誕生日の闖入者 その日、不死川実弥は、いつもより軽い足取りで家へと向かう道のりを急いでいた。
実を言うと、今日は実弥の十六歳の誕生日だった。もっとも、いい加減誕生日に浮かれる年頃でもない。実弥の気持ちを逸らせているのは誕生日そのものではなく、それを祝うために弟妹たちが計画しているサプライズの方だった。
弟妹たちは勿論、実弥がサプライズに気づいていることは知らない。一番年の近い弟―――小学五年生の玄弥―――を筆頭に、まだ小さな弟妹たちは一生懸命秘密にしているつもりなのだが、実弥にはバレバレだった。それでもその気持ちが嬉しくて、今日まで知らんぷりを決め込んできたのである。
「ただいまァ」
家の玄関の引き戸を勢いよく開け、実弥は大きな声で家の奥に呼びかけた。帰ってきたことを殊更アピールしているのは、勿論サプライズ成功を助けるためである。何を計画しているにしろ、こっそり帰ってきては台無しになるのは大体目に見えている。
「兄ちゃん」
「兄ちゃん、おかえり!」
実弥の声に答えて、どたどたと弟妹たちが玄関先にやってきた。玄弥と寿美と貞子は小さな体に余るエプロンをかけて、他の下三人―――弘とことと就也は手に手に割り箸だの紙皿の包みだのを抱えている。どうやら何か作っているらしいと察した実弥が口を開こうとしたとき、玄関先にもう一人、予想もしない人物が姿を現して実弥は思わず固まった。
「おかえり、不死川」
「…………冨岡?」
そこにいたのはほとんど話したことのないクラスメイト、女子に人気の『クールビューティー』冨岡義勇だった。いつでも取り澄ましているような態度が、正直実弥は苦手なタイプだ。
「何で、テメェがいる」
「とみおかさんも、さねにぃのおたんじょうびのおいわいするんだよ!」
実弥の問いに就也が無邪気に答えて笑う。他のきょうだいたちも就也につられるように笑って、キラキラした真っ直ぐな眼差しを実弥に向けてくる。
「そういうことだ」
にこりともしていない冨岡からそう告げられ、実弥の頭の中はハテナマークでいっぱいになる。友達どころかクラスメイトとして最低限の付き合いさえしていない相手が、誕生祝い?そもそもなぜ自宅を、いやそれ以前に実弥の誕生日を知っている?
しかし実弥は、その疑問を直接本人にぶつけることができなかった。
「兄ちゃん、早く手洗ってきなよ!用意できてるから!」
嬉しそうに言う玄弥の手前、富岡を問い詰めるような真似ができるはずはなかった。
熱したホットプレートに、お好み焼きの生地が不格好な丸を描いて落とされる。ついいつもの癖で手助けしたくなる気持ちをぐっと堪えて、実弥は微笑んだ。
「上手いじゃねェか貞子」
「引っくり返すのは寿美がやるっ」
「えー、ていこもやりたい!」
「ケンカすんなよ寿美、貞子。兄ちゃんの誕生日なんだから」
ボウルを抱えて生地を混ぜながら、玄弥が二人をたしなめる。その横で弘たちは紙皿や割り箸を用意して、テーブルの端に並べている。ちなみに冨岡も、焼き係でなく皿の準備係担当だ。
不死川家のお茶の間には大きなテーブルが出され、ホットプレートが二台並んで置いてある。お好み焼きや焼肉をするときの、不死川家定番のスタイルだ。きょうだい七人と両親の九人という大家族の不死川家では、こうやって夕食を食べることも多い。
玄弥もお好み焼きを焼き始める。貞子よりは手際がいい。最近良く手伝うようになっているから、上手になってきたのだろう。
「器用なものだな」
二人の様子を眺めながら、冨岡が感心した様子で頷く。実弥は当たり前のような顔をしてそこにいる冨岡を、横目でちらりと見遣る。
「あのくらい、普通できんだろうが」
「俺はできないと思う」
「……冗談だろ」
「俺は不器用だから、家では台所にも入れてもらえないぞ」
淡々とした物言いに、実弥は小さく息をついた。ほとんど会話もしたことのない相手と、自分の家で言葉を交わしている。この奇妙な状況をどう呑み込めばいいのか、実弥は測りかねている。弟妹たちがなぜか冨岡に懐いているのもよくわからない。
「そろそろいいかなぁ」
玄弥がフライ返しをお好み焼きの下に差し込んで具合を確かめている。下のきょうだいたちと冨岡の視線が、玄弥の手元に集中する。玄弥は緊張気味に唇を引き結びながら、えいやっと一気にひっくり返した。
「やったぁ」
「上手いじゃねェか玄弥」
実弥の言葉尻に控えめな拍手が続いた。見ると冨岡が正座して姿勢を正した生真面目な様子で拍手をしていた。
「素晴らしいぞ玄弥」
「ありがとう冨岡さん」
「おい冨岡、人の弟の名前を勝手に呼び捨てるな」
つい口を挟むと、きょとんとした顔で冨岡が見つめ返してくる。
「じゃあ何と呼べばいいんだ」
「それは……」
「ここは不死川だらけだから、不死川と呼ぶわけにもいくまい。だから不死川のことも、実弥と呼ばなければならない」
「はァ?」
唐突に名前を呼ばれて、実弥は素っ頓狂な声を出す。普段クラスメイトに興味のなさそうな態度のこの男に、下の名前を知られているとは思っていなかった。
「一つ目のお好み焼きは実弥のものだな」
「もちろん!」
「ソース、オレかけたい」
「おれ青のり」
「しゅやもなんかかける!」
「ちょ、ちょっと待て待て」
実弥は柔らかな髪を乱暴に掻き回しつつ、なごやかな会話に口を挟む。
「だからってなんでお前に呼び捨てされなきゃならねェ、冨岡」
「だから、不死川と呼んでは支障があるだろう」
「馴れ馴れしいんだよ」
「悲しいことを言うな。クラスメイトだろう」
友達でもないのに、ここまでグイグイくる奴だとは思ってもいなかった。普段の冨岡は口数も少なく、同じ剣道部で幼馴染とかいう別のクラスの奴とつるんでいることが多かった。剣道は強いが簡単に女子になびかず、孤高の存在として遠巻きにされているようなタイプなのだ。
それがなぜ―――疑問は消えない。
「できたー!皿ちょうだい」
無言で冨岡が紙皿を差し出す。玄弥はそれを受け取って焼き上がったお好み焼きを盛り付け、弘とことと就也がわいわいとトッピングを始める。
「はい、さねにぃ!」
少々不格好なお好み焼きの乗った皿を受け取ると、すかさず冨岡が割り箸を差し出してきた。実弥はそれを受け取り、ぼそりとつぶやく。
「……ありがとよォ」
「それより、熱いうちに食うといい」
自分が焼いたわけでもないのに、と思いつつ、花がつおの踊るお好み焼きを一口分箸で切り分け、口に運ぶ。熱々のお好み焼きは少し焼きが甘かったが、豚肉にエビにイカにと具沢山で美味かった。
「ん、美味い」
やったぁ、と弟妹たちが声を上げる。その脇で、皿と箸を差し出しただけの冨岡も満足げに微笑んでいる。
そう、微笑んでいた。
実弥は驚いて冨岡の顔を二度見する。ほんの僅かだが、いつも真一文字に結ばれた唇の両端が上がり、目尻がかすかに下がっていた。女子が見たら卒倒ものの、レアな笑顔だろう。
実弥でさえ一瞬ドキリとした。普段見たことのない他人の表情には、妙な破壊力がある。
「ありがとなァ、お前たち」
実弥はさっと冨岡から目を逸らし、目を輝かせるきょうだいたちに視線を移す。一枚目の成功に気を良くしたらしい玄弥が、油引きでぐるりとホットプレートの表面を撫でた。
「次冨岡さんのぶんね。貞子、いいかー?」
「うん!」
「いや、ここは年の幼い順がいいと思う」
「だめー。とみおかさんおきゃくさんだもん!」
「しゅやガマンできるよ!」
わいわいといつもの調子でやりとりする弟妹たちを眺めながら、実弥は複雑な思いでお好み焼きを食べる。きょうだいが多いせいか、不死川家の人間はほとんど人見知りをしない。それにしても、初対面の冨岡の馴染みっぷりはどうだろう。冨岡がこんなフランクなキャラだったとは、クラスメイトどころか学校中の誰もが知るまい。
順に焼き上がっていくお好み焼きを皿で受け取りながら、冨岡は実弥のきょうだいに囲まれて嬉しそうだった。これでは、誰の誕生日かわからない。
(まぁ、でも、構わねェか)
冨岡の存在はともかく、きょうだいたちの成長を見られるのは、実弥にとって何ものにも代えがたい誕生日のプレゼントではあった。
誕生祝いのお好み焼きパーティーが終わったのは、八時を回った頃だった。
普段早寝の下三人を玄弥たちに任せ、実弥は冨岡を送りに出た。十一月末の夜はさすがに空気が冷たい。二人は肩をすくませながら、並んでゆったりと歩いていく。
「お前んち、近いのか」
「歩いて帰れる距離ではある」
知らなかった。意外とご近所さんというわけか。今日はいろんな発見のある日だ。
「今日はすまなかったな、邪魔をしてしまって」
「いや、あいつら喜んでたし、いいんじゃねェの」
「俺も楽しかった。不死川はきょうだい仲がいいんだな」
呼び方が『実弥』から『不死川』に変わっている。二人きりなら、不死川と呼んでも混乱は起こらないせいだろうか。
「親が忙しい分、俺たちだけでいることも多いからだろうなァ」
今日も母は夜勤、父は数ヶ月前から出稼ぎ中だ。一番年上の実弥が親代わりになる場面は多い。
「ところで冨岡」
「何だ」
「本当のところ、何でお前、今日家にいたんだ」
実弥は家の玄関先で冨岡を見たときから抱いていた疑問を、ストレートにぶつけてみた。
「ひょんなことから、不死川の誕生日が今日だと知って……祝いを言いたかったんだ」
「それで家を探し出したのか?」
それではまるでストーカーである。ちょっと鳥肌が立ってしまった。それに気づいたのか、冨岡が慌てて口を開く。
「いや、それは偶然だ。たまたまスーパーの前を通ったら、不死川のきょうだいが困っているのを見かけて」
「何で俺のきょうだいだってわかるんだよ」
「不死川と玄弥はそっくりだぞ?」
……まぁ、反論の余地はない。実弥と玄弥に限らず不死川家の子どもたちは皆、幸か不幸か『クソ親父』似である。
「それで声をかけてみたら、案の定不死川のきょうだいだった。何でも金を落として、材料費が足りなくなってしまったらしく」
実弥は玄弥たちが、一生懸命小遣いを貯めてこのパーティーを計画していたのを知っている。落としたと気づいたときの落胆ぶりは、半端なものではなかったに違いない。
「そういうことだったら、俺も祝いたいから協力させてくれと申し出た」
「……玄弥の奴……知らない奴に……」
「玄弥を責めるな。制服を見て同じ学校の人間だとわかっていたし、生徒手帳を見せて同じクラスの人間だと証明した」
「何でそこまでしたんだァ」
少し呆れ気味に訊ねると、冨岡はつと視線を足元へ落として口をつぐんだ。不思議に思い実弥が顔を覗き込むと、街灯の薄明かりの中、冨岡の頬がほんのり赤くなっているのに気がついた。
「ずっと、不死川と……話がしたいと思っていたんだ。いいきっかけになると思って」
ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ冨岡に、実弥は重ねて問い質す。
「ずっと、って、いつから……」
「四月。同じクラスになったときから」
「そんな前からかよ」
こくり、と冨岡が頷く。それから心配そうに、実弥に目を向けてきた。
「……さすがに引くか……?」
「引くっていうかよ、普通に声かけてくればよかったんじゃねェの。クラス一緒だし」
「それが出来たら苦労してない」
憮然とした様子で告げる冨岡に、不意に拗ねているときの末の弟の面影を見て、実弥は吹き出した。ちょっといけ好かなかった『クールビューティー』は、意外と子供っぽかったようだ。
「お前って……変な奴ゥ……」
実弥が笑いながら言うと、冨岡はさらに憮然となって唇を曲げた。
「笑うな」
家に押しかける方が、よっぽど度胸がいると思うのだが。四月から話しかけられなかった件と言い、ちょっとズレた奴なのかもしれない、冨岡という男は。
「でもこれで、明日からは普通に話しかけられる」
「極端な奴ゥ」
そして案外、面白い奴―――かもしれない。
「よろしく頼むぞ不死川、覚悟しておいてくれ」
「あぁ」
差し出された手をパチンと叩いて、実弥は笑顔を向けた。そのとき冨岡の瞳が一瞬キラリと鋭く煌めいたのを、笑いの余韻を引きずっていた実弥は全く気づきもしなかった。
冨岡が躊躇していた半年以上の期間は、ただ友達になりたいがため以上の重みを持っていたことを実弥が知るのは、また別の話である。