「え!?ちょっと待って!?どういうこと!?」
扉を開けた瞬間、僕は思わず声を上げた。あまりの声量で思わず口を塞いだが、出てしまった声はもう戻らない。おもわず背後の扉を後ろ手に閉めた。この声を聞きつけて誰かこられたら困るからしっかりと鍵もかけて。
そうしてもう一度、目を擦ってからしっかりと目の前の光景を見直すが、やっぱり見間違いじゃない。さっきと変わらぬ光景。けれどそれを理解するのにはもう少し時間がかかりそうなのがわかった。だって目の前には、どう考えてもつい数時間前とは明らかに違う状況なのだから。
「まって、え?ね、どういうこと!?レオナさん!?」
だって目の前には、なぜかご機嫌でこちらを眺めるレオナさんが『二人』いるのだから。ベッドの上でにこにこと眺めてくるレオナさん。ここまではいつも通りなのだけど、僕を見つめてくるキレイな緑が二揃い。どう考えてもおかしいのだ。何度考えても今この目の前の光景は日常ではなくて。けれど目の前にいるのは確かにレオナさんで。
「なぁ…チェカ…」
「どうしたんだよ、チェカ」
だって目の前には愛おしいレオナさんが、二人いたらこれは当然の反応だ。これはどう考えたっておかしいことなのだ。だって好きな人はレオナさん、ただ一人だったのに……。
「え、ほんと……どういうこと…??」
「なにがだよ…?」
「ほら、はやく……」
こっちに向けられた手が、二本。その手にはどちらにも指輪が嵌まっていた。見覚えのある指輪。全く同じデザインのものがどちらのキレイな細い指先にもしっかりとあるのが見える。それはつまり、どちらも愛しい人というわけで。
差し伸べられた指先の美しさにも、その声にも僕はくらりとしてしまった。だってどちらの笑みも、僕の愛した美しさだったのだから。
「ね、どういうこと!?まず説明してもらっていい?」
「どういうことも何も、こういうことだろ?」
「なぁ。見たまんまなんだから、わかるだろ?」
「わからないから、聞いてるの!」
やれやれと仕方なく顔を見合わせて肩を竦める二人のレオナさんは、ゆっくりと動き出したが、肩を竦めたいのはこっちの方だ。しかし今はそんなことを言っている場合ではないのだ。とりあえず状況を把握できなければ、この先どうすればいいのかも決められない。焦りつつももそもそと動く二人が目の前に差し出してきたのは、小さな小さな小瓶だった。オーロラのように、七色に淡く光るキレイなそれをずいと目の前に差し出してきた。
これは、と指先で触れたら、ふわりと嗅ぎ慣れない香りが微かに鼻についた。甘いのだがどこか粉っぽい薬品臭さと、昔実験で散々嗅いだ薬草の匂い。他にも記憶にない匂いもしたが、とりあえず記憶の中の教科書を捲り、必死に成分と効能を思い出す。混乱した頭は中々目的のページを開いてはくれず、ああでもないこうでもないとうんうんと唸っていると、部屋の中に自分の声しかないことに気がついた。そして先ほどまではなかった音。
「……レオナ、さん?」
おそるおそる宙をさまよっていた視線をベッドの上へと向ければ、そこには二匹の猫が仲良くじゃれあっていた。腹を空かせた子猫よろしく、薄い舌を伸ばしてお互いの舌をぴちゃぴちゃと舐めあっている。音を上げながら必死に絡めあって、一瞬離れた隙間からたらりとシーツへと唾液を垂らして。口の周りをべたべたにしても、赤い舌が止まる気配はない。
「ねぇ、なにしてるの?」
「んっ……だって、チェカが…してくれないから」
「しかたない…ッだろ?」
答える時も舌先は変わらない。それ以上におかしいのが、しかたないと言いながら、二人共夢中になって舌を絡めあっているのに、視線の先はずっと僕なのだ。もっともっとと甘い吐息を漏らしながら餌を求めて舐めあって、その胸の内を埋めようとしているはずの彼らの視線は、どこかにぶれることなく真っ直ぐこちらを見ている。細くなった瞳孔で、僕の動きを一分一秒逃がすまいと、ゆらりと揺れている綺麗な翠玉。弱々しい声を上げながら、獲物を逃さない強い瞳を隠そうともしない。そしてゆっくりと口角を歪めていく。そんなにもうろたえる僕がおかしいのか、この状況が楽しくてしかたないのか、もう僕にもわからない。
「……はぁ。で、この薬は大丈夫なの?」
「俺が作ったんだ…ぁ、当然だろ…?」
「数時間でなんの問題もなく…ん、…切れる」
「そう、それならいいんだけど」
空き瓶を棚に置いてベッドサイドに腰を下ろせば、わざとらしく腕を首や腰に回して体を寄せ合って。お互いの咥内を探り合って貪りあって、甘い声を漏らしているのににやにやと意地の悪い顔でこちらを見るのは決してやめなかった。
「ならあなたを信じるよ」
「…ッ、だったら…んぅ、なんだよ…」
「あなたに触れていい?」
「どうしても…?」
「どうしても」
悪い子猫がぢゅっと一つ大きな音を立てて、べたべたにした口を離していった。真っ赤にぽってりとしてしまった唇が酷く目を引く。ゆっくりと前足をシーツに沈めながら二匹は近づいてきて、そして上目使いで覗き込んでくる。可愛い瞳があちこちから。
思わずこくんと喉を鳴らした時、くすくすと二匹が笑った。そしてお互い見つめあったあと、全く同じタイミングでこう呟いた。
「だぁめ」
あの綺麗な瞳で、薄く持ち上がった赤い唇が、それはそれはもったいぶってそう告げた。その鈴のような甘い音を、黙って聞くことしかもう僕には何もすることはなかった。