I found you, finally.グランやカシウスに外の探索を任せ、ゼタとバザラガ、そして僕らの六人で遺跡の中に潜入した。
遺跡はひやりと冷たく、そして薄暗い。
空の世界では見慣れないコンクリート造りの壁には配管が何本も張り巡らされていて、割れた壁の隙間から木の根や幹顔を覗かせている。
亀裂を伝って地下水が漏れ出ているようで、けれど足首の高さでは誘導灯が点滅していた。
電力が生きている証拠だ。ありがたいような、そうでないような。
どちらにせよギアを持ってくればよかった。デアンがいるからって油断した。
プラズマクラックを提げた右手を摩る。すると、大きな手が僕の肩を抱き寄せた。
「ん。どうしたんだい、デアン」
「俺の傍を離れるな」
「ああ……分かってるよ。ギアがない僕はひ弱なエンジニアだからね。いつもありがとうだ」
すぐ近くの彼に微笑みかける。
彼の右耳には場違いな若草色の耳飾りが付いていて、思わず伸ばした手を彼が掴んだ。
「アイザック、危険だ」
「えっと……?」
危険? 装飾品なのにかい?
首を傾げた僕に彼は付け足した。
「これは索敵用の古道具だ。夜番の最中に簡易でメンテナンスを行ったが、どうやら繊細なセンサーを搭載しているようで下手に手を出せなかった」
そういうことか。
「それは迂闊に触れないね。後で僕が整備しよう」
「協力感謝する」
鼻にキスを落とされる。
だから僕も彼の頬に唇を寄せて身を離して、
……あ。
目の前を歩いていたはずのゼタとバッチリ目が合った。
慌ててデアンと距離を取る。けれど、彼女の目は誤魔化せない。
「ゼタ、これはうつつを抜かしていた訳ではないんだよ!?」
「へえ……ほっぺにキスは、二人の間じゃ当たり前ってことなのね」
「っ……! だから、そういうのじゃないよ!」
「謙遜はやめてよ。そういうのも惚気に聞こえちゃうわ。もうお腹いっぱいなの。こっちはさ」
彼女はツインテの先を揺らしてけらけらと笑う。
その横のバザラガの肩も微かに揺れていた。
「僕で遊ぶのはよしておくれよ……」
はぁ。
目の前の二人から目を逸らして後ろを振り返る。
隊列の最後尾にはデックスとニュートンが歩いている。デックスはともかく、ニュートンは好奇心旺盛だからすぐに遺跡の装置に気を取られて遅れてしまうのだけれど……
よし、問題ない。すぐ後ろにいる。
でも様子が変だ。
白皙の額には大粒の汗。
外套を引っかけた左肩も微かに上下して息が切れている。
……どうやら、体調を崩しているようだ。
思い返せば初めての野営に長距離の歩行。彼の歩行が安定しているとはいっても無理があった。
ゼタに休憩を申し出ようとして、慌てた様子のニュートンに腕を引かれる。
「兄さん、僕は大丈夫だ」
「平気なわけないだろう? 休める時に休まないとだ」
「でも……僕のせいで迷惑をかけたくないんだ」
彼がちらりとゼタと、デアンを見る。デアンの視線とかち合うと目を逸らした彼は僕だけに聞こえる声量で、
「ヒヨコの姉さんにも……嫌われたくないから……」
「……そっか」
どうやらデアンに嫌われてしまったのを未だに引き摺っているようだ。
迷惑ばかりかけてゼタに嫌われたらどうしよう、だなんてしり込みしてしまう程には。
ゼタはニュートンによくしてくれている。
差し入れのお菓子が甘めなのは彼の味覚を考慮してのことだろうし、歩いている時は絶対に目を離さない。もう既に彼女の中ではニュートンはベアトリクス男の子バージョンだ。
だから……嫌われるだなんて。そんなことない。
思いが少しでも伝わればいいと肩を撫でてやる。
その手に大きな掌が重ねられた。
デックスだ。
上体をわずかに傾けた彼は目隠しの向こう側からニュートンを見て、それから僕に視線を向ける。
薄く開いた唇が逡巡するように息を止めるけれど、
『ニュートンは一時間程前から心拍の乱れと眼球運動の不規則化が生じている。勿論、長距離移動の負荷によって生じた四肢末端の義肢接続部位の炎症も加味するべきではあるだろうが、間脳視床下部の働きを支援している機械細胞がノイズ混じりの信号を放っているのを鑑みるに、何らかの機器干渉が原因で代謝経路や眼球運動など複合的な側面にて不具合が生じている事が推測される』
「つまり……体調不良という事だね?」
『……簡潔に述べるのならば』
「デックス、どうして兄さんに……」
ニュートンは焦った様子で、デックスの顔を見上げている。
それもそうだ。デックスがニュートンの意に反する行動を取るなんて今までにない。ワガママを肯定して甘やかす、ニュートンの存在を認めてやる。
それがデックスの存在意義で、でも今は違う。
ニュートンはこの空で兄を得た。そして友人も。ただの村人や、すれ違う旅人だって、彼をヒトとして扱い話しかける。そしてニュートン自身も刺激を受けて自分のさなぎの殻を破ろうとしている。
だから、ニュートンが自分で空を飛べるようになった時も、彼の特別としていられるように、デックスも変わる決意をしたようだ。
「じゃあ……撤退も視野に入れた方がいいかな」
『その必要はない。機器干渉の原因は特定しており、これ以上の悪化は見込まれない』
だが、それでは行軍に支障が出るだろう。言葉を続けた彼は床に膝をつくとニュートンを横抱きにする。
目を丸くしたニュートンも、デックスの意志で持ち上げてもらった事は満更でもないようで、赤らんだ顔のままデアンの逞しい胸元に下がった三つ編みを指で解いては結び直していた。
遺跡の奥にもなると自然が立ち入る隙はなくなり、月でよく見た無機質な景色へと移り変わっていく。
ニュートンはデックスの乱れた三つ編みを指に絡めたまま眠っており、ゼタは見慣れない建造物に忙しなく周囲を見渡していた。
「ねえ、あんたたち、ここがどういう施設か見当はついてるの? あたしにはさっぱりなんだけど」
「うーんと、僕は研究所、かなって思っているんだ。月との通信がメインなら、きっとデアンかデックスが通信を傍受出来ているはずだ。だろう? デアン」
「ああ……だがここは静寂に包まれている。通信室はあるやもしれんが、それがメインではないのだろう」
「へえ、そうなんだ。あ。あれ見て。扉よ」
薄暗がりの向こうから灰色の扉が現れる。
重厚感がある鉄扉にはちょうど胸の位置辺りに赤く点滅するライトと、幾何学模様を描く電気盤が設置されている。どうやらここが最深部だ。
「俺が開錠しよう」
と、ギアをつけていない僕の代わりにデアンが扉横の電気板を操作する。
数回音が鳴った後、点滅していた赤いランプが青に切り替わる。ぎこちない動きで扉がスライドした。
最深部は高い天井を持つ広い空間だった。
視界いっぱいに至るまで蛍光色の光を放つ培養ポッドが幾つも並べられ、四方の壁にはその培養槽のチューブが蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
中身はほとんどが空。入口に近い位置のモノだけに微かに肉片のような物体が残っている。
奥の壁は通信室に設置されていたような大型モニターが下げられており、キーボードの上には培養プラントに関連するファイルや日誌が乱雑に置かれていた。
埃を被ったファイルの表紙には『幽世の肉、その運用について』とラベリングが。
……これは嫌な予感。予想を遥かに上回ってきた。
グレイス。君は、いや……君たちのご先祖様はここで何をしていたんだい。
「成程……どうやらこの遺跡は、幽世の生命体を研究する施設だったようだな」
「そうみたいだね……デアン、この資料を読むのは君に任せたよ」
「了解した」
ファイルはデアンに。僕はこの日誌を。
モニター前の席に座らされあくびを洩らすニュートンにも声をかける。
「ニュートンはまだ休んでおくかい」
「ううん、さっき仮眠も取れたんだ。僕は……このCPUの中身を漁るよ、兄さん」
ニュートンがモニターの前に座ってコンソールを叩く。その目はまだ眠たげだけれどまあ、大丈夫だろう。
残ったゼタはアルベスの柄で床を叩いた。
「じゃああたしとバザラガはここの探索、ね」
「探検したいだけではないのか?ゼタ」
「ばぁか。私はちゃんと任務もしーてーまーすー!」
「任務も、だろう。行くぞ」
「はあい」
ひらりと手を振ったゼタを見送って僕も日誌を開けた。流麗な文字と、端的に纏められた文章が目に優しい。
『11月16日 幽世の住人の肉体の一部を取得。-30℃にて凍結保存し、一部の細胞を培養』
『11月20日 培養条件の最適化が上手くいかない。そのため、ホワイトラビットの皮下に幽世の住人から得た細胞を注射』
『12月1日 ホワイトラビットの異常な瘤を発見』
『12月3日 ホワイトラビットが死亡したため解剖を行った。すると皮下から直径20㎝もの幽世の住人の細胞塊が得られた』
『12月10日 多種の実験動物を揃え、幽世の住人の細胞を皮下注射した』
『12月24日 なんということだろう。その全ての生命体において幽世の住人の細胞増殖が確認された。そして、その中で最も効率が良かったのは……』
空の民。
「ッ……」
そんな。
彼らは何という事を。恩を返すべき相手をモルモットにするだなんて。
指が震える。
日誌は更に続き、徐々に文字も欄もはみ出す乱雑な殴り書きへと変化する。
最終日には細胞を注射された生命体はこぞって自死しようとする旨や、それに対する考察が述べられていた。
『もしかすると幽世の肉というものは、その生命体に寄生する事で希死念慮を越えた渇望を与えるのかもしれない。私は、幽世が齎す現象を解明することを研究者生命に駆けてでも詳らかにしよう』
「例え……この身を犠牲にしても……」
どうして。
どうして月の民というものはいつもそうなんだ。
人の命を何だと。自分の命を何だと。
到底理解なんてできやしない。
思わずテーブルに肘をついて頭を抱えてしまう。
デアンはそんな僕の肩に優しく手を添えてくれた。
「ッ……デアン……」
「アイザック、大丈夫か。脈拍が早くなっている」
「うん……少しショックが大きくてだ。デアンの方はどうだい」
「この施設の研究用途を把握した。やはり幽世の生態を探っていたようだな。最後に稼働した日から遡って半年ほど、幽世から採取した細胞を他生命体の皮下に移植する実験を頻繁に行っている」
「日誌もそんな所だったよ。まったく……幽世に手を出して、酷い目にあったっていう言い伝えはご先祖様から聞いてるはずなのにだ」
日誌を置いて培養槽に振り返る。
バザラガに聞くとやはりほとんどのプラントは空で、数機に肉の残骸が残っているだけらしい。
その中でも入口付近にあった、一際大きい肉片……脳の一部と、目玉の前に立つ。
犠牲になった空の民だろうか。後で弔わせて欲しいと肉塊に手を合わせようとして、
ぎょろり。
……なんだ、この肉片……
今、動いたような。
はは……そんなことはない、よな?
だって脳だけだぞ。それも脳梁も欠けた、前頭葉の一部。生命維持とか出来る訳が無い。
幻覚だ。
ニュートンと同じように僕も疲れが溜まっていたようだ。
そうに決まってる。
だから、ただの遺骸が僕を見つめてる訳なんてーー
「っ……」
そんな訳、ないのに。
『彼』は月の民によく似た碧眼で僕を見つめている。
「ひ、ッーーーーー……!」
「兄さん? どうかしたのかい?」
僕の異変にニュートンが座席を回して僕の方に体を向ける。
『彼』も目玉の裏側で束になった視神経をたなびかせながら、
ニュートンを見て、ニマリと笑った。ような気がした。
『ニ ハラナミシ ンラナ, ハニミチリリン』