同棲二日目ふかふかのベッドに包まれたノイマンは瞼を震わせてゆっくりと目を開ける。
見慣れない部屋。
昨日から始めた同棲でノイマンの自室だと与えられた部屋だ。
体を起こして部屋を見渡す。
何度見渡してもノイマンには広いなと思う。
今までノイマンが寝ていた、人一人が寝るには十分すぎるベッド。豪華な広々とした机と椅子。読書好きなノイマンのために用意された大きな本棚。本棚とは別の本以外も収納できるこれまた大きな棚。部屋の一角にはウォークインクローゼットに入るためのドアがある。そのクローゼットも驚くほど中が広い。
逃げるような生活を送ってきたノイマンには私物がほとんどない。こんな広くて収納がたくさんある部屋をもらっても困ってしまう。
引越しで持ってきた荷物を片付けはしたが、部屋の収納に対して極々僅かの量だった。何もない殺風景な景色だ。
コノエとハインラインに広すぎると訴えたが二人とも微笑むだけでノイマンの話はちっとも聞いてくれなかった。
家賃の安いボロアパートから引っ越し先を探していたが、ホイホイと恋人たちの言うことを聞いてしまった浅はかな己にノイマンはため息が出る。
少し前まで家族と思っていた半分血の繋がった他人と、その他人に押し付けられた借金から逃げ回っていたのだ。家無しになった事だってあった。
その日暮らしが精一杯の貧乏人だった自分が高級マンションの一室に住むことになったのだ。
この生活にもそのうち慣れてくるのだろうか?一生慣れそうにない。
このままぐだぐたしていても埒が明かない。
ベッドから出て立ち上がる。
サイドテーブルに置いたスマホに手を伸ばして画面をつける。
時刻は朝の十時前を表示していた。
寝過ぎたかなと心配になりながら、寝巻きがわりに使っている高校時代のジャージを脱いで、少ない服の手持ちの中でも一番マシなものに着替えて、自室のドアを開ける。
ドアの先はリビングまでの廊下が続いている。
恋人の一人であるコノエが所有しているマンションで、ワンフロアぶち抜きで作られているため部屋数も多い。ノイマンの自室以外にもいくつも存在している。コノエとハインラインの自室や仕事部屋等々…。
パタパタとスリッパを鳴らしながら廊下を歩き一番端にあるリビングに続くドアを開ける。
開けると食欲を唆る良い匂いがしてノイマンの腹がぐぅと小さく空腹を訴えた。
リビングに足を踏み入れる。ノイマンから見ても高級な調度品が並んだ広いリビングだ。
「おはよう、アーノルド。よく眠れたかな?」
「あ……おはようございます。はい、眠れました」
コノエの声だ。
答えながらコノエの声がする方に向かう。
リビングの隣には対面キッチンが備わっている。
コノエはそのキッチンに立って料理をしていた。
調理中のフライパンから視線を外してノイマンに向けたコノエが微笑む。
「それなら良かった。顔を洗っておいで、もうすぐ朝ごはんできるから」
何を作っているのか気にはなるがコノエの言葉に従って洗面台に向かう。
顔を洗って寝癖を直す。
再度リビングに戻るとエプロンを外したコノエがキッチンから出てきてテーブルに皿を並べていた。
それから、さっきはいなかったハインラインが椅子に座っている。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
ノイマンの方を振り向いたハインラインが微笑みを浮かべてノイマンに返す。ハインラインの顔はいつ見ても綺麗ですぐ見惚れてしまう。
頭を緩く振ってコノエを見る。
コノエも落ち着いた大人な男性でとても魅力的な人だがハインラインに比べると派手さはないので見ていると落ち着くのだ。
「コノエさん、手伝います」
「もう終わるから大丈夫だよ、君は席に座って。アルバート、君には動いてほしいんだけど?」
「誰かが僕にあれこれ言ってきておかげで寝不足なのですが?」
「耳が痛いな」
コノエとハインラインは気安いやり取りを見ながらノイマンはコノエの言葉に甘えて椅子に座った。ノイマンの定位置はハインラインの隣の席だ。
ノイマンの前にプレートが置かれる。
「……ホットケーキ?」
「ふふ、そうだよ」
コノエが楽しげに笑う。
三枚のホットケーキとベーコン、スクランブルエッグ。瑞々しいレタスとベビーリーフ、トマトが付け合わせのサラダとして隣に鎮座している。
食事系のホットケーキ…パンケーキと言うのか? 知識としては知っているが実際に食べたことは当然ながらない。そもそも普通の甘いパンケーキですら食べたことがあるかと問われると自信を持って答えられない。
「冷めないうちに召し上がれ」
「いただきます」
コノエとハインラインの二人の切り分け方を真似して口に入れる。
甘しょっぱい味が口の中に広がる。
「っ!美味しい!」
ふわふわとしたパンケーキの食感もカリカリに焼かれたベーコンもフォークの上に乗せるととろけてしまいそうなスクランブルエッグも。
「誰も取らないからゆっくりお食べ」
コノエに言われて夢中で食べていた自分が恥ずかしくなる。
「そ、そうですね。せっかく作ってくれたのに味わって食べないともったいないです」
「美味しそうに食べてくれると作った甲斐があるよ。さすがに毎日は無理だけどアーノルドがリクエストしてくれたらたまには作ってあげるよ。だからね、今度はそんな惜しむように食べなくていいよ」
ハインラインが隣で笑いを噛み堪えている。
仕方ないだろう。こんなに美味しいって思った朝食は初めてなんだから。
恥ずかしさを誤魔化すように残っていたパンケーキを口に入れて咀嚼していると耐え切れなくなったハインラインが吹き出した。ごくりと口の中のものを飲み込んでからハインラインを睨みつける。
「拗ねるなアーノルド」
ハインラインが誤魔化すようにノイマンの頭を撫でる。
「子供だなって思ったんでしょう」
二人の前では小さい子供のようにわんわん泣いたことがあるからか、彼らの前で取り繕う方が気恥ずかしい。だから、いつも子供っぽいと自分で感じる態度を取ってしまう。
「いいや?素直な君が見れて大変かわいいと思っているが?」
大真面目にハインラインが返してくる。この人は本気で言ってくる。好きも、愛してるも。
何と返せばいいのか未だにわからず言葉を詰まらせてしまう。
「アルバート、アーノルドが困っているからその辺にしない。私もアーノルドのことはかわいいと思っているけどね」
助けてくれたように見せかけてコノエから追い討ちをかけられた。
「そのうち慣れるさ。この家にいたら私とアルバートから君にたくさん言ってあげる」
「恥ずかしいのは最初だけだ。そのうち当たり前になる」
にこりと二人に微笑まれて、肉食獣に目をつけられた草食動物になった気分がした。
……やっぱり同棲するんじゃなかったと、同棲二日目にして後悔の念が頭をよぎった。