まるで物語のように進む僕達の恋は きしむ窓をザラリと開いてやると、閉め切られ、停止していた気配が少しずつ動き出してくる。新鮮な空気だ。司は、そんな様子を慣れた調子で感じつつ、気を良くして何度も深呼吸。そして、腰に手を当てては持ち前の超大デシベルの大声で「帰ってきたぞ!」などと高らかに叫んでみるのであった。
久しぶりの我が家。前に住んでいたのはもう一年以上前にはなるが、やはり自分の家というのは落ち着くというものだ。
浮ついた気分。
そのまま、彼は勢いづいて美しくターンしながら踵を返す。そして、そんな司の奇行をクスクスと笑いながら見つめている、彼の愛おしい人に向き直り「はじめるぞ、類!」と軽やかに声かけるのだった。
「水道とガス、電気は問題なく通っているみたいだよ。部屋はこれから見てくるね」
「済まんな、類。だが、見回るのはオレも行こう。何か問題が起きていたら困るからな」
「あぁ……、置いたままにしていたロボットが爆発していたら、とかかい?」
「う、確かにそういう事もあったが……。そうではなく! もし、空き巣でも潜んでいたらお前が危ないからな?」
「君が守ってくれるというのかい? 面白いこと言うねぇ、司くん?」
「まぁな! 折角久しぶりにお前に会ったんだ。そういうのも悪くはないだろう?」
「フフ、まぁ、そうだねぇ……」
ふわふわとした会話をしては、目の前にいる愛おしい人の腰を抱く。するりと手を伸ばし、触れた彼のぬるい暖かさを感じていると、類の方もやんわりと身を寄せてくるので愛おしくなる。
「司くん? 掃除を始めるのではなかったのかい?」
「あぁ、そうだが……。少し、いいか?」
ポツリと呟いて、この頃人気演出家らしく少しばかりの貫禄をつけた類の顔を見上げてもみる。けれど、その端正な顔はよくよく舞台雑誌で見るような怜悧な鋭さとは異なっていて、ふわりと気の抜けた、相変わらず野菜を食べられない、司に甘えてくる弟のような甘えん坊の顔をしていたので思わず、かわいいな、と一人ごちるよう思ってしまうのだ。
まるで、物語のような恋だよねぇ。と、かつて、酒に酔った類が呟いた事がある。
お互いに夢に向かって邁進し、類は新進気鋭の演出家として華々しくデビューしたすぐ後で、一方の司は舞台の主演に抜擢された、そういう夢の始まりの頃の事だった。
お互いのお祝い、と称したその小さな祝宴は、しかしそれを口実にした逢瀬のお誘いだった。ふたりは、お互いの気持ちを知りながら、しかし正式に恋人同士になることはしなかった。それは、それ故にお互いを縛りつけたり各々の自由な活動を邪魔しないための最善の方法で、どちらともなく、何となく、そういう流れになっていた。
ただ、その一方でしたいと思うことは思う存分やり合った。高校生の時分から既にキスはしていたし、成人を超えた頃には初めて身体を結んでいた。
そして、共同でこの家を購入しては、二人のマイホームだなどと、ふざけあったりもしていたのであった。
お互いに、ひどく忙しい身であった。常に世界を飛び回ってはショーに向かう日々。だから、二人で買ったこの家に戻ることはあまりなかったのではあるが、こうやって、時たま、二人で口実を作ってはこの家に戻ってくるのであった。
「夕食は19時頃で良いんだよな?」
「そうだね。何か頼んでくれていたんだよね。楽しみにしているよ」
そういう流れがあって、今回は、類の誕生日に合わせて戻ってきた。ちょうど、二人が家に落ち合ったのは一時間程前の午前十時頃。この後は、ホコリの積もりきってしまったこの家の掃除とメンテナンスをした後に、二人でささやかな誕生日パーティをする予定なのである。
「今回はな! お前にふさわしい誕生日ケーキを用意したからな!」
「それ、言ってしまってよかったのかい?」
「んんっ!? しまった!! だが、いいか!」
軽やかな言葉は高校生の時分から全く変わっていない。それが、妙に心地よくて愛おしく、じんわりと身体に暖かな気持ちが沸き上がってくるというものだ。
ふざけた会話をしながらも、司は類の穏やかな表情をつぶさに見つめてしまう。目が合って、一度気恥ずかしかったのか彼が小さく目を逸らす。けれど、司はそんな彼のかわいらしい表情をずっと見つめていたかったので、その視線を外すことはしなかった。
そうすると、観念したように頬を薄く染めては彼がもう一度目を合わせてくる。とくん、と揺れるような心の音がした。くい、と彼の肩を軽く引いてみてやると、相変わらず細身で背の高い、彼が少しだけ身を屈め、司に顔を近づけてくるのだった。
「ん……、」
その顔を、両手のひらで掴んでは引き寄せる。そして、やんわりと触れるだけのキスを落としてやるのであった。
触れている、やわらかな唇から穏やかな気持がじんわりと滲んできて、司は目を細めてしまう。いとおしい。そして、その気持は類もそうなのだろうと思う。ちゅ、ちゅ、と何度かついばむように触れては離し、どちらかが終わらせようとするとまたどちらかがキスをしてしまう。結局、しばらく間ずっとそのままで、お互い甘え合うようにして唇を合わせていた。
「……そういえば、初めてキスをしたのも、僕の誕生日だったね」
「あぁ、そうだな。お前が、したいと言ったのだったな」
ようやく唇を離したとき、類がそうポツリと呟いた。まだ高校生の頃。ふたりがワンダーランズ×ショウタイムとして、仲間たちとショーをしていた頃の話だ。類の誕生日。何の変哲もないささやかなホームパーティのような誕生会。皆でケーキと類を囲んでは、ゲームと、くだらない話をしてささやかな幸せを感じあった時の事だった。
「きみに、遠慮なくやりたいことを伝えてほしいと言われたからね。嬉しかったよ」
「あぁ、そうだったな。お前は、あまり自分の事は言ってこなかったからな……」
ささやかなパーティの終わりに、それぞれがお祝いのメッセージを彼に贈ったのだ。その時に、司は、普段より本心を包み隠しては抱え込んでしまう彼に「プライベートでも、やりたいことを伝えてほしい」という彼の本心を伝えたのだ。
そして、その後ふたりきりになったその時に、彼からキスをしてほしいと伝えられたのだ。あのときの、甘酸っぱくて、柔らかな唇の感触を司まだ覚えている。愛おしく、震えるようで、けれど強く心の奥を揺さぶって、いつだって司を鼓舞してくれる。そういう、力強い感触だ。そして、その感触はまだ今だって感じられている。ちょうど、今のように。司はそれを、ひどく幸福な事だなと思うのだ。
これがもし、物語だったとしたら。
この恋は、どう進んでゆくのだろうか。
司は柔らかな類の感触をもう一度感じながら考える。
もし、物語だとしたら、二人は正しく告白をして、プロポーズして、幸福なハッピーエンドを迎えるのだろうか。
それもいいかもしれないな、となんともなしに思ってもみる。けれど、それはもう少し後の話だ。今は、まだ、この柔らかな感触をただ感じるままで、ふわふわと、自由にお互い夢に向かって邁進していたい。そういう、やわらかな幸福を、ただ噛み締めていたいと思うのだ。