ぶどうぱんとささやかな楽しみ 屋上に通じる階段は、昼食を取るのに丁度いい。
閉鎖されている屋上に近づく生徒などいないし、教室から少し離れているそこは静かで落ち着く。
昼休みと言えばクラスメイトは、授業のことから部活のことから昨日のテレビのことまで口々に話しながら昼食を取る楽しい時間だが、冨岡は入学以来ずっとその輪には入れずにいる。
ぼっちだからではない。
しゃべりながら食べれないからだ。
居心地のいい場所を探して校内を彷徨ううちに見つけたのがこの階段で、以来冨岡は昼食の定番・ぶどうぱんとパックの牛乳を手にここに来るのが日課になっていた。
その日もいつものように遠くから届く賑わいに耳を傾けながらもそもそとパンを頬張っていると、一組の足音が向こうから近づいてくるのが聞こえてきた。冨岡は一旦食べるのを止め、素早く足音の方に視線を向ける。
少しだるそうにこちらへ向かって歩いてくるのは、不死川だった。柔らかそうな髪を片手でバリバリと掻きながら、大欠伸をして目尻に涙を滲ませている。
「なんだァ、またお前か」
不死川は冨岡を見下ろしながら、呆れたような声を出す。冨岡はパック牛乳を自分の方に引き寄せ、急いで不死川が腰を下ろすスペースを確保した。
「不死川、眠そうだな」
パンを飲み込んでいてよかったと思いつつ、冨岡は言葉をかける。不死川は空いたスペースにどかりと座り込み、肩を揉むような仕草をみせた。
「ちょっとバイト忙しくてなァ」
「そうか、大変だな」
普通のことしか言えない自分がもどかしい。
「腹減った」
「昼飯は」
「買いそびれちまった」
購買の争奪戦はなかなかの激戦だ。冨岡が毎日無事ぶどうぱんを確保できているのは、剣道部での修練の賜物かもしれない。
「一口寄越せ」
そう言うと不死川は、首を伸ばして冨岡の持つぶどうぱんを大きく一口齧り取った。 突然のことに冨岡が固まっている間に、不死川はあっという間に口に含んだパンを食べてしまう。
「テメェもよ、いい加減こんな場所でぼっち飯はやめた方がいいんじゃねェの」
「俺はここでいい」
冨岡がこの場所で昼食を取るのには、実はもう一つ理由があった。それがこの、不死川である。
不死川に会いたくて、冨岡は昼休みにせっせとこの場所まで足を運んでくるのだった。
不死川は見た目こそ怖いが、実は気さくで世話好きな男だった。初めてこの場所で鉢合わせたとき、一人ぶどうぱんを頬張る冨岡を見てひとしきり笑い、口の端についたパンのかけらを指でつまんで自分の口に入れ、いつもの癖が出たと屈託なく笑ってみせた。お前を見てると一番下の弟を思い出す、と。
以来冨岡は、不死川の虜になった。
そしてその気持ちを表には出せないまま、不死川との付き合いは続いている。
一緒にいても、不死川は喋ることを強要しなかった。
そもそも口数の少ない冨岡は、賑やかで和気あいあいとした雰囲気というのがさほど得意ではない。
不死川となら(不器用なりに)会話をしたいと思うが、怒涛のように迫りくる女子などとはどう会話を成立させていいのかさっぱりわからない。
不死川は喋れとも話を聞けとも言わない。余計な言葉など交わさなくても、ごく自然に一緒にいられる。その空間が、とても心地よかった。
無言のままぶどうぱんを食べ続ける冨岡の横で、不死川は大きく伸びをしながらそれに見合うような大きな欠伸をまたひとつ洩らした。唇の端からちらりと八重歯が覗く。新発見だ。表情は変わらないが、冨岡の鼓動は大きく跳ねる。
「ちょっと肩貸せ冨岡ァ」
不死川はそう言うと、腕組みして体を傾け冨岡にもたれかかってきた。
「む」
「予鈴鳴ったら起こせよォ」
閉じた目を縁取る睫毛は、目尻の方だけすらっと長い。目をつむると不死川は、普段の強面からは想像できないような優しい、そしてどこかあどけなささえ感じさせる顔になる。
この顔を知る者は誰もいない。不死川自身でさえ知らない。そう思うと優越感のようなものが込み上げてくる。
「……妙な笑い方してんじゃねぇよ」
しまった。うっかり心の声が洩れてしまったらしい。冨岡は咳払いをして気持ちを切り替え、不死川の枕役に徹する覚悟を決める。
やがてスゥスゥと小さな寝息が、薄く開いた唇からこぼれてきた。これを耳にすると、冨岡はたまらなく嬉しい気持ちになる。無防備に眠ってくれるというのは、信頼されている証だと思うから。
降り注ぐ午後の日差しに眠気をくすぐられながら、冨岡は何とか耐える。自分まで寝てしまっては、不死川との約束が果たせなくなってしまう。
いつか二人でこんな陽射しを浴びながら、時間を気にせず眠ることができたなら。そう夢見つつ冨岡は、ぶどうぱんの最後のひとかけらを口に放り込んだ。