次の日、そのだらしない顔を何とかしてと、寧々に呆れられた。「さて、それじゃあ今日も頑張ろうか」
「うう……すまん、類……」
珍しく悲壮感が漂う司くんに苦笑しながらも、手に持った教科書を開く。
背筋を伸ばしてノートに向かう司くんを見て、数日前を思い出した。
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今日からテスト1週間前。
練習も中止になったことだし、家でアイデアを練ろうかと考えていた僕のところに、司くんは泣きそうな顔でやってきた。
「……勉強を、教えてほしい?」
「ああ……。どうしても今回は、類の力を借りたくてな……」
申し訳ない、と頭を下げる司くんの顔をどうにかして上げさせ、詳しい事情を聞いてみた。
そうしたら、なんてことはない。
今回のテスト範囲にある数学の公式を、司くんは理解できていなかったのだ。
国語や社会であれば一夜漬けでどうにかなると言っていたし、
数学も公式さえ理解ができれば、何ら問題はない。
でも、それは「理解」できたらの話だ。
公式を理解して、使うべき箇所に当てはめることができなければ、解くことはずっとできない。
しかも今回の司くんは、範囲の公式がほぼ全て理解できていなかったのだ。
ショーの練習のために、休日にある補習は何としても回避したい。
でも、自分が理解できていない公式を一人で覚えるのも無理がある。
そこで白羽の矢が立ったのが、僕という訳だ。
前々から、僕がこの時期に勉強をしなくてもいい点が取れていることを、司くんも理解している。
真面目な司くんのことだ。それでも普段僕を頼らなかったのは、こういうものは自力でやるべきだと考えていたからだろう。
それでもどうにもならなかったので、こうしてお願いされているわけだが。
司くんの申し出に、僕はふむ、と考え込む。
確かに機材が作れないのはあれだが、折角機材を作ってもそれを試してくれる司くんが
その場にいなかったら本末転倒だ。
僕はそれなりにテストに余裕はあるが、この機会に復習するのもいいかもしれない。
「うん、いいよ。僕が教えてあげる」
「……!!すまない、ありがとう類!あ、だがそれだと不公平だな。オレだけが得してしまうし……」
気にしなくていいのに、という僕の声も気にせず、うんうんと唸り。
思い付いたように、パッと顔を上げたのだ。
「よし、それなら…………」
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(「なんでも1つ、言うことを聞く。かあ」)
机にかじりついている司くんを見ながら、ぼんやりと考える。
それこそ最初の時は、新しく作ってもらったものの実験台に、いやでもあっちの機材も捨てがたい、と色々考えていたのだけれど。
(折角なら、普段できないことをしたいなあ。デートとか。)
僕らは、つい最近付き合い始めた。
だから1回も、デートに行ったことがないのだ。
(二人で出かけて、ショッピングして、一緒にご飯食べて。一緒にミュージカルを見るのもいいなあ。あ、でも他にもやりたいことが……)
そんなことを悶々と考えていると、くいっと服を引っ張られた。
「……ん?」
「類、大丈夫か?ぼーっとしていたようだが」
服を引っ張ったのは、司くんだった。きっと、声をかけても反応がなかったから、引っ張ってくれたのだろう。
不安げに見つめる司くんに、僕は笑いかけた。
「大丈夫、少し考え事をね。司くんこそ、どうかしたかい?」
「あ、ああ。ちょっとここがわからなくなってしまってな」
「ふむ、ここだね。ここはこっちの公式を……」
僕の説明を頭の中で整理しながら、少しずつだけど、解けるようになっていく。
真剣な顔で解いていく司くんを見ていたら、いつしか考えていたことを忘れていた。
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「……なら、こっちの方を明るくしてみるのはどうかな?」
「いや、それだと下手側が暗くなりすぎてしまうと思うのだが」
「ああ、それは確かに。……うーん、もう一つライトを追加すべきなのか……」
二人でそう話していると、ピロピロとスマホが時間を知らせてくる。
そんな音を聞いて、司くんがしょんぼりとした。
「ほら、終わりだよ?戻らないと」
「うう、そうなんだが……。もっと喋りたかったなと……」
しょんぼりとしたまま戻る司くんを見て、思わず苦笑する。
本来僕がテスト期間の間にやろうと思っていたアイデアの案を、司くんは休憩時間にやろうと提案してくれた。
僕一人では気づかなかった意見や、司くんの要望を聞きつつ進められる作業は楽しくて
つい話し込んでしまう。
そんなことをして一時間経ってしまったこともざらにあったので、今は15分タイマーをかけてしっかり切り替えるようにしている。
しかしまあ、ショーバカである僕たちが、これで満足するわけがなく。
(日に日に反応が悪くなっていくねえ……。まあ、仕方ないけれど)
どうしようかなあ、と思いながら司くんの姿を見て。
ハッと、閃いた。
「司くんも、何かご褒美を用意したらいいんじゃないかな」
「は?」
突然出てきた僕の言葉に、司くんは顔を上げながら怪訝そうな顔で見つめてきた。
「ショーの話ができなくて苦痛みたいだから、どうにかできないかなって考えてたんだよ」
「あ、ああ。それはありがたいが、そう簡単にご褒美と言われても思いつかないし、オレが頑張るのは当然のことだが……?」
「うん、まあそういうと思った。だからね、条件付きならどうかなと思ったんだ」
「条件……?」
首を傾げる司くんに、僕は頷きながら、口を開いた。
「例えば、75点以上取れたら、僕が何でも1つ、言うことを聞くとかね」
僕がそういうと、司くんはピタリと、動きを止めた。
「……司くん?」
「……何でも、いいのか?」
「う、うん…?」
確認するような真面目な声に、困惑しながらも頷く。
そんな僕に、わかったと返事を返し。
先ほどとは打って変わって、水を得た魚のように、集中して勉強に挑み始めた。
(……僕にやらせたいこと、あったのかな?)
そんなことを思いながらも、真剣な顔で向かう司くんの横顔を、ひっそり眺めた。
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「よっっっっっっっっっし!!!」
「ふふ。さすが司くんだねえ」
「はーっはっはっは!そうだろうそうだろう!!」
いつも通りの司くんだあ、なんて考えながらも、見せてもらった答案用紙を眺める。
そこにはしっかりと、「76点」と書かれていた。
さて、と思いながら、司くんに話しかける。
「ギリギリとはいえ、本当に達成したねえ。話していた通り、何でも一つ、言うことを聞くよ?」
そういうと、司くんはピタリと、動きを止めてしまった。
「…………あの、……司くん??」
つい先ほどまで、いつも通りの笑い声が響いていたのだ。
僕の言葉で、動きも止まったし声を止んでしまった。
変なことを言ってしまったか?と思っていたが、司くんは急に動き出した。
そして、僕の前にすたすたとやってきて、バッと僕の前に何かを差し出す。
「これ」
「……え」
「これ、やる」
そう言って強引に押し付けられたそれを受け取ると、そこには優先券、と書かれたファンシーなチケットがあった。
「これ、は……?」
「咲希からもらった。都合がつかないから、折角だし行ってきて、と」
「そ、そう、なんだ……?」
「今度の買い出し、オレ達が担当だろう。その時にどうかと思ってな」
ずっと困惑していたが、司くんの言葉にハッとなる。
買い出し。
僕達が担当。
一緒にご飯を食べたい。
……もしかして。
「司くん、もしかして……」
「そ、その。オレ達もそろそろ、一歩歩んでもいいんじゃないかと思ってな」
「…………」
「か、買い出しなら、きっと違和感もないだろうし……、ファンシーな店とはいえ、食事は美味しいそうだから、きっと大丈夫だと思ってる……」
「…………」
「な、何とか言ってくれ……」
司くんは恥ずかしいのか、しどろもどろに言い訳をしている。
でも僕は、司くんがそう言ってくれたこと。
司くんが、一歩歩みたいと、そう言ってくれたことが。
堪らなく、嬉しかった。
「司くん、はい。」
「……は?」
ぽかんとする司くんに、僕も少し強引に手渡す。
……司くんと2人で買い出しの日付がプリントされた、ミュージカルのチケットを。
「っ、こ、これ……!!?」
両手で持って震える司くんに、僕は笑いかけながら口を開いた。
「何でも一つって言われたから、機材のあれそれとか色々考えたんだけどね。でも折角なら、普段できてないことをしたいなって思ったんだ」
「…………」
「僕も今日、これを持って誘おうと思っていた。……司くんが僕と同じことを考えてたの、とても嬉しかったんだ」
そういうと、司くんは感極まったのか、静かに涙を流しながら、こくこくと頷いていた。
自分もだ、と言いたいのだろう。
そんな司くんを、僕はそっと抱きしめる。
「司くん。僕とデートしてくれませんか?」
司くんは一つ頷くと、強く抱きしめ返してくれた。
そんな僕らの買い出し、基デートが上手くいったのかは
また、別のお話。