旧敵停泊中の船上から、ピークはオディハの夜空を見上げる。この空の下、世界の各所で地鳴らしが進行している。暗澹たる気持ちになる。
岸のドックでは飛行艇の準備が行われている。終わり次第、出発となる。イェレナから話を聞き出すことができ、目的地をスラトア要塞に決定できたのは幸いだった。
デッキに誰か出てきた。壁伝いに歩いている。リヴァイだ。リハビリに少しでも体を動かしておこうとしているのか。ピークに気づくと、彼は足を止めた。
「話しかけても?」
「ああ」
「ジークについてなんだけど、始祖に取り込まれているって話だったよね。ジークが死ねばエレンは始祖を制御できなくなり、地鳴らしも止まる。ハンジさんの予想では」
リヴァイはジークの殺害を目的としている。ジークを殺せば地鳴らしが止まる。撤退する飛行船と壁巨人の行進を為すすべなく見るしかなかったマガトとピークに、彼らはそう言って協力体制を敷くことを持ちかけてきた。
「でもあのとんでもない大きさの始祖のどこにジークはいるの?」
「それは、行ってみてからになるだろう。あの時も、遠目に見ただけだったしな」
「そうだね。それで、見つけられた時の話だけど、ジークの始末は私に任せてくれないかな?」
「ダメだ。俺が殺る」
「どうして? 私の方が適任だよ。もう何年も、作戦行動を共にしてきた。思考も戦闘パターンも知り尽くしているよ」
「だがその嘘は見抜けなかったようだ」
「そうだね」
ピークの中で、悔しさがこみ上げる。
「だからこそ、だよ。ジークは私達を裏切り続けていた。というより最初から利用するつもりだったんだよね。皆、騙されっぱなしだったから、こういう結果になった。レベリオはもう壊滅しただろう。私は、ジークは何か隠していると気づいていた。四年前、シガンシナでジークがエレンと会った時に確信した。だけど、何も手を打つことができなかった。うまく立ち回れていたら、ジークの計画を阻止することもできたかもしれないのに。その挽回のために、始末をつけたいんだよ」
「事情はわかった。だが、譲れねぇ」
「どうして? 今度こそ、確実に仕留めてみせるよ」
「あいつらの捧げた心臓に報いなきゃいけねぇんだ。見ていただろう、お前も。四年前。獣の巨人に向かって突撃をかけた兵士達を」
「覚えてるよ。一種の陽動作戦だったんだよね。正面から大人数で突撃してジークの注意を惹き、側面からあなたが単独でジークを討ちにくる」
「その通りだ。俺は獣の野郎を討ち取る係だった。俺はあいつに誓ったんだ。獣の巨人は俺が仕留めると。それ以前に、獣の巨人は俺に任せると言い渡されてもいた」
あいつとは誰だろう。分からないが、無念が伝わってくる。
「だから、悪ぃが、獣の野郎は俺が討たなきゃならねぇんだ」
彼はひどい怪我を負っている。生きているのが不思議なほどだ。ジークを討つという目的が、彼を生かしているかのようだ。
「そう。じゃあエレンは私にやらせて。媒介であるジークを亡き者にすることでも地鳴らしは止まる可能性が高いけど、大元のエレンの命を絶った方がより確実でしょ。超大型の爆風で吹き飛ばすという手もあるけど、それじゃ私達も近寄れない。始祖は巨大だけど、本体であるエレンをということなら、私でもやれるはず」
「ダメだ」
「なんで。皆、情に囚われすぎだけどあなたもなの? 甘いよ」
「まず、ミカサの存在が大きい。ミカサはガキの頃に危ねぇところをエレンに助けられ、以来、家族同然に育ってきた。エレンを狙うとなれば、ミカサの士気が大幅にダウンする。俺が万全じゃねぇ状況では、あいつの力に因るところが大きいんだ。幼なじみのアルミンにとっても抵抗のあることだろうし、ジャンやコニーもまだエレンの改心を諦めてねぇだろう。だから、エレンの命を取るというような決断はそうそうできねぇんだ」
言い訳を探しているような話しぶりだった。
「ハンジさんは?」
「ハンジはいざとなったらエレンを討つ覚悟だろう。だが他の解決法を望んでいるはずだ」
「あなたにもその覚悟はあるの?」
リヴァイは暫し黙っていたが、やがて口を開く。
「エレンを調査兵団に入れると言い出したのはエルヴィンだ」
エルヴィン。エルヴィン・スミス。四年前のシガンシナで指揮に当たっていた、当時の団長だ。さっきの「あいつ」もこの人物だろう。
「俺は、危険だと思った。なぜなら、化け物だと直感したからだ。巨人になれるからじゃねぇ。渾身の力で押さえつけようと、檻に閉じ込めようと、エレンを従わせることはできねぇと感じたからだ。だがエルヴィンは譲らなかった。そしてエレンを調査兵団に入れた後は徹底的に守った。そのために大勢の兵士が犠牲になった。エルヴィン自身、右腕を失った。皆、エレンが人類を救う唯一の希望だと信じて、命を賭したんだ」
「エレンを殺すことは、仲間の犠牲を無駄にすること。あなたはそう考えてるんだ」
エレンを討てない気持ちはよく分かった。ピーク自身、仲間の犠牲に報いたいと考えているからだ。
「もう他に手立てはねぇとなったらハンジが決めるはずだ。それか俺が」
果たして彼らに冷静な判断が下せるのか、ピークは疑う。同じ釜の飯を食った仲間であるエレンに手を下せないのはもっともだ。ならば自分がやればいい。それがこのメンバーにおける自分の役目のようにも思えてくる。しかしここは分かったふりをしておく。
「了解。じゃあまずはやっぱり私がジークを」
「ダメだ。奴は俺が殺る」
この場をごまかすために軽く言ってみただけだったが、リヴァイは躍起になった。
「そもそもてめぇがあの時、獣の野郎をかっぱらっていったから仕留め損ねたんじゃねぇか」
四年前のシガンシナの話を彼はまたも持ち出した。正面から突撃してくる調査兵団に気を取られていた獣の巨人を、リヴァイは切り刻んだ。気配を潜め、時機を窺っていたピークは、リヴァイがジークをうなじから切り出したタイミングで行動に出た。
「あなたが見せた隙を私が見逃さなかっただけだよ。躊躇したでしょう。すぐさま殺してしまえば私に取られることもなかったのに。巨人化薬で獣の巨人の力を奪おうと考えたんだろうと、察しはつくけど」
「そうだ。俺は、考えたんだ。注射を打って、この獣の巨人の本体を食わせたなら、あいつを生き返らせることができると」
あいつ。エルヴィン・スミス。
罪な人だね。エルヴィン・スミス。
リヴァイを突き動かしているのは、ジークへの憎悪ではなく、これまで犠牲になった仲間に報いたいという心。そして何よりエルヴィンへの思慕。
「あいつとの約束を果たしたい。あいつらの捧げた心臓に報いたい。命を賭して戦ったあいつらの人生に意味があったと信じたいんだ」
「わかるよ」
ついこの間まで敵同士であったというのに、なぜ手を取り合えるのか。ピークは分かった気がした。思い浮かべる顔は違えど、亡くした仲間達を想う心は同じだからだ。