お手をどうぞ、お嬢様『お手をどうぞ、お嬢様』
幾度となく聞いたそんなセリフ。幼い頃の私はそう言われることに特に違和感を覚えなかったし、それを普通に受け入れていた。私がいた世界は「そういうもの」だったし、周りもそのことに疑問を抱いていなかったのだ。
しかしこうも言われていた。
『本当にふさわしいと思う相手以外は気軽にその手を取ってはダメ』
今なら鼻で笑うが(そもそもお嬢様と呼ばれることに関してから鳥肌がたつが)、当時の私は母のそんな言葉を馬鹿正直に受け入れていた。
初めてその言葉を意識したときはまだ物心がついたばかりのときで、私はその『ふさわしい人』を心のなかでこっそり決めていた。今考えるとそれは黒歴史以外の何物でもないが、それでも当時の私の中で花咲いた恋心はあまりにもハッキリしたものだった。
ある程度歳を重ねると、私の中の想い人は、家柄はともかく人間として『ふさわしい人』ではなかったというのを感じるようになる。しかしその頃には私にそんな言葉をかけてくる男性はいなくなっていた。その代わりずっと隣りを陣取っていた幼い頃の想い人は、何も言わず私の手を引いた。私の回答など聞くつもりがない強引な彼に苦笑いを浮かべる。でも、なんとなくそのいい加減さが心地よかった。
「お手をどうぞ、お嬢様」
私が泣いた夜でさえもそんなことを言わないで外の世界に連れ出した男が、今更になってそんな言葉を吐く。凡そそんな言葉を吐くように思えない唇は、分厚いマスクの下に隠されている。だが、長年連れ添った相棒がそのマスクの下でどんな表情をしているのかなんて、私は考えるまでもなかった。
「なんの冗談?」
「そういう試合だろ?」
今日のマッチは変則ルール。部隊のうち一人は攻撃ができない。弾薬や回復、グレネードを持ち歩いたり、アビリティやアルティメットを味方のために活用することしか出来ないのだ。
私達のチームは私、シルバ、ホライゾン。どう見ても私がサポート役に回るのが無難だった。
「エスコートカスタムとはいいセンスしてるぜ。な?お嬢様?」
「辞めて。あんたにそう言われると鳥肌が立つわ」
彼の『お嬢様』を聞くたびに背中がゾクッとする。気分が悪かった。
「ふたりとも喧嘩している場合じゃないよ。遠くで銃声がするからね」
「あ、ごめんなさい」
遠くを索敵していたホライゾンに窘められる。ホライゾンは「別に怒ってないさ」と覗き込んでいたセンチネルから視線を外す。
「ただ、お嬢様の生存が絶対条件だからね。周りにはくれぐれも気をつけるようにね」
「もう!ソマーズ博士まで!!」
そう怒らないでおくれよ。とホライゾンは笑う。何故かその笑い声に釣られて私も吹き出してしまう。
「なんで俺ばっかり怒られるんだ?」
「さあね?」
私とホライゾンの間に割り込んだシルバは不服そうだ。
本当は分かっていた。なぜシルバにそう言われるのが嫌なのか。
『ラウンド2。リングのカウントダウンが開始』
次のリングが共有される。マップを確認すると、リングは火力発電所に寄っている。溶岩溝にいる私たちは、早めに移動しなければいけない。
「さあ、行くわよ!」
「おいおい。エスコートされる側が一番前に出てどうする」
私が走り出そうとすると、少し後ろを走っていたシルバが私を呼び止めた。私は立ち止まり彼を振り返る。溶岩が近くにあるせいか、心なしか頬が熱く感じる。
あの日、私の手を無言で引いた彼。その姿にどれだけ救われたのか、彼は知らない。だから私は彼にはいつもの彼でいてほしかったのだ。どんなときも、どんな事があっても。
「私に抜かれる方が悪いのよ!」
「言ったな!?どっちが先にリングに入るか競争だ!」
掛け声もなく、彼は興奮剤をさして私の横をさっそうと抜けていった。ちょっと!と私が呼び止めても、彼はこちらを振り向かなかった。
「さっさと終わらせようぜ!俺たちは『一緒に』走り回るほうが性に合ってるからな!」
ジャンプパッドまで出して溶岩を飛び越えてしまった彼の声は、もうヘッドセットからしか聞こえてこなかった。
「忙しない男だね」
「ええ。でも、それでいいのよ」
私は守られるだけのお嬢様は似合わない。
彼は守るだけの騎士は似合わない。
私たちは共に歩く。それが私達の、人生の形なのだ。