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    shishiri

    @shishi04149290

    マリビ 果物SS

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    shishiri

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    蜜柑が一人で受けた依頼。
    廃屋に展示された現代アート?を何かで見て、なんか不気味だ〜と思ったので。こんな話を……

    鈴、凛と―― 今夜一晩、この部屋で過ごせばよいだけ、と――。その襖の向こうを見せられた途端、蜜柑はあからさまに顔を顰めた。
    「なんだ、ここは」
    「水屋です。その奥は茶室になっていますが、あちらには入らないでくださいね。少し狭いですが、ここで寝ていただくだけですから、何一つ問題はないかと」
     依頼人である男は、開いているのかどうか定かでない糸のような目をにんまりと歪め、「どうぞ中へ」と蜜柑を促した。
    「俺はそんな事を訊いているんじゃない。このやたらとぶら下がっている鈴は何だと訊いている」
     蜜柑が指差したその先は、水屋箪笥が壁に備え付けられた四畳半で、蜜柑の胸の高さ程の空間には、なぜか縦横斜めに細い麻糸が張り巡らされている。しかもそこには、胡桃ほどの大きさの鈴が等間隔でいくつもぶら下がっているのだ。またその四隅には、ご丁寧にも紙垂が飾られていて、その宗教じみた設えがより一層、蜜柑を不快にさせた。
    「なに、お気になさらず。鈴に当たって音が鳴っても構いませんので……。ただ、深夜にお手洗いに行かれるときは気をつけて。うっかり立ち上がり、首に紐が引っ掛かりでもして怪我をされたら大変ですから。こう、四つん這いになって……」
     男は両手で這うような仕草をしながら、渋面の蜜柑に説明する。
    「部屋をお出になったほうが、宜しいかと」
    「それだけじゃない」
     ぶら下がっている鈴や紙垂も十分に怪しかったが、蜜柑の目は隣に立つ男に向けられることなく、部屋の真ん中を睨みつけたままだ。
    「なぜ、布団が二組敷かれているんだ? 今夜の仕事は、俺一人で良いとの依頼だったぞ」
    「ええ、貴方お一人で結構です」
    「だったら!」
    「そろそろ零時を回ります。明日は六時頃に声をかけますので、どうぞそれまで、ごゆっくりとお休みなさいませ」
     男は、今にも掴み掛かろうと伸ばされた蜜柑の手をすいと避けると、何ごともなかったかのように頭を垂れ、そのままくるりと踵を返した。蜜柑の生業を承知で仕事を依頼し、しかも蜜柑を怒らせたうえでのこの態度。そのあまりに飄々とした様子に蜜柑が呆気に取られているうちに、男が履く白足袋は暗く長い廊下を滑るようにして進み、あっという間に玄関から外へと出て行ってしまった。古い硝子の引き戸が閉まり、カシャリと鍵を閉める音がした。しまいには車のエンジンが低く唸ったかと思うと、タイヤが砂利道を走り去り、この家から遠ざかって行くのが分かった。
    「マジか……」
     蜜柑が受けた依頼は、奥多摩にある古い屋敷で一晩見張りをすれば良い、筈だった。しかし簡単な仕事の割に待遇が良く、蜜柑は依頼人の男と待ち合わせた赤坂の料亭で、「先ずは」とその日の夕食に、値の張りそうな懐石料理を奢られたのだ。
     しっとりと飴色に輝く椀の中から、上品な出汁の香りが立ち上る海老のすり流しは、凝った料理になど無縁である蜜柑の口にも、素直に美味いと思える一品だった。カラスミや里芋の竜田揚げ、焼き松茸が並ぶ八寸を前にしたときは、男から執拗なまでに酒を勧められたが、蜜柑は仕事の前なのでとそれを遠慮した。しかし「嗜みだから」と強引に盃を持たされてしまい、結局その上澄みを舐める程度に馳走になった酒は、清水のような軽やかさで蜜柑の喉をすり抜けていった。そしてその席で、一晩の見張り代としてはかなり高額な報酬も、前もって受け取るという、俄かには信じがたい厚遇を受けたのだった。勿論蜜柑はその時、改めて仕事の内容を確認して、それ以上の事はしないと念を押し了解を取り付け。更に、その男が運転するシーマで霞が関の料金所から高速に乗ってからここまで約一時間半の道中でも、特段怪しい事はないかと用心を重ねたうえで、「とりあえず大丈夫だろう」と判断を下したのだ。ただ、依頼人である男のやけに丁寧な物腰には、いささか引っ掛けるものがあったのだが、食事の前に茶道の師範をしているとの自己紹介を、和服姿の男から聞かされていたので、「成る程、相手はこれまで自分が関わることのなかった世界の住人なのだ」と、蜜柑は納得することにした。
     だが、しかし――。蜜柑にとって今のこの状況は、どう考えても受け入れ難いものだった。揶揄われるにしてもあまりに手が込み入り過ぎていて、その馬鹿々々しさに腹を立てた蜜柑は貰った金をこの場に置いて、仕事を放棄することも考えた。しかし蜜柑はすぐさま、日の出インターで一般道に降りてから、ここまでの道程を振り返り、さらに車から降りた時の周囲の様子を思い出してみるに……。雑木林に囲まれ街灯ひとつないこの家の周りには、民家らしきものはなかったはずで、しかも男が車に乗ってどこかへと去ってしまったせいで、ここから最寄りの駅までは歩くしかない。それもゆうに一時間はかかるだろうと予測でき、しかも終電の時間はとっくに過ぎている。
    (ハメられたか?)
     そう思うも後の祭りで、蜜柑は布団の上にどかりと座り込むと、とりあえず一晩は、ここで過ごすより他にないようだと腹を括った。
     脱いだジャケットを適当にたたんで枕元に置き、両肩から掛けていたホルスターも外すと銃を手にしてマガジンを確認し、それは布団の下に滑り込ませた。次に蜜柑は携帯を手に取ると、念のため檸檬にこの状況を伝えておくべきか……との考えが頭を過ったが、二日前に鬼の霍乱。不覚にもインフルエンザにかかって寝込んでいる檸檬にわざわざ電話をするのも憚られ……。また、この状況を説明したところで、「季節外れの怪談話かよ?」と呆れられるに決まっているので、蜜柑は目的地に着き、明日の昼前には戻るとだけメールを入れた。

     高額な報酬は得たが、それに見合う範疇を越えた不可解な話に付き合わされる事になり、蜜柑は頗る機嫌が悪かった。持ってきた文庫本を手に取るも、一ページ読んだところで気乗りがせず、諦めのため息を深く吐き出す。そして、ともかくあと六時間は、大人しく布団の中に入っていることにしたのだった。
     都合好く、天井からぶら下がっている和紙の照明器具から垂れ下がる紐は、座ったまま手を伸ばせば届くほどの距離にあり、蜜柑はそれを三度引っ張り電気を消した。暗闇の中、狭い四畳半でくっつくように並べて敷かれている布団の片方がどうにも気になり、「どうせ一人ならば、その真ん中に寝てやろう」と蜜柑はそこに横たわったのだが。並べた布団同士にある隙間と、背中の間にできたほんの僅かな空間を、すかすかと冷たい風が通っていくようで。それがなんとも気になり不快で仕方なく、結局蜜柑は水屋箪笥に背を向け、壁際の方の布団に潜り込んだ。
     十月を過ぎた奥多摩は、蜜柑が住むマンションよりも気温がいくらか低いようで、分厚い真綿の布団のずしりとした重みは、蜜柑の体のラインとの間に適度な空間を作り出し、そこに溜まった体温を閉じ込めてくれ、思いの外に心地良い。外は風が出てきたらしく、葉を散らせはじめた木々が枝を震わせ、ざわついている。奥多摩を舞台にした小説が、何かなかっただろうか……と記憶を辿る蜜柑の脳裏に浮かんだのは、儲け話にうっかりのった画商が、車で連れて行かれた山奥の家で危うく殺されそうになった話であり、思わず苦笑いを浮かべる。
     依頼人の男から隣の茶室には入るなと言われたが、あいにく見るなの禁を犯すほどの好奇心は持ち合わせておらず、蜜柑はふっと息を吐き、そのまま目を閉じた。

     どのくらいの時間が経った頃か。蜜柑はその瞼を徐ろに持ち上げると、闇の奥を睨みつけた。咄嗟に布団の下へと手を伸ばし、掴んだ銃を引き寄せる。ゆっくりと上半身だけを起き上がらせながら、手探りで銃の安全装置を外すと、暗闇で耳を澄ませる。鈴の音が聴こえたわけではない。何かの気配がするわけでもない。ただ、聞き覚えのある微かな音が、耳の奥底にピンと張られた琴線にちりちりと触れる。蜜柑は目を凝らし、暗闇の先をじっと見つめた。その場で身じろぎもせず、左から右へと目だけで周囲を見回し、今度は右から左へと視線を移す。何かがおかしいと胸がざわめく。こんな時、檸檬ならばいち早く、その違和感に気付くだろう――。そんなたわいも無い考えが一瞬だけ掠めていった蜜柑の神経は、この上なく張り詰めている。(もう一度……)と凝らした両目が、ふと右手側にある水屋箪笥の奥を捉えた。さらに細く眇めた目が、疑いようのない怪しげな物の気配を探し当てた途端、蜜柑は這いつくばって箪笥に向かうと、年代物の網代細工が嵌め込まれた瀟洒な戸を、勢いよく開け放った。


    「でもって、その箪笥の中にこれがあったってわけか」
     熱は下がったものの、まだ詰まった鼻声の檸檬は、手にしたハンディカムを眺めていたかと思うと、「ドッキリでも撮るつもりだったのか? そいつ」と、ゲラゲラ笑い出した。
    「これを再生したら、暗闇の中でビビってるお前が映ってるのかよ。ウケるな!」
    「赤外線カメラじゃあるまいし、ライトも点けずに撮れているわけがない」
     翌朝、蜜柑は依頼人の男が迎えに来るのも待たず、水屋箪笥の中にあったハンディカムを持ち出して、その家を後にした。日が昇り始めたばかりの早朝、駅前のロータリーにはまだタクシーの姿は見えず、仕方なしに乗り込んだ始発電車の中で檸檬にメールを入れると、「ここ三日寝っぱなしで退屈だ」と、案外元気そうにしている返信があったので。蜜柑は自宅に帰るその前に、檸檬の家に寄ったのだ。
    「蜜柑はこれ、観たのか?」
    「観ていない」
    「じゃあ、確かめようぜ!」
     寝汗を掻いたパジャマ姿のまま布団の上にあぐらをかいている檸檬は、あからさまに顔を顰めている蜜柑など無視してハンディカムの電源を入れると、さっそく再生ボタンを押した。
    「観るだけ無駄だ。何も映っているわけが……」
    「なんだよ、これ? まさか蜜柑、俺がいないからって調子に乗って、仕事中にデリヘルを呼んだのか? お前がよがってるのを観たって、シラケるだけだっつーの!」
    「馬鹿なことを言うな! そんなわけ……」
    「だってこれ、女だろ?」
     ハンディカムの小さな画面から目を上げた檸檬がそこを指差すのを見た途端、蜜柑の目元はヒクリと引き攣るようにして震えた。
    「何か映っている、のか……?」
     蜜柑は檸檬に気付かれないように、唇を小さく噛み締めた。そして、横から覗き込むようにして、その小さな画面を凝視する。
    「なあ、これってさ。あれだよな? でもなんで、こんな所にいるんだよ。やっぱお前、コスプレした嬢でも……」
     そう揶揄ってやろうとした蜜柑の顔が険しい表情のまま強張っているせいで、檸檬は慌てて息を呑んだ。
    「お前さ……。こんなのが腹の上に乗っていたのに、マジで気が付かなったのかよ?」
     そう檸檬に訊かれるまでもなく、蜜柑は昨晩の記憶を瞬時に辿り、首を横に振る。
    「こんなやつ、あそこにいたはずがない」
    「でも、さ……。ここにちゃんと、映ってるぜ?」
     水屋箪笥の中に置かれていたハンディカムは、壁際の敷かれた布団に横たわり寝入っている蜜柑の姿と。その上に跨り、練絹の綿帽子を深々と被った白無垢姿の何者かが、じっと蜜柑の寝顔を見下ろしている様子を映し出していたのだ。灯り一つないはずの暗がりの中、なぜか白無垢そのものが内側から発光していて、丹念に織り込まれたつがいの鶴や鴛鴦、流水や菊の花の豪奢な模様を青白く浮かび上がらせながら、その周囲をぼんやりと照らしていた。綿帽子から辛うじて覗いているのは、白粉が塗りたくられた華奢な顎先で、ぬらりと紅い唇は綻び、白い歯を零れんばかりに覗かせ微笑っている。しかもその録画には、あの晩一度たりとも蜜柑の耳には聴こえなかった鈴の音が、うち震えるようにしていっせいに鳴り響いているのが、はっきりと残されていたのだ。
    「それで、お前。なんともなかったのかよ……?」
     熱を出して寝込んでいたとき以上に顔色を悪くさせた檸檬が、蜜柑の目を覗き込むようにした。蜜柑はその背中に薄ら寒いものを感じながら、それでも首を振ってみせたが、「あっ」と小さく声を上げると咄嗟に胸に手をやり、慌ててジャケットの内ポケットを探った。
    「良かった」
    「何が、だよ……?」
     檸檬は固唾を呑んで、じっと蜜柑の様子を伺う。そして、徐ろに差し出された蜜柑の右手をまじまじと見つめた。そこには、まだ帯封がされたままの、うっかり角を触れば指先が切れてしまいそうなピン札が握られている。
    「見ろ、檸檬。報酬の金はこの通り無事だ。何も、問題はない」
    (終わり)









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