俺の名前は冨岡義勇3 俺の名前は冨岡義勇。キメツ学園高等部で体育教師をしている。
恋人は同僚の数学教師・不死川実弥だ。俺の地道な努力によって先日ようやく気持ちを受け入れてもらえて、晴れて恋人同士となれた。
そんな訳で俺は近頃気分が常に高揚しているのだが、さらにもう一段高揚させてくれる出来事があった。
何と不死川が、土曜の夜に泊まりに来てくれるというのだ。
不死川は七人きょうだいの長男で、弟妹達はまだ学校に通っている年齢だ。母親は働いているし、父親は物の役には立たないし(これは俺の見解ではなく不死川の言い分だ)、休日でもなかなかに忙しい。
勿論それは付き合う前からわかっていたことだし、俺自身不死川には家族優先でいて欲しいと思っている。何故なら、家族のことを話すときの不死川の幸せそうな顔が大好きだからだ。不死川から家族を奪うなど、いくら恋人とはいえしてはならないことである。
それに不死川は、家族大事さに恋人を蔑ろにするような男ではない。仕事帰りに二人で共に飯を食いに行ったり、予定を合わせてデートをしたりと、恋人らしい時間もちゃんと作ってくれている。そのマメさ故に負担にならないかと心配になることもあるのだが、不死川曰く、自分も楽しいしこういう時間を持ちたいと思っているからいいのだという。
なんてことだ。これがあの、告白を繰り返していた時期に目を釣り上げて俺を拒んでいたのと同じ男か。
不死川は優しい男だから(それが惚れた要因の一つでもある)、俺の一生懸命さにほだされてくれたのだと思う。仕方ねェなテメェはよ、と見たこともない柔らかな表情で俺の気持ちを受け入れてくれた日のことは、今でも鮮明に覚えている。
一度心を許してくれると不死川というのは壁を作らない男で、俺たちは急速に距離を縮めていった。宇髄あたりにはバレてんだろうな、と不死川はぼやくが、俺は一向に構わないと思っている。むしろ世界中に向かって恋人自慢をしたいくらいだ。
まぁ、そんな話は置いておいて、泊まりの話である。いわゆるお泊りデートだ。不死川を迎える準備を、しっかりしておかねばならない。
俺は土曜の朝五時に起きると、まずは部屋の掃除を開始した。男の一人暮らしの部屋はまぁ、それなりにそれなりだ。部屋中にゴミを散らかしたりはしていないが、大切な恋人をいつでも迎え入れられる状態とも言い難い。
まずは干したままの洗濯物を取り込みタンスの引き出しに詰め込み、シンクに寄せてある洗い物を片付ける。雑多な物が置かれたテーブルの上を整頓してベッドを整え、次は掃除機だ。掃除機は丸くかけないこと、部屋の四隅までしっかりかけるようにという姉の指導を思い出し、丁寧に掃除機をかけていく。……うむ、何故足にコードが絡まるのか。
気を取り直して風呂場の掃除に取り掛かる。湯船に浸かるのが好きなのでシャワーだけで済ますことの少ない風呂だが、掃除が行き届いているとは言い難い。きっと不死川は家の風呂掃除などもこまめにしているだろうから、見逃しがちな排水口などにも目がいくに違いない。ここは気合を入れなければ。
普段はしないカビ取りや排水口などにもしっかり手をかけ、おまけに洗面台なども磨き上げ終わると、時間はとうに昼を回っていた。どうりで腹が減るはずだ。何か口にしなければ、力が出なくなってしまう。
不死川が来るのは夕方だ。そうだ、不死川のために用意しておかなければならないものもあるし、買い物ついでに昼は外で済ますとしよう。
俺は満足いくレベルに達した部屋を眺めてから、財布と携帯と自宅の鍵を手に部屋を出た。昼は近くのラーメン屋で手早く済ませ、続いて買い物のために店へと向かう。目的地は、何でも揃うと評判の大型ディスカウントショップだ。
俺は必要になりそうなものを頭の中で色々思い浮かべてみる。俺が普段使っているタオル類を、不死川に使わせるわけにはいくまい。ここは不死川専用の、ふかふかタオルを準備しなければ。
俺はショッピングカートに顔用体用の白い柔らかなタオルを入れた。そうだ、歯ブラシも必要ではないか。歯磨き粉は俺と共有でいいのだろうか……甘いもの好きの不死川のことだから、甘い歯磨き粉があると喜ぶかもしれない。よく見もしないでカートに入れたいちご模様の歯磨き粉は子供用だったと後に判明し、不死川の実家に引き取られて末の弟が使うこととなる。
歯磨き用のコップもいるだろう。コップといえば、不死川に出せるようなマグカップや食器類、箸やスプーンの類もない。一人暮らしを始めたときは人を呼ぶような日がやってくるとは思わなかったので、揃えていなかったのだ。
売り場をめぐり、不死川に合いそうなものを悩みながら選んでいく。食器売り場など慣れていないので、目的の物の場所に辿り着くまでも無駄にうろうろしてしまった。
悩んだ末、マグカップは白のシンプルなものにした。不死川はあまり派手なものは好まないし、これがいいだろう。食器類も、この際だからとマグカップとお揃いの物を二組揃えることにする。不死川が泊まりに来るのが、今日で最初で最後にならないことを願いつつ。
それから……そうだ、枕。俺の部屋には枕が一つしかない上、クッションなどと気の利いたものもない。枕なんていらねェよ、と不死川なら言いそうだが、それでは客を迎える人間としてあまりに失礼だろう。
不死川はどんな硬さの枕が好みだろうか。あまり硬いとあの柔らかな髪の毛が潰れてしまいそうな気がする。しかし柔らかすぎは首を痛めそうだ。やはりここは、普通の硬さを選ぶのが無難か。おもてなしをしなければならない立場なのに決断できないとは、俺は相変わらず未熟者だな……。
己の不甲斐なさに歯噛みしながら、俺はごく一般的な硬さの枕をカートに追加した。もし不死川の頭に合わなければ、今度一緒に買いに来てもいい。それはそれで楽しそうだし、今日のところはこれで良しとしよう。
他に必要なものといえば、うむ、部屋着などもあった方がいいかもしれない。不死川専用の部屋着。魅惑的な響きだ。
待て、部屋着があるなら替えの下着も必要ではないだろうか。俺は急いで下着売り場へと向かう。
男物の下着も最近はカラフルな物が多いのだな。俺は黒か紺か灰色しか買ったことがないので知らなかったが、派手なプリント物や目が痛くなるような色彩の物やどこかで見たことのあるアニメ柄など、枚挙に暇がない。
この中で不死川に似合う物はどれだろう。不死川ならどれでも履きこなしそうだ。俺とは違う。そうだ、確か不死川は犬が好きだったな。俺は犬のことを思うと古傷のある尻が疼くのだが、不死川は散歩中の他所の犬など見かけては目尻を下げている。
俺は白地に細かい犬柄がプリントされたパンツを選んだ。犬は柴犬だ。不死川は和犬のイメージがあるからこれがいい。
部屋着は色々と見比べた上で白いスウェットにした。不死川のことをイメージすると、白ばかり選んでしまう。やはりあの髪のせいだろうか。俺は不死川の髪の色も手触りも好きなのだ。雲みたいなイメージがある。
後はそうだな、不死川は部屋でスリッパを履く派だったら困るのでスリッパもだな。色はやはり白……いやしかし、この柴犬型のもこもこスリッパも捨て難い……これを履いている不死川を想像したら……。
俺は自分の欲望に負け、柴犬スリッパを恭しくカートの荷物の一番上に乗せた。
よし、このくらいでいいか。俺はふぅと一つ息を吐き、レジへと向かった。それにしてもよく買ったと、レジの合計金額を見て我ながら思った。しかしどれもこれも不死川を迎えるために必要な物ばかりだ。後悔はない。
むしろ清々しい気持ちで俺は大きなレジ袋を二つ抱え、軽い足取りで店を出た。俺の荷物の量を見て入れ違いに入店したカップルがぎょっとした表情を浮かべたが、どうということはない。俺の荷物の大きさは、愛の大きさだと断言できるからだ。
すれ違う人々に少々迷惑をかけつつ、俺は家路を辿る。買い物に案外時間が掛かってしまったな。部屋に戻って買ってきた物の整理をしていたら、すぐ不死川が来る時間になってしまいそうだ。俺は焦りつつ歩を速めた。
周囲から少々奇異の目を浴びながら、俺はマンションへと帰り着いた。エレベーターの前で荷物と格闘しながら上階行きのボタンを押そうとしたとき、不意に後ろから腕が伸びてきて俺より先にそのボタンを押してくれた。
「ありがとうございます」
「何だその荷物はよォ」
聞き慣れた声に俺が振り返ると、そこには案の定、不死川が立っていた。
「不死川」
「よォ。ちょっと早かったか?」
俺は無言でブンブン首を左右に振る。早く会える分に文句などあるわけがない。
ちょうどタイミングよくエレベーターが到着したので、俺と不死川は一緒に乗り込んだ。然程広くないエレベーターの中は、成人男子二人と大荷物のお陰でほとんどいっぱいだ。
「不死川、来てくれて嬉しいぞ」
俺は心のままに素直に気持ちを伝えただけなのだが、不死川は照れくさそうに顔を背けて俺の肩口に軽いパンチを食らわせてきた。
「そういうことさらっと言うんじゃねェ」
「本心を言ったまでだが」
「約束してたから来ただけだ」
その、約束をしてくれたこと自体が、俺には素晴らしく喜ばしいことなのだが。
「で、その荷物は」
不死川は俺が両手に提げたレジ袋を改めて見遣り、さっきと同じ質問を繰り返してきた。俺は真っ直ぐに不死川を見つめ返し、少し得意気に言葉を返す。
「これは不死川のお泊りセットだ」
「あァ?」
不死川が呆れた声を出す。ちょうどそのときエレベーターが俺の部屋のある階に到着し、ドアが開いた。
俺たちは連れ立ってエレベーターを降り(俺の荷物が相変わらず少々動きを妨げた)、部屋へ向って歩いて行く。
「必要なモンなら持ってきてっけど」
「俺は一人暮らしだから、人を招く上で足りなくなる物があるだろうと思って、買い足してきた」
「そんな気ィ使うなよ」
「気など使ってはいない」
歓迎の意志を示したかっただけである。不死川にとって、俺の部屋が居心地のいい場所であってくれるようにとの希望もあった。
「食器なども一人分しかなかったし、ちょうどいい機会だった」
「何か、悪かったな」
「そんなことはない。楽しかったぞ」
申し訳無さそうな不死川に向って、俺はムフフと笑う。不死川はポリポリと頭を掻いている。
「不死川用の歯ブラシにタオルに替えの下着に……」
「そのくらい持ってきたっつーの」
「部屋着にスリッパ、不死川と使う食器」
「おいおい」
「不死川用枕もあるぞ」
「やりすぎだろォ……」
不死川は相変わらず呆れた様子で一つ溜息を溢す。ううむ、張り切りすぎてしまっただろうか。
「でもまぁ、お前らしいっていやお前らしいか」
そう呟いて笑った不死川の顔は日頃学校で見せる顔とは正反対の柔らかさで、俺の心臓はドキリと跳ねた。不死川のこの顔を見るためなら、俺はどれだけでも張り切れるだろう。
「鍵出せるか?」
気づくともう部屋の前だった。俺は頷きレジ袋をガサガサ言わせながらポケットを探り、鍵を取り出してドアを開けた。
「さあ、入ってくれ。ちゃんと掃除もしておいたぞ」
「今朝何時起きだ」
「五時」
不死川が小さく声を上げて笑う。不死川もいつもよりどこか上機嫌に見えるのは、気のせいだろうか。
「なぁ、俺も買ってきた」
「何をだ」
「鮭と大根。あとビールと、色々ォ」
不死川は片手に提げていたスーパーのレジ袋を掲げて見せる。俺は目を見開いて、俺の後ろから部屋に上がってくる不死川を振り返った。
「もしや、鮭大根を作ってくれるのか」
「初めて作るから、美味くできるかどうかわかんねェけどな」
不死川の手料理。全く予想していなかった。不死川も、俺のために考えていてくれたのだ。何ということだ。初めてのお泊りデートで恋人の手料理を味わえる―――俺はなんて果報者なんだろう。
「ありがとう、不死川」
「礼は上手く出来てから言え」
部屋に上がって俺の買ってきた荷物を見て不死川はまた溜息を溢し、柴犬パンツや柴犬スリッパに呆れ声を上げることとなるのだが、それはご愛嬌というものだ。
その夜は不死川お手製の鮭大根に舌鼓を打ちながら酒を酌み交わし、結果俺は早起きと興奮が祟って不死川が風呂に入っている間に寝落ちることになる。
それでも、帰り際にまた泊まりに来ると言ってもらえたということは、このお泊りデートは成功だったに違いない。