アンマッチ・スタンバイズ「……当てが外れちまった」
特盛のチーズカレーをすくい、大口に放り込む。もぐもぐと租借し、しっかり飲み込んでから、金時は台詞を続けた。
「オレァてっきり、この『お守り』にタネがあると踏んでたンだがなぁ。あっさり譲っちまうモンだとは……」
不服顔でルーを混ぜるたびに、スプーンがプラスチック製の皿とコツコツ音を鳴らした。釈然と見下ろすのは、テーブルの中央に置かれた件の『お守り』である。証拠品でもないから自由にしていいと、斎藤から譲り受けたのだ。
警視庁からの帰り、金時とオベロンは夕食を兼ねての情報整理を行っていた。ピークには少し早い時間だが、入った食堂は若者たちでそれなりに賑わっている。その一角で黙々とカレーセット(サラダとスープ、サイドメニューのから揚げ付)を平らげる金時を、向かいに座るオベロンは「ふうん?」と見上げた。
「おまじないの方は重要じゃないのかい?」
手持ち無沙汰にアイスティーをかき混ぜると、氷がカショカショと涼しげな音を鳴らした。
「ありゃあたぶん、それっぽくするだけのフリでしかねえ。本格的にアクセスしたいってンなら、もっとカッチリ方法も手順も決まってらあ。儀式ってのは基本的に、決められたとおりにやらねえとえらい目に合うんだしよ。コックリさんの話とか聞くだろ?」
「コックリさん?」
「お帰りいただく前に十円玉から指を離しちまって、ってやつ。知らねえ?」
オベロンはきょとんと目を丸め、ストローを抑えていた手を「ハイ」と肩の高さに上げた。
「質問があります。そもそも『コックリさん』ってなに?」
「んッ!? ウソだろオベ公!? 知らねえのか、コックリさん!」
「知らないよ。……あ、なんだその顔、まさか一般常識だって言いたいのかい?」
オーバー気味の反応が癇に障ったのか、オベロンはバンバンと天板を叩いた。
「悪かったね! どうせ僕はブリテンの穴ぐらからろくに出たことない世間知らずだよ! 君が思うよりよっぽど人間社会を知らないんだぞ! なめるなよ!」
「そんなこと言ってねえだろォ! けどすまん! 今の例えはナシな、ナシ!」
オベロンはむすっと尖らせた口で、グラスに刺したストローを咥えた。そのままアイスティーを一気に三分の一ほど飲み干し、潤した喉から不服な息を吐き出した。
「まあ、言いたいことは伝わったよ。おまじないの効き目が薄そうなら、道具の方に力があるんじゃと思ったわけだね」
「おう。それも違ったみてえだけどな」
あっという間に空になったカレー皿に、金時はカツンとスプーンを投げ置いた。ちなみにサラダもスープ皿もとっくに空っぽで、唐揚げも残すところあとひと口である。しかし彼は未だ物欲しそうに、向こうにある注文カウンターへと首を伸ばした。
「……オベ公、アイスティーだけでよかったのか」
「気を遣わなくてもいいから、好きなもの頼んでおいでよ」
「いやだって、メシ食いに来たんだぜ? オレら」
「生憎、あまりお腹が空いてなくてね」
適当極まりない返答なのがあまりにも見え見えで、金時はむうと黙り込んだ。最後の唐揚げをつまんで口に放り込むと、今度はオベロンが話を切り出した。
「ガッカリするのはまだ早いよ、坂田」
「へ?」
「確かに、これはもう使えない品だ。中身が空っぽだからね。彼女もそれがわかってたんじゃないかな」
とんとん、と下げた指でお守りを叩き、オベロンはにこりと微笑む。思い出せ、と上目遣い示唆され、金時は記憶を思い起こした。
斎藤がこの『お守り』を、件の女子生徒から貰い受けたときの言葉とやらを。
『刑事さんも、よかったら探してみてください。私にはこれ、もう必要ないので』
待合室では不思議だとしか思わなかった彼女の言い回しは、オベロンの指摘を受けて、ひとつの推論へと繋がった。
「使い終わったから、いらなくなった?」
「そう。つまりこれは使い捨て、最初から一回限りの効果しかなかったのさ」
「んで、『探してみて』ってこたぁ……新しい『お守り』がどっかにあるってことか!」
膝を叩いた金時の顔に、ようやく明るさが戻った。
となれば次に考えるべきは、どこに『お守り』があるかだ。
事前の資料には当然、その方法も場所も示されてはいなかった。唯一の手掛かりであろう女子学生も、「友達から貰ったので知らない」と首を横に振ったという。つまり現状、『お守り』の入手方法は完全に暗闇の中というわけだ。
しかし、悩み唸る金時をよそに、銀髪の青年はくすくすと肩を揺らした。
「まったく、さすがに人が好すぎるぞ、君。彼女の言葉がすべて、真実だとでも思っているのかい?」
「どういうことだよ、そりゃあ……」
思わず腰を浮かせた眼前に、ピッと人差し指が突き付けられる。
その奥から金時を射抜く碧い瞳は、鋭く事実を突き刺した。
「賢しいよ、彼女は。警察なんかに『お守り』の場所を話してしまえば、捜査の名目で踏み荒らされ、二度と入れなくなってしまうかも。そう考え、嘘を吐くくらいには」
金時は、愕然と目を見開いた。
「……本当は知ってるのに、隠したってのか。『お守り』が手に入らなくなるかもしれねえから……」
ひいては、夢を見られなくなってしまうから。
「成功者なら、よけいに警戒心は強かっただろう。勧誘はされても、具体的な方法を教えるほどには信用されなかったらしいね、斎藤は。……ねえ。これがどういうことか、わかってる?」
指でサングラスの鼻を押されるまま、金時はどさっと椅子に尻もちを付く。
そして、柔らかく弧を描いた温厚な顔を見上げ、焦げ付くように冷ややかな眼光にゾッと背筋を凍らせた。
「彼女はただの被害者じゃない。自身の『夢』を守るために、明確に、自らの意志で嘘を吐いた。それが悪いことだと、恐らくはわかっていながら、だよ」
正直者が馬鹿を見るとはよく言ったものだと、オベロンは爽やかに嘲笑してみせる。
「そもそも、彼女はしっかり家に帰ってきてるんでしょ? 斎藤の言う通り、事件にもなってない。誰もひどい目に合っていないんだからね。このまま放っておいても問題はないし、これからあったとしても、それは係わった者の責任だ。そうは思わないのかい?」
そんなもののために必死に駆けずり回るなんて、バカバカしい、くだらない。そうだろう。
本音を言ってみろ、と誘うオベロンの瞳に、ちりちりと昏さが陰る。
しかし。
「思わねえ」
金時は、すぐさま否と答えてみせた。
ずれた色硝子の上に除く碧眼は、強靭な意志の光を放ち、オベロンを真っすぐに睨み返した。
「斎藤サンは気づいてた。あんたも気づいてたンだろ。事件は、もうとっくに起きてるんだってな」
それは、二人の去り際に斎藤がふと溢した、忠告めいた懸念だった。
『この事件、たまたまその子の家族が気が付いたから発覚したわけよ。なら、もしも誰も気が付かなかったら? 彼女は何事もなく家を出て、何事もなく帰ってきてたんだろうさ。
まあ、つまり……僕はどうにもこの失踪未遂、彼女がはじめてだとは思えないんだわ』
「オレらも、警察も誰も知らねえうちに、真夜中に消えちまう人間がいる。たぶんもう何人と、これからも何人も増える。そんなの、ほっとけるわけねえだろ」
「ただの推論でしょ。失踪届が出てもいないのなら、どのみちなかったのと同じ。それ以前に、うん、やっぱりわかっていないようだから言うけどね」
「何が」
「事件を解決しようと躍起になっている君は、夢を取り上げようとする敵だってこと。彼女たちにとってはね」
「……!」
今度こそ、金時は言葉に詰まった。
それどころか三秒経っても、十秒経っても、噛みしめられた唇は開かなかった。
「……やれやれ」
オベロンは、すっかり氷が融けて薄まったアイスコーヒーの残りを、ズーっと吸い込んだ。空のグラスを置く音は、喧騒に混じっても何故かよく聞こえた。
金時が揺れる瞳を上げると、呆れまじりの苦笑が返ってきた。
「割り切りなよ、ミスターゴールデン。やりたいことと、やらなきゃいけないことは、だいたいは一致しないものさ」
意外な声音の柔らかさに驚く間もなく、オベロンはがたりと立ち上がった。
「というわけで、僕も仕事をしてこようかな。あ、これ借りるよ」
「あ、ああ……って、どこ行くんだよオベ公!」
テーブルから『お守り』を引ったくり、くるくると指で回した彼は「決まってるだろ?」と片目を閉じた。
「情報収集をするならまずは、質より量だ。何のために、ここで夕ご飯にしたと思ってるんだい?」
そう――ここは、とある大学の構内食堂だ。その周囲をぐるりと見渡すオベロンを、金時はぽかんと見上げる。休憩にこの場を指定したのは確かに彼だったが、まさか、最初からそういう目的で。
「このウワサ話、若者を中心に流行ってるんだろ? ターゲットが多い場所で聞き込みを行うのは当然のテクニックさ」
「いや、でもよ……斎藤サンでも聞き出せなかったんだぜ?」
「僕じゃあ役者不足だって?」
「そうじゃねえけど!」
慌てて否定すると、オベロンはくすりと微笑み、金時の肩を軽く叩いた。
「まあ、待っていたまえよ。僕は人間の社会には疎いけれども――人間の性質というものは、嫌というほど知っているから。ね」
いたずらっ子のような企み顔には、怪しくも妙な頼もしさがあった。それだけ言い残すと、銀色の髪はふわりと風を切る、軽い足取りで卓を離れていった。
あっという間に喧騒に溶け込んだオベロンが見えなくなるまで、金時は茫然としていた。そして、おもむろに深く、ながく息を吸ったかと思うと。
「――ええい! ボーッとしてンじゃねえ、莫迦野郎!」
思いきり、腹の底から叫んだ。
己への叱咤と喝を吐き出した金時は、周囲の奇異の目もかまうことなくバッと顔を上げた。
迷いはあるし、納得もしていない。己の理想と任された責務とのギャップは、今のところ埋めがたい。この先、事件を解決したところで埋まるのかもわからない。
しかしだ。オベロンは、自分よりよっぽど早くに割り切っていた。それもそうだ。元々無理に付き合ってもらっているのだから。
それなのに、彼を連れだした自分が矛盾に尻ごみをしているだなんて、情けないにも程がある。己への怒りと不甲斐なさで、腹の底が煮えくり返って仕方がない。
なら、今はそれを原動力にしろ。
やらなきゃいけないことを、今はただ、やり遂げろ。
うだうだと考え込むのは、全部終わったそれからだ。新たな環境の変化ですっぽ抜けていたが、自分はもともと考えるより先に動く方が、ずっと性に合っているのだ。
とどめの気合い付けに、パンッ!と両の頬を叩く。
「よぉッし! やってやらあ!」
ただ座して成果を待つだなんて、ゴールデンじゃない。向こうが手を貸してくれるのなら、こちらはこちらで、やれることは全部やろう。
袈裟貰ったばかりの車用携帯を取り出す金時の瞳は、ひりつくような熱さを取り戻していた。