仁新で「縁のない話」
もしお前が女の子だったらきっと仲良くなってないだろうな。こんな風に学校帰りに寄り道して、下らないことで喧嘩するような気安い仲には絶対にならない。男女の壁は大きい。でも恋人ならワンチャン……いや無いな。どっちにしろ、一人でむこうに行く俺には縁のない話でしかないか。
「隣に座ってくれるだけでもう十分です」
隣に座る彼と目が合うと、なにもないのに気構えてしまう。これも散々からかわれ、馬鹿にされた後遺症だと境内の床に置いた拳を握りしめる。しかし仁は目を細めるだけで何も言わなかった、突っかかってもこない。戸惑った新を瞳に映し、そのまま彼の微笑はどこかへすり抜けて行く。
幸せには出来ないけれど(仁新)
不幸もなければ幸福もない世界ってどう思う? つまらないかもしれないけど、こんなにいい世界もないよな。何もない代わりに約束された静寂と平穏、誰も傷つかない優しい世界。殴られるのを我慢しなくていいし、無視も除け者もない、傲慢に扱われない。こんな世界よりずっといいじゃん。
だってさあ仕方ないだろ、俺はどこに行っても邪魔者扱いで望まれなかったんだから。なるべく反感を買わないように息を潜めてるしかなかったんだよ。せめて怒られないようにって何も言わずに笑う毎日はすっごい窮屈だった。知ってる? 泣くより笑う方がラクなんだ。ああ、お前も泣かなさそうだもんな。
こんなのなら、まだひとりぼっちの方がよかったな……え、そんなことないって? それがあるんだよなあ……お前、それずっと殴られ続けて息が出来なくなっても言えんの? 顔を合わせてくれなくて一人で食事する味気なさが分かるか? おはようすら言えない家で過ごしたことあるのかよ?
それに比べたら俺は寂しい方がいい。吐くまで蹴られ続け、蔑んだ視線で詰られる毎日なんかもうさ。
……でももう我慢しなくて済む、むこうは煩わしいこと何もないからな。
「そんなのは駄目だ」
「じゃあどうしたらいい? 耐え続けて壊れてもこの世界でいろってか」
「そうじゃない、諦めないで家を出ればいつか……」
「報われるってお前、本当にそう思うの? 幸福ひとつで今までの全部許してやるのか?」
「……」
俺はヤダね、と唇を歪ませる仁を納得はさせられない。彼の気持ちに少なからず共感出来てしまう新では反論に弱い。俯いた端に石畳が映る。
お前も解るだろ? と俯いた新の手を取る。その冷たい手は諦めた心の表れか。楽しそうに笑う君はもういないのか。
「むこうは寂しいことなんかない、辛いことも。お前もずっと耐え続けて来たんだろ? もう休んだっていいじゃん」
だからお前も一緒に行こう? と微笑む顔は何もない。ただ冷たいばかりだ。その冷たさに頷くことも、首を振ることも出来ずに新は佇む。
「先着順」
「予約していい?」「何を」「お前の隣」さらりと飛び出た頼み事に面食らう新の顔は控えめに言って面白くて。笑っちまった後に宥めるのが大変だった。冗談めかして頷かせるとようやく一段階クリア。先行しとけば横取りされる危険度も減るだろ……そう思ってた俺はとっくの昔に負けてたんだけど。
「距離のつかみ方」
「逢坂はどこ住み?」後ろの席の無表情はピクリとも動かない。馴れ馴れしかったかな、と不安になった頃、俺と同じ方角の居住区が静かに紡ぎ出された。別に嫌がってはなさそう。ほっと胸を撫で下ろしたら、仁は?と予期せぬカウンター。ジンって俺のことか。「新と同じ方角。途中までだけど」
「恋愛ごっこ、してみませんか?」
ごっこ遊びだよと薄く微笑う顔は軽薄そのもので、遊び人はこれだからと新は目を細める。彼女はいないけど、だからって軽々しく男をデートに誘うとか……「嫌なら捨てるけど?」「勿体ないことをするな」指に挟んだ遊園地のチケットを奪い取った俺に日曜十時に待ち合わせな、とにんまりと微笑った。
「寂しいときに限って居ない」
…やっぱり出ないか。鳴り続けるコール音が余計に寂しさを募らせる。いくら不良な彼でもこんな夜中の電話に応じる訳がない。頭では分かっていても名前を呼んでほしいと思ってしまった。呼んだ所で降りてきた廊下に伸びる影は一人分に変わりないのに。…ああ、受話器を握り締めた手が冷たい。
「Marry,me」
オマケ付きだった、と丸い輪っかを下から覗き込んだ後、仁が押し付けてきたのは銀のリング。受け止めた手のひらの上を小さく転がったそれに目を落とす。
指に嵌めてもすぐに失くしそうだし、家事をするのにどうしても邪魔になる。いらない、と一言で済ませたらあろうことか薬指に嵌められてしまった。
「無理か。お前の指でも小さいとなると女性・子供用かな」
「外すぞ」
「早くない?」
「サイズが合わないんだから仕方ない」
薬指の途中で止まってしまった指輪は失くす以前の問題で。悪いが俺には活用出来ない。引き抜いた指輪は再び仁の元に。
「ふーん。細く見えても男の手だな」
「こういう物は彼女にでもプレゼントしろ」
「駄目駄目、お菓子のオマケだっつったらどんな女の子でもまず怒るから」
「じゃあ本物を買って贈る」
「うーん、今すぐは懐が厳しいし……18になったらでいいか。それまでに落とす自信あるし」
手のひらを触れ合わせたついでにアルプス一万尺を始める仁につられて手を動かす。転校する前はこうやって千隼や友達と一緒に遊んだな、と小さい頃を思い出した。
自分の手を叩き、仁の手のひらと合わせて、肘を触り……鏡に映したような線対称の動き。合間に何故18なんだ? と疑問を口にする。
「さあ何でかな。時間はあるんだし、答えが出るまでゆっくり考えたら?」
仁は息をするようにからかって笑う。意地悪な所にももう慣れたし、追々考えていくか。答え合わせは必要ない、どうせ俺には関係ないことだ。
二人揃って腰に手を当てて、おしまい。
「幸せにするよ」
君の大好きな賭けをしよう。俺は生涯かけて君を導く、その代わり世界から逃げ出さないこと。分かったか?と下から見上げたら君はぎこちなく笑って。「それ賭けじゃなくて約束って言わない?」「誤魔化してないでちゃんと聞け」「分かったから睨むなって」…さっさと観念してしまえばいいのに。
「構え!構え!構え!!」
胴に叩き込まれた一撃は鮮やかなものだった。「今の、本気だったろ」「打ち込みやすかったから」剣道の面を外し、涼しい顔で得意げに見上げる。いつもチビって馬鹿にされるの根に持ってたか。それが悪いなんて一度も言ってなかったのにな、と汗を拭う君の横顔に苦笑した。
「愛してはいるんだけど」
顔はいいし、人当たりもよくて話しやすいし、たまに子供っぽくなるのも愛嬌だと思う。そんな彼だけど、素直に褒めたくならないのはひとえに怪談を嬉々と語る性格のせいだろうな。「○○に地蔵があるんだけどそれが…」残念な二枚目を見上げる度ため息は尽きない。
「幸せになれなくてもいい」
そこは幸せにするからとでも言っとけばいいのに、見上げた先には自信なさげに笑う君がいて。自分と一緒にいて幸せになれる訳がないと勝手に他人を遠ざける。それが彼の本性なのだとしたら俺はこうするしかないだろう。「分かった。だったら俺が君を幸せにする」
新と始で「どうかあちらでしあわせに」
やり残したことはないか。狐面を被り直し扉の前に立って、最後にもう一度明るくなった空に振り返る。閉ざした窓はあり得ないくらい遠く鮮やかで、もう戻れないんだなとはっきり分かる。「…さよなら兄ちゃん」俺はもう行くけど、どうかあなたはお元気で。
仁新で「離してあげられなくてごめんね」
「…後悔しない?」「後悔させるのか」「させたくないけど自信ないな。本当に付いて来るとかないわって思ってたから」「しっかりしろ、君が望んだことだろう。怖じ気づいたのならやめるか」「まさか」冗談じゃない、と手を握る。たとえ腕が千切れても離してやるもんか。
「上手な甘やかし方」
昼食に添えられていたニンジンをほとんど咀嚼しないまま早々にお茶で流し込む。仁の前で残すのも癪だったとは言え、気分は一気に下降中。「飴食う?」コロンと転がった飴の甘い香りに顔が緩む。「りんご味。好きだろ?」「…ありがとう」裏がありそうな笑みはともかく、有り難くもらっておこう。
「二人だけの世界」
世界に二人だけでいいと言う君、二人じゃなくてもいいと思う俺。永遠に相容れないで平行線を辿る問題。けど、どうしても無理だと君が泣くなら俺は首を縦に振るかもしれない。……言い負かす必要はないと思ってたけど、負けたみたいでちょっと悔しいな。
「この瞬間の君が好き」
ああ、そろそろだ。怪談がクライマックスに近づくにつれイキイキと輝き出す眼、滑らかに紡がれる言葉は鮮やかに話を彩る。退屈そうな表情が楽しそうに変わっていく瞬間が一番好きだと告げたら、ちゃんと聞けよって君は怒るんだろうな。
「世界の終わりに」
路地裏の奥、浮かんだのは一人の友人の顔。どんな時でも無表情な彼を笑わせたくて冗談を言ったり、怒らせたくてわざとからかったり。そんな楽しかった日々ももう終わる。どうせならアイツを連れて祭りのむこうへ。「…行きたいな」血溜まりに沈んだローファーが重くて仕方ないから。
「全部全部、君のせい。」
生きるのを諦めたかった(お前と一緒に生きたい)、どこかへ行ってしまいたかった(お前がいる所がいいよ)、誰にも知られずに消えたかった(お前の傍から離れるのは)。ずっと真っ黒だった俺の世界を、お前が何食わぬ顔で塗り替えていくの案外悪くないなって思い始めてたんだけどな。
不意打ちするな、とつり上がった眉毛に本当だってと笑いかける。「額にキスじゃ信じるに足りない?」「虫がよすぎる。どうせ本音じゃないくせに」お互い様じゃないのそれ。言ったらお前は愛してくれるのかよ。『愛してる、って言ったら満足?』拗ねたように呟く新の肩に腕を回して、意地悪に囁いた。
「日常崩壊一歩手前」
橋本探しが目的っちゃ目的だけど、本当に逢魔ヶ時の世界へ入り込めたら面白いことになる。どうなるかは深くは考えてなかったよ、みんなで祭りで遊べたら楽しいよなってそれだけ。非日常に憧れてたからお前らを巻き込みたかっただけかもしれない。一人でむこうへ逝くのはやっぱり怖いからさ。
今在る日常が大事で、脱したくなかったならごめんな? もう遅いけど。俺はこんな日常ずっと捨てたくて捨てたくて堪らなかったんだよ。言い出したのは俺だけど、切っ掛けは別だからあんまり責めないでくれよ? 大目に見てくれると有り難いけどやっはり怒るのかな。
アイツらは最悪無理でも、人間じゃないお前なら誘っても大丈夫か。一緒に逝ってくれるとうれしいんだけど、どうだろ……
こんなに簡単に日常が崩壊するとも知らずに、月曜日の放課後、俺たちは校舎に戻った。
「僕の居場所」
どうせずっといるなら明るい所がいいな。誰かいないかな、暗い場所から連れ出してくれる奴。手を伸ばしかけては留まって、気付いたら掴んでたのは友人の肩。「どうした、貧血か?」「ん、何でもない」やっぱりお前の傍がいいんだなって笑いながら手を放しちゃったよ。
「愛する臆病者」
「一緒に行けば君は満足するのか?」「最初からそう言ってるだろ」その割には戸惑った風に視線が泳いでるし、冷たかった腕がじんわりと熱を持ち始めてるんだが。君、本当は俺が来るとは思ってなかったんだろう?いつでも手を放せるようにっていう諦め癖が隠し切れていないんだ、この意気地なし。
「息の根止めて」
お前にならいいよ、て差し出した首に沿わせた指は戸惑って戸惑って。友人の指で逝けたら上等だ。早くとどめを差してくれ。「どうして君は…」笑った俺をもちろん彼は許さず、かといって振り解けもせず、鋭く細められた双眸だけが静かに貫いていった。
2016.12