろされ、刃は地面スレスレを薙いでいくと、次の瞬間、誰のものでもない断末魔の悲鳴が室内に響き、同時に少年は魂を失ったように惚け、膝をつきながら倒れた。
     暫し、耳が痛くなるほどの静寂の後に、ポップはアバンへ床へと倒れている少年が生きているのかと訪ねると、当然生きていますよとアバンがうなずいた。
    「でも、先生の剣は影を薙いだだけで」
    「あの影こそがモンスターの本体だったのです」
     アバンが言うには、最初から少年はモンスターに操られている事は分かっていたが、それが魂の核なのか、単純に影に潜んで対象者を操っているのか区別が付かなかったと言う。
    「でも、貴方の声で仮面が崩れ落ち、本心が見えましたから。核を支配されていたのなら、決して自我は出てきませんからね。よって、モンスターは影の中に潜んでいると分かったんです。後は室内の明かりで四方八方に広がっていた影を一つにまとめるだけ」
     そうなんすかと上を見上げてみれば、そこには光の玉がふわふわと浮いている。
    「それよりも、よく彼の動揺を引き出せましたね。てっきり、彼とは仲が悪いものだと思っていましたよ」
    「……もっと、ちっさい時は仲良かったんすよ、おれたち」
     言うとポップは少年の元へと駆け寄り、大丈夫かと声をかけて頬を軽く叩いた。
    「カッコよくて皆のまとめ役で、親父に怒鳴られては泣いているのを慰めてもらったり、森で出くわしたスライムをやっつけてくれたり」
    「それで、兄貴、と呼んでいたのですね」
    「はい。でも、傭兵団の見習いに入ることが決まってから荒れだして……本当はカイトは木こりになりたかったんですよ」
    「木こりに?」
     アバンの言葉にポップは黙って頷いた。
    「木こりって言うと皆、木を切るばかりが仕事だって思うけれど、本当は違うんだって。森の生態を知って、どの木が切ってよい木か悪い木か判断して切らなきゃいけないし、切った後も森が再生できるように育てていかなきゃならないんだって」
    「そうですね。森の理を知り、森と共に生きていくのが木こりです」
    「でも、兄貴の家は代々傭兵の家だから。親には逆らえなくて……」
    「親に逆らうのは怖いですか?」
    「あったり前でしょう! 想像しただけで震えが来る」
     ポップは自分を抱くようにして肘を抱えると、まるで寒いかのようにガタガタと震えたが、その表情に悲壮感はなく、いつもの軽口だと分かる。
    「まあ、いまは他の子供達を探しましょう。どうやら、彼は魔のものに憑りつかれた所為で、相当に精神力を消耗していますから」
     言うとアバンは少年を横抱きに抱き上げると魔法力で自分の身を包み込む――瞬間移動呪文の予備動作だ。
    「さ、ポップも私に掴まって。まずは彼を村の人達に預けてから城の捜索に入りましょう」
    「はいっ!」
     先程とは打って変わって明るい言葉でポップはアバンの腰へとしがみ付くと、アバンは呪文を発動した。
     そのアバンの耳へと届く声がする。
     それは古代精霊の言葉であり、この場ではアバンにしか意味を汲み取ることが出来ない言葉だ。

    ――欲しい、欲しい、欲しかった。
    ――勇者アバンの体が欲しかった。
    ――間違いない。あの波動は確かに地底魔城で感じたものだ。
    ――輝ける魂の持ち主、悲色に彩られた魂はどんな宝石よりも美しい。
    ――魔王様の断末魔のあと、我は闇の中に深く沈み込み淀み、揺蕩っていたが、ある時、我を箱へと封じて持ち出す者がいた。
    ――一体、何の目的があって我を持ちだしたのかは知らぬし、興味もない。
    ――ただ、あの時に見た、魂の輝きを夢見て閉ざされた箱の中で闇に漂う。
    ――欲しい、欲しい。勇者アバンの体と心が欲しい。
    ――欲しい、欲しい。
    ――せっかく、見つけたものを……。


     村に着いたアバンとポップは事の成り行きを村人へと伝えると、最初は胡散臭く思っていた村人もアバン御腕の中にいる少年の様子や、一瞬だけ目を覚ました彼の言葉により急ごしらえで捜索隊を組み上げると、アバンの瞬間移動呪文で問題の城の中へと飛ぶ。
     結果から言うと、ケイトは生きていた。モンスターに体を乗っ取られたカイトによって大怪我を負い、回復には相当の時間を要するだろうが、命は取り止めたのだ。
     子供たち全員を見つけた後で、一旦、捜索隊は村へと引き上げた。モンスターの巣窟となっていた城を放置する事は危険だったが、詳しい調査は明るい昼間の方が安全だ。
     大人達に叱られ、しかし次の瞬間には「心配した」と言って泣いて抱きつかれた子供達は、わんわんと声を張り上げ、「ごめんなさい」と言って両腕で自分を愛する者を掴んで涙した。
     一方、息子を危険なことに巻き込んだことに大いにジャンクはアバンへと怒りの矛先を向けたが、アバンも自分の思慮が足りなかったと深々と頭を下げ、そうしてジャンクの拳は、例え人望高い家庭教師であろうと容赦はなかった。
    「でもですね、ジャンクさん。私はポップに助けられたんです。彼がいなければ私も、他の子供達も助からなかった。あの場にいてくれて、本当に良かったと感謝しているんですよ」
     頭のてっぺんに受けた鉄拳の痛みをヒリヒリと感じながら、笑顔で後ろを振り返った。
    「良い息子さんをお持ちです」
     だが、ジャンクはアバンの言葉を両手離しで受け取る気はないらしく、思い切り胡散臭い顔で「ポップがか?」と呟くと、テーブルへと肘をついてそっぽを向くと「オレの息子だからな」と一人ごちた。
     やがて、目を赤く腫らしたスティーヌが「夕飯の用意が出来ましたよ」と三人へと声をかけ、空腹だったことを思い出した三人は食堂へと足を向ける。最後に、自分へと向かって深々と頭を垂らした姿にアバンは慌てた。
    「顔を上げてください、スティーヌさん。私は大事な息子さんを危険な目にあわせてしまった粗忽ものですよ?」
    「いいえ、アバン様がいなければポップも、他の子供達も命はありませんでした。本当にありがとうございます」
    「そんな私など」
    「ご自分を卑下なさらないで。アバン様は凄い方です。村の者程度では城の魔物の餌食になっていたでしょうし、そうして、叶わないと分かって王様に直訴する頃には、子供達は生きてはいなかった」
     切々と語られる言葉を聞きながら、アバンは先程の魔物の歌うような言葉を胸の中で反復する。
     果たしてそうだろうか? 寧ろ自分が村にいた所為でいらぬ災厄を招いた可能性はないだろうか、と。
     ポップはいつも通りに――いや、やや興奮気味に城の中でのアバンと魔物との攻防戦の様子を身振り手振りで話し、ジャンクに「うるせぇ!」と怒鳴られている。
     スティーヌはただただ、息子の命があったことを感謝し、夕餉は進んでいく。
     食卓に出されたものは全て頂くが信条のアバンだったが、この晩だけは碌に食事が喉を通らなかった。


     夜明け前、薄もやが白く森の中を漂い、虫の声が静かに響く。朝露を含んだ草を踏みしめ、数週間、世話になった村を振り返り、ぺこり、と一礼する。
    「挨拶もせずに去ってくことをお許しください。その代りにと言っては何ですが、城の中のモンスターは全て片付けましたので」
     アバンは村人が寝静まった頃に荷物を持ってジャンクの家を抜け出し、城の中にいたモンスター全てを片付けたのだ。とはいえ、城の中にいたのは怪物の闇の気配に引き寄せられた小物ばかりで、お詫びというには足りないような気がしてならなかったが、アバンとしてもこれ以上、村にいる訳にはいかなかった。
    「……そう言えば、ポップの返事がまだでしたね。レベルアップの旅に付いていくのか行かないのか……って、あんな事件を引き起こして、ご両親が許してくれる筈もないですよね」
     アバンは赤い詰襟の服の上からマントを羽織り、その布を口元へと引き寄せると小さく溜息を零した。
    ――あったり前でしょう! 想像しただけで震えが来る。
     親に逆らう事が出来るか否かを問うた時のポップの様子を鑑みるに、これ以上の指導は出来そうにない。あとは彼自身が修行を重ねて魔法使いとなって立派になることを祈るのみだ。
     出会った時の彼を取り巻く、白く淡い光――魔法力の祝福を見るに、修行さえ怠らなければ、彼は相当の魔法使いになることが予見できた。そう、親友でもあり仲間でもあった、かの大魔導士のようになるだろう。
    「これで何度目かな。弟子と別れるのは」
     ぼそっと言葉にして出すと、言いようのない徒労感がアバンを襲って足並みが鈍くなる。
     卒業の証を与えて別れるのなら、寧ろ晴れ晴れしいだろうが、多くの弟子は卒業のレベルに到達できずに心折れたと言ってアバンの元を去るのだ。
     その度に味わう無力感と、本当に自分は正しいことをしているのかという疑惑に押し潰されそうになる。
     自分の理想を押し付けてはいないだろうか? 子供達の個性にあった指導は出来ていたのだろうか? 
     そんな事を思い返すたびに脳裏に浮かぶのは、最初に弟子になった子供のことだった。
     ヒュンケルという名の子供は、魔王配下の魔族から人間の温かみを教えてやってほしいと託された子だったが、当の本人は剣術だけを教えて欲しいと言った。それは父の仇であるアバンを殺すためという事は分かっていたが、復讐だけが子供の生きる気力を支えていたことも真実で。
     貴方の父親に手を掛けてはいない、父が亡くなったのは魔王からの魔力の供給がなくなってしまった所為なのだと言えば、きっと、あの子は生きる目標を失い、気力をも失くしてしまうだろう。それだけは出来なかった。
     二年の修行の後、彼は戦士として見事に卒業仮免のレベルまで到達したのだが、その際に彼に殺意と共に剣を向けられて咄嗟に反撃してしまい、その結果、近くにあった崖から川へと転落して行方が知れなくなってしまった。
     自分の判断の誤り。何故、あそこで反撃してしまったのか、いつか、彼が復讐の為に自分に剣を向けるだろうとは分かっていただろうに!
     彼を求め彷徨い、打ちのめされた日々を過ごした。二年が経ち、友人や家族同然でもあった執事の力もあって立ち直る事が出来たが、こうして卒業させてあげることも出来ずに弟子と別れる時はいつも思い出して胸が痛い。
    「……っと、私、なんで、こんなところにいるんでしょう」
     気が付けば、アバンは森の中をウロウロと歩いていた。
    「いけませんねぇ。考え事に没頭すると回りの事が見えなくなるとは」
     少々、道に迷ったようだが、瞬間移動呪文を使えばいいだけの話だ。
     溜息を吐き、目を閉じると瞬間移動の準備に取り掛かる。脳裏に幾つかの景色を思い浮かべるが、果たして次は何処に行こうと悩んでしまう。
    (風光明媚なパプニカ? それとも重厚な趣のあるギュータ? カールは……ごめんなさい、まだ行けません)
     今度こそ、弟子は取らずにのんびりしたのなら、一体、どこに行けばいいのだろうと首をかしげていると、背中にどんと強い衝撃が走った。
    「先生!」
    「……えっ! ポップ?」
     首だけ振り向けば、腰のあたりにしがみついているポップの姿があった。
    「ずりぃや! おれを置いて行こうとしたっしょ!」
    「いや、それは、そのぉ」
    「おれ、分かってんだからな! 夕べ、あんましメシ食わなかったの見て、あやしいなって思ってたんだ!」
    「ご飯を食べなかっただけで、そんな、あなた」
    「食いしん坊の先生が食べ残したってのは大事件なんすよ!」
    「食いしん坊とか。大袈裟ですよ」
    「でも、こうして荷物全部持っておれん家出て行ってるじゃないっすか!」
     ああ言えばこう言う。しかし、事実、出て行こうとしたのは本当なのでアバンは強く出られない。どう、宥めようかと迷っている間に、ポップの瞳には大粒の涙が浮かんで、ぽろぽろぽろと零れ落ち始めた。
    「あ、あの……ポップちゃん?」
    「お、おれじゃあ、頼りねぇかもしれねぇけど、黙って出ていくことねぇじゃんか」
    「それは、ごめんなさい。でも、悲しい別れになることは分かっていたし」
    「ひっぐ……ま、まだ修行中の弟子を放っぽり出すんすか」
    「いえ、その……そう言えば、まだ修行中でしたね」
    「お、おれ……先生から、お、教わりてぇ……ひっ……だくざん、あるのにぃ……うああああっ」
    「ごめんなさい、ほら、泣き止んで」
     アバンは膝をついてポップの目の高さに自分の視線を合わせると、懐からハンカチを出して涙を拭ってやる。
    「ポップ、落ち着いて聞いてください。私が以前、言ったこと、覚えてますか?」
    「ひっぐ……レベル、アップの為の旅っすか?」
    「察しが良くてよろしい! その為にはご両親の許可を貰う事と話しましたよね」
    「……その話は、とっくの昔に親父と母さんにしたっす」
     てっきり、まだしていないと言うかと思っていたアバンは意外な答えに目を丸くする。あれ程、親に逆らうことを怖がっていた子が示した勇気に胸が騒ぐ。
    「でも、ダメだって……ひっぐ」
    「それで、諦めた?」
     アバンの問いにポップは首が捥げるのではないかと思う程に首を振る。
    「諦めねぇ! 何とかして認めてもらおうって思ってたんだ! な、なのに、その前に先生がいなくなっちまってぇ」
    「いやいや、いなくなってませんよ。こうして、今、キミに捕まってますよ」
    「でも、もう村には帰らねぇんだろ?」
     ぐずぐずと鼻を鳴らす子供に、どうしたものかと頭を抱えるアバンだったが、ぽうっとポップの周囲が緑の光に包まれるのを見て息を飲む。
     緑、緑、緑。
     緑、風に揺れる枝々。
     緑のローブ、揺れる黄色のバンダナ。
     かの者は腕を大きく広げ、弓を引くかのような動きを見せる。
    『メドローア!』
     放たれた光の矢は真っ直ぐに飛び、そこにあった風景を消し飛ばしていく。
    ――あれは……マトリフが持っていた、彼の最上級の魔法。
     かつて、何度か自分でも試してみたが難しく、コツを教えて欲しいと言ったこともあるが、かの人は面白おかしげに笑うと、こういうのはセンスがものを言うんだよ。出来る奴は一発で出来るが、出来ない奴は何やっても出来ねぇ。と。
    ――では、この子は将来、あの大魔法を操れるようになるのだろうか? そうして、傍らに立つ人の影は一体……。
    「先生!」
     しばし夢想に耽っていたアバンはポップによって現実に戻ってきたが、心は見たこともない、そして見るかもしれない景色に縛られていた。
     心配そうに自分を見つめるポップ。その足元に大きなナップザックが置いてあるのを見て微笑む。
    「そう言えば、よく、ポップは私がここにいると分かりましたね。私自身、適当に歩いていて迷っていたのに」
    「――当たり前っしょ、ここ、おれ達の修行の場所じゃねぇっすか」
    「ああ、そう言えば」
     言われれば見たことのある木々、とくに大きな楡の木は村の象徴でもあると誰かに聞いたのを覚えている。
     ざわわと木々が風に揺れ、小鳥たちが朝が来たことを告げるようにさえずり始める。いつしか、足元を覆っていたもやは消え、代わりに朝露が宝石のように輝きだす。
     進め、とささやかな声が胸の中で木霊するのを聞いて、アバンは確信した。
    「それでは、これは運命なのかもしれません」
     言うとアバンはポップの手を取り、その上に自分の手を重ねた。
    「付いてきますか? 勿論、修行はこれまで以上にムッチャクチャにハードですよぉ?」
     アバンの言葉にポップは大きく目を見開き、「いぐ!」とはっきり返事した。
    「それでは、せめて置き手紙だけでもしていきましょうか」
    「心配ねぇ! もう書いてきた!」
    「それはそれは……用意のいい」
    「おれさ、先生に旅に行かないかって言われた時、すっげぇ、ドキドキしたんだ。おれも本の中の主人公のように冒険に出るんだって」
     ポップは足元のナップザックを拾い上げると、肩へと担ぎ上げる。
    「うーん、これは未成年誘拐になるんでしょうかねぇ。私も犯罪者の一員ですか」
     アバンもやれやれと言いながら、地面へと落ちてしまった旅行鞄を拾い上げた。
    「犯罪者じゃねーっすよ。何せ、本人が納得して付いていくんすから。あ、そうだ!」
     ぽんっといい案が浮かんだとても言うように、ポップは両手を叩いた。
    「先生がおれを、じゃなくて、おれが先生をそそのかして旅に出たっていうのはどうっす?」
    「なんですか、それ」
     ポップの提案に、アバンはくすくすと笑う。
    「先生はぁ、おれにほだされてぇ、仕方なく旅に連れていったっていう」
    「まあ、ほぼほぼ真実ですけど。世間は納得しませんよ」
    「それじゃあ、納得させりゃあ、いい」
    「それは、どうやって?」
    「このおれさまが立派な魔法使いになって、世界を救えばいいんすよ。それでおれと先生の仕出かしはチャラってことに」
     自信満々に答える新しい弟子に、アバンは爆笑する。
    「事後承諾じゃないですか。でも、世間を納得させるにはどれくらいのことはやってのけないとダメでしょうねぇ」
    「でしょ?」
     さっきまでべそべそと泣いていたくせに、今じゃ悪戯っ子のように、にっかりと笑う。
     将来、先程見た幻のように、本当にポップが大魔法を使えるほどの魔法使いになるのかは分からないが、彼との旅はきっと楽しいものであることは疑いようがなかった。
    「先生っ!」
    「はい、ポップ」
     どちらともなく差し出された手を握って、二人は新しい絆を紡ぎ始めたのだ。
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    natukimai

    DONE2023年4月8日WEBオンリー「先生はすげえんだから!」展示作品です。
    長い間、先生とポップの出会いはこうだったんじゃないかなぁと妄想していたものをようやく形にすることが出来ました。魔法のシステムは原作を踏襲してはおりますが、大分、独自の解釈が交じっております。
    あと物語を進めるための名前ありのモブキャラが出てまいりますが、あくまでの舞台設定上のキャラです。
    緑の軌跡緑の軌跡



    「すみません。もうついていけません」
     そう言って志半ばに去っていく背中を、幾度眺めた事か。
     彼は真面目な生徒だった。生真面目すぎるほどに修行に打ち込み、そして己の才能に限界を感じてアバンの元を去った。
     彼の志望は魔法使いで、魔法の成り立ちや、各魔法で使用する魔法力の値、禁忌などの座学は優秀だったが、実践ともなると危うさが散見した。
     理論だけで突き詰めるな、感覚で魔法を掴めと言っても、目に見えないものをどう掴むのかと詰め寄られる次第で、時折、昔の盟友である大魔導士に指導を頼もうかと思うこともあるが、一旦、引き受けた以上は自分が最後まで彼を導くのだと自分に言い聞かせた。
     これで彼自身が魔法力を持さない者ならば、戦士や武闘家の道を勧めるのだが、ある程度の基本的な呪文が契約が出来たことが、彼を余計に瀬戸際まで追い込んだ。
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    ムーンストーン

    DONEダイの大冒険 ハドアバで現パロですがほとんど現代らしい所がでてこない。
    ハドラーとの出会いから別れを手紙で回想するアバンです。
    二人は転生して若干容姿も変わり、名前も変わりましたが出会った瞬間に最速で結ばれた設定(生かされていない)
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    逝き去りし貴男へ貴男へ

    貴男に手紙を書くのは初めてですね。
    あの頃は手紙を書くのも届けるのも一苦労。
    便箋なんて中々売っていないし、書けたとしても送る手段が限られ相手のいる近くに行く用がある、信頼できる商人や旅人に託すしかない。
    その上長旅の途中で紛失したり商売の都合で渡すタイミングが遅れたり、返事は期待しない方が精神衛生上良い位。

    手紙に花言葉のような惹句をつけるとすれば「不確実」でしょうか。
    それでも人は手紙を書くのです。
    相手の為より自分の為に。

    そもそも貴男の場合長い間宛先、というか住処が分からなかったですし。
    私も修業の為に世界中を旅していましたからもし貴男が私に手紙を書いたとしても届けようが無かったと思えば…あぁ貴男は鏡にメッセージを書けましたね。
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