5.閉じた目の上なら憧憬のキス 端正な顔だな、と思った。
それは類が司の眠る顔を見て初めて気づいた感情だ。
ワンダーランズ×ショータイムの劇場で、その公演を終えたさなかの一幕だ。
次の公演までは、あと一時間程度ある。忙しない公演と公演の合間だ。少しばかりの隙間を使い、天馬司は舞台裏の古びたソファの上で仮眠を取っていた。
「司くん?」
そこへ、通りがかった神代類。いつもであれば類もその辺りで舞台演出の修正を行いながら次の公演へ向けて準備しているのだが、今日はそこに意外な先客がいたのであった。
類が、覗き込むようにして問いかけるが彼からの反応はない。
やあ、困ったね。君がこんなところにいるなんて思わなかった。
天馬司は体力のある男だ。だから、常日頃から彼が弱っているところを見ることは意外にも少ない。暑さにとろけ、あるいは空に飛ばされたとしても、少しばかりの暗転をしてからはけろっと元に戻っている彼なのだ。
それが一体何があったのか今日に限ってはお疲れのようである。
珍しい。なんだか面白くなって、類は眠った彼で遊びだしてみる。
「おもしろいね」
まずは頬を突いてみる。反応がない。
それでは、彼の美しい色の金髪を七三分けにして遊んでみる。反応がない。
ではあとは、ちょうど持っているドローンを彼の体に巻き付けて、彼が起き上がれば急に動き出すように細工を施しておく。
ーーそうまでしても、彼は一向に起きることがなかった。
類は、彼の顔をもう一度覗き込んでみる。
すやすやとした寝息が小さく聞こえ、なんだか温かい気持ちもになった。
「司くん、きみって」
そうまでしてやっと、類は司の顔をまじまじと見ることになるのだった。
端正な顔をしている。そこで、ようやくその感情に立ち入った。
天馬司は、体力のある男だ。だからそんな寝顔を見たのは初めてだった。
いつだってあまりにも声が大きくて、その声色にばかり目が行きがちである。そしてそれを超えたとしても、彼は動きがあまりにも大きくて、今度はその動きに翻弄されてしまうのだ。更に、彼は自分の思うべき事象が強くあり、次へ次へと進んでしまうものだから、それ以上の長い観察はなかなかにしてできない。
だから、類は彼の一つの特性を見落としていたのだ。
元来割に良い出自の血があって、本人だって几帳面なタチなのだ。スターになるべく切磋琢磨を続けつつ、ストイックに自分自身がどう見られているのかを常に考えている。
そんな、彼である。もちろん元からの彼のポテンシャルでもあるだろう。ただ、それだけでなくそこから上乗せされた彼自身のきめ細やかなお手入れもあったのか、彼の肌は白く、それでいて薄赤く人好きのするきれいな色をしていて、そしてその肌に乗せられた彼の顔のパーツそれぞれが、この薄暗がりの舞台裏においてうっすらと光っているかのように、丁寧に作り込まれているのであった。
ーーああ、それで。
と、類はひとりごちてみる。
ーーそれで、キミの事が好きなのか。
初めから、美しく生まれてきてそのまま生をまっとうする美男美女というのは数限りなくいる。けれど、彼のように端正な顔を作るには、自身の生活や思考を正確に保ち続けてストイックに生きていくしかないのだ。
そして、彼はそれを全く何の気負いなく続けることができている。
それが、類の彼を好んでいる理由であり、そして彼に憧れている理由でもあったのだ。
神代類は、天馬司のことが好きである。
それは、彼と少しばかりショーを続けていってから、少しずつ気づいていった淡い気持ちであった。
類は、その気持をやわらかに保ち続けている。
けれど、それをまだ、彼に伝えてはいない。
彼への愛情を持っている自分自身という存在を、最近の類はよく好んでいた。
だからこそ、まだ現状のこの環境を変えたくはなく、ただ、このやわらかな場所でふわふわと、一人浮かんでいたい気持ちでいたのだった。
「司くん、寝ているのかい?」
そんな、彼が司に問いかけたとしても、随分熟睡している彼は起きることがない。
類はそれをいいことにもう一度、彼の顔に自身の顔を近づけた。
ーーおやすみ、司くん。
心のなかで一人祈るようにつぶやいてみる。
そのまま、彼の閉じたまぶたの上に、触れるか触れないかという浅いキスをした。
まるでショーパフォーマンスをしている時のように、ゆったりと、それでいてスマートに。こちらの熱を、気取られないように。
唇に、一度だけ感じたやわらかな感触。
身体中から甘い電流がぴりぴりと湧き上がってくるようで、淡い感情が満たされていく。
「司くん、ゆっくり休んでね」
唇を話してすぐ、くるりと踵を返して類は司から離れていった。
その足取りは、少しだけ軽い。
ふわりと浮き上がったような気持ちで、ひとり、舞台裏を踊るように歩んでゆく。
***
「ーー類?」
ただ、彼は気づいていなかった。
彼がキスを落とした相手である司が、少しばかり前からぼんやりと目を覚ましていたということに。
そして、司がこれをきっかけに、ある事を覚悟したということにも気づいていない類は、その後したたかに驚かされる事となる。
これは、類が司に告白される前日の話だ。
ここから、二人の関係がまた、新しい一幕へと続いてゆくことになる。