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    はんちょー

    らくがきだったりいろいろ

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    はんちょー

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    大雪の日の金綱。
    どうしたって御伽噺の善人でしかない金時と、御伽噺の善人には向いていない自覚のある綱の話。

    #金綱
    goldenRope

    我が身はツバメに非ず。「ただいまぁ」

     些か元気の無い声に覚えた違和感は、出迎えた矢先に確信に変わった。
     関東近辺で記録的な大雪が観測されたその日。金の髪を真っ白に濡らして、金時はアルバイト先から帰ってきた。
     半身でドアノブを閉める姿に、俺は「おかえり」の四文字を忘れてしまった。それくらい、それはもう酷い有様に映ったのだ。
     厚手のライダースジャケットは肩から腕からぐっしょりと濡れそぼり、裏がフリースの黒デニムもより深く変色している。ブーツからは床を踏む度にぐしゃっと嫌な音が潰れ出て、ぱちりと振り向いたまつ毛にも細かな雪が張り付いていた。

    「兄貴……」

     金時がもう一言発しようとする前に、俺は来た廊下を早足で振り切った。洗面所に飛び込み、カラーボックスの一段目から新しいバスタオル、一番下からバスマットを両手に提げる。
     ほとんど走って玄関まで戻ると、金時は気持ちが悪そうにブーツの紐を解いていた。これ幸いと、しゃがんだ頭に投げつけるようにバスタオルを覆いかぶせる。

    「ぶわっ」
    「待て」

     そのままバスタオルごとわしわしと髪を押さえつけた。長い金髪の先から水滴と、雪の欠片がぽたぽたと散らばる。
     少しもそうしていないうちに、吸水性の高いバスタオルはしっとりと手のひらに吸い付くほどになった。それでもまだ肩も顔もびしょびしょに濡れているのを感じ、必要以上に腕に力がこもる。

    「あ、兄ィ、痛え、痛えって!」

     力ない悲鳴の後、耐えかねた金時が俺の手首を掴んだ。
     瞬間、ぞ、と心の臓が冷えた。
     ニット越しに伝わる体温はまさしく雪の冷たさだった。反射的にその手を捕まえると、碧眼が大きく揺れて見えた。

    「手袋は、どうした」

     真っ赤に冷えきった指を撫で、呆然と見下ろした。家を出る時には確かに身に着けていたはずだ。言葉に詰まる金時の全身をよくよく改めると、首元からはマフラーも消えている。まさか、この極寒の中で勤務先に置き忘れたなどということはあるまい。
     いや、そもそも我が家では、気候に関係なく折り畳み傘を鞄に忍ばせておく習慣がある。金時も律儀にそれを守っている。いくら吹雪であったからと言って、こんな風に頭から雪を被るなんてことは起きない。はずなのだ。
     言葉が出ない。代わりに吐いた息に、兄ィ、と細い声が被さった。

    「兄ィ、これは、さ」 
    「風呂に入れ」
    「あの」
    「湯は張ってある。ゆっくり浸かってこい」

     二度も遮ると、金時は説明を喉の奥にごくりと押し込んだ。やがて白い息が震えながら、小さく小さく頷いた。
     ようやく靴から足を引っこ抜き、バスタオルと脱いだ靴下を手にバスマットに上がる。ざっと足裏を拭いて無言で脇を通り過ぎるのを、俺もまた口を噤んで見送った。まっすぐに洗面所の角を曲がる背は、ひどく縮こまっていた。

     金時の姿が見えなくなってようやく、深いため息を腹の底から追い出した。声も出ていたかもしれないが、聞こえる距離ではあるまい。
     なんとも、進む足がふらりと覚束ない。雲の上を歩むかのようにバスマットを回収しているうちに、シャワーの音が聞こえてきた。それは洗面所に入るころには、ざぶんと湯に浸かる音に代わっていた。帰宅時間を予想して沸かしなおしていてよかったと、此度ばかりは己の周到さを自賛したくなった。
     バスマットを洗面所内のドラム式洗濯機に放り込み、洗濯カゴに脱ぎ捨てられた金時の服も次々と投入する。どれもこれも濡れていた。規定量の洗剤と気持ち多めの柔軟剤を仕込み、後は洗濯機に仕事を任せる。
     ごうんごうんと唸り始めるのを聞き流しながら、さて、この次はどうしようかと行動を整理する。
     差し当たっては、暖かい部屋と、暖かい着替え、それと温かい飲み物を。
     数秒で組み立てを終え、洗面所を後にした。新しいバスタオルを風呂の入口に置いておくのは、決して忘れぬように。



     いつもの入浴時間の倍以上をかけて、金時は暖房のきいたリビングに現れた。スウェットにボア生地のガウンと、洗面所に置き去りにした着替えをきちんと身に着けていることを確かめる。
     ふっと安堵を吐くのと、電子レンジの高い音がちょうど重なった。俯き気味な弟から目を離し、マグカップに温めた牛乳を取り出す。柔らかくしておいた蜂蜜と生姜を入れ、マドラーで混ぜる。くるくると溶ける様を見下ろしていると、焦れたような声が背中に掛かった。

    「あのさ、」
    「座って待っていろ」
    「……はい」

     ぴしゃりと閉じすぎたか、金時の返事は従順なものだった。がたがたと椅子を引く音も大人しい。説明しないうちから、もう怒られているつもりなのだろう。
     気が付かれないようにため息を殺し、カウンターキッチンから引き上げる。ほかほかと湯気の立つマグカップを、金時の前にテーブル越しに滑らせた。蜂蜜生姜入りのホットミルクは、薬嫌いの金時でも喜ぶ風邪予防の定番品だ。
     遠慮せずに飲めと促すと、膝上で緊張していた手がおそるおそる取っ手に伸ばされた。一息吹きかけ、一口啜るとようやく、固かった眉間の皺が和らいだ。

    「あったけ……」

     ほう、と肩から力も抜け、二口目を喉に流す頃には顔色もだいぶ回復していた。落ち着いたと判断し、俺はおもむろに本題を切り出した。
     何があったのだ、と。
     この大雪の中、傘どころか手袋もマフラーもせずに帰ってきたのは何故なのか。元はしっかりと持って出掛けたはずのそれらは一体、何処に消えたのか。
     金時はやはりというか、しばらくは言い淀んだ。しかし、やがてはマグカップから顔を上げて、こちらを真っ直ぐに見ながら事の次第を説明し始めた。
     聞いて、俺は絶対にすまいと思っていたため息を盛大にやってしまった。

     曰く。すべて譲ったらしい。
     彼の体躯に沿った大きな黒の折り畳み傘は、傘を持っておらず帰れないと嘆いていたアルバイトの後輩に。自分で購入したというお気に入りのレザー製手袋は、横断歩道で寒そうに手をこすり合わせていたご老人に。そして、俺が去年の誕生日に贈ったカシミヤのマフラーは、頭に雪を積もらせて震えていた下校途中のきょうだいに。
     すべて、自分の意志で押し付けてきたのだという。
     頭を抱えるとはまさにこのことであった。実際、眉間を揉むくらいはした。寒さに凍える無辜の人びとに防寒具を与えた末に、自分はあれほど寒そうな格好で家に転がりこんだというのか。
     ふと、昔読んだ童話のひとつが頭をよぎった。銅像の王子が貧しい人びとの為に、自らを彩る宝石や金箔を文字通りに身を削って与える話。今の金時はまさにそれだ。もしも家に着くまでにもうひとり、薄着で震えている人間が居たらどうなっていたことかと、下腹の辺りが締め上げられる心地に頬が歪んだ。
     いいや。問題の本質はそこではない。

    「……金時」
    「おう」

     身構える金時に、ひとつひとつ問いかける。

    「譲った品は、言ったもので全部か」
    「たぶん」
    「吹雪は寒かったか」
    「い、やぁ、全ッ然……」
    「如何におまえが寒さに強いとはいえ、今日にあの格好は堪えただろう。俺ならば、とてもではないがと思う」
    「……」
    「本当に寒くなかったのか」
    「……寒かったさ」

     本音を観念したとばかりに絞り出し、マグカップを包む指がキュ、と音を立て軋んだ。そうか、と一呼吸を挟み、本丸に切り込んだ。

    「悔いてはいないか。金時」

     一瞬だけ見開いた碧眼は、すぐに、力強く答えた。

    「悔いてねえ」

     そうだろうと思った。まったくもって思った通りの回答に、安堵と諦念が同時に肩へと伸しかかる。

     この愚弟はそういうものなのだ。弱きもの、困っているひと、助けを求めるだれかの為に自らを捧ぐことに躊躇いはなく。自らの大事なものを削り与えることに、後ろめたさはあろうと悔いはしない。
     現にこれまで金時の口から、謝罪の言葉は一つたりとも出てきていない。謝ること自体が己の行為を、この人助けを『間違ったもの』としてしまうのだと理解しているからだ。
     だが同時に、完璧に『正しいもの』だとも思えていないからこそのこのしおらしさでもあるのだろう。俺に心配をかけたことも分かっているだろうし、何より、マフラーだ。身内からの贈り物を、言ってしまえば見ず知らずの他人にあげてしまったのだと、よりにもよって本人の前で申告したのだ。申し訳なさの極致であろう。
     謝りたいのに、謝ってはならない。人一倍に誠実な金時にとって、それはどれほど辛いものか。揺らめきながらも逸らされることのない瞳だけで、もはや想像に難くない。
     故に、それで十分だと思うのだ。

    「金時」

     テーブルの上で指を組み、頬の力を和らげる。

    「雪が収まったら、マフラーを買いに行こう。手袋と、傘もだ」

     ぽかん、と金時の口が間抜けなほどに開いた。口角がますます穏やかに上がっていくのを自覚する。

    「同じものにするも、違うものを選ぶも、おまえの好きにすればいい」
    「え」
    「冬はまだ長い。防寒具無しで外に出すわけにもいくまい」

     がたんと椅子を引き、手本のような呆然を晒している金時を横目にキッチンへ戻る。冷えて乾いた喉の為に、己の分のホットミルクを作りにかかる。蜂蜜は冷えて固まってしまっているのでなくてもいいだろう。色違いのマグカップに、白い牛乳をこぽこぽと注ぎ入れる。

    「~~ッ、兄ィ!」

     電子レンジのボタンを押したところで、声を震わせる金時へと振り返った。

    「怒って……ねえのかよ……マフラーは、だって、兄ィが……兄ィ、から……」

     もらった、と。その先は声に乗ってこなかった。唇を噛み締めて俯く顔は、今にも泣きそうだった。
     やれやれと、出来上がりの合図を待たずにマグカップを取り出す。

    「怒られるようなことをした、と、おまえはそう思っているのか」

     は、と唇が離れ、すぐにぶんぶんと首が横に振れた。
     ああ、そうだろうとも。

    「ならば俺が怒る理由もない」
     再びリビングへ出て、椅子とテーブルの間に立った。追いかけてきた碧い視線を見返す。テーブルの上から伸ばした手で、未だわずかに湿った金髪を緩やかにかき分ける。

    「金時。おまえはそれでいい」

     きらめく金色の下、「お」の字の形にさ迷った唇は閉じられる。
     代わりに、左右に広がった口の端から白い歯がちらと覗いた。

    「ありがとな。綱の兄ィ」

     力の戻った声色に頷いて、すとんと腰を落とした。ぬるめのホットミルクに口をつけ、ふと考える。
     この肯定は間違っているのだろうか。真に愛する義弟を想うのならば、己の身を省みろ、無茶な人助けは控えろと叱るべきなのかもしれない。
     どうでもいい。
     彼の銅像の王子も、為したいと思ったことを為したのだ。金時もそうであればよいと、俺はそう思う。身勝手でも自己犠牲でも、己の為したいように為す金時の姿は、美しくまぶしいものであるから。
     ただし俺は、ただただ言われるがままに王子の身を削り、その姿をみすぼらしくしていくだけのツバメでいるつもりは毛頭ない。
     彼がいつだって万全の状態で、だれかの為に尽くせるように。まずは俺が与えるのだ。何度でも、存分に。そうして与えたものがすべて、名も知れぬ人びとの手に渡ってしまうのだとしても、俺もそれを悔いはしない。
     結局のところ、この身は童話の善なるものたちには程遠く。『献身』などには到底、向いてはいないのだから。
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