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    ジュリー稲

    @oryza_spontanea
    kmtぎゆさね小説only
    全年齢、日常系です

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    ジュリー稲

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    【刀嵐3書き下ろし】余生ぎゆさね。ふらりと立ち寄った冨岡の家で、不死川が目にしたものとは…?

    いろは 座敷に足を踏み入れると、足袋に包まれた足がかさりと何かに触れた。
     視線を落とすと、爪先が紙を踏んでいる。見渡せば座敷のあちこちに紙が散らばっていた。屋敷の主はその中心に置かれた卓に座り、背筋を伸ばし眉間に皺を寄せて慎重な手つきで細筆を握っている。
    「オイ冨岡、何だこりゃ」
    「不死川か」
     紙に向き合ったまま冨岡は不死川の名前を呼ぶと、たっぷり墨の含まれた震える筆先をまっさらな紙に押し当てた。そして左腕をぎこちなく動かし、かろうじていろはと読める文字を書きつける。
     書き終えると冨岡はふぅと息を吐き、硯に筆を乗せて不死川に顔を向けた。眉間の皺は、もうどこかへ消えていた。
    「来てくれたのか」
    「散歩のついでだァ」
     嬉しそうに目を細める冨岡をあしらうようにそう告げて、不死川は自分が踏んでしまった紙を拾い上げた。そこには乱れた墨文字で、やはりいろはと書いてある。
    「恥ずかしいところを見られてしまった」
     冨岡は墨が点々とついた指先で頭を掻く。少し照れたような表情。
    「何せ利き腕がなくなってしまったからな。練習しなくては文字も書けない」
     鬼舞辻無惨との戦いの果て、冨岡は右腕を二の腕半ばから失っていた。文字を書くどころか、生活の面で色々と苦労はあるに違いない。しかし冨岡がそんな素振りを見せたことはない。
     不死川も指二本を失っていたが、その程度なら苦労というほどの苦労はない。掃除も洗濯もできたし、包丁も握れる。
    「無理してまで書く必要、あんのか」
    「炭治郎から手紙が来るからな。拙くても返事を書いてやりたい」
    「やっぱりお前んとこにも来てんのか、手紙」
     竈門炭治郎。その名に不死川は小さなため息を漏らす。炭治郎は筆まめらしく、不死川のところにもしょっちゅう手紙を寄越す。鬼が居なくなり平穏な日々が戻れば鬼殺隊の面々とも縁が薄れると思っていたが、隊士だった頃よりむしろ今の方が付き合いは濃くなった。
    「炭治郎は真面目だからな。方々に手紙をしたためているらしいぞ」
     手紙だけではない。時々は顔を見せにもやってくる。炭治郎だけでなく妹の禰豆子、今は一緒に暮らしているという吾妻と嘴平は、宇髄の屋敷や蝶屋敷にもよく訪れてるようだった。
     不死川は座敷を歩き回り、手早く散らばった紙を集めて回る。慌てて冨岡が立ち上がり、同じように紙を集め始める。
    「練習はいいがあんまり散らかすなよ」
    「すまない」
    「飯食うときだけじゃねェんだな、テメェが散らかすのは」
     からかうようにそう言うと、冨岡は心外、という表情で不死川を見つめてきた。思わず笑みを浮かべると、つられたように冨岡も表情を和らげる。かつての冨岡からは想像できない表情の変わりようを、不死川は感慨深い思いで眺める。
     鬼がいなくなり、冨岡はある種の呪縛から解き放たれて本来の自分に戻ったのかもしれなかった。
     集めた紙に書きつけてあるいろはの文字は、みな大きく乱れてあちこち掠れや滲みがあり、お世辞にも上手いとは言えなかった。子供の手習いのようだと思って、不死川の胸がちくりと痛む。真っ当に生きてさえいれば、不死川の弟妹たちもこんなふうに手習いをする機会もあったかもしれない。
    「不死川は、炭治郎に手紙の返事は書いてやらないのか」
     左手一本で胸元に紙束を抱え込んだ冨岡が、そんなことを訊いてくる。不死川は顔を軽く俯かせ、小さく頭を振って応えた。
    「書いてやるも何も、竈門の奴も、別段俺からの返事なんざ期待してないだろうよ」
     不死川は字が書けなかった。学校とやらにも、まともに行ったことはない。それより母親を助けてきょうだいに飯を食わせるほうが大事だった。きょうだいの中で一人だけ年の離れた不死川は、幼いながらに家族の大事な稼ぎ手だった。
    「悲しいことを言うな」
     冨岡が形良い眉を顰めて呟く。
    「返事が返ってきて喜ばない者はいないだろう」
    「手紙のやり取りなんざしたことねェからわからん」
     そもそも字が書けないので、手紙など縁のない代物だった。鬼殺隊時代の報告書は隠に代筆を頼んでいたが、個人的な手紙など頼めるものでもないし、出す相手もいなかった。
    「俺が書いても、不死川は返事をくれないのか」
    「やる必要あんのか」
     三日と空けず不死川の好物のおはぎを片手にやってくるくせに、手紙のやり取りまでしたいとは。冨岡という男は、涼やかな顔をして案外貪欲である。
    「俺は不死川からの手紙が欲しい」
    「いつでも勝手に家に押しかけてきてるだろ、テメェは」
    「形あるものが欲しいんだ」
    「欲張るな」
    「書きたくない理由でもあるのか」
     生真面目な表情でそう訊かれて、不死川は言葉に詰まる。ここで関係ないと怒鳴りつけて帰るのは簡単だが、おはぎ日参も不死川が折れて屋敷に招き入れるまで諦めなかった男だ。今誤魔化したところで、後々蒸し返されるに違いない。
     不死川は指の欠けた手で己の柔らかな髪を掻きむしり、大きく嘆息した。冨岡は小さく首を傾け、そんな不死川の様子を黙って見守っている。
    「……書けねェんだよ」
    「む」
    「字が書けねェ。だから手紙は無理だ」
     一息にそう言って、不死川は冨岡から顔を背けた。冨岡が人を笑う質だとは思っていないが、いい年をしてまともに読み書きが出来ないことを告げるのはやはり勇気がいった。
    「……不死川」
     しばしの沈黙の後、冨岡がおもむろに口を開く。
    「何だよ」
    「一緒に文字の練習をしよう」
    「は」
     予想外の言葉に、不死川の口から間抜けな声が洩れる。
    「二人で手紙のやり取りをすれば、上達も早いに違いない」
    「何言ってやがる」
    「俺は本気だ」
     抱えていた紙束を取り落とし、冨岡の左手が半ば強引に不死川の両手を掴んだ。不死川の手からも、折角集めた紙が散らばり落ちる。
    「生きてもあと何年かだ。文字なんざ覚えて何になる」
     重なった手を振り払おうとしたが、冨岡の力は強かった。もっと乱暴にしていいか迷ううちに、冨岡が言葉を続ける。
    「先に死んだ方の手元に、思い出の品が残るだろう」
     富岡の言葉に、不死川は動きを止めた。死。それは不死川と冨岡にとって、遠い先の出来事ではなく近々確実に起こる未来だった。
    「不死川が先に死んだら、文字を見ながら色んなことを思い出せる。俺が先に死んだら、遺していく悔いも少しは薄れる」
     痣者である二人は、二十五歳までの死が運命づけられている。二十五ぎりぎりまで生きられるのか、どちらが先に逝くかも本当のところはわからない。避けられない死を見据えての富岡の言葉は、不死川にとっても重く響いた。
    「自分勝手な理由だなァ」
     わざと軽い調子で言って、不死川は改めて冨岡を見る。自分勝手だとわかった上での我儘、なのだろう。冨岡は不死川以外の相手に、こんな言い方をすることはない。
    「……仕方ねェ。付き合ってやるよ」
     渋々といった調子を崩さずそう応えると、途端に冨岡の顔がぱっと明るくなった。現役の柱だった頃一切見せることのなかった冨岡の笑顔は、優しくどこか幼くも見える。
    「本当か。約束だぞ、不死川」
    「二言はねェよ」
    「だったら早速、不死川用の筆と硯を買いに行こう。手紙用の紙もいるな。あとは……」
    「その前に、いろは全部の書き順教えろや」
     不死川の言葉に、冨岡は笑顔のまま頷いた。左手一本では教師役も大変だろうが、たまには不死川が冨岡に甘えるというのもいいかもしれない。
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