🍃🌹 色とりどりのバラが咲き誇る旧研究所の庭園は、今日はいつもとは違う華やかな賑わいを見せている。
青のテーブルライナーが敷かれた純白のテーブルクロス、フルーツの飾られたシャンパングラス、ピンクと黄緑色のプティフールが上品に並べられたてティースタンド、そして庭の芝生を横切る青のカーペット。今日、マリオン・ブライスとガスト・アドラーは結婚式を迎える。ふたりとも6月に結婚すると幸せになれるなんていう言い伝えを信じたわけではないが、バラが一番美しいこの季節に式を挙げられることになってよかったとガストは思っている。バラはマリオンに一番よく似合う花だ。
マリオンを待つガストはなんとも落ち着かない気持ちで、今日ここへ招かれたゲスト達の輪の中心にいた。13期の仲間達とかつて13期をメンターとして導いてくれた上司達、そしてその様子を少し離れた場所から見守るマリオンの大切な家族。数年前にヒーローとしての第一歩を歩み始めた時には、こんな未来が訪れるなんてちっとも予想できなかった。初恋の相手との恋が実り、想いを通わせ愛し合って、そしてふたりが初めて出会った場所で結婚式を挙げることができるなんて、あまりにも出来すぎていて、どう考えても今この瞬間自分は世界で一番幸せな男だ。
「マリオンちゃまとってもきれいナノ〜♪」
ジャクリーンの声に弾かれるように敷かれた青いバージンロードの先を見ると、純白のモーニングコートに身を包み、背筋を凛と正したマリオンがいた。
「綺麗だ」
思わず漏れたガストの声を耳聡く拾ったアキラが、揶揄うような笑顔でガストの白いフロックコートの背中を叩く。ガストが優しく目を細めてマリオンを見ると、彼もまた、じっとガストの瞳を見つめ返してきた。
打ち合わせの時にはなかったはずだが、赤いバラのようなマリオンの髪を覆うように、白いレースのベールが付けられている。地面を掠める程の丈のそのベールは、庭園に優しく吹く風に遊ばれて時折ふわりと靡く。マリオンの隣には緊張した面持ちのレンがおり、彼は恭しく慎重な手つきでマリオンの眼前にベールを下ろした。
「マリオン、結婚おめでとう」
「ありがとう」
マリオンは白のグローブをはめた手でレンの頭を優しく撫で、ベール越しに自分の頬をレンのそれに寄せて親愛を伝える。そして横に控えていたノヴァの腕に手を添えると、ガストの方へ歩き出した。荘厳な音楽も絢爛なステンドグラスも神父が持つ分厚い聖書もここにはない。マリオンとガストを包むのは、穏やかな風と美しい花と仲間たちの歓声だ。
いつもは雄弁なノヴァも今日ばかりは優しい笑顔を浮かべるだけで、マリオンが少し落ち着かない様子でノヴァを横目に見るのが愛おしい。
「ガストくん、ありがとう。よろしくね」
「はい、ありがとうございます。マリオンも、今日はありがとうな」
マリオンはわかっている、という目でガストを一瞥し、ノヴァの両手をぎゅっと握った。言いたいことがうまく言葉にならないようで、ノヴァの目を見ては自分の磨き上げられた白い靴に目をやるを繰り返していると、ノヴァがマリオンをぎゅっと抱きしめた。
「今日のおやつはパンケーキにしよう。ジャクリーンと作ったバラのジャムとホイップクリームをたくさんのせて、エリオスタワーくらいの高さにしようね、マリオン」
「うん」
白の正装を纏うことも、ゲストを招いての結婚式も、ノヴァとヴァージンロードを歩くことも、全部マリオンがやりたいと言ったことではない。それでもそれらを全て了承して今日を迎えたのはマリオンの優しさで、我儘なようで不器用な優しさを持つマリオンのことを、ガストはこれから先ずっとずっと幸せにしたいと心に誓った。
「本日俺たちは新しい家族としての約束を交わします。マリオン・ブライスを生涯のパートナーとしてどんな時も大切にし、愛し続けることを誓います」
ガストが列席の面々一人ひとりの顔を見ながら誓いの言葉を述べると、一際大きい歓声と拍手が響いた。
「ボクも、ガスト・アドラーをこれからもずっと愛することを誓います」
決して大声ではない、凛とした、歓声にも負けないよく通る声でマリオンが宣誓を行う。ベールに隠されたマリオンの表情は優しく穏やかで、隣にいるガストにしかわからないくらいうっすらと頬が赤く色づいている。
「ええと、これ、どうしたらいいんだ?」
「適当になんとかしろ。する気がないならキスはしないしさっさと終わらせてボクはジャクリーンとお菓子を食べる」
「いや!します!させてください!」
ベールの扱いにもたつくガストを待つ彼は腕組みをしてなんともいつも通りのマリオンなようで、ベールをあげてはっきりと見えたその顔は、ふたりきりの時にしか見ることのできない表情だった。熱を孕んだ瞳は蕩けそうに潤み、頬はバラの花みたいに赤い。
(こんな顔、他のやつらに見せられないだろ)
ガストがマリオンの華奢な両肩を掴んで引き寄せると、彼は目を閉じて少しだけ上を向く。
その瞬間、風がひとつ吹いてマリオンのベールが大きく靡き、ふたりを包むように広がった。ベールが飛ばないよう咄嗟に頭を抑えたマリオンのひとまわり小さな手ごと顔を包んで、ガストがマリオンに口付ける。一瞬で離れたそこは、物言いたげに小さく開いて、そして秘密を飲み込むようにきゅっと結ばれた。
「ビックリしたノ〜!でもテーブルの上のお菓子が飛ばなくてよかったノ!」
「そうですね、ずいぶんと局所的な風で助かりました」
「マリオンちゃま、他はガストちゃまに任せるケド、お菓子は自分が手配するってはりきってたノ♪」
ジャクリーンとヴィクターののどかな話し声が耳に届き、内心冷や汗をかきながら、ガストはポケットから結婚を誓う指輪の箱を出した。マリオンも自分のポケットに手をやる————その瞬間、
『エマージェンシー、エマージェンシー。全セクターの『ヒーロー』に連絡シマス。ニューミリオン全域でサブスタンスによる被害レベル2の緊急事態発生。出動可能な『ヒーロー』は直ちに現場へ向かってクダサイ。繰り返しマス——』
さっきまで結婚を迎えたふたりを祝福する正装を纏っていたヒーロー達は、もうヒーロースーツに姿を変え、インカムから届く指令に耳を傾けている。マリオンはベールを丁寧に外すと、器用にくるくると纏めてジャクリーンにそれを託した。
「ジャクリーン、すぐに片付けて戻るからそうしたらパーティーの続きをやろう。ノヴァとお菓子を食べて待っていてくれ」
「マリオンちゃま、気をつけていってらっしゃいナノ!こんなにたくさん強いヒーローがいたらきっとすぐに終わって帰ってこれるノ!」
「そうだな、だからおやつの時間までには帰ってくる。全部は食べちゃダメだぞ、ノヴァのパンケーキも食べるんだから」
マリオンとガストもヒーロースーツになり、司令部から届く指示を確認する。ふたりの出動先はブルーノースシティ。ガストが突風を起こし、マリオンがその風に乗って一気に旧研究所の壁を超えた。
「結婚して最初の共同作業だな、マリオン」
「そういうことはボクと同じくらい強くなってから言うんだな、ガスト」
マリオンはもう、先ほどまで見せていた愛を交わし合うパートナーとしての表情ではなく、共に命を掛けて戦うパートナーの表情になっていた。ガストはまたひとつマリオンに惚れ直し、ビルの谷間を縫ってマリオンが駆け抜けられるように追い風を放った。
「さっさと片付けて帰るぞ。帰りにパンケーキに使う生クリームを買うのを忘れないようにしろ、あとアイスクリームも」
「ジャクリーンはストロベリーが好きだったか?」
「ジャクリーンのじゃない、ボクのアイスだ。今日の夜はオマエとアイスを食べるって今決めた」
「……!了解、マリオン!」
逸る気持ちで風をまたひとつ大きく吹かせると「やりすぎだ、バカ」と、声を上げながらマリオンがさらに加速した。後ろを追うガストからはマリオンがどんな顔をしているかはわからないが、答え合わせは今晩ゆっくりすればいい。アイスクリームを片手に、ふたりで身を寄せ合って。