おおむね人型をした、柔らかそうな黒毛の生き物が、眼前の何かに真っ赤な槍を突き刺すのを見た。
その瞬間、がたん!と音が響き渡った。急激に心拍数が上がり、体が熱くなる。
やってしまった。ゆっくり顔を上げると、にやにやしたクラスメイトの視線と、うんざりした顔の教師がいた。
授業はそのまま続けられた。ただ、言及するに値しない、自分の羞恥があるだけだった。
ぼくはごまかすように、勢いよく、眠っていた間の板書をノートに書きつけた。
――
「めっちゃがたんってなってたな」
間に1時間、別の授業を挟んでいるのに、わざわざ時間がたっぷり取れる昼休みに、そんな話をする。もうどうでもいいじゃないか。黙って弁当を広げる。視界の端で茶色っぽい髪の毛が揺れる。視界に入ろうとしてきやがる。
「夢でも見たん?」
んー、と曖昧に返事をする。恥ずかしいのでやめてほしいというほどの元気もなく、机を動かして前後をひっくり返す。
ぼくと友人、ミチルの毎日の習慣だ。このクラスではだいたい、仲良しのもの同士で机をひっつけて、くっちゃべりながら各自昼食を取るのだ。
「ぶん殴られる夢でも見た?」
「別に。なんでそんなに食いつくの」
にまにましながら話し続けるミチルは、ぼくがようやくまともな返事をすると、ぱあっと嬉しそうに笑った。なんだよ、何が面白いんだ。
「あのなあ、別にお前のガタン!がそんなに面白かったからじゃないって!怒んないでよ」
ばかみたいにわかりやすい顔をするこいつに見透かされると、少し余計にむかつく。
「話題に出されるだけでそこそこ嫌だし、何に食いついてんだよ」
「夢!」
バコっと弁当箱の蓋が開く。ミチルの弁当箱は少し建て付けが悪い。
「知らん?」
「何がよ」
ミチルはいの一番におかずのハンバーグに箸をぶっさして口に放り込んだ。
好きなものは最後に食べる派で、今優先度の低いほうれん草のおひたしを口にしている僕としては、メインディッシュから平らげるこのスタイル、毎度新鮮に信じられない。
「夢、なんかうちの学校居眠りすると同じ夢見ることがあるんだって」
「そういうのホントに好きだね」
「好きだよ、超好き。なあ何見たの?」
「ええ……」
ねえねえ、と机を叩かれる。隠すものではないが、なんだか気恥ずかしくて言いよどむ。でもやっぱり隠すものでもない。そらす話題も思いつかないし、いいか。
「なんか……ぼんやりだけど、クロネコが二足歩行してるみたいなやつがヤリ持ってた」 やっぱりなんだか、中学生にもなって夢の話をうきうきするのは恥ずかしくて、のりたまをまぶした白米を口に放り込む。咀嚼する。咀嚼する。飲み込む。ふむ。なんでミチルは返事をやめたんだ。余計恥ずかしいじゃないか。睨んでやる。
顔を上げると、ミチルはやけにうるうるした目でこっちを見ていた。何?気持ち悪いよ、と言いかけたところで、ミチルがこっちに身を乗り出した。
「マジ!?」
「嘘言ってどうするの」
くう、と嬉しそうな音がした。箸を持ったまま握りこぶしを作って、ミチルは非常にキラキラした目でぼくに言った。
「おれも見たんだ、それ!」
「ふうん」
「反応のレベルが低い!」
「お前と一緒にしないでよ」
ミチルはばくばくと弁当を飲み込んでゆく。ああ、味わえもったいない。
弁当箱をばっと横に寄せて、ミチルはノートを取り出して机に広げた。何?と目線を送ると、元気いっぱいにしゃべり出す。
「これね、みんなの夢まとめてんの」
「は?」
「授業中寝てた人に声かけて、なんか夢見たか聞いてるの」
すごいなコイツ。気持ちの悪いコミュニケーション能力だ。というかキモいほど興味に一途っていうか。
「噂の調査な?これがな、結構マジっぽいんだよ」
「ふうん?」
「興味出てきた?へへへ、こうやって色んなクラスからも情報集めてると傾向がわかってきてさ」
色んなクラス!?よそにも協力者がいないと成り立たない芸当だ。いるんだ、もの好きって。
「人っぽいけど人じゃないのがわかるナニカが出てくるの」
「夢は結構そういうものだろ」
「違くて!そのなんか、別のヤツが見た夢なのに登場人物が同じってことがあるんだよ」
ミチルが言うには、黒芝みたいなのが剣を振っていたり、金魚みたいなのが釣りをしていたり、そういう共通の登場人物の証言が、別の人から上がってくるらしい。
「からかわれてんじゃないの?適当に口裏合わせられて」
「そうだとしたら壮大よ?かなりの人数に声かけてんだから……とはいえ、その可能性もちょっと考えてはいた」
「クソバカってほどでもないらしい」
「まあね!でさ、おれもこないだ居眠りしちゃって夢見たの。なんかや~な夢で、化け物がいたと思うんだけど、そいつがぶっ倒される夢」
「ほう、もしかして?」
「そう!クロネコみたいなヤツだったんだよ!」
「へえ~」
ノリノリになったと思われたらちょっと嫌だ。なるべく薄めに反応したが、正直ちょっと面白い。ミチルはつまんない嘘に踊らされるのが好きだが、つまんない嘘をつく奴ではない。
「でね、前々からショウが夢見てくれたらいいのにって思ってたの。だって絶対信じられるじゃん」
非常に恥ずかしい奴だ。素直すぎる。
「あれだろ?クロネコで、黒に赤いラインのワンピみたいなの着てて、赤いヤリだろ?」「おお……一致してる」
「な!な!うわあ、すげえ!」
ミチルは椅子の上で座ったまま跳ねるみたいに体を揺らす。まあ、気乗りしてきたのはぼくもそうだ。
「なあ今日夜学校来よう」
「いやなんで」
だがそこまでハジケてはいない。ちょっと冷静になった。夜出かけるのは結構嫌だ。
「噂、もう一個あって。この夢見た奴は、ワンチャン夜の学校で異世界行けるんだって」「おお~怖い」
「隣のクラスに不登校になった奴いるじゃん?」
「新田クン?」
「そう!新田クン、異世界行ったんだって」
「は~急に興ざめな感じだな」
「なんで!」
だってウソくさいんだもの。ライトノベルじゃあるまいし、異世界なんて。
「え~、わくわくしないの?夜の学校」
「別に……」
「怖い?」
「別に……」
「ね~~え、行こうぜえ」
返事をしながら、最後に残しておいたかぼちゃコロッケを頬張る。うまい。
「いいよ」
「おれと遊……え?」
「いいよ。行こう」
ミチルはまた体を上下に揺らしてやっっ!た!とかすれた歓声を上げた。