愛しのルージュ流川楓の手は、直径24.5cmの人工皮で作られたオレンジ色のボールをイメージ通りに操るための手だった。
ボールだけを持って生きていたはずの手には色々なものが積み重なり、バスケット以外のことも持って歩まねばならなかった。
それだけを見て生きるというのは存外難しいことなのだと知った。
まず学生という身分において、勉学は切り離せなかった。試験の点数が悪ければ試合に出られない。特に英語はアメリカに行くためには最低限必要で、それを使ったコミュニケーション力もとい考えを言葉にして伝わる文章にするために国語が必要だった。
プロになっても同じで、選手として結果を出すのはもちろんのこと、競技の裾野を広げるためにテレビや雑誌などのメディアに出たり、スポンサーと会食したりしなければならなかった。バスケットという競技で食べて行くには仕方のないことだと割り切ろうにも他人との接触が煩わしくてしょうがなかった時期もあった。
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