親方と課長の朝のひととき親方の朝は早い。夏の朝、エルヴィンは早起きの鳥たちとともに起き出して弁当と朝食の支度にかかる。
弁当は、牛丼にする。鍋に水と醤油、酒、みりん、砂糖を入れ、煮立ったところに薄切りにした玉ねぎを投入する。玉ねぎがよく煮えるのを待ってから牛肉だ。
牛丼はエルヴィンとリヴァイの共通の好物であり、思い出深い一品でもある。ふたりは同じ大学の先輩後輩の仲である。リヴァイが新入生の時に、近辺に牛丼のチェーン店ができた。全国展開のチェーンであったが、中央から遠く隔たった田舎への初出店であり、ニュースになるほどだった。値段も手頃とあって、サークルの仲間とともにうきうきと足を運んだ。
牛丼を食べながら、玉ねぎや牛肉をいちいち箸に取り、ためつすがめつした上、噛み締めて頷くなどしているエルヴィンを、リヴァイが不審な目でみていた。エルヴィンはここは説明が必要と考えた。
「いやその、玉ねぎはくし形に切っているんだなと思ってな」
箸で玉ねぎを持ち上げて見せた。
「俺は細切りにするんだ。これには理由があって、その方が玉ねぎの存在は控えめとなり肉を食べているという感じがすると考えるからだ。実際、ここの牛丼は玉ねぎの存在感が強い」
エルヴィンはけっこうな量の牛丼を箸に取り、口へ運んだ。噛み締め、飲み込んでから続きを話す。
「これはこれでいい。玉ねぎの甘みもいいものだ。だが俺は、自分で作るなら、肉を食べている、と感じたいんだ」
エルヴィンは力説し、拳でテーブルを叩く。
「しかしここの牛丼の着目すべきは牛肉の柔らかさだ。俺が作ると肉が固くなってしまうんだ」
エルヴィンは首を捻る。リヴァイはじっとエルヴィンを見ている。感情は押し測れない。
「つまり、研究のため、というと大袈裟だが、参考にしたくてな」
熱が入りすぎたか、と気恥ずかしくなったところで締めておく。
「つまり、自分で牛丼を作っていると?」
「ああ。まあ、そう頻繁にではない。たまにだが。作らないか?」
「作るも作らねぇも、牛丼を家で作れると初めて知った」
「ええ?」
「あはははははは」
笑い声を上げたのは当時二年生のハンジだった。
「リヴァイ、餃子を家で作れることも知らなかったもんね。まあ私は牛丼も餃子も作れないけどさ。でも作れることは知ってるおよー」
「餃子パーティーをやったと聞いて、てっきり買ってきたのかと思ったら作ったというからたまげた」
サークルの仲間で集まってよく飲み会をしていた。大概は買ってきたつまみや菓子類だが、たまに作ることもあった。
「そういえばそんなこともあったな。あの時は皮から作った。大量にできてしまうので普段はなかなかできないが、人数が集まる時にはな」
「餃子の皮を作るだと? そんなことができるとはな」
リヴァイは心底驚いている様子だった。
「リヴァイはまったく料理しないのか」
「ああ。ぜんぜんだ。牛丼にしろ、餃子にしろ、店で食べるか買ってくるかするものだと思っていた。目玉焼きは家でできると知っているが、作ったことはねぇな」
「自炊は合理的と思うぞ。なんだかんだで、外食は高くつく。俺は高校まで父と二人暮らしで、父が無頓着な方だったから、その頃から俺が作っていたしな」
「俺は中高と寮に入ってまかない付きだったからな。ケニーの野郎とは食べにいくか買ってくるかだった」
ケニーとは彼の伯父で、育ての親と言っていいような存在だと以前に聞いていた。
「つまり、家で作って食べるということをほとんどしてこなかったというわけか」
それでも困りはしない環境だ。学食で朝昼夜食べることもできるし、大学の周りには飲食店がたくさんある。コンビニも弁当屋もある。
「よし、じゃあ近いうちに餃子パーティーをやるか」
牛丼は満足いくものが作れていないので、まずは餃子と考えた。
「いいのか? 俺は買い出しの荷物持ちくらいしか手伝えねえが。あとは、皿洗いくらいか」
「十分だ。よし、いつにするか決めるぞ」
あの時の牛丼が、リヴァイとの距離を縮めるきっかけとなったといっていい。
リヴァイのエルヴィンに対する第一印象は正直、悪かった。エルヴィンのサークル勧誘の仕方にリヴァイは不審感を抱いたようなのだ。「君には、何が見える?」という声がけが、怪しまれたらしい。サークルを装ったカルト集団が学内に存在していることは新入生にも注意喚起されており、そうした団体だと誤解されてしまったのだ。本当に怪しい集団は初対面の段階では極めて普通で決して怪しまれるような行動はとらないものだ、などと自虐にも近い釈明をして誤解を解いたものの、リヴァイはエルヴィンを警戒し続けているように思えた。しかし、牛丼を食べにいくうち、家飲みでともに料理をつくっていくうちに、彼のエルヴィンを見る目が変わってきた。当初は不審感があらわだったのが、エルヴィンが料理について語ったり、実際に作ってみせるうちに、見直した、という目で見るようになってきたのだ。牛丼がなければ、こうして一緒に暮らす仲にはなれなかったかもしれないな、などとエルヴィンは振り返る。
ランチジャーの上段の容器に牛丼を詰め、下段には味噌汁を入れる。味噌汁の具は玉ねぎとズッキーニ、トマトだ。
朝食の目玉焼きが、ベーコン、ソーセージ、トマトとともにフライパンの上でじゅうじゅうと音を立てている。皿に移してから、リヴァイを起こしにいく。
寝室のドアを開け、「リヴァイ」と呼び掛ければ、彼はむくりと起き上がった。寝ぼけまなこで寝癖がついているのが愛らしい。彼自身は寝起きは凶悪な顔つき、と評しているらしいが、エルヴィンは彼のこの姿を見られることに幸福を覚える。
社畜の彼は夜遅くなることが多く、夕飯を一緒に食べられることが少ない。だからせめて朝食は一緒にとることにしている。リヴァイは食事への興味関心が低いため、放っておけば忙しさを理由に食事を抜いたり栄養補助食品で済ましてしまいがちだ。ならば、と弁当も持たせることにした。現場になる仕事になって以来、エルヴィンは弁当が基本だったため、それがふたり分になろうと手間は大して変わらない。
ダイニングに戻ったところでタイミング良くトースターがチンと音を立てた。きつね色に焼けたトーストを皿に乗せ、冷蔵庫からバターとジャムを取り出す。
寝巻きのTシャツと短パン姿のリヴァイが食卓につく。まだ寝癖がついている。会社では鬼課長で通っており、ネクタイを緩めることもない彼のこのような姿を見られる至福をエルヴィンは噛み締める。一緒に住むことにして本当によかった。
アイスティーを注いだグラスを差し出せば、リヴァイは一気に飲み干した。自分でおかわりを注いでいる。目が覚めたようだ。夏の間、リヴァイは水出しアイスティーを作り、冷蔵庫に切らさないようにしている。
いただきます、とふたり揃って朝食を食べ始める。バターとジャムを塗ったトーストにエルヴィンはかぶりつく。さすがにひとくちにとはいかないが、三口程度で口に収まってしまう。リヴァイはといえば、端の方から小さく齧っている。この齧り方がまた愛らしく、エルヴィンは目元を綻ばせてしまう。一方で、彼の目の下の隈が濃いことにも気づいた。
「きのうはまた、遅かったようだな」
「すまねぇ。起こしちまったか」
「いや、起きてはいない」
「なら、よかった。ちょっと、トラブってな。今日も気が重い」
「昼飯は、牛丼だぞ」
ランチジャーを目で示しながら告げれば、彼は顔を輝かせる。
「午前中を乗り切れそうだ」
エルヴィンは食べ終わると、皿や、調理に使ったフライパンや鍋などはそのままに、支度を始める。リヴァイは洗い物に取り掛かる。
支度を終えたエルヴィンは、家を出る。リヴァイは皿洗いの手を止め、玄関まで来てエルヴィンを見送る。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ、気をつけてな」
親方は今日も彼と暮らす幸福を噛み締めながら、仕事に向かうのだった。