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    shishiri

    @shishi04149290

    マリビ 果物SS

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    shishiri

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    秋籠果物で書いた、蜜柑の病室から帰る檸檬の話。無理やりハロウィンネタも入れてしまいました。

    #果物
    fruit

    ポケットの中 平日二十時過ぎの地下鉄の車内は帰宅する客で混んでいたが、檸檬は空いた席を見つけると、すかさずそこに体を滑り込ませて腰を下ろした。これはけして、「自分に与えられた当然の権利である」と、そんな傲慢な考えからくる行動ではない。そう誰かに言い訳をする代わりに、檸檬はシートに深く腰掛け背中を預けると、肩で一つ息をついた。

     今夜の俺は、大切な物を運んでいる最中なんだ――。

     膝の上にある小ぶりな紙袋は見た目以上の重量がある。そんな紙袋を目的地まで運ぶために、檸檬は帰宅するのに利用する路線とは別の地下鉄に乗っていた。仕事ではないのだから、これを無事に運び終えたからといって、一文の金にもならないことは承知の上。それでも万が一、電車が急ブレーキをかけた場合に膝からその紙袋が転げ落ちたりしないようにと、檸檬は両手でその紙袋をそっと抱え込んだ。
     こんなふうに檸檬が気を遣いながら持ち帰っている物は、入院中の蜜柑が病室で読み終えた本だった。檸檬には普段と変わらない電車の揺れが、今夜はなぜか、ひときわ心地よく感じられた。

     見るとはなしに視線を落とすと、袋いっぱいに詰め込まれた本の題名が檸檬の目に飛び込んでくる。本の大きさを分けると二種類。買ったばかりと思われる、つやつやと光るカバーが掛けられた単行本が二冊。その他、何度も繰り返し読んだのだろうな、とひと目見て分かるほどカバーの端が破れ手ズレの残る文庫本もある。持ち主の几帳面な性格を表しているのか、本の背表紙は袋の中で気持ち良く、もとい。檸檬に言わせれば気持ちが悪いほどきっちりと揃えられ、こちらを向いて並んでいる。その整然とした様子がまるで、「しっかり題名を見て覚えろよ」と言わんばかりの主張をしてくるようで、檸檬は思わず鼻の頭にシワを寄せた。
    「きん、いろ? しょく?」
     色を『じき』と読むのだと檸檬は知らないので、それが「お前も読んでみろ」と以前蜜柑から勧められたことのある本だとは気付かなかった。少し色褪せたオレンジ色の背表紙の、柔らかな手ズレの残るカバーの感じからして、蜜柑はこれを繰り返し読んでいるのだろうな、と想像できる。
    「お前、蜜柑のお気に入りかよ」
     小さな文庫本のくせにやけに厚みがあるのもまた、何となく気に入らなくて、檸檬は爪の先で背表紙の角をこっそりと弾いた。
     その横に並んでいる本は更に年季が入っていて、薄さだけをいえば余程こちらのほうが好感が持てた。『仔撃ち』とある題名は、物騒な仕事をしている檸檬にとってもややセンセーショナルで、いつだったか標的の男を追って乗り込んだとある家で、蜜柑がそこの住人の女と意気投合していた本の題名はこれだったのではないかと思い出す。「ここに全部詰まっている」蜜柑は確か、そう言っていなかっただろうか。「かっこいい」と言ったのは、住民の女だったか……。
     檸檬は何となく、蜜柑とあの家の女の会話に割り込むような気持ちで、その本を手に取ってみた。ページを開く。案の定、いや思っていた以上に、細かい文字が黄色みのある紙の上にびっしりと並んでいる。それを見ただけでも、クラクラと目眩がしてくるようで、「全てが詰まっている」というのは、全ての文字がここにある。という意味なのではないだろうか、と疑うほどだ。この程度の薄さの本なら自分でも何とか……と少なからず思ったのは、魔が差したとしか言いようがない。漢字だらけの一行をようやくの思いで目でなぞったところで檸檬は本を閉じ、それを元あったところに押し込んだ。
     それでも檸檬は、膝の上にある本をぞんざいに扱おうとは思わなかった。それは、蜜柑が檸檬の大切な物を、けしてぞんざいに扱ったりはしないと、よく知っているからだった。

     あれは二人で組んで仕事をするようになり、半年程が経った頃。連日続く仕事で疲労困憊となった二人は、現場から近かった檸檬の家で、仮眠を取ろうということになったのだ。その日、初めて檸檬のアパートに足を踏み入れた蜜柑は、部屋の乱雑さに眉を顰めた。
    「散らかってるな」
    「いつもはこうじゃねえよ。たまたま家を出る前の晩に夜更かしをして、トーマスくんを観ていてさ。ちょっとばかり寝坊して……」
     必要もない言い訳を並べてみせる檸檬の目の前で、蜜柑は足元にあるプラレールのパーシーに物憂げな視線を落としていた。かと思うと、蜜柑が何も言わずに手を伸ばしてそれを拾い上げようとしたので、檸檬は表情を険しくし「触るな!」と咄嗟に声を荒らげた。
     子供の頃。酒に酔った両親が、檸檬が大事にしていたトーマスくんのプラレールや図鑑を「邪魔だ」と言って足蹴にし、壁に投げつけた記憶が、檸檬の頭の中でにわかに蘇ったのだ。幼かった檸檬は壊れたトーマスくんや破れて表紙が取れてしまった図鑑を小さな胸に抱きかかえ、真暗な押し入れに駆け込み閉じこもっては、かび臭い布団に顔を埋め、声を殺して泣いていた。
    「断りもせず、勝手に触ろうとして悪かった」
     素直に手を引っ込め、目を尖らせている檸檬に頭を下げた蜜柑の姿に、檸檬はたちまち憤りを収めるのと同時に驚き、瞬きをした。
    「大切な物なら、片づけた方がいいいと思うが」
    「まあな」
    「手伝うか?」
     足の踏み場もないほど、というわけではなかったが、恐らくこの時の蜜柑は一刻もはやく、畳の上で足を伸ばして寝たかったのだろう。それは疲れていた檸檬も同じで、「じゃあ、DVDの方を頼む」と、居間にあるTVの前を指差した。すると蜜柑は、その場にしゃがみ込んでは出しっぱなしだったDVDとパッケージを一つずつ照らし合わせながら丁寧にしまい、プレーヤーの横にそれらを巻数通りに立てて並べた。そして、片付けてできたスペースにごろりと寝転がると、すぐに寝息を立てたのだった。
     蜜柑と檸檬はそれぞれに、大切にしている物がある。蜜柑のそれが本であるなら、檸檬のそれはトーマスくんとその仲間たちだ。互いにその良さを熱弁して相手に勧めはするが、けして押し付けるわけではなく。また、こうして蜜柑は檸檬が大切にしている物を、自分が大切にしている本とおそらく同じように、丁寧に扱ってくれたのだろう。檸檬はそれが嬉しかった。そしてこの時、蜜柑とはこの先も組んで仕事ができるだろうな、と思ったのだ。


     檸檬が乗る地下鉄が二駅目に着き、そこを出発すると、正面に立つ乗客の様子が変わった。小学校の高学年と低学年と思われる兄弟が手を繋ぎ、檸檬の前に立っている。(夜に、子供が二人だけで?)と訝り檸檬は一瞬顔を顰めたが、そのすぐ後ろに母親らしき女が立っていたので納得した。座っている檸檬と目の高さが同じくらいの子供に席を譲るべきかどうか一瞬迷うも、兄弟のどちらか一人だけが座れるというのも不公平だろうという檸檬なりの判断で、そのまま座り続けた。
    「とりっくおあとりーと」
    「あ?」
     丸いほっぺたに、カボチャのオバケみたいなイラストが描いてある弟の言葉を檸檬が訊き返すと、その隣に立つ兄が弟の手を引き、「やめな!」と小声で囁やいた。
    「おかしをくれないと、いたずらをするぞ!」
     檸檬に向かって左手を伸ばした我が子の姿に、後ろに立つ母親も焦った様子で「やめなさい!」とその肩に手を置く。
    「菓子? ああ、蜜柑が貰ったやつがあったけど、地下鉄に乗る前にコンビニのゴミ箱に捨てちまったんだよな」
     そう言って肩を竦めた檸檬は「あっ」と小さく声を上げたかと思うと、ジャケットのポケットに手を入れた。そして、「これならあるぜ」と取り出したのは、買ったばかりのトーマスラムネだった。
    「まだ封を開けてないから、やるよ」
    「ありがとう!」
    「で、なんで菓子をやらないとイタズラするんだ?」
    「はろうぃんだよ」
    「ハロウィン? なんだそりゃ。おもしれーことするんだな」
     檸檬が八重歯を見せて朗らかに笑うとその子供も笑い、隣で手を繋いでいる兄や後ろにいる母親も、少しほっとしたような顔をした。
     それからしばらくして駅に到着する事を告げる車内アナウンスが流れ、少しずつ地下鉄のスピードがゆっくりになる。降りるために檸檬が席から立ち上がると、貰ったラムネを嬉しそうに眺めていた子供が、にこりと笑って「バイバイ!」と手を振ってきた。「ああ、バイバイ」手を振り返し目を細めた檸檬は、車内の乗客をかき分けるようにして進み、地下鉄を降りた。

     左手に紙袋を下げ、右手をスラックスのポケットに突っ込みながら、檸檬は駅構内から外へと出る階段を上がっていく。夜の空にぽっかりと開いたような出入り口を斜めに見上げると、僅かに冬の気配をまとった風が吹き込んできて、毛先が跳ねた檸檬の髪を撫でていった。
     地下鉄に乗り、楽しそうにしていたあの兄弟は、ハロウィンとやらでお菓子をたくさん貰えたのだろうか。公園の砂場にいたケンちゃんは、目玉焼ののった手作りハンバーグを食べて風呂に入り、今はもう布団の中に入っているかもしれない。
     病院のベッドの上で、今頃蜜柑は何をしているだろう……。きっと、消灯時間だと言われてもベッド脇のデスクの灯りをつけて、今日檸檬が持って行ってやった本を手に、ゆったりとページを捲っているに違いない。
     ポケットに突っ込んだ檸檬の指先に、カチリと硬い物があたる。それは、蜜柑が住むマンションの鍵だった。主が居ない部屋の鍵を、こうして再び預けてもらえたことに、檸檬は少し誇らしいような気持ちになる。それにしても――。
     蜜柑の退院はいつになるのだろう。はやく怪我がよくなればいいのに、と。檸檬は街頭に照らされ歩道に伸びる一人きりの影を見ながら、秋の終わりの風に肩を窄め、足早にマンションへと向かった。
    (終わり)



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