ハッピーニューイヤーパーバソ無配 時計台の針は、十二時十五分を示している。
新しい年の幕開けを祝いきって満足した人々は、続々とそれぞれの帰路につき始めていた。先ほどまでの割れるような歓声も、拍手も、今はすっかり聞こえてこない。間もなく夜は本来の静けさを取り戻すだろう。
そんな中、パーシヴァルはひとり、いまだに足を広場に留めていた。
ぞろぞろと駅の方へ引き上げていく群衆を見つめる目は、真冬の寒さに負けることなくあたたかい。ここに集った彼らの一年の幸福を祈りつつ、ふっと時計台を仰ぎ見る。天を差した高い鼻にひらりと雪が落ちては、すぐに融けて肌に沁み込んだ。
過ぎ行く時を眺める目には、裏腹に、寂しげな色がにじんでいる。
そして、大きな長針が白化粧を落としながら、十六分に進んだところ。
「———パーシヴァル!」
パーシヴァルはすぐさま振り向き、ぱっと顔を輝かせた。
待ち人が、人の波に逆らって泳いでくる。
「バーソロミュー!」
大きく手を振ると、バーソロミューは遠目にもわかるほど安堵していた。ますます船足を速め、人込みの合間を器用に抜けていき、目標地点のぴったり手前で錨を下ろした。
真っ白な息を切らせて、氷点下だというのに顔中を汗まみれにしてやってきた恋人を、パーシヴァルはにこやかに迎え入れた。
ふたりともなにも言わない時間が続く。
先に、どうにか呼吸を整えたバーソロミューがカラカラに掠れた声で尋ねた。
「……どれくらい待たせた?」
「そんなには」
「こら」
すかさず伸びてきた褐色の指先が、誤魔化そうとした鼻をぎゅっとつまむ。
「そういうのはナシだ。本当は?」
「……三十分か、四十分前には着いていた、かな」
「だろうね」
バーソロミューはため息を抑えられなかった。
なにせ、待ち合わせ時間は十一時五十分だった。加えてパーシヴァルの性格ならばその十分前には現地入りしていただろうし、バーソロミューも本来はそうするつもりだった。
しかし、予想外の積雪で電車が止まり、このざまだ。
十五分の遅刻。取るに足らないと言うには、今回のやらかしはあまりにも悔やまれた。
新年の訪れを真に祝える日は、年に一度だけなのだから。
それに。
つまむ前から真っ赤っかの鼻先から、指を離す。
ゆっくりと撫でた頬は、普段のぬくもりを知っているからこそ、降りしきる雪よりもずっと冷たく思えた。
胸がきしみ、鼻がつんと詰まる。
「……冷たいね」
「まあ、この寒さだから」
「ごめん」
「いいえ」
伏せかけた瞳を拾い上げるように、パーシヴァルは痛んだ毛先をそっとかき上げた。
会えてよかった。来てくれてうれしい。
そんなふうに、喜びに満ちた顔をされてしまう。
ずるい、と、バーソロミューはいつもながらに歯噛みした。これではもう、謝罪も弁明もできない。
ただ、その代わりに何と言うべきかは、はっきりとわかっていた。
観念して、瞬きをする。
パーシヴァルの冷え切った指先を握り返して、微笑む。
「ハッピーニューイヤー。パーシー」
「ハッピーニューイヤー。バート」
心のこもった決まり文句はすぐに返された。それだけで、バーソロミューは少しだけ晴れやかな気持ちになれた。
しかし、やはり悔しさは紛れない。
「これを十五分前に言えていればなあ……」
「来年リベンジしましょう」
「来年。……ふ、そうか。来年か」
「? なにか?」
「いいや」
ああ、そうだ。来年があるのか。
そんな当たり前のことを、パーシヴァルは当たり前のように信じている。
若いなあ、と思う。
だが、そういう無責任な若さに安堵させられているのも否定はできない。現実主義で悲観的な自分に、彼はいつだって根拠のない夢を見せてくれる。
それを、悪くないと思ってしまったからには、覚めない努力をしたいものだ。
そのため……というわけではないが。
「リベンジより、君にお詫びの品を差し上げる方が先かな、と思って」
今度はバーソロミューの方が誤魔化すように笑ってみせる。すると、きょとんと瞬いてすぐにパーシヴァルの瞳は優しく細まった。
「では、遠慮なく」
「わかってきたな、君も」
「何をいただけるのかな?」
「手袋なんてどうだい?」
「いいね。ぜひとも、素敵なものを見繕ってほしい」
「お任せを、サー」
バーソロミューが得意げに片目を閉じると、パーシヴァルは朗らかな笑みを顔いっぱいに浮かべた。
初売りを狙って、彼の大きな手指をすっぽり温めてくれる品を探し出すこと。彼とともに迎える新年最初の抱負として、これ以上にふさわしいものもないだろう。
バーソロミューはそう思うことにした。
そう思っていられる時間を、来年までつなげていければいいな、とも。
(おわり)