Room205 後輩ばかり、という気安さもあるのだろう。この部屋にはやたらと来客が多い。切原、財前、日吉、そして俺、海堂薫。俺たち205号室の四人は、いまや廊下を歩く足音だけで誰が来たのか判別できるほどになっていた。
スタタタタッ、廊下のカーペットを軽やかに駆ける足音。忍者みてぇ、と切原が言うと、足音立てる忍者があるか、足軽だろうと日吉がツッコむ。足軽の正体は四天宝寺の忍足謙也さん。ていうか廊下を走るなちょっとは落ち着け先輩だろうが、と俺は口には出さないがいつも思う。
「財前~!!!!おるか~~~~⁉」
ドンドンドドドンッ!軽快な足音とは裏腹にノックはガサツの極み。返事も待たずにバァンッ!とドアを開ける。喧しい……。財前は二段ベッドの上段に寝転んで、スマホから顔も上げずに「おらんみたいですわ。出直した方がええですよ」と応えた。
「おっ、さよか!おらんのやったらしゃあないな、ほな改めてまた寄らして貰いますわ、ってオイ~~~~ッ!おるやないかワレ~ッ!先輩が来とんねんぞ顔ぐらい上げろやコラ何や自分ゆとり世代の申し子か⁉」
「うっさい」
「先輩やぞ⁉」
「ノリツッコミ相変わらず下手すぎですわ。ボケてからそないすぐにツッこんだらボケもツッコミも死んでしまいますやん」
「的確なダメ出しやめろや!」
「せめてもう一呼吸こらえてくださいよ。ケンヤさん沈黙怖がりすぎとちゃいます?素人やん、しょうもな」
「タメ口に悪口重ねんなや!傷つくわ」
「うるせェ~なァ~」
「切原まで⁉」
「忍足謙也さん、いつも賑やかなのは結構ですがねぇ、ネタ見せしにこの部屋に来るんだったらもう少し稽古して仕上げてからの方がよろしいんじゃないですか。老婆心ながら……」
「ひ、日吉……そんなフルネームで……、いやちゃうねん、別にネタ見せしに来てる訳じゃ」
「先輩、ちょっと静かにしてもらっていいですか」
「あ、ごめんな、海堂……」
親しみやすい雰囲気のおかげか、謙也さんがこうして後輩に総ツッコミされるのはいつものことだった。何なら「イジられておいしい」くらいに思っているに違いない、ほんのり嬉しそうだ。
「で?何の用ッスか」
「……何の用やったっけ……。お前らがヤイヤイ言うから忘れてもうたわ……」
「しょーもな」
「オイ~!」
これもいつものこと。どうせ大した用事でも無いのだろう、「ほなまた寄らせてもらうわ」とあっさり帰って行く。大した用事じゃないのなら携帯にメッセージで済ませればいいのに、と思わなくもないが、まあどの先輩も似たようなもの。何だかんだで皆、俺ら後輩を気に掛けてくれているのだと理解していた。足軽は謙也さん。すた、すた、落ち着いた足音にコン、コン、と静かなノックをするのは柳さん。ひたり……ひたり……、なぜだかおどろおどろしい空気を纏って「日吉ぃ~……いるか~?」とやって来るのは比嘉の知念さん。あの人が部屋に来ると、俺は申し訳ないとは思いつつも少しビクッとしてしまう。そして――
ペタ、ペタ、ずり、ぺた……。不規則で散漫な足音。来た。乾先輩だ。考え事でもしながら歩いているのか、途中で止まっては思い出したように歩を進める。やっと部屋の前に到達したと思えば、コン、コッ……カコッ、と何とも歯切れの悪いノック。どこで終わったのかわからない独特のノック音に、わかっていても四人揃ってズッコケる。
「ノックの個性エグすぎひん?」
「リズム感……」
「オラ海堂、乾が来たぜェ~。開けてやれよ」
「先輩、を付けろや切原ゴラァッ!……乾先輩、どうぞ、開いてます」
「乾だ」
「え?わかってます、どうぞ」
乾先輩にはこのように、どこか常人離れしたテンポがあった。ドアを開けて「さてさて」と意味もなく呟く。のっそり入って来る様子はたまに長身のおじいちゃんのようにも見える。俺は座っていたベッドから立ち上がり、この、何つーか、妙に放っておけない先輩を出迎えた。
「先輩、何スか」
「ああ、いや、ちょっと日吉に用があってね」
「……」
「日吉、これ」
「何でしょう」
「さっき図書館で知念と会ってね。お前に渡してくれと頼まれた」
「ッ、これは……!」
「うむ、【月刊・最恐心霊体験とミステリー~都市伝説とかUFOの謎も追え~】、お前たちが愛読している雑誌の最新号だ」
「その雑誌、情報詰め込みすぎじゃね?なー海堂……」
切原に話を振られても無視だ無視。雑誌の表紙を目に入れたくなくてプイッ!と顔を逸らした。
「一日早く入荷したらしい。お先にどうぞー、と言っていたよ。知念は優しいな」
「ワ……嬉しいです……。え、しかしどうして乾サンに?直接持って来てくれればいいのに」
「わんが行くと、青学のボウヤが怖がるからねぇ、との事だ。優しいな」
「ぐっ……!」
「あ~あ、海堂~。ビビってんのバレてんじゃねェかよ~」
「かわいそすぎるやろ。先輩を悲しきモンスターみたいにすなよ」
「ッ、いや、俺は、別に……!」
「大丈夫だ、忘れた頃にまた出没するつもり、とも言っていた。知念は人を怖がらせるのが好きみたいだな」
「ああ、あの人そういう所がありますね。サービス精神旺盛というか……。乾サン、ご足労いただきありがとうございました」
日吉は嬉しそうに雑誌を受け取り、乾先輩に礼を述べた。すかさずヒラリ、と身を翻して自分のベッドに滑り込み雑誌を開く。いつもながら実に無駄のない体さばきである。
「じゃ、俺はこれで」
「えっ」
「え?」
顔を背けていた俺は思わず乾先輩に歩み寄って、しかし歩み寄ったところで用事なんて特にないから、「……いや、べつに」と口の中でモゴモゴ呟きうつむいた。
「そうか。皆、あまり夜更かしをするなよ。それじゃあ」
「……ッス」
はァ~い、おやすみなさい、ありがとうございました、部屋を出て行く先輩に皆口々に挨拶を返して、それぞれのリラックスタイムに戻って行った。俺も自分のベッドにすごすごと戻り、途中だった洗濯物を畳み始めた。何となく気持ちが落ち着かなくて、いつもより畳み方が雑になった。
♡♡♡
「面白く、ねぇ……」
何だか無性に胸ン中がモヤモヤして、「ちょっと走ってくるわ」と部屋を飛び出した。とっぷり暮れた空に瞬く星、もうすぐ二十一時にもなろうかというのに屋外コートにはまだ照明が灯っていた。コートを駆ける靴音と打球音が遠くからでもよく聞こえる。自主練か――誰かはわからないがラリーに混ぜてもらおうか、と一瞬考えたけど、今は独りになりたかったからコートの周囲は避けて、木々の生い茂る薄暗いランニングコースをひたすらグルグルと走る。
「はぁ、は、……」
澄んだ空気を吸い込むうちに心が落ち着いて来て、しかし己の口から知らず飛び出した「面白くねぇ」という言葉にぎょ、として立ち止まる。――面白くねぇ?俺は面白くねぇのか。言葉にしたらやけにすとん、と腑に落ちる。何がだ、何が面白くねぇのか、よし、ちょっと整理してみよう。それはアレだ、まず、乾先輩が他のヤツに会いに来るなんて思ってなかったからだ。部屋に来る時は俺に用事があるから、と信じて疑わなかったから。よく考えてみりゃ、いや考えるまでも無くそんな決まりはねぇし他校の後輩と交流があるのは何もおかしい事じゃない、あの人は人間が大好きだしああ見えて面倒見がいいからそりゃあ俺なんかより交友関係は広いだろう。だからおかしな事じゃない、何てことないはずなのに――。
自分の吐く息が白い。市街地と比べると山の中の合宿所は気温が低いように感じる。結局胸のモヤモヤの正体はわかりそうも無い。これ以上身体を冷やすのは良くないだろう、と踵を返した時だった。
「――夜の走り込みは、もう終わりか?」
「わァッ‼」
自動販売機の影から何者かが話しかけて来て、心臓がビクンと跳ねた。自販機の煌々とした灯りが目くらましになってよく見えない。
「だ、だ、ダッダダ誰だゴラァ……」
「落ち着け海堂。俺だ、柳だ」
細めていた目がようやく自販機の明るさに慣れて来る。そんな俺よりもさらに目を細めた、いや細めているワケじゃないだろうが……柳さんが、ミネラルウォーター片手にスっと立っていた。
「正解、今夜は二十一時過ぎから更に気温が下がる予報だ。ここが切り上げ時、と云った所だな」
「ア、柳さん……。はぁ、ども、ッス……」
「俺も今から宿舎に戻る所だ。一緒に行こう。で?何が面白くないんだ?」
「ぐッ……」
聞かれたくない独り言を聞かれてしまった。気恥ずかしさで俺の頬はカッと熱くなって、一瞬の後、微妙~に腹が立ってきた。他人の独り言などスルーすればいいものを、こんな風に遠慮なく聞いてくるかフツー?いや聞いてくる、この人は聞いてくる。データマンは好奇心の塊、そう、乾先輩と同じ――。
「……言わねーっつっても、聞いてくるんでしょ……」
「無理にとは、言わないが……。ふふっ」
「ッ、何がおかしいんスか」
「いや、すまない。夜道を散策中に地獄の底から響くような低音で『面白くねぇ』と呟かれては、この柳蓮二もさすがに肝を冷やしたぞ」
「あ……サーセン……」
「なに、気がかりな事があるなら人に話してみるのも良いものだ。案外大した事じゃない、と思えるかもしれないからな――。立ち話も何だ、宿舎へ歩きながら話をしよう」
もっともらしい事を言っているが、聞きたくて聞きたくてウズウズしているだけだとわかった。それでも。乾先輩の幼なじみ、元ダブルスパートナー、データ仲間。話をしてみて損は無いかと思い直す。なにしろこの胸のモヤモヤ、今まで味わった事の無い、ヘンな感じがするのだ。イライラとも似てるけど、そんなに嫌な感じでもない。モヤモヤの奥に微かにワクワクが隠れているような。ヘン、ヘンだ。自分も、知りたかった。このヘンなモヤモヤの正体を。
「ふむ……」
宿舎への道のりを、ゆっくりゆっくりと二人連れだって歩く。「水分補給しておけ」と柳さんが買ってくれたスポーツドリンクを合間合間に煽りながら、俺は「何だかわかんねぇモヤモヤ」のことを整理しつつぽつり、ぽつりと喋った。
「そんで、なんか俺の勘違い、みたいな……。俺はお呼びじゃねぇみたいな気になって、バツが悪かったっつーか……。いや大した意味なんざ無ぇってわかってるんですよ。ガキくせぇんですかね、俺……」
ふむ、と柳さんがまたひとつ呟く。表情は相変わらず伺い知れないが、この先輩は佇まいが静かでいつでも心が安定しているように見えるから、妙に話がしやすい。気づけば俺の口から素直な気持ちがポロリポロリとこぼれていた。
「――これは、世間話として聞いてもらえれば良いのだが」
「?ハイ」
「一説によると日本人というのは、『欲』を表現することを恥、と捉えてしまう傾向があるそうだ」
「……?」
「人間の三大欲求――食欲、睡眠欲、あと、ゲフン、まあこの三つは今は置いといて……そうだな、例えば名声が欲しい、だとか金が欲しい、だとか」
「はぁ……」
「人に対しても然りだ。あの人の心が欲しい、あの人を自分のものだけにしたい、いわゆる独占欲、というものだな」
「……はァ⁉」
話の流れが読めずに大人しく拝聴していたが……。は?独占欲?俺があの先輩を独占したいと?そこまで考えてない、断じて、多分……。だってあの人は部活の先輩でダブルスパートナー、ただそれだけの関係。そりゃ他のヤツよりは近しい位置に自分は居る。だからと言って――
「ッ、俺は」
「まあ待て。世間話だと言っているだろう。つまりだ、度を越した欲求は例外として、そういう気持ちを表に出すのは悪いことばかりでは無い、という話をしているんだ。例えば、この合宿。皆さらに上を目指して日々鍛錬を重ねているだろう」
「……そりゃ、そうです」
「いつかはあの高校生たちを倒したいだろう」
「ハイ」
「それだって欲だ。俺は強くなりたい、俺は勝ちたい。攻め気を表現するのはむしろ強い選手に必要なスキル。そういう欲を口に出して言う事は何ら恥ではない、と云う話だ」
「……」
世間話、と言われても、柳さんがこの流れで全く無駄な話をするとも思えない。ますますわからなくなって黙り込む俺に、柳さんは少し顔を寄せて囁いた。
「百聞は一見に如かず」
「え」
「まあ、ものは試しだ。海堂、先に自室へ戻るといい。俺は少し遅れてお前たちの部屋を訪ねるから、今一緒にいたことは伏せて待機していてくれ。いいな?」
いやッスめんどくせぇ、と断ることも出来ただろう。だけど。イタズラを思いついた子供のようにうっすら微笑む柳さんの表情、どこか惹かれるものがあった。何だかちょっと面白そうな予感がして、俺は「ハイ」と大人しく頷いた。
♡♡♡
「アッ!柳先輩が来るっ!」
すた、すた、いつもの静かな足音を聞きつけて、誰よりも早く柳さんの気配を察知した切原が、自分のベッドからぴょーんっ!と元気に飛び降りた。
「ワンパクやな。よう聞こえたな今の」
「保育園のお迎えの様だな。切原、お前もう柳先輩の部屋に引っ越せ。その方が静かでイイ」
「うっせうっせェ~!柳サン、開いてますよォ!どーぞっ」
どーぞっと言いながらさっさとドアを開けるものだから、ドア口に佇んだ柳さんはノックの手を宙に浮かせたまま固まっていた。その拳に切原が自分の拳をコツン、と当てて「ウェ~~~イ!」と笑う。
「お前がドアを開けてくれるのならば、開いてますよと云う声掛けは不要だったのでは?」
「細けぇコトはいいじゃないッスか~!柳サン、なになに?あれっ風呂これからッスか?俺もう入っちまいましたよ~遅ぇ遅ぇ~!明日俺入る時迎え行くんで一緒行きましょっ。あっ柳サン、さっきねぇスッゲ面白ぇ動画見つけたんスよっ!大食いのさぁ、こないだも見せたじゃないスかぁ、今日更新されててさぁ、あとで送りますねっ!つーか今一緒に見ます?ねぇねぇ柳サン!柳サン!柳サン!」
さっきまで眠そうにスマホを弄っていたのが嘘のように、切原がキャッキャとはしゃぐ。柳先輩が来ると大体いつもこんな感じ、同室の俺たちはとっくに慣れっこだ。とはいえ。
(改めて見るとコイツ柳先輩好きすぎねぇか……?)
マジで保育園児みたいになっちまう切原にやっぱり引くが、何だか、不思議と、今の自分にはうらやましくも感じるのだ。
「……いや、ちょっと海堂に用があってな。海堂、」
「ハァァァァァ~~~~~~~ッ⁉」
柳さんの言葉を遮るように甲高い声を立てるものだから、ご指名を受けてベッドから立ち上がろうとした俺はギクリと動きを止めた。財前も日吉もたまらず舌打ちを洩らす。
「うっっさ」
「切原、やっぱりお前出て行け。柳サン、コイツ差し上げますんで連れてってください」
「すまないな、三人とも……。赤也、時間を考えろ。声が大きい」
「だってだってェ~!海堂に用事とか何なんスか⁉海堂に用事なんか無いっしょ⁉」
「いや……、えっ?お前その断定はどこから……」
「ハッポ譲ってさぁ、海堂に用事あるとしてもさぁ!その前に俺に何か言うことあるっしょ⁉」
「八歩しか譲ってくれないのか……。赤也、落ち着け。海堂に用事がある時は海堂に用事があるのだから、お前に言うことと言われてもだな……」
「ヤダヤダヤダ~ッ!海堂、オメーちょっと耳塞いでろ。俺が代わりに柳サンの用事聞いといてやっから!」
「赤也ッ!お前はもう、本当に何というか……、バカッ!」
あまりにハチャメチャな切原の駄々こねっぷりに、さすがの柳さんも言葉に詰まった。しかしバカッと言いながらも、口元を緩ませてどこか嬉しそうだ。俺もまた、切原の子供じみたワガママがいっそ清々しくも思えて、知らぬうちに盛大に吹き出していた。
「バカって言う方がバカなんスよ~だ」
「ふっ……」
「何笑ってんだ海堂テメー!」
「……な?海堂、よくわかっただろう。フフッ……」
「へ?なに?何スか?ね~!なんか、ズルい!二人で笑ってんじゃね~よ!なに?なに?」
「いや、大したことじゃあない。赤也、海堂に用事というのは嘘だ」
「やっぱりなァ~!イェ~~~~イ!」
「イェ~イ言うてる場合ちゃうやろ。切原、お前、なんか試されてんで」
「へ」
「大方アレでしょう、大好きな先輩が自分以外を訪ねて来た時にどんな反応を示すか実証してみた、と言った所でしょう。海堂、何だか悪かったな。さっきは俺が乾先輩を取ってしまったみたいで……」
「ぐッ……⁉」
何もかも、めちゃくちゃバレてるじゃねーかッ!
「日吉、お前驚くほど理解が早いな……。その通り、だからこうしてわかりやすい赤也をだな、」
「大好きなセンパイィィィ⁉誰が誰をだよォ~~~ッ!」
「お前が柳先輩をやろ、テンションどないなっとんねや」
「ハァ~⁉まっ、好きか嫌いかっつったら好きだけどォ!つーか何?俺が柳サン大好きだとしたら何?柳サンだって俺のことめっちゃ大好きなんだから良くね⁉」
「赤也、なんか、すごいなお前は……。まあいい、大方そう云う事だ。先ほど貞治が日吉に会いにこの部屋に来たことで海堂の心は千々に乱れそんな自分に戸惑っている様子だったので、そういうのは珍しいことでも恥ずかしいことでも無いと伝えたかっただけなんだ。海堂見ただろう、この赤也の奔放なグズり方を。少しは気が楽になったのではないか?」
「はぁ、そッスね……。てか、全部言っちゃうんスね……」
自分の心情をこんな風に暴露されても、不思議と気恥ずかしさは無かった。あまりに素直な切原の反応に、なんだかウジウジと細かい事を気にしていたのが馬鹿らしくなって、気持ちが穏やかに凪いでいく。
「ンだ、そーゆーこと⁉スッゲわかる」
「お前も理解が早いな赤也……」
「海堂、オメーもガマンしてねぇでさ、もっと乾にワガママ言っていいんだって」
「呼び捨てすんなッつってんだろがッ!」
「後輩っつーのはさ、甘えてナンボよ。三年生になったらもう甘えられねんだしさ、今のうち今のうち。ね~柳サン♡」
「困った奴だ♡」
「後輩のプロフェッショナルやな。海堂、よう聞いとき」
「甘えてナンボというのには同意出来かねるが、興味深い話ではあるな。相手が先輩、加えてダブルスパートナーならば尚更、後輩としてどう向き合って行くか――。一考の余地はありそうだ」
いつの間にか小難しい話にもなって来たが、コミュニケーションについて考える良い機会だったのかも知れない。俺はそういう、人との付き合い方みてぇなのは苦手な方だという自覚があったから、尚更に。
「……まあ、切原みてぇには、俺は出来ねぇけど、何か気が楽になったッス。柳さん、ありがとうございます」
「うむ。赤也のようには出来なくて大丈夫だ。ただ、素直な気持ちを伝えるのは悪い事では無いからな」
「ッス……。お前たちも、騒がせて悪かったな」
「ええんやで」
「気にするな」
「よくわかんねーけど、俺が手本になったって事ッスよね!ね~柳サン!」
役目を終えた柳さんが、返事もせずにドアへ向かって踵を返した。ちょ、柳サン!よう柳サン⁉となおも纏わりつく切原の頭を優しくぽん、と叩く。
「赤也」
「あ、サーセン……へへっ」
「また明日な……。おやすみ」
ぱたん、静かに閉まる扉。出て行く時も柳の枝の如く。すた、すた、と遠ざかって行く足音を聞きながら、切原はクルリ!と振り返り、俺の顔を見てニヤリと笑った。
「……ンだよコラ」
「べつにィ~?海堂もカワイイところあんじゃん、って思ってさ」
「アぁ⁉」
「切原、お前は人の事など言えんだろう。何だあのザマは」
「はァ?」
「前からヤバい思ってたけど、自分柳さんに甘えすぎちゃう?柳さんに纏わりついてる時、二等身くらいになっとんで」
「へへっ!」
「照れるな」
「褒めてへんわ」
日吉と財前のツッコミをものともせずに、切原は俺が座る下段のベッドに何の遠慮もなく腰掛けた。俺はチッ、と舌打ちしながらも、ちょっと脇によけて場所を空けてやった。何だかんだで俺たち四人は、いまや割と気安い距離感にある。
「ったく、これだからシロートはよぉ~」
「……何の話だ」
「さっきも言ったろ?先輩はどーせいつかは卒業しちまうんだからよ、今のうち甘えとけってハナシ」
「切原、お前まさか……」
「そっ!さっきの柳サンの顔見ただろ?俺がワガママ言ったりするとさ、あの人、なんかちょっと嬉しそうにすんだよな……。だから俺は先輩を喜ばせるために、いっつも後輩を全力でがんばってるってワケ」
「へ。ほんなら自分、今までのアレ全部演技やったんか?」
「ん、まあな……。ほら俺、柳サンに普段スゲー面倒見てもらってるし、けど今の俺はあの人に何かしてあげられるワケじゃねーし……。だからせめて、あーやって甘える事でさ、俺はアンタを信頼してますよ、みてぇな、そーゆーの示したいっつーか……」
「あの見苦しい幼児退行が、演技……?」
どう考えても、柳さんの顔を見るとコイツがワーッ!と舞い上がってしまうのは誰の目にも明らかだから、全てが演技だというのは信じがたい。調子に乗って話を盛ってるだけに決まってる。だけど。
「まっ、そーゆーことになるかな」
ほう……と不本意ながら感嘆の息が洩れる。確かに、切原に甘えられている時の柳さんはほんのり、いやかなり嬉しそうだった。乾先輩も、俺に甘えられたらあんな顔をするのだろうかとちょっと考えて、だけど自分にはそんな風に出来ないとわかっていたから慌てて首を振りその考えを打ち消した。
「海堂~!だからお前も乾に、乾さんに、たまには甘えてみろって!今、自分には出来ねぇから関係ねぇとか思ったろ!ンな事ねぇよォ!お前はやれば出来る男だって!」
「ア⁉人の考えを読むんじゃねぇよ!あと何だお前その……何つーか、先輩ヅラしやがって……」
「後輩のプロフェッショナルの先輩ヅラ、か」
「ややこしいわ。けど確かにそういう角度のコミュニケーションも、俺ら後輩には必要なスキルなのかもわからんな……知らんけど……。よっしゃ、海堂、次に乾さんがお前以外に会いに来たら全力でイったれ」
「全力……」
「そーそー!」
「いや、そうは言っても、俺は先輩に対してそんな――」
コン、コッ……カコッ、俺が言葉に詰まった時、『あの』ノックが変則的リズムを刻んで四人同時にズっこけた。早速来た、乾さんだ――!後輩会議に夢中になっていたので迫りくる足音に気が付かなかったのだ。
「来たっ!来たぜェ海堂!」
「恐らく今日の流れからしてまた俺に用事だろう。知念サンからまだ伝言があるのかも知れない」
「チャンス到来やん、かましたれや海堂」
「ぐぅッ……」
仕方がねぇ、覚悟を決めて挑むしかねぇ。何に挑むのか正直自分でもよくわからなくなって来たが、要するにアレだろ、素直になりゃあイイんだろ――。
「――乾先輩、どうぞ、開いてます」
「乾だ」
「開いてますッ」
カチャリ、ドアが開いて、「いやはや」と意味も無く呟きながらのっそり入って来る。俺たち四人は思わず立ち上がり、長身の先輩を見上げながら毅然と出迎えた。
「ッ、なんだお前たち改まって……。いつもの様にベッドでダラダラしながら適当に迎えてくれれば良いものを……」
「乾サン、俺にまだ何か御用でも?能書きはいいんで、さあご用件を」
「能書き……」
先手必勝とばかりに日吉がズイ、と前に出た。ここで先輩が日吉に話しかけ始めたら俺がイケばいいんだな、よし……。
「いや、日吉に用と言う訳では、ないんだが」
「ハァ⁉」
「何をそんなに驚いている⁉」
「ちょ、乾~……さん!何スか何スか~!え、じゃあもしかして俺に用事⁉」
「え。違うが……」
「乾~~~~ッ!」
「え~⁉」
「しょーもな」
「何が⁉」
「乾先輩、スベり倒してはりますわ。ほな何ですの。俺に用事ッスか」
「?いや、海堂に、ちょっと……」
一瞬の間の後、三人揃って「ハァ~~~~~~~ッ⁉」と叫ぶ。俺は開き直って駄々をこねる気満々だったから拍子抜けしてしまい、ぼんやり成り行きを見守る事しか出来なかった。
「何だよソレ~!空気読めなすぎじゃね⁉」
「もしかして関東風のお笑いッスか。なるほど、シュールやんな。笑えへんけど……」
「海堂の成長の『可能性』……、あなた今、一個潰しましたよ。老婆心ながら……」
「えっ……えっ?」
事態が呑み込めずオロオロするだけの先輩を残して、三人は「解散解散」とそれぞれのベッドに戻って行った。何だコレ?この時間、何が目的だっけ……?
「……海堂」
「ふふっ」
ぽつん、と取り残された先輩の困り顔。可笑しくなって吹き出してしまう。
「俺、もしかして今、モテモテ……?」
戸惑いの中にどこか嬉しげな色を滲ませて、乾先輩も眉を下げて笑う。謙也さんもそうだけど、先輩っつーのはもしかしたら、後輩にイジられるのが結構嬉しいのかも知れねぇな……。
「さあ……。先輩、何スか用事って」
「ああ。ちょっと小腹がすいてね。良かったら、その、夜食でも、と思って……」
「……勝手に食えばイイじゃ、ないスか」
「え。でも……」
「あ」
そうだった。ひと気のない夜の厨房で、カップ麺片手にお湯が沸くのをボー……と待っている乾先輩の姿をたまたま目撃してしまい、咎めたことがあったっけ。こんな時間にンなモン食うな、腹減ったんならチャチャっと何か作るから待ってろ、今後もし夜食が食いたくなったなら――
「夜食食いたくなったら声掛けろって、お前が言ったから……」
「……そうだったッスね」
「あの時お前がチャチャっと作ってくれたおじや、美味かったな。細切りのネギがいいアクセントになって」
「べつに……。それしか、材料無かったし……」
「だから、お前が良ければ、今日もおじやなんかを」
「ざけんなッ」
「えっ!ごめんな?」
「ンなのより、豚の、ロース肉、冷凍してあるんで……」
「ん?」
「脂身が少ない薄切り肉なんで、夜食としても重くねぇし。酒とショウガに浸けたのを揉み込んで冷凍してあります。ちょうど別棟の畑で採れたホウレン草もあるし、常夜鍋にすりゃあいい」
「わぁ~い!」
「本当は昆布の出汁でも取っとけば上等なんだが、急に言われても遅ぇし」
「ごめんな?」
「ま、麺つゆでサッと煮るだけでも充分美味いんで……。ア?何ジロジロ見てんだテメェらッ!乾先輩、さっさと行きましょう」
「やった~!皆、邪魔したな。あっ、ちなみに常夜鍋というのは豚肉と葉物野菜だけのシンプルな鍋なんだ。少ない材料で手軽に作れる、まさに夜食にぴったりの一品と言えるだろうな。入れる野菜によって日々不足しやすい鉄や葉酸、食物繊維なども補えるし――」
「ゴチャゴチャうるせぇっ!……です。ホラ行きますよ」
「はぁい」
「悪かったな手軽な一品で……」
「えっそんな意味では……。待て海堂すまんすまん、褒めているんだ、夜食にこれほど適したメニューは他に無いと言えるだろう、さすがのチョイスだな、じゃあみんなおやすみ、あっちょっと海堂待ってったら……」
♡♡♡
「……海堂のヤツ、何だかんだ言ってさぁ、先輩に対して結構遠慮なくね?」
「……あれはあれで、いいんじゃないか。乾サンやけに嬉しそうだったし……。海堂はお前と違って、甘えるよりも甘えさせたいタイプなんだろう」
「世話焼きツンデレ属性やんな、萌えキャラやん」
「な~俺も腹減ってきた!そのジョーヤ鍋?食いたくね?」
「ご相伴に預かるか」
「海堂のせいで何やバタバタ喧しかったし、そんくらいしてもらわんとな」
「賛成賛成~!俺らも行こうぜェ~!」
「お前が一番喧しかったけどな」
「へへっ」
「照れるな」
「褒めてへんわ」