『忘れていったものは』 授業が全て終了し下校を告げるチャイムが鳴るとまずはと慣れた手つきで各教室のカギが掛けられている棚から化学準備室のカギを取り出すと足取りも軽く一般的なジャージですら高身長で均整の取れた身体の持ち主が着ると見栄え良く映る。
担当教科は体育であるエルヴィンだったがすっかり通い慣れ本来の部屋の主よりも先に慣れた手つきでカギを開け化学準備室へと入っていく。
何かしらの準備室と聞くと教科専用の教材が乱雑に置かれどちらかというと倉庫のようなイメージがあるがここは家主が掃除好きということもあるせいか以前は物置きだったかもしれないが今では他の教室と見劣りしない綺麗さである。
きちんと並べられた教材。広くはないが自分用に置いたパイプ椅子に腰かけ薬品もあるのだろうがそれよりも仄かに香る紅茶の匂いにささくれそうになる心も落ち着く。
「チッ、また来やがったな、エルヴィン先生。俺より先に来るんじゃねえと言っただろうが」
「少し時間ができたんでね、お邪魔させてもらっていたよ、リヴァイ先生」
ガラリと戸が開き本来の主である化学教師のリヴァイが咎めた口調で話すものの普段は表情筋が仕事をしないと言われているほどの無表情だがエルヴィンを見るその顔はどこか和らいでいる。
「理科室といえばビーカーでコーヒーを淹れると聞いたことがあるがここは紅茶の香りがしていいね」
「俺が紅茶好きだからな。コーヒーがいいならコーヒーするか?持ってくれば、だがな」
「いや、リヴァイ先生の淹れた紅茶がいい」
「そうか。飲んでから行くか」
「もちろん」
ビーカーとは名ばかりに潔癖なところもあるリヴァイは自前の小さなケトルで湯を沸かし小さめのティーポットに茶葉をいれ蒸らしている間に2つになったカップを用意する。
「今日はなんだ」
「今日は部活の方に顔を出してくるよ」
「運動部は威勢がいいな」
「そうだね、今年の新入生はより一層賑やかな子ばかりだ。ん、一日一度はリヴァイ先生の紅茶を飲まないとな。ごちそうさま。では行ってくるよ」
「あんまりスパルタ過ぎるなよ?生徒にまでボヤキにこられちゃかなわねえ」
「ハハ、善処するよ」
リヴァイが紅茶を淹れている間もエルヴィンはリヴァイの動作一つ一つ、それはケトルに水を入れるとこらから茶葉の缶からスプーンで掬うところやカップを取り出し置くところまで余すことなく目で追い焼き付け授業風景は見られずとも無駄がなくしかし丁寧に板書し解説しているのだろうと何気ない会話を続けつつ頭の中で思い浮かべる。
もっとこうしていたいと思いつつも時間はすぐに迫ってくるものでそれなりにゆっくりと紅茶を味わい惜しい気持ちを堪えつつエルヴィンは口づけをするようにカップに唇をよせ最後の一口を口にして化学準備室をあとにした。
男性にしては小柄で艶のある黒髪を清潔感のあるさっぱりとしたツーブロックにして細身のシルバーのフレームは小作りな顔によく似合うが鋭い眼光までは隠せない。
教師にしてはやや口が悪く厳しい口調に時には恐れられるものの夏でも黒のハイネックに白衣姿は惹きつけられるものがあり密かに注目を集めている。
最近じゃ教室もエアコン完備だ。夏でもハイネックなのは効きすぎるエアコンが少々苦手だからだ。とは本人の談であり今のところは理由はそれだけであるらしい。今のところは。
会議等のない日は早々に化学準備室へと向かう。
カチリと音を立てて開くカギ。シンとした準備室に好みの紅茶の香りがふわりとしてリヴァイは自然と深く息を吐いた。
簡単な作業ができるようにと置かれたまま埃をかぶっていたテーブルを綺麗に掃除をして使えるようにしたそこに資料やらプリントなどを置く。
授業についても授業以外の事も準備や確認などする事は山程。カレンダーを傍らにノートやらプリント類、資料を広げああでもないこうでもないとペンを走らせにらめっこしていると随分と今日は静かだと。こんなにここは静かだったかとリヴァイが顔をあげるとブックエンドで立てかけてあるいくつかの本の上に置かれていた銀のホイッスル。
(そうか。エルヴィン先生、来てねえんだ。)
いつもは来るなと言っても自分が来るよりも早く化学準備室に来ていて勝手にいろんなことを喋ってくる。
長身ってだけでも目立つのに柔らかなブロンドをきっちりと撫でつけ体育教師ということもあり体格のいい身体はそれだけでなく彫刻のような筋肉をまとっている。その上更に俳優も顔負けのハンサムな顔立ちに声量がありどんな時でも耳にスッと入ってくるような美声で居るだけで圧倒的な存在感をはなっている。
(今日は研修だったか講習だったかだと言ってたな)
そんなエルヴィン先生の美しく整い厚みもある胸板の真ん中で輝く銀のホイッスル。
体育教師なら誰でも持っていそうなどこにでもある一般的なホイッスルなのにエルヴィン先生が吹くと大きくキレがありどこに居ても聞こえてくるような、何の変哲もないホイッスルなのにイケメンが吹くと音色まで違うのだろうか。
休憩でもするかとケトルに水を入れ火にかけティーポットに二人分の茶葉を入れようとしておもわず苦笑する。
また来たのかなんざ言ってたわりに随分と居るのが当たり前になっちまっていたようだ。
くるくるとティーポットの中で回り広がっていく茶葉を見つめながらリヴァイは銀のホイッスルに手を伸ばした。
end