もう夜に近いとは思えないくらいの明かりと人の群れ。屋台通りはライブとはまた違った熱気で溢れていた。
「すごい人だなあ」
隣で円城寺さんが呆れ半分はしゃぎ半分といった呟きを漏らす。撮影の仕事の後、近くで祭りがあると聞いて立ち寄ってみたところだった。「せっかくだから」とプロデューサーが衣装を買取りしてくれて、撮影に使った浴衣をそのまま着ている。悪目立ちするかと思ったが、この人混みではアイドルが数人紛れていてもわからないだろう。
「うじゃうじゃしやがって。食いもん買うのもメンドーじゃねえか」
「ちょっと覗くだけのつもりだったが、甘くみていたかな」
「屋台を回ろうにも、下手に動くとはぐれそうだな」
「そうだなあ。なるべく固まっていこうか。漣、どの店が気になる?…あれ!?」
俺の反対隣を振り向いた円城寺さんが驚きの声をあげた。そこに居たはずのアイツの姿が消えている。メシのことしか考えてないようなヤツだ、食べ物の匂いに誘われたとしても不思議じゃない。
「一人で行っちゃったのか?困ったな、漣のやつ携帯持ってきてたかな…」
円城寺さんがすぐに電話をかけるがアイツは出ない。画面をタップする表情は途方に暮れていた。
「アイツ…仕方ないな。俺が探してくる。見つけたら連絡するから円城寺さんはここで待っててくれ」
「ああ、頼むぞタケル。もし漣が先に戻ってきたらこっちから電話する」
円城寺さんには通りの出入口となる広場のところに残ってもらって、俺は雑踏の中へと踏み込んだ。人混みの間をどうにかすり抜けながら目的のヤツを探す。アイツの浴衣はどんな柄だったっけ。いつものような赤色ではない、黒っぽい模様だった気がする。あてにならない記憶を頼りに進んでいくと見覚えのある銀の頭を見つけた。「おい!」と呼び止めると尻尾のような髪が跳ねる。振り向いた顔は間違いなくコイツだった。
「なにしてんだチビ」
「こっちの台詞だ。いきなりはぐれるなバカ」
「ハァ?オマエらがついてこないだけだろバァーカ」
手にしたパックの焼きそばを食べながらもごもごと言ってくるのには腹が立つけれど、言うだけ無駄だ。コイツには口より行動で示してやる方がいい。もうすぐ空になるパックを持ったままの腕を掴んで引き寄せる。
「とにかく戻るぞ。円城寺さんが待ってる」
「おい、引っ張っんじゃねえ」
「あっ」
力加減を間違えて、掴んだ浴衣の袖がずるりとズレて大きく肌蹴させてしまった。コイツの白い肩が覗いて思わずどきりとする。
「チッ。どうやって直すんだこれ!」
「待て、適当にやったらオマエ…ああ…」
コイツが直そうとすればするほどどんどん浴衣は着崩れていく。このままだと衣服の意味がなくなってしまいそうだ。人前でそれはさすがにまずい。俺はコイツを隠すようにして、屋台同士の隙間を縫って路地裏に引きずり込んだ。
「ちょっとじっとしてろ」
「命令すんじゃねー」
暴れようとするコイツを壁際に立たせてぐちゃぐちゃの浴衣に手をかける。旅館の浴衣みたいに布を合わせて帯で縛ればいいと単純に考えていたが、これが相当厄介で全然思うようにいかない。緩んでいたからと帯を解いてしまったのがよくなかった。着せているのか脱がせているのかわからない状態で、上は胸どころか腹まで見えるし下は片足が太腿まで出てしまっている。
「……これは、俺の手には負えない…」
「アァ? さんざんやってそれかよ」
「うるさい。仕方ない、悪いけど円城寺さんにこっち来てもらうか…」
「チビのヘタクソ! スケベ!」
「スっ!? 」
連絡しようとスマホを取り出したところに、予想外の罵倒を浴びて視線を上げる。すると目の前に露わになった胸板が飛び込んできた。黒地の浴衣に縁取られた身体は、薄暗い路地裏では浮き上がるように白い。筋肉の隆起が表通りから漏れだす明かりを受けて陰影のコントラストを描いている。浴衣の合わせから伸びた足の、付け根のその先を想像してしまって顔に血がのぼった。
「やっぱりスケベじゃねえか」
「わざとやったわけじゃない…」
「フーン」
からかうような笑みを含んだ声色とともに、両頬に手が添えられて上を向かされる。そのまま唇を押しつけられた。焼きそばのソースの味がする。ムードも何も無いキスに煽られて、今度はこちらが攻勢に出る。舌を追いかけて、絡める、深い口付け。背中に聞こえる人混みの喧騒よりも、コイツの漏らす荒い息遣いの方がはっきりと耳に響く。名残惜しむみたいに口を離すと、糸を引いた唾液が二人の間で途切れた。
「…もっと、」
「いや。しない」
「ハァ!?」
「こんなとこでこれ以上できるか。それに円城寺さんを待たせてるんだぞ」
「オマエ…!ノッてきたくせに!」
真っ赤な顔で繰り出される文句を浴びながら円城寺さんに連絡する。事情を話したらすぐに来てくれるというので、路地に顔を出しながら姿が見えるのを待つ。
「帰ったら」
「あン?」
「うち帰ったら、続きするからな」
逃げるなよ。それだけ告げて俺は視線を屋台通りに戻した。黙ってしまったコイツの顔を見たら、我慢が揺らぎそうな気がしたから。
食べてもいない焼きそばソースの味がまだ口内に残っていた。