今日の練習を終え、ブライアンが帰ろうとした時だった。スマホがポケットの中で鳴り響いたので見てみれば、ダビィからの連絡だった。
今はダビィがイタリアのユベントス、ブライアンがオランダのアムステルダムに属し、それぞれリーグを戦う最中だが、マドリッドオリンピックではオランダ代表として同じチームで戦った仲だ。オーバーエイジ枠での選出だった彼には日本との対戦でも多く助けてもらった──それこそ精神面でも、プレーの上でも。
そんな先輩からの久しぶりの連絡が嬉しくて、ブライアンはすぐに通話ボタンを押した。
「どうしました、ダビィさん」
すると、電話口から、ひときわ低い声が聞こえてくる。
『おう、久しぶりだな、クライフォート。実を言うとお前がオランダのチームに残るって報道で聞いた時から、連絡しようと思ってたんだけどな……』
そう切り出され、ブライアンはダビィに色々と話した。彼も報道で何かと知ってはいるだろうが、ブライアンの口から聞きたいと言われたので、オランダに残った理由、三杉との勝負のこと、つまびらかに語ると、彼は嬉しそうだった。
『そうか、そうか。オランダや兄のために義務感で残ったんだとしたら、ちょっと苦言の一つも言ってやろうかと思ってたが、前向きそうで安心したぜ』
「あはは。心配しないでください。それより、チャンピオンズリーグでは覚悟してくださいね」
『おう? そいつはこっちの台詞だが』
ダビィは余裕たっぷりに笑う。悔しいが、確かにユベントスはスタープレイヤーぞろいの集団だ。彼も含め、フォワードにはデレピやトレサガ、インザース、ディフェンダーには超新星ことジェンティーレ。それから──。
「そういえば、あの日本のフォワードは、帰ってきたんでしたっけ」
ふと思い出して、ブライアンはそう聞いてみた。オリンピックでダビィやブライアンと激突した、日向小次郎のことだ。すると、ダビィの歯切れが少し悪くなった。
『ああ、帰ってきたよ、あの生意気な日本人!』
吐き捨てるような言葉に、ブライアンは首を傾げた。
「なんだか歓迎してなさそうな口ぶりですね」
『歓迎してねえわけじゃねえよ! あいつは確かに、ちゃんとバランスも矯正して、いいストライカーになって帰ってきたからな。ただ、なんていうか……あいつ見てると、どうも突っかかっちゃうんだよな、優しく接してやれねえというか』
驚いた。この人はいつも、後輩のブライアンを年上の立場からしっかり導いてくれる人だった。とても手本になる先輩だと思っていたし、今でもそうだ。信頼している。
なので、日向に対してだけその態度が崩れるというのは、ブライアンにとっては不思議極まりないことだった。
「オレに対して接してくれたみたいにすればいいと思いますけど」
『それができたら苦労はねえんだ! 多分あいつが生意気だから……なんか腹立って、やり返したくなるっつーか……』
「腹立って……、ですか。それって」
ブライアンはうーんと唸りながら、聞いてみる。
「ダビィさんは、ヒューガが嫌いなんですか?」
すると電話口は、一度沈黙した。
どうしたんだろうと思いながら、根気強く返答を待つと、ダビィはたっぷり十秒くらい間を開けてから答えた。
『……嫌いじゃねえよ。ぜんっぜん。これっぽちも』
どすの効いた声で帰ってきた、あんまりにも恥ずかしそうな、そのくせ素直な返答に、ブライアンは吹き出してしまった。おい、何笑ってる、とか電話口のダビィが吠えたが、こればかりは仕方ない。
「ダビィさん、それってあれじゃないですか? ヒューガを後輩というより、もっと親密な関係として接しようとしちゃってるんじゃないですか? 無意識に」
『は?』
ダビィは素っ頓狂な声を上げてまたフリーズした。今度も次の言葉までは十秒くらいあった。
『……っ、そんなわけねえだろ!』
「どうでしょうねえ。……で、本当は突っかかるのをやめたい、と?」
『そ、そりゃ、うーん、なんていうか……あいつが嫌がってたらそれはそれで困るしな。チームメイトとして』
チームメイトとして、をちょっと強調するダビィ。
「嫌がってるんですか?」
『わっかんねえよ。今のところ、律儀に言い争いしてくるけどな』
それってもしかしなくても、割と仲のいいじゃれ合いなのではないだろうか。想像してブライアンは疑問を深めた。
「まあでも、ヒューガは嫌なら嫌ってちゃんと言うタイプでしょう。あまり、気にしなくていいんじゃないですか」
『うーん、まあ、そうか』
あまり納得はしていない様子であったが、その話はそれで終わりだった。通話を終え、ブライアンは一人苦笑した。多分ダビィの脳内では、日向のことは悪友か何かとして処理されているに違いない。なんだか羨ましい関係な気もした。
***
三杉が自室で本を読んでいると、スマホが鳴動した。画面を見れば、珍しいことに日向からの連絡だった。
本に栞を挟んで閉じると、三杉はスマホに手を伸ばし、通話ボタンを押した。
「もしもし、日向。久しぶりだね」
『よお、三杉。そっちはどうだ? 生活、慣れてきたか?』
そのまるで父親かのような物言いに、三杉は苦笑した。
三杉がここ、オランダにフィアンセの弥生と共に引っ越してきてから、数週間が経った。日向は先に海外進出していた身として、三杉の現況を心配してくれているのだろう。
ただ、それに関しては杞憂と言ってもよかった。アムステルダムの皆とは、すぐに打ち解けることができた。特にブライアンとは、もう気心知れた仲と言っていいだろう。そういう状態と、そこに至るまでの経緯を話すと、日向の声音が少し明るくなった。
『まあ、三杉は大丈夫だろうと思ってたけど、完全に杞憂だったみてえだな』
「そうだね。……ねえ日向、もしかして、海外に行った皆にこの電話かけてる?」
確かにお互い、全日本の大切な仲間だという意識はあるだろうが、それにしたって特別日向が三杉に対してだけ電話をかけてくるタイプとは思われない。そう思って聞いてみると、図星だったのか、日向が声を詰まらせた。
『そ、それはその』
「ははは、日向はお節介だな! いや、いいけどね。日本の皆も、先に海外へ行っていた君の存在は心強いはずだ。ボクより松山や石崎、浦辺あたりの心配をしてあげてくれ」
『松山は生命力が化け物だからほっといていいだろ。……石崎や浦辺は……確かに日本食が恋しくて泣いてそうだな。もう一回くらい、連絡しとくか』
ちょっと松山に対する当たりが強いなあと思ったが、三杉はスルーした。
「ところで、君のほうはどうなんだ、日向。ユベントスに戻って、上手くやれているのかい?」
そう試みに聞いてみる。てっきり問題ないとの回答が来るものと予想していた三杉であったが、そのあては外れた。日向は少し、声音を落とし。
『うーん、まあ、大丈夫と言えば大丈夫だが、ちょっとな』
「何か、問題でも?」
はて、またポジション争いに苦しんでいるのだろうか、などと思いながら詳細を聞いてみると、これまた予想外の答えが返ってきた。
『それがな。なんかおれ、ダビィさんに嫌われたような気がして』
「うん……?」
ダビィ。と言えば、ああ、そうだ。マドリッドオリンピックでオランダと戦った時に、オーバーエイジとして参加していた彼と、三杉はマッチアップしたことがある。オランダ代表のボランチだ。アムステルダムに来てからはブライアンと話すことも増えたが、彼の話の中でもダビィのことはよく出てきた。面倒見のいい先輩だと言っていたが。
『どうもあの人、おれにだけよく突っかかってくるんだよな。もしかしたらオリンピックの時にやりあったせいで、嫌われちまったのかもしれねえ』
「ふむ……?」
ブライアンの話しぶりではそういうタイプにも思われなかったのだが。三杉は首を傾げた。
「その時に、嫌われたような感触があったのか? 試合後に睨まれたとか」
『いや、そういうのは全くなかったな。……そう、あのオリンピックでぶつかり合って、なんならおれとしては、お互いわかりあったつもりでいたんだがな。ちゃんと、あの人に実力を示したつもりでいたし。……おれだけだったのかも』
後ろ向きな考え方の日向に、三杉は思わずもう一度唸った。
ブライアンの話に出てくるダビィは、お手本のような先輩だった。私情で日向を憎み、意地悪してくるような人とは、やはり人物像が一致しない。
「ねえ、日向。一体どんな風に突っかかってくるんだ」
『どんなふうに……って。なんつーか、からかわれたり、煽られたり……。おれが言い返すと更に言い返してきて、なんだろ……そんだけっちゃそんだけなんだが』
その話を聞いて、三杉の中に一つの仮説が浮かんだ。
──。
「それってもしかして、ちょっと距離感がおかしくなってるんじゃないか?」
『へ?』
「一度戦って通じ合っちゃったせいで、気心知れた人のように接されているような気がするが」
『はあ? そんな、まさか……うーん、……ええ……?』
否定しようとしたのだろう日向は、その材料に思い至れなかったのか、言葉を詰まらせた。
三杉は面白くて笑ってしまった。多分後輩として認識されていないのだろうな。精々、強敵か、悪友か。きっと日向とはいいチームメイトになれるだろう。
「あまり気にしないほうがいい。少なくとも、君を嫌うような人ではないと思うから」
『そ、そうだな……』
「ところで、君としてはどうなんだい。その、ダビィという人が嫌いなのか?」
そう聞いてみると、日向は即答した。
『いや、あの人は世界最高峰のボランチで……すげえ人で。尊敬してるし、全然嫌いじゃねえよ』
そうだろうと思った、と三杉は笑った。
「それならきっと大丈夫だよ」
『だといいがな……』
通話はそれで終わりだった。はて面白い二人だなあと思いながらも、三杉はスマホをわきに置き、もう一度、本に手を伸ばした。
***
翌日。
練習で顔を合わせたブライアンと三杉は、昨晩の面白い話をお互いにしようとした。
「実は、昨日、ダビィさんから連絡があって」
「聞いてくれクライフォート、昨日、日向から電話があって」
──そして、二人同時に素っ頓狂な声を上げた。
「「……ん?」」
そして、二人は情報共有するに至り、ひと笑いした。
まあ、すぐにあの二人も気づいて打ち解けるんじゃないか、と思いつつも、お互いに情報共有はしておいてやるか、と思うブライアンと三杉なのであった。