【前編】キューピッド合戦~あるいはクソデカピーポポくんの功罪「キューピッド」
ローマ神話の愛の神クピードー(アムール)の英語読み。ギシリャ神話の恋の神エロースと同一視され、射抜かれた者を恋に落とす金の矢を持つことから、転じて、恋愛成就を手助けする存在を差す。
よく、テンプレ的な少女漫画展開において、イケメンの背後から飛び出てきた恋のキューピッドがヒロインを射抜いて恋に落とす場面があったりする。随分と古い展開かもしれないが、テンプレというものは広く認識されて伝わる表現なので、無駄に多用されたりもする。
最近では、恋に落ちるだけではなくグッズやファッションや推しに出会った瞬間など、恋に関係ない場面でもキューピッドが出張していたりする。まあ、所謂「一目惚れ」と言ってしまう場面で天使の羽を着けた凄腕スナイパーが姿を現すのだ。
バーソロミューが直近でキューピッドに出張されたのは、彼女を一目見た時だった。
『それではご紹介します。本日、1日警察署長に就任していただきます、『AxXxS』のマシュ・キリエライト署長です!』
溢れんばかりの拍手で出迎えられたのは、初々しい警察服に身を包み、「1日警察署長」の襷をかけた麗しいメカクレアイドルであった。興奮と緊張で薄っすらを頬を染めながら、警察署長としての重大任務を背負う覚悟を宣誓しぎこちなく敬礼をする……燦々を輝くアメジストの左目が美しい。
前髪に隠された右目もさぞかし美しい光を湛えているのだろう。大量のマスコミが構えるカメラには写らないであろう右目の輝きを妄そ……想像すると、自然と顔がニチャつく……のポーカーフェイスで隠し、一般の観客に混ざるバーソロミューもいちファンとして拍手を送った。
オタク活動はTPOを遵守しなければならないのである。
推しのアイドルが近隣の警察署で1日警察署長に就任をすると聞き、バーソロミュー即休暇を取って現場へと駆け付けた。やはり、リアルで目にして良かった。使命感と緊張で張り切る推しの左目のなんと美しいことか。
後方彼氏面ではなく前方オタク面で推しを見守るこの至福。記者の求めに応じて敬礼を決めるマシュの愛らしさと、彼女の背後にいるクソデカいピーポポくん……おい今、変なのいなかったか。
何か変なものを見た気がしたバーソロミューがマシュの背後に視線を戻すと、確かにいた。目の錯覚だろうともう一度反らしたが、いや錯覚じゃない!と綺麗な三度見をしてしまった。
マシュの背後には警察のマスコットがいる。ゾウのような大きな耳を持つオレンジ色のマスコットことピーポポくんがこの場にいることは何ら不自然ではない、これは警察のイベントなのだからむしろいて当然なのだ。
問題はそのサイズである。
『なんだあのクソデカピーポポくんは?! 2mはあるぞ! あんなのいたら子供が泣くぞ』
マシュの背後で記者や子供たちに手を振るピーポポくんのサイズが明らかにおかしかった。目測でざっと見積もっても2m以上あり、マシュと並ぶとその異常なデカさが際立ってしまっている。着ぐるみ特有の安っぽさが巨体との嫌なハーモニーを奏でてしまっており、マスコットの可愛さよりも得体の知れない不気味さが勝っていた。ほら、あっちの幼児が怖がってお母さんに抱き着いちゃったじゃないの!
「一体、どんな巨体が中の人になっているんだ? ってか他に人材いなかったのか?」
あんな恵体な人材がいるならばピーポポくんの中の人じゃなくて捜査に回せ、警察組織。人事下手くそか。
「それにしてもデカいな……クソ髭くらいあるぞ」
バーソロミューだけではなく、周囲の人々もクソデカピーポポくんから目が離せなくなってきたところで、トラブルが発生する。アイドルイベントでありがちな過激なオタクが投入されたのだ。
「何で『音怨』じゃねェーーーーンだよーーー!!」
ボサボサの髪を振り乱しながら、金切声で絶叫する成人男性が乱入してきた。襟元がダルダルなTシャツを着ていてもはっきり分かるほどの痩身だ。骸骨系エネミーの如くガリガリである。
叫んでいるのは某アイドルグループのユニット名。どうやらそのファンで、今回の1日警察署長の就任が彼女たちではなくマシュなのが気に食わないようだ。
「そういえば、先日の『AxXxS』×『音怨』の対バンライブは『AxXxS』が勝ってたな。その恨みもあるのか?」
「ワシは! ソロウたんの婦警姿が見たかったのに!!」
「プラス願望か」
こんな警察署の真正面で叫んでも、その願望は叶わない。それでいて、叫びながらマシュに突進して行ってもソロウたんが婦警制服を着てくれるはずはないのである。
感情で走る馬鹿は始末に負えない。ので、とっととさっさと公的正義のお縄についてくれ。我々の推し活の平穏のために。
バーソロミューがやったことは簡単だった。絶叫しながらマシュに向かって突進していく乱入者へそっと脚を出すだけで良かったのだ。
結果、乱入者はバーソロミューの脚に躓いて見事にすっ転んだ。勢いをつけて顔面スライディングして辿り着いたその先で待ち構えていたのは、警備担当の警察官たち。標的であったマシュも、こいつが出現した瞬間にクソデカピーポポくんが自身の背後に庇ったので無事である。
よし、終わったな。トラブルもあいつの人生も。
「『音怨』をゲテモノ扱いする奴らは全員タヒね! ミザリーなんて今世紀最後の女神なんだぞ!!」
「はいはい。話は取り調べ室で聞くから」
「チクショーー!!」
最後まで往生際の悪そうな容疑者が警察署内へと連行されるその途中、悪態を吐きながらテレビ局が持ち込んだ機材に八つ当たりの体当たりをした。その衝撃が原因だったのか……カメラマンが登るはずだった巨大な脚立がゆっくりと倒れ始めたのは。
気づいた子連れの女性が子供を抱えてその場から逃げ出したを見て、バーソロミューも異変に気づいた。振り返ると迫ってくる長細い影……3m以上の巨大な脚立が、バーソロミューに向かって倒れてきたのだ。
『あ、これは……無理だな』
反射的に逃げられなかった。せめて受け身でも取っておこうか。
いくらかの負傷を覚悟したバーソロミューと迫りくる脚立……咄嗟に目を閉じてしまったため、彼の間に割り込んできた何者かに気づかなかった。
悲鳴と警察官たちの焦る声が聞こえた。転倒したのか背中に痛みが走ったが、頭や顔は無事のようだ。
バーソロミューが恐る恐る目を開けると、最初に目に入ったのはピーポポくんの生首だった……否、違う。横に転がるピーポポくんの着ぐるみの頭部が転がっている。
何故、ピーポポくんの着ぐるみがここに?
との疑問は、頭上から降って来た声にかき消されてしまった。
「お怪我はありませんか?」
穏やかだが焦りが隠せないテノールがバーソロミューに振って来た。彼に覆い被さっているのは脚立などという無骨なものではなく、ちょっと高めの体温だった。
バーソロミューと脚立の間に滑り込んだ声の主は、大柄なバーソロミューの身体を包み込めるほどの巨躯の背中で脚立を支えている。ああ、彼が庇ったのか。
『ピーポポくんの頭が転がっているということは、あのクソデカピーポポくんの中の人……』
心配する声に応えようと、バーソロミューが視線を移して見たものは……空の色にも似た青い左目だった。
幼さを残す精悍で男前な顔立ちに、美しい色の左目が見える。ずっと着ぐるみで活動していたせいで汗ばみ、乱れた銀糸の髪が右目を隠して絶妙なメカクレになっていた。
とんでもないメカクレの美丈夫が、バーソロミューに覆い被さっていたのである。
この時、通常の人間たちが見えていない次元……というか、比喩表現が具現化しているかのような世界で、一体のシロクマが出現していた。真っ白でふわふわの毛並みに、円らな黒い瞳をした小さくてかわいいシロクマだ。背中にはこれまた白い天使の羽を背負っている。
とてもかわいい。
このかわいいシロクマちゃんが小さな弓矢を手にしていたら、愛らしい恋のキューピッドらしい姿になるだろう。しかし、かわいいシロクマのキューピッドが手にしていたのはごっつい槍――聖槍・ロンギヌス。ロンギヌスを手にしたシロクマのキューピッドは、十分に助走をつけてバーソロミューへ向かっていくと、真っ直ぐに力強くロンギヌスを投擲したのだ。
投げ槍競技では槍に回転をつけた方が飛距離は伸びるとは言うが、シロクマのキューピッドの狙いは世界新記録ではない。ロンギヌスは真っ直ぐ標的へと飛んで行き、バーソロミューのハートを刺し貫いた。
ありきたりすぎる表現であるが、恋のキューピッドが舞い降りたのだ。
「メ……メメメ」
「メ?」
「ナイシュ・メカクレ……!」
バーソロミュー・ロバーツは、ピーポポくんの中から出現したメカクレの美丈夫に恋をした。
ひと仕事を終えたシロクマのキューピッドは、ロンギヌスを担いでどこかに消えた。
***
事の発端は、1日警察署長のイベントが行われる警察署の広報課のやらかしであった。
ピーポポくんは警察組織のマスコットキャラクターである。就任してからかなり長いこと人々に愛され、警察組織の宣伝のために奔走していた。奔走していたからこそ、着ぐるみがくたびれて穴が開き、なんかかわいそうに薄汚れてしまったので、広報課によって新しい着ぐるみが発注された。
が、発注した広報課の担当者がやらかしたことにより、着ぐるみのサイズを間違えて最大サイズのピーポポくんの着ぐるみが警察署に届いたのである。
推奨する中の人の身長、190cm~200cm
いや、デカすぎんだろ。もう特撮の怪人か何かのサイズだろ。
やらかした広報課はそっとダンボールの蓋を閉めた。1日警察署長のイベントは明後日である……しょうがない、別の警察署からピーポポくんに出張してもらおう。としたが、タイミングが悪く近隣の警察署でピーポポくんの着ぐるみがみんな使用されており、イベント当日に使用できる着ぐるみが見つからなかった。
かと言って、ピーポポくんが不在などありえない。明後日のイベントは、『AxXxS』のマシュちゃんとピーポポくんとの記念撮影が目玉なのだ!
別にピーポポくんがいようがいまいがファンにとっては関係ないし、むしろ邪魔と思う者さえいるのだが、凝り固まった頭の警察組織の広報課は、どうにかしてピーポポくんを参加させなければという固定概念に囚われた。マジでしょうがない……この、発注ミスしたクソデカピーポポくんの着ぐるみを使用するしかない。
早急に、クソデカピーポポくんの中の人になれる職員を探した。しかし、体躯に優れた者も多い警察組織においても、190cmに近い者はなかなか見つからず、いたとしても職務の都合で招聘できない者ばかり。
1人立候補者が出たが、その者はマシュちゃんの父親であったため私的な立候補であることと、イベントの時間には本庁での捜査会議に出席する必要があったため却下され捜査会議に引きずられて行った。なんやかんやで、クソデカピーポポくんの中の人になれるのが、たった1人しかいなかったのだ。
「……で、後輩くんがピーポポくんの中に入ることになったんだ」
「はい。ランスロット卿に、マシュ嬢の護衛を依頼されました」
捜査一課臨時係に届いた巨大なダンボール箱の中には、広報課がやらかした結晶が梱包されていた。この、特大サイズのピーポポくんの着ぐるみを着られるのは、これまた特大サイズのピーポポくんの頭部を抱える後輩くんことパーシヴァルだけなのである。
広報課の担当者、始末書何枚になるかな。1日警察署長のイベントを告知するチラシを眺めながら、臨時係の刑事である斎藤は顔も知らぬ広報課の担当者をちょっとだけ気にかけた。
「着ぐるみというのは、視界が狭いですね。ちょっと試しに着てみます。明日の護衛に支障が出てはなりませんから」
「着てみてよ。はじめちゃんも見てみたーい」
真面目な後輩に軽口を叩いたのを、斎藤は後悔した。ロッカールームで着込んだパーシヴァルが捜査一課の部屋に入って来くると、頭を入り口にぶつけながら入って来たその姿を目にした斎藤だけではなく、他の刑事たちも背筋が凍った。
想像以上にデカい……!そして、怖い!!
マスコット形態のイラストやぬいぐるみだとかわいい(はず)のピーポポくんが、2mを超えると得体の知れない恐怖を醸し出す。マスコットが着ぐるみで立体化して胴体が伸びるとあまりかわいくなくなるが、パーシヴァルが中に入ったクソデカピーポポくんはそれを通り越して恐怖を抱く。
2mを超える威圧感が凄がェ……単純にデカいと、マスコットな丸い目の無機質感が加速する。
人気のない夜道でこれと遭遇したら、恐怖のあまり叫んで一目散に逃亡する自信がある。いや駄目だ、背中を見せたら高速で追いかけてくるか、背後から襲いかかってくるかもしれない。
かわいい警察組織のマスコットのはずなのに、怪奇小説に登場する怪人の如き恐怖の結晶になってしまったクソデカピーポポを前に、刑事たちの心は一致していた。
『大丈夫か、明日のイベント……!?』
終わってみれば、一応大丈夫だった。
アイドルのアンチが乱入するというトラブルはあったが、警備担当者によって取り押さえられた。被害は、乱入者が暴れた余波で倒れた脚立による軽傷者1名のみ。パーシヴァルが倒れて来る脚立から身体を張って庇ったため、転倒による掠り傷だけで済んだのだ。
そして、イベントにいた2m以上あるクソデカピーポポくんがネットで拡散されてネットミームになった。
「先日のイベントで乱入してきた容疑者、色々なアイドルグループへの誹謗中傷を繰り返していたようで、余罪を更に取り調べるようです」
「女の子たちを攻撃するとか、何が楽しいんだかね~……あ、カルナちゃん、久しぶり!」
「む、息災か」
斎藤とパーシヴァルが警察署の廊下を歩いていると、花屋のカルナと出会った。警察署に飾られている観葉植物や、重役の部屋に飾られている花のメンテナンスのために出入りする業者である。2人とも顔見知りだった。
「お前たち、これをやろう」
「ん、割引券?」
「お前たちは舌の知見が狭い。香辛料に打ちのめされろ」
「えーと?」
「インドカレーフェアか! たまにはスパイスの利いたカレーも良いね」
カルナがくれたのはカフェの割引券だった。「インドカレーランチフェア」と書かれている。フェアの期間中、会計の際にこの割引券を見せると300円引きになるのだ。
つまり、「たまにはエスニックなカレーはいかがでしょうか。スパイスが効いて美味しいですよ」と言いたかったのである。
「後輩くん、よく分かったね」
「フェアは今日までだ。オレは仕事があって行けない。ここのフィッシュカレーは美味いぞ」
「んー……ありがたいけど、はじめちゃん香辛料が利いたカレーって苦手なのよね。後輩くんだけでも行ってきたら?」
「行かないんですか?」
「いいのいいの。今日、僕はお昼持ってきているから」
「そう言って、またカップ麺の蕎麦なんでしょう。駄目ですよ、きちんと食べなければ」
結局、カルナからもらった割引券を片手にパーシヴァルだけがインドカレーランチフェアに出かけたのだった。カフェは警察署からそう遠くはない。
名前から住所を調べてみると、いくらかの口コミが目についた。本来は紅茶とスコーンが楽しめるカフェだが、平日のランチの時間帯だけはその月ごとに多国籍料理が提供されるとのことだ。南米フェア、スペインフェア、そしてインドフェアなどなど。
「初心者でも食べやすい味付け」
「紅茶もスコーンもおいしい」
「持ち帰りのクッキーもおすすめ」
「店主がイケメン!」
「店主が趣味の話になるとちょっと気持ち悪い」
と、概ねよろしい口コミを目にすると、過去に提供されたという多国籍料理にも興味が湧いてくる。最後の、ちょっと気持ち悪いがどういう意味か分からなかったけど。
斎藤へのお土産にクッキーを買って帰ろうかと考えながら、パーシヴァルはカフェ『ロイヤル・フォーチュン』に辿り着く。ランチタイムには遅くなってしまったので、店内のお客は二組だけだった。
「いらっしゃーい」
「1人、お願いします」
「カウンターでよろしいか、な……」
「貴方は」
「やあ、先日はどうも」
パーシヴァルを出迎えた『ロイヤル・フォーチュン』の店主は、先日のイベントでパーシヴァルが庇った男性だったのである。
「お待たせしました。フィッシュカレーセット、大盛りだ」
「ありがとうございます」
「まさか、あの時のおまわりさんが来てくれるとは。驚きだね。改めまして、私は『ロイヤル・フォーチュン』の店主バーソロミュー・ロバーツ」
「刑事をしています、パーシヴァル・ゲールと申します。偶然、友人から割引券をいただきまして」
「それは、嬉しいことだ。こちらは、先日のお礼」
インドフェアは三種類のカレーセットとデザートのラッシーが選べた。お馴染みのバターチキンカレーと、辛さが強烈な野菜カレー、そしてカルナがおすすめしていたフィッシュカレー。ここはやはりおすすめに従おうと、パーシヴァルは迷わずフィッシュカレーを注文しする。その間に、常連と思わしきお客二組が会計を終えて、店内のお客はパーシヴァルだけとなっていた。
爽やかなスパイスの香りがする大盛りフィッシュカレーとミニサラダ。そしてその隣には、注文していないマンゴーラッシーが置かれたのだ。
「そんな、刑事として当然のことをしたまでです。いただけません」
「それなら、最後のお客へのオマケとして受け取ってくれないかい。インドフェアは今日で最後なんだ」
「それなら……では、いただきます」
フィッシュカレーはとても美味しかった。スパイスの酸味と辛味がココナッツミルクの甘味で上品にまとまっていて、白身魚の臭みもない。口に入れた瞬間に複雑で爽やかな香りが鼻を抜けた。
「美味しい! フィッシュカレーは初めて食べましたが、凄く爽やかな味がします」
「南インドではタマリンドを使ったフィッシュカレーが有名なんだ。現地で食べたものを再現してみたけど、好評で良かったよ。勿論、スパイスに通じた料理人にも意見をいただいたからね」
「この店では、色々な国の料理を出しているようですね。実際に行かれたことも?」
「今は一介のカフェの店主だが、長く船乗りをしていたんだ。南半球を中心に様々な国を回ったものさ。今は、この店の1人キャプテンさ」
スパイスで食欲が増してパーシヴァルはあっという間にフィッシュカレーを平らげる。オマケでいただいたマンゴーラッシーも、スパイスの余韻を柔らかく雪いでくれた。
今度はどこの国の料理が提供されるのだろうか。次は斎藤も誘って食べに来よう。
と考えていたら、気がついた。バーソロミューが自身の顔を右側から凝視していることを。
「……」
「……あの。私の顔に、何かついていますか?」
「おっと失礼。いや、前髪がね……もうちょっと、前髪を流してメカクレにしてみないかい。ピーポポくんの着ぐるみで乱れたあの時のように!」
「はあ」
「先日の貴殿の働きは素晴らしかった! 瞬時にマシュ嬢を背中に隠して暴漢から守り、着ぐるみというハンデも苦とせず脚立の盾となった! お陰様で私は擦り傷だけ。全治1週間! 行動も素晴らしかったが、あの日のメカクレも素晴らしかった! やはりメカクレは素晴らしい!」
「いえ、あの日の貴方の行動も素晴らしかった」
「え」
「あの日、咄嗟に容疑者へ脚をひっかけて転倒させましたね」
「気づいていたのか。長い脚が邪魔をしてしまっただけさ」
「危険な行動でした。逆上した容疑者の加害性の矛先が貴方向く可能性もあった。危険な行動であったことは間違いありません」
「あの場にいたおまわりさんたちにも注意を受けたよ」
「しかし、咄嗟にあの行動ができた貴方の判断は素晴らしかった。お陰で、被害者はなく容疑者も無傷で取り押さえることができました。貴方の聡明さに感謝を」
パーシヴァルはカウンター越しにバーソロミューへ頭を下げる。顔を上げて彼の顔を目にすると……思わず、目を見開いた。
バーソロミューは海の色に似た両目を揺らしながら、大きな右手で顔の下半分を覆っている。しかし、その指の隙間から見える頬が真っ赤に染まっていたのだ。
めちゃくちゃ照れていたのである。
パーシヴァルは、別に下心があったとかお世辞だったとかではなく、本当に純粋に、あの日のバーソロミューの行動を称賛しただけだった。だけだったのに、この瞬間から、パーシヴァルの世界が変わったのだ。
この時、比喩表現が具現化しているかのような例の世界で、一隻の帆船が出航した。海賊の三角帽子を被って左目に黒いアイパッチを着けた、白くて丸いメカクレ海賊を船長にした海賊船だった。その海賊船には真っ白な天使の両翼が生えており、甲板には巨大な大砲を積んでいる。
メカクレ海賊が手にしたカットラスを掲げて目標を指示すると、大砲は轟音を立てて砲弾を打ち出した。白い煙の尾を引きながら、砲弾は見事に狙いど真ん中を撃ち抜いた。被弾したのはパーシヴァルのハートだったのだ。
「あ、あの……」
「なっ、なん、でしょうか?」
「お、お土産にクッキーをいただいても? あと、また来ます!」
「月曜日は定休日で、不定休はサバスタでお知らせするから。またのお越しを」
この瞬間、パーシヴァルの元に人生初となる恋のキューピッドが出航したのだ。
パーシヴァルのハートを略奪し終えたメカクレ海賊と海賊船は、どこかへ消えた。
続く