後ファントム・ペイン ぶちん、ぶちん。ぶつり。ごりごり。ぶつり。
気が狂いそうになるほどの激痛の狂騒に呑まれながら、カルデアのマスター、藤丸立香は確かにその音を――ほかならぬ自身の身体の奥底から――聞いた。立香は悲鳴を上げようとしたが、口内へみっちりと押し込まれた肉の猿轡がそれを阻んだ。
「!! ……んぅ――!!」
「おお、斯様に拙僧の腕を食い締めて――ンンンンン、伝わってきますぞ――貴方の痛みが、嘆きが……そして絶望が……ンフフフフ。嗚呼……何と甘露な味わいなのでしょう」
眼前で繰り広げられる血生臭い光景も、己の腕が抉れられる感触も、アルターエゴ・リンボ=蘆屋道満にとっては児戯に等しいのだろうか――彼はこともなげにに頭上から微笑んだ。
とうに気絶していても不思議でないほどの激痛だったが――あるいは道満が何らかの呪を施したのかもしれない――立香にはそれすらも許されなかった。純潔を乱暴に散らされ、自分の足が“かつて自分の足だったモノ”に変わってしまった屈辱さえも、この痛みの前には無力であった。今はただ、この苦痛だけが現実と自身を繋ぎ止める軛と化していた。
目尻と口の端からは体液がとめどなく溢れていたが、ついには股座からも熱い液体が染み出した。それを尻目に、道満はせせら笑う。
「おや、おやおや? 粗相なさるのはまだ早いですぞ。これからがお楽しみなのです。余分な骨を削り、肉を切り開いて傷口を縫い合わせてゆきますぞ」
この悍ましい遊びをまだ無麻酔で続ける気でいることが分かり、立香は恐怖に目を見開いた。呪符で動きを封じられた身体は身じろぎさえもできず、喉の奥で呻くことしかできない。
「……んぅ! ……う――!」
「ンフフ……そう怯えずとも宜しい。拙僧の式神共はこう見えて手先がとても器用なのですよ。ゆうっくりと、丁寧に仕上げますのでどうか安心召されよ?」
「……ん! んん!……うう!」
立香のなりふり構わぬ姿に何か心を動かされるものがあったのか、道満は法師らしい慈悲深い表情を見せ、立香の汗ばんだ額を撫ぜた。
「何です? ……あぁ、歴戦のマスター様も流石に堪えるのですね」
しかし、それは激痛が見せた幻想に過ぎなかったのか――次の瞬間、道満は深紅に染まる瞳孔をぎらつかせ、悪鬼のように嗤うのだった。
「ですが、どうか。どうか、御辛抱を。拙僧は、貴方にも味わって戴きたいのです。この世界には、希望など何処にも無いということを――此処に在るのは、拙僧が与えし絶望だけだということを、貴方にはもう、拙僧しか居ないのだということを――」
「あ……あぁ……あ…………あああああああ!!」
立香は自身の悲鳴で目を覚ました。ノウム・カルデアの自室は、地球上にこの部屋しか存在しないかのような静けさに支配されている。とっくに傷が塞がったはずの両足がズキズキと疼き始める。
「また…………あの夢……」
平安京の特異点で遭遇した、生前の蘆屋道満と“合一”したというアルターエゴ・リンボ。彼の手中に堕ちた立香は両足を失い、そして――。
「命があっただけ儲けもの、って思ってたんだけどな――」
携帯端末の時計を見る。五時一五分。起きるには少し早いが、二度寝しようという気にはなれなかった。上体を起こし、枕元に立て掛けておいた義足を装着する。
何かを言い聞かせるかのように、立香は目を細めお腹を撫でると、松葉杖をつきリハビリルームへと向かった。
〈以下続〉