ぼくががんばって考えた人妻あしや♀その1「はい、安倍です……えっ、妻がバイクと⁉︎」
某一流企業のオフィスで報告書を纏めていた晴明の元に入った一本の電話。
着信画面には見慣れぬ警察署の名前が表示されているが、晴明にはそこそこ善良な市民であるという自負がある。少なくとも妻に関わること以外で法律に触れるようなことはしていない。
訝しみながら電話に出ると、なんと愛しい妻が買い物中に運転中のバイクと衝突し怪我を負って病院に運ばれたという。
病院の場所を聞き出して電話を切ると、晴明はそのままホーム画面からブックマークのようなアイコンをタップした。
すると世界地図のような画面が一瞬表示されたのち、ある一点を目指して収束しミクロな地図に変化していく。
『道満』と名前のついた黄緑色のピンが件の病院にほど近い国道で止まっていることを確認した晴明は、すぐさま荷物を纏めて動き出した。
「申し訳ありません。妻が事故に遭い病院に運ばれたため早退させていただきます!」
受付で名乗るとおそらく警察の連絡を受けて待機していたであろう看護師が現れ案内を受ける。
白衣の背中を足早に追って進みながら冷静さを必死に保とうとするものの、おそらくこの先にあるのは『手術中』という赤く光る看板の部屋ぐらいだろう。
今にも口から飛び出しそうになる心臓を必死に押さえつけていると、突き当たり手前の『処置室』と書かれた部屋の扉が開かれた。
「せいめい、どの……?」
白いセーターを血塗れにした妻が、毛布を肩から羽織りベッドに腰掛けていた。
「ああ道満……!」
「晴明殿……! あの、お仕事は」
「そんなもの気にしなくていい。それで、怪我の具合は」
こちらを見上げてくる頬には煤汚れがついたまま。血が乾き変色しつつあるセーターはすっかり冷えてしまっており、固まった繊維の隙間からインナーがちらちらと見えていた。
痛々しくも庇護欲を唆る佇まいは、見るもの全てにここに辿り着くまでの出来事を想像させるのに充分な有様であった。
さぞかし恐ろしい思いをしたであろうにそれでもなお己の仕事を気遣う妻が健気でまた愛おしかった。
妻の肩を優しく抱き、なんとか安心させるように微笑んでみせた晴明だったが、続く妻の言葉に更なる衝撃を受けることになる。
「ああ怪我ですが……先ほどまで手術室へ」
「手術⁉︎ すまない、もっと早く駆けつけてやれば……それで何処を」
「脚を」
よく見ると、大きなバスタオルで膝を覆われている。
なぜ気が付かなかったのか。
妻がなぜ椅子ではなくベッドに座っているのかもっと考えを巡らせるべきであった。
「脚……ああ、なんてことだ。ではしばらくは車椅子か」
「いえ、先ほどまでストレッチャーで運ばれておりました」
「ストレッチャー⁉︎ だったら寝ていないと駄目だろう」
「今は麻酔が効いて寝ておられるようですよ」
「……ん? 寝てる?」
ちりん。
きょとんとした顔で首を傾げる妻の姿に、先ほどとは別の意味で嫌な予感を覚える。
何か勘違いをしている気がする。
「……道満。念のため聞くが、バイクと衝突したんだよね?」
「ええ」
「その、セーターの血は……?」
「お相手のものにて」
「その相手は……?」
「脚の骨を折られて手術を受けられましたが、今はお休みになられているようですよ」
「……おまえ、怪我は?」
「拙僧はぴんぴんしておりまする」
道路を横断しているふさふさした猫を見かけた妻は、同時に対抗車線から猛スピードで走ってくるバイクに気がつく。
このままでは猫ちゃんが轢かれてしまう。
「あぶなーーーい‼︎」
飛び出す妻。
抱えられる猫。
飛び出してきた妻の肉体に速度を落とすことなくぶつかり、ばいんと弾き飛ばされるバイク。
勢い良く投げ出されスローモーションで宙を舞う運転手。
地面に叩きつけられ爆発するバイク。
流石にまずいと思った妻は猫を安全な場所に降ろし、運転手の救出に向かったそうだ。
案の定、炎上するバイクを背景に気絶した男を抱えて颯爽と立つダイナマイトボディの人妻の姿に現場は騒然。
付近の交通整備に駆り出された警察官は居合わせた通行人に「この映画いつ公開するんですか?」と尋ねられたという。
その後、返り血に塗れた姿を見かねた救急隊員に声をかけられ救急車に同乗し病院へ。
念のためと説得されて診察を受けた段階で警察から夫こと晴明に連絡したことを伝えられ、ここで待っていたのだという。
「普通に歩いて帰れますと申し上げたのですが、聞き入れてもらえず」と話す妻に、申し訳なさそうにしていたのはこの事かと晴明はようやく納得した。
「保険会社にも連絡は済ませております。ご家族ももうじき来られるそうですので、ご挨拶したら帰りましょう」
「では、そのタオルは……?」
「ああ、これは」
ちらりとめくって見せたタオルの下からは煤と埃に汚れた足が覗いている。
一見して怪我らしきものは見当たらないがストッキングが電線してしまっているようで、隙間から擦り傷一つない肌が覗いていた。
血塗れのセーターはいいのに、ストッキングは駄目なのか。
女性というものはよくわからないと首を傾げる晴明に妻は特に気にするでもなく続けた。
「そうそう。今夜の夕飯はひき肉の餡かけですぞ」
「……それは楽しみだな」