台牧と台葬で現パロ海ネタ♡ 就労というものをなめくさっているであろう弟を日々心配していた兄のもとに、ある日友人の呟きが聞こえてきた。
「困ったことがある、海の家のバイト要員が足りないんだ」
渡りに舟とはこのことか、ウルフウッドはすぐさまその友人にとびついた。曰く、自分の弟を貸してやる、と。
そういうわけで貴重な高校二年の夏休みを半分ほど、ニコラスは兄のさしがねのもと炎天下のビーチの下で浪費することになったのだが。
「お兄さん、こっちにビール二つね」
「僕、かき氷、いちご味で」
「枝豆よこせや~」
兄と友人の三人組が毎日やって来るのはいかがなものか。
暑さによる汗がたらりと流れる。苛立ちから盆を持つ手に力がこもってしまうが、ニコラスはぐっとその感情を押し込めてにっこりと笑みを貼り付けた。
「はい、ただいま~」
海の家の座敷は多くの利用客でごった返している。それもそのはず、今は昼飯時で、この砂浜には商売敵が存在しない。必然海に遊びに来た者たちが集い休憩や食事を楽しむ憩いの場となっているのだから、そんな公共の場で、衆人環視の中身内とはいえ他人を罵倒する店員などいようものなら不快極まりない。そういう常識さを大事にする程度には自分は真面目に人間をやっているつもりなのだと、ニコラスは自負していた。
ああ、本来ならば毎日冷房の効いた自宅で、好き勝手にゲームをするなり昼寝をするなり過ごせていたものを。
バイト三日目ともなると兄への怨嗟はつのるばかりだ。だがまあ仕方ない、不利益ばかりであったならもとよりこんなことは引き受けない。
「ニコラスくん! 三番テーブルに焼きそば三つできたよ! よろしく!」
こめかみに青筋をたてていたところ、バイト仲間の声が飛んできてはっと我に返る。
「はい!」
返事は明瞭に素早く。今や立派な社会人ではあるものの学生時代は無数のバイトに明け暮れていた兄が、人生初のアルバイトにニコラスが挑もうとしている時に教えてくれた鉄則のひとつ。初日は緊張から固くなっていた動きも、流石に慣れてきたもの、ニコラスはすぐさま盆に食事を載せて客のもとへ迅速に向かった。
笑顔で膝を折りテーブルに注文の品をのせていくニコラスの様子を見守っていたヴァッシュの背中に叔父の声がかかる。
「そつなくこなすようになったじゃん、お前が心配するようなことはなにもなかったね」
氷の入った水のグラスを傾けていたウルフウッドはその言葉に首を振った。
「まだ三日目や。慣れた頃にだらけるにきまっとる」
「そういうこと言わないで頑張りを認めてあげたら? お前と違って随分要領はいいと思うけどな」
「ほ~う? バイト一日目でクビになるどっかの台風野郎に言われるとはなあ」
「昔のことデショ……」
睨み合う二人を見ていたヴァッシュはため息を落とすと、再び接客をしているニコラスに視線を戻した。無意識に空いた手を固く握っている。
海の家でバイトをすることになったとニコラスから聞いた時は大変驚いた。暑い夏に外出を嫌がるような、典型的な引きこもり体質である彼が渋々ではあるものの兄の意向を了承しているのだから。高校生になってから、ことあるごとにアルバイトをしたほうがいいと兄であるウルフウッドから言われていることは知っていた。が、まさかそれを実行する時が来て、しかも海の家とは。想像もつかなったことに呆然としてしまったのを覚えている。それくらいにニコラスと海というものにつながりを感じられなかったのだ。
「どうせあいつのことやから、サボれそうならサボるにきまっとる」
自覚は無いだろうがニコラスの兄ウルフウッドは弟に対してやや過保護のきらいがある。そうでなければ弟の初アルバイトを初日から毎日観察に来るなんてこと、普通だったらしないだろう。それに毎日ついていっている叔父や自分も、同じようなものだが。
「だあれがサボり魔やって?」
どん、と枝豆が盛られた皿をテーブルに置いた、低い声の店員がじろりと兄を見た。海水浴場らしく赤いハーフパンツ水着を履いて、店員らしく黒い簡素なエプロンを着用した彼は、片膝をゴザについて盆から品をおろしていく。
「ほいこれ、ご注文の枝豆、ビール二つ、あとかき氷です」
濃いピンクに染められたそれを目の前に差し出され、思わず横に近づいたニコラスの顔をヴァッシュは見つめると、その視線に気づいたのかニコラスは営業スマイルか自然の笑みか、ふわりと相好を崩して言った。
「かき氷ワイが作ったんや。ちょおシロップかけ過ぎたけど、フンワリならそっちのほうがええやろ」
「う、うん」
胸が締め付けられる感覚にぎゅっと目を閉じて、ヴァッシュはニコラスが手渡してくれた長いスプーンを感慨深げに握りしめた。
「もう。サボったりなんかせえへんから、見張っとらんで遊んでろや」
「そういうん決めるはこっちの勝手やろ。それに客に向かってなんやその口は」
「客の前に身内や。仕事がし辛いわ」
兄弟がお互いにまなじりをつり上げて見合うので、叔父は苦笑した。
「弟くん、休憩これからだろ? 今日はどうかな、ちょっと一緒に遊ぶってのは」
「はあ? トンガリなに言うとんのや。仕事中に」
「うるさあ。休憩は自由に過ごしていいもんだろ。せっかく一緒に海にいるんだし、ちょっとだけ。ね?」
「……聞いてみます」
ぶすっとした声でも、断らなかったのなら彼とてそうしたいという心が一抹はあるのだろう。ニコラスはさっと立ち上がると仕事に戻っていった。
その背中を目で追いながらかき氷を一口頂く。甘い。甘ったるいほどに、美味い。
それから一時間もしない頃、ヴァッシュはトイレの帰り道に見慣れた黒いエプロンが視界の端にひらめいたので自然と顔を上げた。
すると、海の家の外側でニコラスが子どもとなにか話している。
「どうかした?」
声をかけると子どもの視線に合わせるためにしゃがみこんでいたニコラスが立ち上がった。
「迷子やって」
「あらま」
こんな開けたところでも迷子というのはいるものなのか。それとなく視線を外に向けて首を巡らしていると隣でニコラスが言った。
「親やなくて、兄ちゃんと来とるんやって」
「あ、じゃあ探すべきは子ども?」
「うん。まあ待っとったらすぐ迎え来るから、大丈夫やで」
腰より下の頭を撫でながらニコラスが優しい声でささやく。子どもは不安そうな、固い顔でこくりと頷いた。腹の前で自身の両手を組んで黙りこくっている。
屋根の下でないここは陽射しが強い。じりじりと灼ける肌の熱さに、ヴァッシュは提案した。
「じゃあ、僕たちとあっちで座って待とうか。かき氷食べる?」
しゃがみこんで顔をのぞき聞いてみる。答えは期待していなかったが、こちらの笑みにやや安心したのか子どもは小さな声で「たべる」と返してきた。
「何味にする? いちご? レモンとかメロンとかあるよ」
「……ブルーハワイ」
「いいチョイスだね。それじゃあ店員さん、ブルーハワイのかき氷ひとつよろしく」
注文すると、ニコラスは小さく笑んだ。
「かしこまりました」
子どもと手をつないでゴザに戻ると、昼間から酒をかっくらっている叔父とニコラスの兄は一瞬虚をつかれた顔をしたが、すぐさま事情を察すると思い思いに子どもに声をかけたりして場を和ませようとこころみていた。
「一緒に来たお兄ちゃんは」
「ライフセーバーさんが探してくれてるんだって」
「子どもだけで来るってことは、お家近いの?」
ニコラスが持ってきたかき氷を食べながら、叔父の問いに子どもは頷いた。
「なら、家に戻って探してるとか」
「どのみち心配しとるやろなあ」
「俺らも探してこようか」
と言っている矢先、にわかに海の家近くがにぎやかになったかと思えば、子どもが一人飛び込んできた。ゴザの上を駆けてヴァッシュの隣の子どもに突然、怒声を浴びせる。
「やっと見つけた!」
「おにいちゃん!」
沈黙を貫いていた子どもが喜色満面に迎えたから、現れた少年は彼の兄なのだとわかる。といっても小学校高学年くらいだろうか。彼は弟の腕を引っ張って、どこに行っていたのか、迷惑をかけるな、という類いの罵詈を並べてあっという間に海の家から出て行ってしまった。
慌ててライフセーバーの大人がその後をついていくのをみとめて、残されたヴァッシュたちは目を合わせていた。
「……まあ、良かった、よね」
ぽつんと残された食べかけのかき氷から、水色の滴が落ちた。
「休憩、なったで」
数分して、かき氷も片付けられてから、エプロンを脱いだニコラスがやって来た。手には大人用の麦わら帽子を抱えている。バイト仲間が貸してくれたらしい。その事実にヴァッシュは眉をひそめたが、いざ海の家から出て炎天下に出た時、なるほど気がついたことがある。
「日焼けあとが」
絶句していると、麦わら帽子を被ったニコラスは恥ずかしそうに顔を歪めていた。
エプロンの跡が背中と胸にうっすらと残っている。
「別に、ええやろ」
「う、うん」
生唾を飲み込んだことがばれなかったか、ヴァッシュは焦りを隠すように思考もそらす。
「でも、痛くならないかな。冷やしたり……あ、僕日焼け止め持ってるよ。塗ってあげ──る」
言い終えてから、彼の無防備にさらされた背中が目の前にあって、かあ、と頬が熱くなった。ボディバッグから日焼け止めを無言で取り出していると、ニコラスは半顔で振り返る。
「じゃ、じゃあ、よろしく」
彼のぎこちない声色にも気づかないで、ヴァッシュは顎を引く。
二人でそそくさと海の家からなるべく遠ざかって行く。途中叔父が呼び止めるような仕草をしていたがその金髪頭をウルフウッドがぽかりと殴っていたのが、ヴァッシュには見えていた。が、反応する余裕は無かった。
海から届く波が、足首をさらうあたりをずっと二人で歩いて、人気がいなくなった頃にニコラスが立ち止まる。
ヴァッシュの空いた左手をさらって、手が引っ張られたことでヴァッシュもようやく気がついて歩みを止めた。
「……塗る?」
小首を傾げると、頭の上で大きめの麦わら帽子がかさりと動く。そのツバの陰の下で、彼の瞳は水面の輝きを反射しているのか、きらきら輝いているように見えた。
「う、ん」
心臓が高鳴るのを止められない。空からの熱射も気にならないほどに、頭が茹だっていく。
砂の上に座り込んだニコラスの隣に、ヴァッシュは膝をついた。
自身の手の平にチューブから出した白いどろりとしたものを出してから、動かない彼の背中に触れる。背骨を上から下へつたうと、背筋が少し伸びて。肩甲骨を丹念になぞると、時折ひくりと動く。ぬるぬるとした手触りのまま横腹へ手の平を滑らせたら、たまらずニコラスが身をよじった。
「くすぐったいん、やけど」
「ごめん……」
謝意の一切無い語調で、ヴァッシュは少しとろりとした視線で彼を見つめる。
ニコラスは目をそらさなかった。
「前も、塗ろうか」
たどたどしく口から漏れた欲望に、ニコラスは応えない。ゆっくりと帽子を頭から取ると、二人の顔横にかかげた。そしてその陰の中で彼がぐっと顔を近づけてくる。ヴァッシュの耳に唇が触れる距離で、小さく呟いた。「すけべ」
くすりと笑う彼の口元に、ヴァッシュは自分の唇を重ねる。自分も帽子を支えた。
深くなる逢瀬は、帽子が全てを隠していた。
「ひゃあ~」
そんな恋人たちの戯れを遠くから見ていた叔父こと、トンガリことヴァッシュは、両目を手で覆ってじたばたと砂を蹴っていた。
パラソルの日陰に敷かれたシートの上で、隣に座る男が辟易と息をつく。
「あんま見んなや、阿呆」
「だ、だって」
指の間を大きく開けた手の平を顔に貼り付けたまま、ヴァッシュはウルフウッドに振り返る。お互い顔が赤い気がするが、日焼けだろう、きっとそうだ。甥のように日焼け止めなんて持っていない無頓着な二人だから。
「君の弟、自覚あってアレなら相当なもんだけど。まあ……違うだろうな」
「今時あんなピュアっピュアな高校生もおらんやろなあ」
「うちの甥だって大学デビューで見た目今アレだけど、高校ん時は髪長いし地味だったんだよ」
「信じられんな」
ざざん、と波の音が聞こえる。ウルフウッドは冷えた缶を開けると、ちびちびと飲んでいる。ヴァッシュは自身の膝を抱きながら、ふと思いついたことを言った。
「お前も子どもの頃、弟くんと海来た?」
「んあ?」
「さっきの子ども達さあ、お兄ちゃんカンカンだったろ。俺はびっくりしたけどあの時ウルフウッド、笑ってたから」
「ああ……」
缶を置いて、片肘をシートに落とした彼は懐かしそうな横顔を波に向けた。生暖かい風が二人の間を抜けていく。ヴァッシュは好いた男の胸元を流れていく汗を見送った。
「ワイも同じやったな。ニコが小さい頃、ワイについてきて深いほうまで来よって、案の定溺れた。近くの大人が助けてくれたけど、浜に戻ってワイはニコにキレてなあ。こうなるってわかってたんに」
ウルフウッドが見上げてくる。自嘲の微笑みを浮かべていたので、ヴァッシュは表情をなくした。
「弟って、どこ行ってもついてくるし真似してくるしで、けっこうウザいねん」
「想像できるなあ」
「やろ。で、泳げへんくせについてくるから腹たってわざと深いほう行った。そんでいざ溺れてワイのせいなんに、あいつ兄ちゃんって言うんや。兄ちゃん、助けて、って言ってたんや。必死にな。あん声はずっと、忘れられへん」
彼は海の向こうへ視線を戻す。見つめている視線は穏やかで、声色も淡々としていたが、ヴァッシュはいたたまれなくなった。
「で、ワイも子どもやったから助けられへんかった。あん時はほんまに、やらかしたあ思たわ。ニコが死んでまう、ワイのせいで死んでまうって」
「そう……。怖かったね」
ウルフウッドは静かに頷いた。
「なのに、謝れんかった。いけないことをしたって、怖かったし泣きたかったんやけど、兄貴やから強がってもうてな。あれから……、ニコと海来たことなかったな」
ああ、それでか。ヴァッシュは納得する。思いはそのまま口から出た。
「だから弟くん、このバイトならってやったのかもね」
不思議そうに見上げてきた視線を感じながら、下に置かれた缶を拾い上げて一口頂戴した。炭酸が喉の奥で淡くはじける。
「海、嫌いにならないように。それか、お前に好きになってもらうため? ああ、お前とまた海で遊べるように。かな」
体を起こして、ウルフウッドはヴァッシュの顔をまじまじと見つめた。
「そうなんか……?」
「さあ。知らないよ、聞いてみたら」
「恋人と思い出作るためやったらどうする」
「それもあるかも。一石二鳥、いや三鳥……? あ、もうひとつ可能性がある」
わざとらしくぽんと手を打つと、怪訝と目を細められた。指をひとつたて、あっけらかんと言う。
「兄ちゃんに、恋人と思い出を作ってもらいたくて、かも」
とたん、視線がじとりと恨みがましくなった。けろりとしていると、諦めたように息を吐かれる。そして予想外にやわらかい声がかけられる。
「おどれは、作りたいんか、思い出」
「へ?」
おもむろに、ウルフウッドがヴァッシュの手を下からさらうように持ち上げた。何事かと身を固める前に指先は誘導されて、ウルフウッドの水着であるパンツの腰元、ゴムの位置で手が離される。
「な、なに」
警戒の声をあげながらも無意識に、つ、とヴァッシュは人差し指で彼の出っ張った腰骨にそって肌をなぞる。
ウルフウッドは顔色を変えないまま、口の端を持ち上げた。
「脱がしたってええで」
衝撃的な言葉に、ヴァッシュは声を失う。波の音だけが片耳から片耳へと通り過ぎた。
目だけを下ろして彼の水着、漆黒のハーフパンツを見た。人差し指がぐりっと水着のウエストに入り込んで。自分で行ったことなのに驚いて目を見開き指を見下ろしてしまう。
手は自分の欲望に直結しているのであろうか。さしこまれた人差し指を引っ張ってゴムが伸びるとそけい部の谷が見えるはずでヴァッシュは目をこらしたが。ウルフウッドがくつくつと笑っている。
「あれ、お前、これ……」
指をもっと引っ張って水着の中をよくよく見下ろすと、陰にしては黒すぎる、やはりもう一枚履いているのだ。顔を近づけて確認してからヴァッシュは憤慨に声をあげた。
「まさかブーメラン履いてる!? どういうこと!」
「水着って言えや!」
すこん、と頭を叩かれて砂の上に倒れ込むが、すぐさま起き上がりヴァッシュは元気よく言った。「脱いで! よく見せて!」
そんな彼の背後に、陰ができる。あれ、と嫌な予感に目線を上げると、思った通り冷たい眼差しが二人分此方を見下していた。
「叔父さん……」
「きも……」
「いやあ、今のは、ちょっと事情があって」
たはは、と笑いをこぼして、救いを求めてウルフウッドを見ると彼は立ち上がりすらりと長い足を水着から抜いていた。現れたのは中に着ていた、より洗練された水着で。そしてどこかから取り出したゴーグルをきっちりと装着する。
「さて、そろそろ泳ぐか。行くでおどれら」
鍛え抜かれた美しい体を惜しげもなくさらしながら、男は砂の上を堂々と歩いて行く。
「え……ちょ、お兄」
「海で泳ぐん久しぶりやからな。とりあえずあんテトラポッドの向こうまで泳ごか」
三人が呆気にとられているのも構わず、週一でプールに通っている男は波の手前で振り返る。そして至極不思議そうに、何故誰もついてこないのかと腕を組み待ちの体勢をとった。
「ほら、叔父さん。早く行ってあげなよ」
甥に足で背中をつつかれても、ヴァッシュは立ち上がることを拒んだ。
誰か行ってやれ、と三人の男は無言で身代わりを探しうろたえていた。