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    shibari_

    @shibari_

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    shibari_

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    サバイバル・ロッタリー 中編少女の先導の元、道中の防壁を全て閉める勢いで走り抜けた二人は、いくつかの階層を降りた先で息を整えていた。
    「おい、大丈夫か」
    「だいしょうぶ、たぶん」
    疲れているからか少女の呂律は回っていない。
    もうどのくらい逃げてきたかは分からない。少女が指示した先で行き止まりに行きついてしまい頭を抱えていたところだった。
    「ここがどこだか分かるか?」
    しゃがみ込む少女に問いかける。
    「うん、お母さんの研究室。この扉の向こう」
    少女は行き止まりの壁を指でつついた。
    よく見るとそれは大きな扉だった。他の部屋への入り口とは違い壁全体を使った大きさだったためかすぐには見分けがつかなかった。随分と厳重な扉だな、と隅々まで見渡す。
    「お前、研究室目指して走っていたのか」
    そう言えば母親の研究室に行くとしきりに言っていたことを思い出す。逃げた先が袋小路とは、さすがにどうしたものかとため息をついた。
    しかし少女を責めるわけにもいかない。少女が求める安全な場所が母親の大事にしている研究室だったという話なだけだ。
    幸い付近に人の気配はない。CPを撒くことには成功していた。
    「この向こうに入れるのか?」
    「うん、お母さんがピッてやればいつも扉開いてた」
    「……つまり今は開かないわけだな」
    そこまで考えていなかったのだろう。少女は「ごめんなさい」と顔を俯かせた。
    仕方がないこととはいえスモーカーが落胆した気配を感じとった少女の表情は暗い。
    スモーカーはそんな少女の傍らに腰を下ろして、ポケットに手を入れる。
    「手、出せ」
    「?」
    スモーカーの言う通りに手を差し出した少女は、その手のひらにころりと転がったものに目を丸くする。
    「疲れただろ、飴でも食べてろ」
    「きれい、わたしと同じ青だ……」
    透明な包みに入った青い飴。
    保護した子供のところへ訪ねるたびに、飴玉の一つでも用意しておきなさいよと揶揄う同僚のせいでスモーカーのポケットには度々お菓子が入っていた。わざわざ仕事のたびにポケットの中身を入れ替えるような性分でもないので、丁度一つだけ飴玉を持っていたのだ。
    奇しくもその飴玉は綺麗な海のような色をしていた。味はただの砂糖味で、ただ子供が好きそうなカラフルなものを選んでいただけだ。
    まるで宝石を手にしたかのように喜ぶ少女に、こんなことなら早くあげればよかったなと思う。
    少女はその飴玉を大事そうに握りしめた。てっきりすぐにでも口に入れると思っていたスモーカーは首を傾げた。
    「食べないのか?」
    「もったいないから後で食べる」
    「こんな状況だ。食べられるときに食べた方が良いぞ」
    「でも、綺麗な青だし……」
    彼女にとって青というのはそんなにも特別な色らしい。そのうち手の体温でどろどろになってしまいそうだった。
    「いつから青が好きなんだ?」
    そんな世間話をしている場合でも無かったが、開かない扉の前で特にすることもない。少しでも少女の気分が上がればとその話題を口にする。
    「お母さんがね、初めてくれた絵本が海の生き物のお話だったの」
    ありふれた理由だったかもしれない。
    しかしそれは少女にとって心の底から大切な贈り物だったのだろう。
    一生懸命、何度も読んだであろう物語をスモーカーに語って見せる。それはよくある童話で、スモーカーからしたら特別感動するものでもない。
    しかしスモーカーも初めて自分が海に出た日をよく覚えていた。彼女にとってはそれが絵本だったのだ。
    「最後はお空と海の境目で、お魚さん達がお歌を歌うの。それがね、すっごく綺麗で!」
    きらきらと憧れに瞳を輝かせる。
    「お前の目の色と一緒だな」
    その瞳は光が反射した海のように、スモーカーを写す。スモーカーがよく知る色だった。
    甲板から海を見る時、執務室から空を見上げる時、恋人に会いにバイクで駆ける時。その青はいつでもそばにあった。
    少女の母親もまたその青と同じ海の本をプレゼントしたのだろうか。

    「そうなの、『だから青にした』の!」

    「……は?」
    スモーカーの口からただ音が零れる。
    今、なにか可笑しな表現ではなかっただろうか。
    そんなスモーカーの疑念などつゆ知らず、少女はにこにこと笑っていた。
    こみ上げる疑問を少女にぶつけるか迷う。良くないことを聞いてしまいそうな気がして言葉が出てこない。
    スモーカーが二の句を継げないでいると、それをあざ笑うようにして突然背後の扉が動いた。
    空気が漏れる音と、向こう側の光がこちらに差す。
    少女は嬉しそうに立ち上がった。
    「扉が開いた!開いたよ、モクモクちゃん!きっとお母さんが開けてくれたんだ!」
    そう言いながら走っていく少女の背に手を伸ばす。
    「おい、待て……っくそ!」
    届かなかった手を握りしめ、スモーカーは少女の後を追って廊下の先へと足を踏み入れた。




    それにしても、とローは呟く。
    「随分と俺の能力に詳しいな」
    置換移動の邪魔をされたり、催涙ガスを焚かれたり。
    催涙ガスを焚かれてしまえば、スモーカー達を無理にこちらに引き寄せられない。
    逃げ込んだ部屋の先でローはため息をついた。隣では催涙ガスを少し浴びてしまったのか涙と鼻水でぐずぐずのドクター・キャロルがうずくまっている。
    適当に持っていたハンカチを差し出しながら、ローは女史へと問いかけた。
    「ドクター・キャロル。本当に、心当たりはないんだな?」
    嘘は許さないとばかりに語気を強める。
    こんなに都合良く今日来たばかりの海兵や四皇に対処出来る侵入者などいるだろうか。
    極限状態の中、四皇に威圧までされて耐えられる人間はそういない。
    ひく、ひく、と未だ止まらない涙をぬぐいながら観念したようにドクター・キャロルは口を開いた。
    「……告発文を、出すつもりでした」
    「告発文?」
    女史は頷く。
    「世界に向けて、彼らの罪を」
    恐る恐る口にする。ここにいたのがスモーカーであったのならきっと彼女は真実を口にしなかっただろう。
    「この研究所には重大な秘密を抱えています。もしそれが世界に知れ渡ったら、世界政府が非難されてもおかしくないくらいの」
    「……相手はCPか」
    道理で随分とオペオペの実に対する対処が用意周到だったわけか、と納得した。
    海中の実験要塞施設とまで謳われ今まで海軍の力すらいらなかったこの施設にすんなり銃火器を用意できる相手など、それこそこの施設の後ろ盾である世界政府くらいなものだろう。
    「遠目だが、患者服が一瞬見えた。奴ら、患者に成りすまして侵入したのか」
    「そんな……だってここに来る患者様は皆重症な症状ばかりなのに」
    「だからわざわざ重傷になってから来たんだろ」
    やつらのやりそうなことだ、とローは吐き捨てた。
    世界政府は目的のためならば手段を選ばない。ローは誰よりもそれを知っている。
    「その秘密ってのはなんだ。やつらがここまでして施設に侵入してきた理由は?」
    女史は手が白くなるくらい固く拳を握っている。
    「……すみません、言えません。ただ、ALiC細胞関連とだけ」
    その顔は青ざめていた。
    「この施設は世界政府の援助で成り立っているんだろう。奴らは一言あんたに言って黙らせればいいところを、わざわざこんな面倒な手順を踏んでまで事を起こしている。告発しようとしているあんたを消したいのか、あんた自身から何かを聞き出したいのか」
    それとも、
    「何かを奪いたいのか」
    「……!」
    ドクター・キャロルはびくりと肩を震わせる。
    「……なるほどな。大体ことは掴めてきた。奴ら、あんたの研究成果を奪いたいのか」
    「ドクター、それ以上は」
    そう言って縋るような目でローを見上げる。
    「はっ、まあ奴らの目的は俺にはどうだっていい。ただ気に食わねえな」
    民間人もいる施設を襲ったことも、患者に成りすまして侵入してきたことも、こうして攻撃してきたことも。しかしそれ以上にローが腹に据えかねているのは、自分とスモーカーがこの施設にいると分かった上でこんな事態を起こしてきたということだった。
    これではまるで相手の思惑に利用されているようではないか。
    そんなローの様子を真剣に見つめていた女史は、その場に跪いて頭を下げる。
    「ドクター・トラファルガー。お願いがあります」
    「……」
    「海賊であるあなたにこんな事をお願いするのは間違っているかもしれません。ですが、私はどうしてもやらなくてはいけないことがあります。奴らの好きにさせるわけには、」
    祈るように言葉を続ける。
    「アリスを、救わないといけないのです」
    無垢な少女の笑顔が脳裏を過る。
    ローにとっては今日会ったばかりの他人で、どういうわけかスモーカーに懐いている十にも満たないような少女。
    「今のままでは侵入者に研究所を好き勝手されてしまいます。それを防ぐために、最下層にあるコントロールルームに行かねばなりません」
    「そこでは何ができる」
    「この施設は万が一に備えて海水の浸水を防ぐためにいくつもの防壁があります。それを使えば意図的に廊下の構造を変えることが出来る。たとえば侵入者には行き止まりを作り、それ以外には新しい道を作ることも。コントロールルームに行くには、あなたの助けが必要なんです」
    お願いします、と再び頭を下げられる。なりふり構わず額を地に着け、賞金首に懇願までしてみせる。
    かつて殺さないでくれと縋った同胞は冷たい鉛玉によって死んでいった。子供だけでも生かしてくれると慈愛に満ちた目で喜んでいたシスターはその愛を裏切られた。
    重ねないようにしようと努力しても、その幻影は付いて回る。こんなところにまでずっと根深く。
    その深く下げられた頭に、ローは言葉を投げた。
    「……俺も世界政府は気に食わない。どの道あんたの娘は俺の監視役といる。あいつを置いてはいけないからな」
    「ドクター……!」
    「最下層に敵がいない保証はない。さっきみたいに転移するとはいえ、あんたにとっては命がけの道のりになる。それでもいいのなら、」
    「かまいません!」
    女史は身体を起こして叫んだ。
    「お願いします、ドクター・トラファルガー!時間が無いんです」
    ふん、と鼻を鳴らす。
    いい度胸だ。四皇である海賊の力を借りてCPに立ち向かおうなどとは。
    「分かった。さっきの時みたいに悲鳴を上げるなよ」
    ROOM、と半透明の膜を広げる。先ほど移動した時は、たどり着いた瞬間に女史の腰が抜けてしまったのだ。
    相手に感知されないように範囲指定は最小限にして、ローは女史へと声を掛けた。
    「ドクター・キャロル。今から敵に察知されないように何回かに分けて移動する。くれぐれも俺から離れるなよ」
    「は、はい!」
    その返事が言い終わらないうちに、ローはくるりと左手を翻した。
    瞬きが片手の数にも満たないうちに、フィルムのコマ送りのように次々と景色が変わる。
    やがてスキャンが出来た中で一番下だと思われる階層に二人は飛び出た。
    建物自体が厳重に分厚い壁で覆われているのだから差はないはずなのに、どこか息苦しい空気を感じる。海の底という場所はローが考えている以上に能力者にとっては居心地が悪いのかもしれない。
    いまだに移動に慣れない女史は呆けたように廊下を見つめていた。
    「ここで合っているか」
    「は、はいっ。こちらです」
    慌てて立ちあがった女史は、進行方向を指さして歩き出す。
    「おい戦えない奴が先に歩くな。道だけ教えろ、俺が先に行く」
    「すみませんっ」
    「あと、声のトーンはもう少し落とせ」
    ドクター・キャロルはこくんこくんと頷いた。声を出すなとは言っていない。
    民間人を守りながら行くというのも中々難しいものだった。こういうのは海兵のやる仕事のはずなのだが、と思いを馳せる。あちらはあちらでじゃじゃ馬との行楽だ。骨が折れるだろうなとにやけた。
    案内されたコントロールルームは仰々しい分厚そうな扉で塞がれていた。
    ドクター・キャロルが扉の横についているパネルを操作する。見たところ、敵はここまで侵入してきてはいないようだった。だが彼らがここに追いつくのも時間の問題だろう。館内の設計図は熟知されていると言っても良い。だからこそ防壁を操作できるというこの部屋にいち早く辿りつく必要があった。
    開きます、という言葉にローは扉から一歩下がる。
    重苦しい開閉音とともに現れたのはいくつもの館内映像を映すモニターと、広々として殺風景な操作盤しかないような部屋だった。
    敵影は無い。まずは先にとローが部屋へと足を踏み入れる。少し埃っぽい匂いがした。
    中の安全を確認して、ふっと息を吐いた。

    その、次の瞬間。

    がくん、と身体に衝撃が走った。
    膝から崩れ落ちた身体は受け身を取る間もなく冷たい床に叩き付けられる。
    突然の出来事に、しかし頭は冷静に回転していた。この脱力感は随分と身に覚えがある。
    はは、と首だけを回して視線を後ろへと向けた。
    自身の背中の上には起き上がってこられないように一人分の体重が覆いかぶさっている。無防備な首筋には石のようなものが押し当てられていた。
    その石は能力者が最も忌み嫌うもの。
    「すみません、ドクター・トラファルガー」
    油断していた。
    敵は世界政府だと、倒さなくてはならないのはCPだと。
    武器をもっているのは奴らだけだと。
    「く、そ……」
    かいろうせきが。
    「多分お辛いでしょうけど」
    ぷすりと、首元に針が刺さる。オートインジェクターの薬液がゆっくりと体内に入っていく感覚とぼやける視界の端に、優しく微笑む女史の姿が写った。
    「少しだけ我慢してくださいね」






    「ミレニアムガーデン?」
    魚を突いていた箸を止めて顔を上げる。
    机の向こう側に座っていた老体は茶を啜りながら頷いた。
    「お前も聞いたことくらいあるだろう。ALiC細胞を研究している海中の要塞施設だ」
    「まさかそんな話をするために俺を呼んだのか?」
    「そんなとはなんだ。お前が美味しい魚と米が食べたいというからせっかく個室で良い魚料理が食べられる店を探したんだぞ」
    「そりゃどうも。あ、これも食べたい」
    「好きなだけ頼みなさい」
    メニューを指さすローに間髪入れずに答える。
    「海軍本部の大目付が海賊とご飯なんてスキャンダルだな?」
    ローが相対する相手、大目付 仏のセンゴクはやれやれと首を振った。
    「からかうな。お前とのこの食事は正式な会食としてスケジュールされている。名目は……なんだったか」
    「あんたが忘れてるんじゃ駄目じゃねえか」
    「まあいい、どうせ建前だ」
    現元帥がよく許したものだとローは呆れた表情を浮かべた。
    大目付がトラファルガー・ローに対して特別に目をかけているというのは暗黙の了解だが、もうかつての海兵と七武海という立場では無い。
    だというのにローの願いを聞いてお店まで用意して。
    ローはむず痒くなる気持ちを抑えて口を開く。
    「その施設がどうした。俺は生憎再生医療は専門外だぞ」
    「ああ、別にお前にその細胞云々言うつもりは無い。ただちょっとした仕事を引き受けて貰いたいのだ」
    「……はあ?」
    ちょっとお使いに行ってきて欲しい、くらいのニュアンスで言われたそれに盛大に顔を顰める。
    「俺はもう七武海じゃなくてただの海賊なんだが」
    「そうだな、いつの間にか恐ろしい金額の賞金首になりおって」
    「あんたの部下でもないし、ましてや海兵でもない。頼む相手間違えてないか?」
    「間違えていない。たしかに四皇トラファルガー・ローへの頼みだ」
    仰々しく名前を呼ばれ、食事の手を止める。こういう時ばかり孫ではなく大海賊扱いをしやがって、と恨めしい目で見上げた。
    「ミレニアムガーデンは世界政府と海軍が援助している研究所だ。その革新的な治療方法に世界が注目している。上手く行けば今は再起不能な海兵たちも元通りの生活を送れるようになるかもしれん」
    だがな、とセンゴクは前置きを終える。
    「その世界政府が最近どうもきな臭い」
    「きな臭い?」
    道理でこんなに厳重に個室の店を用意されたわけだとローは頬杖を着きながらセンゴクを見る。穏やかな話では無い。
    「何人もの世界貴族がその施設へ視察に赴いているんだ」
    「天竜人が?なんのために」
    「それは分からん。ただ世界政府の要職についていないような、ただの天竜人までその研究所を訪れている」
    「最近の天竜人のピクニック先がそんな硬派な施設だったとは知らなかったな」
    「ただの遊びで行っているわけでもあるまい」
    「『患者』なんじゃねえのか」
    さて、とセンゴクは髭を撫で付けた。そうだと言うのなら話は簡単だろうに。
    「……最近研究所周りでは大きな資金が動いているとの情報が入っている」
    「あんたは何が起こっていると考えてるんだ?」
    「天竜人が治療以外の目的でALiC細胞に目を付けたのでは無いかと思っておる」
    ふうん、とローはセンゴクに続きを促す。
    「私が危惧しているのは、それが戦争の道具にならないかどうかだ」
    「果ては第二のセラフィムか?」
    センゴクは苦々しく頷いた。
    「まあありえない話でもないが」
    元々軍事用に開発された細胞だ。セラフィムを織り成す根本的なものでは無いとはいえ、悪用しようと思えばいくらでもできる。
    「でもいいのか、海軍が世界政府なんかに口出しして」
    「もちろん海軍はそんなこと出来ん。だからこれは個人的な依頼だ。ちょっと行って、確認してきてくないか?」
    それこそピクニックにでも行くような気軽さで言い渡される。
    「ちょっと行って、って」
    「この老骨のためを思って受けてはくれんか」
    「何が老骨だ、まだまだ現役のくせに」
    こういう時ばかりか弱いお年寄りの振りをして。
    「それで俺に悪事を暴いてこいと?あんたたってのお願いだったとしても、そりゃ難しい話だろ」
    「いやいや、そこまでは望んでおらん。四皇であるお前があることないこと騒げば、さすがに世界政府も無視できない」
    つまり施設に赴いてイチャモンを付けてこいと。
    とんだ依頼をしてくるものである。確かにそれは四皇であり医師であるローにしかできない。
    だがローには理解できなかった。なぜセンゴクは己にこんな仕事を持ちかけてきたのだろうかと。
    ローにはそこまでして願いを聞いてやる義理は無い。
    「報酬は?」
    それ次第では受けてやらんでもない、そんな尊大な態度でかつての智将を見た。
    「その訪問自体が報酬だ」
    「何?」
    「私が知らないとでもとでも思ったか、ロー」
    センゴクは片眉を上げて仕方ない子だとため息をついた。
    「お前が最近海軍本部の図書館でALiC細胞の論文を調べていたことは知っている」
    ぴくりと手が震える。センゴクは構わず続けた。
    「直接研究員に話を聞けるいい機会だ。お前が無事施設に入れるように取り計らおう」
    つまりはこれはセンゴクからの好意なのだ。ローの利害と海軍の利害、それをわざわざ合わせに来ている。
    「……俺が天竜人と同じで治療以外の目的で調べてるとは思わないのか?」
    「抜かせ、そんな暇もないだろう」
    言外に医師としての己を信用していると告げられたローは、ますます口元をへの字に曲げた。こういう時素直になれない性分は損だ。
    「……良いだろう。あんたが本当に俺をあの施設へ行かせてくれるなら、そのくらいの雑務は引き受けてやるよ」
    ただし、とローは付け加えた。
    「無いことで騒ぎやしねーよ」
    はは、と笑った。相変わらず凶悪そうな笑顔で。
    「全部あることにして騒いでやる」




    薄ぼんやりと覚醒した意識の中で、モニターの青い光がローの網膜を刺激する。
    随分と酷い有様だ。四皇が聞いて呆れる。
    首に付けられた海楼石の錠に、身体は弛緩剤か何かを打たれている。手足は特に拘束されていないがそんな状況では逃げ出すことも叶わない。
    喋るのもやっとな状況でこんな時でも皮肉めいた言葉を口にしてしまう。
    「随分な歓迎だな、ドクター・キャロル」
    「あら、お目覚めになられましたか?」
    操作盤の前にいた女史はくるりと振り返った。
    薄暗い部屋でモニターの光に照らされた女史の顔は、それを差し引いても青白い。
    意識が落ちていた少しの間、記憶を整理するには十分な時間だった。お陰で大目付との余計な会話まで思い出した。
    「……最初の爆撃はあんたの仕業か」
    「あら、気付かれましたか?」
    「この施設は独立した要塞施設だ。あんたらが自由にやれているのはこの要塞自体がそもそも敵を寄せ付けない構造をしているからだ。今思えば外部からの攻撃がなんの知らせも無く当たるなんてのも変な話だった」
    笑顔で武装した女史の感情は読めない。
    「施設内で爆発させたのか?」
    ローは確信をもって問いかける。
    「ええ、魚雷を一本。それから大砲一つ駄目にしてしまいましたけど、館内への影響はあの揺れくらいなものですから」
    「そりゃこの要塞もさすがに自分の内側からの攻撃を事前に感知するのは無理だな」
    女史はふふふ、と笑った。
    「世界政府もCPなんて送り込んで来るんだもの。それ相応の対応をしないと」
    つまり彼女は全部知っていたのだ。
    そのCPを炙り出すためにこんなことを仕出かした。
    「随分思わせぶりな事をしてくれる。俺の症例報告を読んでいたのも、今日ここに俺を呼んだのも、あんたの計画のうちか?」
    「いやだわ、ドクター・トラファルガー。あなただって私に興味があるふりをしていたでしょう。お互いさまでは?」
    「……違いない」
    ミレニアムガーデンに乗り込むために総会ではさも興味があると近づいた。相手から誘われたからこれ幸いにと頷いた。だが誘い込みたかったのは相手も同じだったのだ。
    自分達はCPに対する抑止力として利用されていた。そしてまんまとこんな囚われの姿になってしまったのだから笑えない。
    目の前の女史に僅かな疑念を感じながらもそれを見逃した。自分から意識が外れるように、敵は違うところにいるのだと認識を変えられた。
    ミイラ取りがミイラにだなんて、笑えない。
    「こんな力も何も無い女が四皇であるあなたを害せるだなんて、思ってもいなかったでしょう?」
    女史はこつこつとヒールを鳴らしてローの目の前までやってくる。
    目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだドクター・キャロルは今日見たどの表情よりも冷たく、どの表情よりも笑顔だった。
    「でもね、出来るか出来ないかなんて関係ないの。やるか、やらないか。そして私はやった」
    まさかローほどの能力者を拘束できる高純度の海楼石を用意し、大の男をねじ伏せ筋弛緩剤まで打ってくるなど。つくづく研究者にしておくのが惜しいと嗤う。
    「娘を救いたいというのは嘘だったのか?」
    「嘘?」
    ドクター・キャロルは心底不思議そうに首を傾げた。
    「まさか、嘘偽りない真実ですよ。私は娘を救うためにここまでやってきた。だからあなたも私の必死さを疑わなかった。だって全部本当なんですもの」
    あなたに嘘なんてついていませんよ、と女史は言う。多少の知らない振りはしたかもしれないですけども。
    「告発の件も本当です。ずっと準備していました。奴らに露見すれば握りつぶされるのは分かっていたので、秘密裏に記者なんかとも連絡を取ってずっと今か今かと待っていたのに」
    それを察知した世界政府がCPを送り込んできたのだ。
    「ごめんなさいね、ドクター。本当は自分の力だけで解決できたらよかったんですけど、奴らがこの施設に入り込んで来た時からもうこうするしかなかったんです」
    ぐらぐらとする頭の中で女史の言葉が反響する。体調は最悪だった。浅い呼吸を必死に繰り返す。
    だがローはこれだけは聞いておかねばならなかった。こんなことになってしまった彼女達の罪科を。
    「あんたは、この施設で一体何をしているんだ。あんたは何を告発するつもりだった」
    世界政府は一体何を欲しているんだ。
    女史はゆっくりと息を吐いた。長い深呼吸の後、女史は意を決したように口を開く。
    その瞬間、モニターから警告音が鳴った。
    「ああ、アリス!大変だわ、どうしましょう」
    慌てて操作盤へと駆け寄った女史は、その大きなモニターに自身の娘を映した。
    その、研究室の光景を見て、ローは目を見開く。
    「なんだ、それは」

    奇しくも同時刻、研究室へと足を踏み入れたスモーカーはローと同じものを見ていた。

    それに手足は無かった。
    頭も無かった。
    辛うじて分かる凹凸だけがヒトの胴体であると教えてくれる。
    まるで必要な部分だけ一つに纏めたような。
    まるで意味だけを凝縮したような。
    生命の冒涜のような。
    数多の命になろうとしたものが。

    ――彼らは。
    ロシナンテの声が脳裏を過る。夢ではなかった。スモーカーはそれを知っていた。
    いくつものそれは、円柱の水層に並んで入っている。チューブで繋がれ培養液に漬かり鼓動を刻んでいた。
    アリスは勝手知ったる母親の研究室の中を闊歩する。スモーカーはその水槽のそばから動けなかった。
    「……アリス、これは」
    少女はくるりと振り返る。水槽の青い光が少女の肌を照らしていた。その陶器のように滑らかな肌が、今はスモーカーに最悪の想像を駆り立てている。
    「どうしたの、モクモクちゃん!」
    この光景を見て少女は何も思わないのだろうか。なぜそんなにも嬉しそうにしているのだろうか。なぜ。
    衝撃と落胆と、心に穴が開いたような気分に、スモーカーは背後から忍び寄る気配に一瞬反応が遅れた。
    一発の銃声が響き渡る。
    「……え?」
    スモーカーの煙になった身体を貫通して、それは少女の胸元へと吸い込まれた。
    華奢な身体がその衝撃に耐えられずにふわりと浮く。少女の着ていた服がみるみると血で染まった。
    軽い身体は地面にぶつかり、まるでボールのように跳ねる。
    スモーカーはその光景の一部始終を見ていた。
    「アリスッ!」
    咄嗟に手を伸ばそうとして、背後に突きつけられたいくつもの銃口に足を止める。
    「そこまでだ、スモーカー中将。今度は海楼石の銃弾を撃ってもいいんだぞ」
    銃を構えたCP達は今しがた少女を撃ったことなど歯牙にもかけない態度だった。
    「てめえら、一体何をしたか分かっているのか!」
    「それはこちらの台詞だ、スモーカー中将。君は一体自分が何を仕出かしているのか分かっているのか?これは世界政府からの命令だ。君にそれを邪魔する権限はない」
    無慈悲にも、無感情にもそう告げるのはあの指を切り落としたという患者に扮した男だ。
    ふざけたことを、と十手を握る。目の前で零れてしまった命に煮えたぎる怒りが沸き上がる。
    たとえ本当に海楼石の銃弾がその中に詰まっていたとしても、スモーカーは身の内に燃え盛る炎を消すことは出来なかった。
    「何も知らない狂犬風情が。我々はこの世界のために任務を遂行しているのだ」
    「その世界のために、執拗に一人のガキを追い回して殺すのがあんたらの仕事だと」
    「正義も全うできない犬に言われても何も響かないぞ、スモーカー中将」
    「ってめえ」
    怒りで奥歯をかみ砕きそうになる。
    その怒りを彼らにぶつける前に、ざわりと己の本能が危機を知らせた。
    明確に部屋の空気が変わった。臓腑を冷たいナイフが滑るように、ぴきりと身体を緊張で固める。
    「っ、おい!」
    スモーカーに銃を突き付けていたうちの一人が、スモーカーの背後を見て狼狽えた。
    スモーカーも銃口のことなど忘れて慌てて振り返る。
    その視界に映る全てに、スモーカーは目を見開いた。
    ――少女は服を真っ赤に染め上げて立っていた。
    血を失った顔は一層白く映り、彼女の青い瞳を引き立たせている。
    だが彼女は心臓に銃弾を喰らったはずだった。
    こんな何でもないように立っていられるはずがない。
    少女は小さい口を開いて、その怒りを露わにする。
    「お母さんの研究室で乱暴しないで」
    『成長促進剤を注入します』
    まるで図ったかのように研究室のスピーカーから機会音声が流れる。
    少女の爛々とした瞳が侵入者を睨みつけている。
    その瞬間、水層のガラスが砕け散り、中身が飛び出してきた。


    「そうね、アリス。あなたならやれば出来るわ」
    モニターの前で成長促進剤の注入を操作した女史は、娘の雄姿を見て微笑む。
    画面の向こう側は地獄絵図だった。
    その肉塊はぶくぶくと膨れ上がり、手足のようなものを生やし始めた。
    だがそれはおよそ人の姿とは言えなかった。
    胴体を効率的に動かすために手は四本以上も身体から生えている。その全てを地に着けた姿はさながら節足動物のようだった。それがいくつも水槽から現れる。
    少女の意思に従うように、それらはCPの諜報部員たちへと襲いかかった。
    銃の乱射音が響く。彼らの醜い悲鳴が迸る。
    まるでそれがBGMだとでもいうように、ドクター・キャロルは既に画面から視線を外していた。
    「最初に目をつけたのは世界政府でした」
    それはローからの先ほどの問いへの返事だ。
    「なにも初めからこうだったわけではありません。ある天竜人が先天性の臓器疾患を持っていたことが始まりでした」
    ローは背後のモニターの光景から目を逸らし、ドクター・キャロルを見つめる。
    「かれらはあの狭いコミュニティで婚姻を繰り返していますから、どうしてもそう言った病気は出てきてしまいます。今の医療ではどうにもならないその病気は、ALiC細胞でなら治せる可能性があった。実際その天竜人は足りない部分にALiC細胞を移植することで回復に向かいました」
    ところで、と女史は教師さながらに語り出す。
    「細胞はただ増殖させればいいというわけではありません。人間の臓器にするためには、培養時に立体的構造を取らせる必要がある。まああなたにいまさら言うことでもないですが」
    マウス程度の大きさなら十分に成功しました。
    それから私たちは動物の体内でヒトの臓器を培養する研究を始めました。先天的に特定の臓器が出来ない遺伝子のマウスを作り、そこにALiC細胞を植え付けます。そうしたらマウスの体内にヒトの細胞で出来た臓器を作り上げることが出来たんです。
    でもそれではまだ人には移植できません。大きさが足りない。人間の大きさの臓器を培養する大変さは、あなたならお分かりでしょう?
    一番近くて手頃で試しやすいのは豚でした。それでも、豚の中に完全にヒトの細胞で出来た臓器を作り上げるのは難しかった。マウスとはまた培養条件も違いますし、そもそも作りたい臓器の大きさも違います。せいぜい少しだけヒトのものが混じったキメラ臓器ができるだけ。そんなものは人に移植することは出来ません。
    「なんでこんな話をしているかと思いますか」
    その質問にローは答えることが出来ない。否、答えは分かっている。だが口にすることは憚られた。だってそんなこと。
    「世界政府は勝手です。一人治したことで味を占めた彼らは、その核心的な新しい臓器に食いつきました」
    女史の言葉は止まらない。
    「彼らは、今度は完璧に綺麗な新しい臓器を作れと言ってきました。もちろん私は無理だと答えましたよ。出来てもそれは数年も、下手したら十年も先の話で、彼らの要求にはとてもじゃないけど答えられない」
    豚ですら実験に成功していないのだ。いくらALiC細胞が優秀とはいえ、人間の複雑な臓器を一から作り上げることは困難を極める。
    「でもこの施設は世界政府の援助の元成り立っています。そうでなくても、我々は世界貴族に逆らうことなんてできない。この世界に住む人間なら誰だってそうです」
    そうしたら奴ら、なんて言ってきたか分かりますか。
    女史は嘲笑う。
    「ヒトではダメなのかって」
    ローは息を呑んだ。
    「豚ではダメなら、最初から人で作ればいいって。そう言ったんですよ」
    「……だがALiC細胞は方向を与えなければヒトにはならないんだろう」
    「ええ、そうですよ」
    だから与えました、と女史は言う。元々遺伝子を設計して、その人工受精卵を作ったのは彼女自身だ。
    そこで初めてドクター・キャロルの表情から笑みが消えた。
    震える手で、頭を掻き乱し、口から憎悪の言葉が漏れる。
    「だから、与えなくてはならなかった!頭もない、手足もない、ただ必要な臓器を育てるためだけの胴体に育つように!設計させられた!」
    それが、これなのだと。
    モニターの向こう側に映るおぞましい形をした何かなのだと。
    彼女はそう言う。
    「ドクター・トラファルガー。臓器くじ(サバイバル・ロッタリー)って知っていますか」
    有名な思考実験です。
    公平な一人をくじで選んで殺し、その臓器を全て取り出して臓器移植が必要な人々に配る。
    この時くじによって当たった人間は死ぬが、その代わりに臓器移植で複数人の命が助かる。
    一人の命の犠牲で多くの命が助かるとき、それは倫理的に許されるのだろうか。
    「それでもまだ、命を救うためならばと。私はなけなしの正義で突き進みました。この臓器が何百という患者を救うなら、きっとそこに意味はあると」
    はは、と乾いた笑いが漏れる。もう涙もとっくに枯れ果てているのだろう。そんな綺麗なものなど疾うに出尽くした。
    「でもね、そんな都合のいい話なんてなかったんです」
    奴らは、世界貴族はこの富を独占しようとしました。他の奴らに分けてやるなんてとんでもないと。自分達だけの特権にしようと。
    病気でもなんでもないやつが言うんです。『綺麗で健康な臓器に取り替えたい』って。
    「あいつらがそれをなんて呼んでるか知ってますか。『究極のアンチエイジング』ですって」
    可笑しいですよね、と顔を歪める。
    「自分たちの自堕落で酷使した臓器を、まるで服を着替えるみたいに取り替えてくれと」
    モニターの向こう側で最後の悲鳴が上がる。
    「そう願う奴らの数だけ、いいえそれ以上作らされてきた。栄養を与えればたしかにそれはヒトの形で成長していくんですもの。わざわざ豚を使って研究するより遥かにコストがかからない」
    カメラに飛び散った血が研究室での凄惨な現状を見せつける。
    「でも私は耐えられなかった。手足がなくても、頭がなくても、それがなんだっていうんですか。彼らが、公平な誰でもない、誰かのためのただ一人だとでも言うんですか。そんなの許されていいんですか」
    だって、と女史は両手を広げた。
    モニターに映る全てを讃えるように。彼女が作ってきたすべてを慈しむように。
    彼女が世界に向けて言いたかったことはこれなのだと。

    「だって、これじゃもう命じゃないですか」

    涙が零れる代わりに言葉が転がる。
    絞り出した魂の慟哭がローの心臓に突き刺さった。
    「彼らは誰かなんです。私の可愛い子供達なんです。これは彼らの命なんです」
    唇をかみしめ、これまで耐えた苦痛を思う。
    「これ以上彼らから何も奪わせません。誰にも害されない、彼らが彼らを命と認めてくれる楽園を作ります。それが、私の本当の目的です」
    モニターの端で点滅する文字へとローは視線を向けた。その一文字一文字を読み上げる。
    ドクター・キャロルは再び視線をモニターに戻した。
    彼女の娘と、そして命達が産声を上げていた。
    「さあアリス、皆。始めよう、私たちの千年王国(楽園)を」
    ALiC Eden Project.
    「……アリス」
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