自由なる人々よ 準備号『人間の定義』
レオ×モブ♀
彼と初めて会った時、抱いた感情は恐怖だった。
それまでリベラルな家庭で人権意識の強い両親に育てられ、ソーシャルワーカーを目指して大学院まで進み、新しく社会に参画したミュータントに対しても偏見はないと、自分では思っていたのに。
恐怖はいとも簡単に築き上げていたもの全てをひっくり返してしまった。
その日イザベラは課外活動で軍事施設のボランティアにきていた。
運が悪かったのはたまたま任務帰りの軍人でごった返しており、そのうちの誰かとぶつかり弾き飛ばされたこと、その弾き飛ばされた先が階段であったこと。
浮遊感に囚われ世界がスローモーションに変わる。屈強な背中に挟まれて一緒にきていた同期が手を伸ばしているのが見える。
踵が階段の縁から滑る感覚に目を瞑った瞬間、ひんやりとした大きな手に腕を掴まれた。
明らかに人とは違う作りと形に反射的に鳥肌が立った。
三本しかない太い指に手袋ごしに感じる冷たさ。階段から転びかけた女性一人を余裕で支えている膂力の強さ。
腕の先にはフードを被った恐ろしく大柄な体。
全てが恐ろしかった。
その腕を振り払えば階段から落ちるとわかっていても、振り払いたくなる恐怖に襲われた。
パニックに陥った頭では正常な判断などできず、体がこわばり腕がつっぱる。
ますます強くなる手の力に思わず突き飛ばそうと目をつむった瞬間、シィー…と柔らかなバリトンが道をくすぐった。
「大丈夫、大丈夫だから」
優しさが滲む声に咄嗟に顔を上げる。
その時みたフードから覗く瞳があまりにも優しくて、イザベラはふっと体の力が抜けるのを感じた。
太ももから伝わるリノリウムの床の冷たさと背中に触れる大学の同期の手の温かさで我に返った。
それまで遠ざかっていた音が一気に流れ込み、周囲のざわめきと同期の心配そうな声に顔を上げる。
「イザベラ!?ねぇ返事して!大丈夫?」
心配そうに覗き込む同期を見てイザベラの脳裏にはっきりと今の状況が浮かび上がった。
「あ、あのわたしっ!助けてもらって」
顔を上げて周囲を見渡しても気遣わし気にこちらを見やる軍人ばかりで、フードを被った人影はどこにも見えない。
「よかった……!ねぇイザベラ怪我はない?しっかりして」
「怪我はなさそうかい?医務室へ運ぼうか?」
「ええ、大丈夫です。ありがとうございます。ロージーも、わたしは大丈夫だから」
「ほんとよかった……!あたしびっくりしちゃってイザベラのこと助けられなくて……」
今にも泣き出しそうな同期の背中を擦りイザベラは一緒に立ち上がらせる。
先程声をかけてきた軍人を筆頭に心配気に見ていた人だかりが散っていく。
「ねぇロージー、わたしを助けてくれたのって」
「ミューティがやったんじゃねぇの?」
不意に人混みの向こうから鋭く鼓膜を刺す声が聞こえた。
「え?でもあの子助けてたのも……自作自演か?」
「そうやって点数稼がないとまた教育施設に送り返されるって話だぜ。大変だよな。あいつらも」
声は遠ざかり雑踏の中に消えていく。
ふっとロザリーに視線を戻すといつも聡明な輝きを宿した瞳を伏せ、強張った表情で呟いた。
「こんなところにもいるのね、ミュータントって」
喉奥にざらついた感覚を覚えながらイザベラは口に含んだ言葉を飲み込んだ。
本来の用事を終え、窓口で入館証を返却する。
幾分はしゃいだ様子でカフェに誘うロザリーの声を聞いていたイザベラは、視界の端に映った人影に足をとめた。
「で、そこのケーキがすごく美味しいってミアが……どうしたの?」
「ごめん、ちょっと用事できた。今度行こう」
「え?ちょ、イザベラ?」
呼び止めるロージーを置いてイザベラは外に出て行った人影を追った。
雑踏を避けながら足早に目的の人影を追う。
ゆったりと歩いているように見えるのに縮まらない距離にイザベラは焦ったように声を上げた。
「ねぇ、あのっ」
しかし、フードを被った人影はイザベラを振り返ることなく角を曲がっていく。
イザベラが慌ててその後を追って角を曲がるとそこは人気のない袋小路だった。
「うそ……なんで?」
決して広くない突き当たりを見渡しても大の大人が隠れられそうな隙間はない。
見間違えたのか、イザベラが首を捻った瞬間真上から声が降ってきた。
「なんか用ですか?」
声に釣られてイザベラが見上げると呼応するように屋根の上から手が見えて引っ込む。
目的の人物が屋根の上にいることを理解したイザベラは目を丸くする。
「え?どうやって……ミュータントだから?」
「……そういうわけじゃないですけど」
幾分憮然とした言葉の後に短く息を詰めて、硬質な声が続いた。
「苦情だったら窓口にどうぞ。正式な調査ののち公正な判断がくだりますので」
紡がれた言葉にイザベラは絶句する。
階段で聞いた軍人たちの言葉が脳裏をよぎる。
イザベラは細く息を吐き、なるべく優しい響きになるように声を張り上げた。
「違うの、わたしあなたにお礼をいってなかったでしょ?だからお礼がいいたくて」
「……」
「ねえ、降りてきてくれない?」
屋根の上から呆れたようなため息が聞こえる。
「あんた変わってるっていわれませんか?」
「さあ、でもみんなと一緒よりいいでしょう」
「……」
「ねぇ降りてきてよ、コーヒーでも奢るから」
「顔を見なくてもお礼はいえるでしょう」
「礼は顔を見ていえって家訓なの。わかった、わたしがそっちにいく」
「は?」
困惑した声の主を無視してイザベラは無造作に転がっていたゴミ箱を起こす。
「おい、やめろって!危ないだろ!」
上から降ってくる声を受け流しゴミ箱の上に登ったイザベラはそのまま目の前の雨樋に手をかける。
「こう、見えてもっ子どもの頃は木登りとかもしてたのよ」
ぐっと雨樋に足をかけた時、みしりと嫌な音がした。
あっと声を出す間もなくバランスを崩す。足元のゴミ箱の蓋がズレる感覚がした。
本日二度目の浮遊感。一度目と違う青空を眺めてイザベラは再びスローモーションの世界を味わう。
自身の滑稽さに少し笑いそうになった。
不意に腕をなにかに掴まれた。
そのまま引き寄せられ硬い板のようなものに押しつけられる。
気づけばイザベラはフードの人影に覗き込まれていた。
「……っ、あんた!ほんとに変な女だなっ!」
人影は肩で息をし、背中と膝の裏に差し込まれた腕を感じる。
「怪我は?ないな」
イザベラの視線を遮るように地面に降ろされ、背中を向けられる。
「助けてくれたの?」
「今まさに落ちようとしてた人がいたからな」
人影が皮肉げに答える。
「顔、みてもいい?」
「後悔する」
「するわけないでしょ」
イザベラは立ち上がり、そっと人影の肩に触れる。
最初に会った時はあんなに大きく感じたのに実際は普通の成人男性とそう違わないことに気づいた。
「わたしはイザベラ、あなたは?」
「…………レオナルドだ」
背中を向けたまま人影もといレオナルドが
答えた。
「そう、レオナルド。助けてくれてありがとう、あなたがいなかったら大変なことになってた。あなたはわたしの命の恩人よ」
「ぜひ気をつけてくれ、そう何度も助けに行けないからな」
「ふふ、普段はあんなことしないって」
「じゃあなんで」
「わたしはあなたにお礼がいいたかったの。白人とか黒人とかミュータントとか関係なくね。勇気ある人は非難ではなく賞賛を受け取るべきだわ。それにコーヒーも奢りたかったしね」
「ははっ、なんだよそれ」
レオナルドの肩が僅かに揺れてゆっくりと振り返りフードをとった。
白日の元に晒されたのは緑色の皮膚だった。明らかに人とは違う骨格につるりとした頭、大きな口が愉快そうに歪み、少しつり目のアーモンド型の瞳がじっとイザベラを見下ろしている。
「はじめまして、頑固なお嬢さん。で、ミュータントを見た感想は?」
「……ええ」
投げかけられた皮肉にも反応できず、ただその目を見つめ返すことしかできない。
「とても、きれいな目だわ」
ずきりと青い目が歪む。
視線がイザベラをすり抜け遠くへ遠くへと投げかけられる。
「ああ、君の目もな」
『愛の定義』
ラファ×モブ♂
小柄で細身の褐色の肌の男が入り口のドアマンにIDを見せる。
顔見知りの黒人のドアマンは下品な笑いを浮かべちらりと奥を見やった。
「今日はろくなやつがいねえぞ」
「そしたらお前で我慢してやるよ」
ゲラゲラと笑うドアマンを押しのけ男は奥の分厚い扉を開けた。
すると部屋から質量を感じるほどの音量とギラギラとした光が溢れ爆発する。
この街唯一のクラブは平日の夜だというのに相変わらず人で賑わっていた。
飛び跳ねる人を避け、カウンターに辿り着く。
唇にピアスを開けた店員にビールと叫んで金を渡した。
すぐさま渡された瓶に口をつけ、壁際によってフロアを見渡す。
ドアマンの言っていた通りろくな奴がいなかった。
色とりどりのレーザーに照らされるのは観光客らしい一団とまだ大学生らしい青年たち。
大学生は面倒だし、なにかと楽な観光客にもあいにく好みの者はいない。
ドアマンの言っていた通り今日はハズレかと不意に視線をずらした時、カウンターの隅で蹲るように座って飲んでいる人影が見えた。
季節外れの分厚いパーカーに室内だというのにフードまで被っている。精一杯体を縮めているがそれでも大柄な男だということはわかった。
男が舌なめずりをする。
第一関門突破だ。
人混みを縫いカウンターの2つ隣の席に座る。
ちらりと横目で見るとウィスキーのグラスにテーブルにいくつも水の輪っか。ずいぶんと長い間飲んでいることが見てとれた。
「なぁ、お兄さん」
音楽が途切れ、フロアがつかの間の平穏を取り戻したタイミングで男は声をかけた。
「1人できたのか?」
大柄な男は一瞬体を震わせたが、固く腕を組みじっと汗をかいたグラスを見つめている。
男は席を一つ移動して隣に座る。
「俺もくる直前で連れがいきなり来れなくなってよ、1人で寂しいんだ。だからお兄さんさ」
「失せろ」
低い声がビートをすり抜けて男の耳に届き、カウンターに拳が叩きつけられる。
一分の隙もなく手袋に覆われた手が自身の手と違うことは薄暗がりの中でも男はすぐに気づいた。
「……あんた」
「ああ」
ずらしたフードの中から鮮烈な緑色が現れる。
「オレはミュータントだ」
無毛の頭皮、色の違う皮膚、3本の指。
色とりどりの光の渦の中に明らかに人とは違う造形が暴れていく。
「わかったんならとっとと失せな」
フードを被り直し、大柄な男は再びグラスへと視線を落とす。
男は無意識に止めていた呼吸を再開し、カウンターの中の店員に声をかけた。
「ビールとこの人に同じものもう一杯」
「おい」
「俺の奢りだ。気にすんな」
「そういうこと言ってんじゃねぇ!オレが誰だかみえねぇのか!」
歯を剥き出しにして怒るミュータントを気にすることなく、店員が空いた瓶を回収し、新しいビールとグラスにウィスキーを注いでいく。
「見えてるって、クールじゃねぇか。なんのミュータントかはわからねぇけど。それにいったろ?」
上から睨みつけてくるさまざまな色が溶ける緑色を眺めながら男は内緒話をするように顔を寄せる。
「俺は今日、寂しいんだ。そして」
男はするりとミュータントの太ももの付け根に手を滑らせる。
「ミュータントにも興味がある」
あっけに取られたようなミュータントから視線を外さないまま、男はビールを一口飲み唇を舐めた。
壁に押し付けられながらキスをする。
貪るように口内を蹂躙する舌が人間ではありえないほど分厚くて、酸欠に陥った頭がスパークする。
押し付けられたレンガの壁越しに重たいビートが響いて腰にくる。
男は今夜会ったばかりのミュータントとクラブの隣の脇道でキスをしていた。
目を閉じればクラブの音楽と大通りの喧騒が淫靡な水音とミックスされ、目を開ければギラギラとミラーボールのように欲望を滾らせた緑の瞳が見える。
口いっぱいの舌を吸ってやれば、思いっきり壁に押し付けられ膝で押し上げられる。
熱くなったそこを刺激され思わず出た声も、街の喧騒と目の前のミュータントの口へと溶けていく。
ごりごりと背中がレンガに擦れて痛い。
硬くて丸く掴みにくい背中に無理矢理腕を回してパーカーを掴む。
口は溶けるほど暑いのに、固くひんやりした体が気持ちいい。
男の唇から離れたミュータントの唇が顎のラインを辿り、首筋へと降りていく。
壁についていた腕が男の体を撫で、尻を思いっきり掴まれる。
準備してきた穴が期待に収縮するのを感じながら、とっくにフードが落ちたミュータントの耳へ男が囁いた。
「はぁ、ん…、なぁ……部屋をっ…ん、取ってあるんだ」
ミュータントの指がイタズラにズボンの尻の部分を引っ掻く。
「ここの2階…、連れてってくれよ」
潤んだ声でそう頼めばミュータントは無言で男を抱き上げた。
翌朝、男は携帯端末のアラームで目を覚ました。
切り忘れたことに舌打ちし、アラームを切って寝返りを打つ。
見慣れたような見慣れない天井に昨日のことを思い出して男は満足げに深く息を吐いた。
寝返りの時、投げ出した手は空を切っていたので相手がもう出ていったことはわかっている。
できれば連絡先を交換しておくんだったと若干の後悔とともにベッドから抜け出した男は、部屋の入り口で立ち尽くしているミュータントをみて悲鳴をあげた。
「なっ、な!?なにしてんだ!あんた!」
裏返った声でいう男にミュータントはこの世の終わりのような顔をして一歩踏み出す。
そのまま倒れ込むように床に座り込んだ。
「わるかった!!」
モーテルに響き渡るような声で謝罪しながら床に頭を下げる。
ヤクザ映画で見たことがある、土下座とかいう謝罪方法だ。
「オレ、昨日酔ってて……ちょっとおかしかったんだ。こんな無責任にセックスするつもりじゃ」
「は?なに謝ってんだよ。昨日はお互い楽しんだだろ?」
おろおろとシーツを巻きつけて男はミュータントの背中をさする。
明るいところで見る裸の背中を眺め、場違いにこいつは亀のミュータントだったのかと今更ながら思った。
「でも付き合ってもねぇのにこんなことして……あんたの連れにもどういったらいいか」
連れ?心当たりのない言葉に内心首を傾げながら、震える甲羅をさすった。
落ち着いたのか、若干涙目になったミュータントが
顔をあげる。
いかつい顔に反して浮かべる表情は幼い。
どうやら男が思っていたよりずっと若いようだ。
ミュータントは歳がわかりづらい。男は舌打ちしたい気持ちを抑えて無理矢理笑顔を作った。
「まあとりあえず飯でも食おうぜ。服着てな」
剥き出しの太ももをちらりと見やって男はウィンクをした。
近くのカフェの隅に陣取り、ブランチの卵料理を注文して初めて自己紹介を交わす。
「名前いってなかったな、俺はアレックス」
男、アレハンドロはなんとなくこの見た目の割に幼さを感じるミュータントに必要以上に嘘をつきたくなくて、普段使う偽名ではなく本名の愛称を教えた。
「…………ラファエロだ」
ラファエロは相変わらず長袖のパーカーにきっちりとフードをかぶっている。
正直大柄な体と相まってかなり異様な風体だ。
「なぁ、ラフ。フードくらい脱げよ。暑くないのか?」
「……ここでオレがフードを脱いだら店の店主から営業妨害で叩き出される」
こそこそとこちらを見ながら小声で話すウェイトレスをラファエロがちらりと見やる。
小さなウェイトレスの悲鳴を背に受けラファエロが無言で俯きがちにテーブルに視線を向けた。
アレハンドロがなにか言葉をかける前に腰が引けたウェイトレスがブランチのプレートをテーブルに置く。
アレハンドロは人払いも兼ねて多めのチップを渡した。
そしてラファエロが口を開く前にプレートを押しやる。
「食えよ。ここのスクランブルエッグはうまいぜ」
テーブルのケチャップを手に取りたっぷりかける。
一口食べれば故郷の味とすら感じる既製品のケチャップの味がした。
同じくケチャップをかけてスクランブルエッグを食べ始めたラファエロをみて口の中の玉子を飲み込んだ。
「まずまずだろ?」
「ケチャップの味しかしねぇ」
「それが美味いんだろ」
コーヒーを一口含み、アレハンドロは息をついた。
「落ち着いたか?」
「あ、ああ…悪かった取り乱して」
ラファエロが気まずそうにフォークを置き、同じようにコーヒーに口をつける。
「こんなこと、ありえないと思ってた」
「その割にセックスはうまかったな」
思いっきりラファエロがコーヒーを吹き出す。
自身のプレートを避難させながら汚ねぇとアレハンドロは笑った。
「なぁ、ラフにはベイブがいるのか?」
「ベイブ?」
テーブルを汚したコーヒーを拭いていたラファエロが顔をあげる。
「ステディのことだよ。ガールフレンドとか、あんたの場合ボーイフレンドか」
いうなれば好奇心だった。行為には手慣れている割に行きずりの関係には慣れていない。ミュータントの恋愛事情というものにアレハンドロは興味を抑えることができなかった。
ぐっとラファエロの手が布巾を強く握る。
翳ったグリーンの瞳はアレハンドロではなく横の壁を見つめていた。
「っと悪い、踏み込みすぎたな」
忘れてくれと続ける前に今はいないと硬く尖った声が響いた。
「数年前、出てって、それっきりだ」
せっかく吸った水分を再びテーブルに滴らせるほど布巾が強く握られている。
「……そうか。辛いな」
「さあな、もう忘れちまったよ。どうにでもなれってんだ。あんな奴」
「だけど、いきなりでてって音信不通ってなかなか酷いな?恋人だったんだろ?」
「……もともと、そういう奴だったんだ」
そのうち布巾を突き抜けて手のひらを傷つけるのではないかというほど強く握られる拳に思わず手を重ねる。
「身勝手で、オレたちのことなんか見向きもしないで……そのくせいざって時は」
不自然に途切れた言葉にアレハンドロは目線を上げる。
泣いているのかと思ったからだ。
ばちりとギラついた光と目があった。
昨夜見たミラーボールのようなギラギラした緑の目。
その奥で火が、燃え盛るような火がちらつく。
気づけばアレハンドロの口は勝手に言葉を紡いでいた。
「付きあわねぇか?」
世界の音が途切れた。
緑の瞳が大きく見開かれ取り込まれた光が乱反射する。
驚きに満ちた瞳のまま大きな口が開いた。
「は?」
訝しげな声に我に返る。
こんな学生でもしない青臭い真似をしてしまうとは。
だがもう遅い。火をつけたのはこのミュータントだ。
「あんたに惚れたんだラフ。今フリーなんだろ?俺もさ、だったら問題ないだろ?」
「からかってんのか!?お、オレはミュータントだぞ!?」
「んなこと見りゃわかる。あんたのアレの形だって知ってる」
「で、でも昨日会ったばっかで……」
「一目惚れって奴だ。この場合は一発惚れか?まあいっか、一発じゃねぇし。つか付き合ってないのにセックスして悪いっていってたのはラファエロ、あんただろ?」
「……」
困惑し動揺していた瞳がテーブルへと向けられる。
それまで忙しなく言葉を紡ごうとしていた唇が、堪えるように一瞬引き締められた。
「……連れが」
「ん?」
「連れがいるっていうのはなんだったんだよ」
「あー、あれは嘘だ」
一瞬ラファエロの表情の中に拒絶の色が混じった。
慌ててアレハンドロは重ねていた手を掴みそっと引き寄せる。
「一回セックスするための相手を引っ掛けるための酒場での常套句さ、それにあんたと付き合ったらそういうことはもうやめる。俺は惚れた相手には一途なんだぜ。なんなら名前入りの首輪でもつけるか?」
「いい、オレ様にそんな趣味はねぇ」
視線を外し腕を引き抜こうとするラファエロの手をアレハンドロは強く掴む。
苛立ちを露わにしようとしたラファエロの耳元に乗り出しそっと呟いた。
「昔の男を忘れたいんだろ?」
見開かれた緑の瞳がアレハンドロを映す。
「よくいうだろ、失恋の特効薬は新しい恋しかないって」
ようやくこちらを向いた瞳に満足げに頷き、アレハンドロは悠然と席に座り直す。
「俺を使えよ。昔の男の思い出なんざ塗り替えてやろうぜ」
ラファエロの視線が揺れる。
縋るようなその視線にアレハンドロは内心ほくそ笑むが、ラファエロはぎゅっと目をつむり、三本指をの手をぱっと広げて見せた。
「三ヶ月、三ヶ月だけオレに猶予をくれ」
「その間は?」
「トモダチっつうか……」
「セックスは?」
「ぅ……なし」
「はぁ!?なにいってんだよ!俺の穴を干からびさせる気か!?あんたのちんこは自分の手がベイブかもしれねぇけどな、俺のケツはちんこが恋人だぜ!?」
「っ!?わかった!デケェ声出すな!アリでいい!」
ラファエロが慌てた様子でウェイトレスを見やるが、ミュータントと人間のゲイカップルの痴話喧嘩の時点で彼女らの視点は華氏32度を割っている。
外の暑さと反比例した凍りつきそうな視線の中、頭を抱えるラファエロにアレハンドロは右手を差し出した。
「アレハンドロ・カデーナだ。隣町でトラックの運転手をやってる。とりあえず今はトモダチとしてよろしくな」
「ラファエロ・ハマトだ。よろしく」
大きな手がアレハンドロの手を包み、弱ったようなそれでいて安堵したような不思議な顔をしてラファエロは笑った。
『なかがき』
『自由なる人々よ』を読んでいただいた前提で話を進めます。
オタクの戯言なので聞き流していただいて大丈夫です。
まずは読んでいただきありがとうございました。
二年前くらいに冒頭だけ書いたメモが見つかり「え?続きないんですか?」って思ったので、渋々続きを書きました。
自分の足を食っている一番の弊害ですね。
ほんとに最初はラファエロくんのところにレオナルドとレオナルドそっくりだけど他人との子どもが転がり込んできたら、ラファエロくん荒れるだろうなという妄想から始まりました。
自分の好きだった人の昔の姿そっくりの子どもが現れたら逆に差異が目につくものだと思うんですよね。レオナルドの言動やジュニアのちょっとした癖から仮想の女を作り上げて嫉妬しているラファエロくんかわいい。
でもそれじゃ話が落ちないしなと思い、いろいろ設定を盛り込んでいったら、もしミュータントが社会に認められたら的な思考実験っぽい話にいつのまにかなっていました。
ちょうどミュータントパニックが公開される前後にこの話を書いていたので、公式があんなあっさり人間に認められるぜ!ってやってるのに……と思いつつ、まあディメンションって二百種類あんねんということで俺ディメンションで書ききりました。ニックだしね。
もともと人外と人間の摩擦が好きで、もしガイズが人間に受け入れられたらという妄想はよくしていました。
六年前にだした同人誌『YOU’RE HERO』でも最後はラファエロが人類を脅かした黒幕(シュレッダーを倒し、その役割を乗っ取ったレオナルド)を倒すことによって人間側に認知され、特定の区域では人とミュータントが共存する街が試験的に作られているみたいな話を書いてたりしてました。
個人的な価値観なのですが、ミュータントという異物を人間側がすっと受け入れてほしくないんですよね。異物を排除したがる、自分たちと異なる者へ拒否感を示すって人間の本能じゃないですか。それは悪くいえば差別だし、よく言えば安全意識とか警戒心って言葉に置き換えられるものだと思います。発揮される場面や意識によって変わるのかなと思います。
例えミュータントが力を用いて人間を脅かす存在を排したとしても、それが人間側に向くことを恐れてしまう。なぜなら人間とミュータントは違うからという残酷な前提があると思うんです。
その本能をすっ飛ばしてミュータントを大衆が同胞だと認識する物語は美しくないなと。
摩擦があることは悪くないと思うんです。それは違いだし、歴史だし、アイデンティティにもつながっていくことだと思います。
だから『自由なる人々よ』は厳しい表現を多く盛り込みました。
ガイズと直接関われば、彼らが人間とそう変わらない倫理観、道徳観、社会性を身につけていることはわかります。でも街の人たちはガイズのパーソナリティを知りません。全員が全員彼らに対してフラットな感情や立場で接しられるわけではありませんし、接触する機会も均等ではありません。そういう肥大した人間社会のいびつさと、下水道で家族五人というシンプルな社会で生きていたガイズの対比とか摩擦とかめっちゃ面白いなって思います。
ニックならではですよね。ほかのディメンションはなんだかんだ家族以外のつながりがあったり、インターネットで社会とつながることができていますしね。ニック亀やっぱ好きだな。
全然ラフレオの話をしてないんですけど、今回の話で一番かわいいのってレオナルドなんじゃないかと思います。レオナルドってほんとわからないんですけど、ほんとに八年ハマっててもほんとにわからないんですけど、なんかレオナルドってそういうわかりづらいけどすごいピュアな部分があるなって。今回の話だとレオナルドは十五年前にラファエロくんから渡された住所のメモをなくさずに持っているところとか、子ども連れでギリギリの時に頼るのがそんな今も住んでいるかどうかもわからない十五年も会ってない弟なんだっていうところ、すごいピュアだなぁって。尋常じゃなくわかりづらいけど、そういうところめっちゃかわいいなって。
ラファエロくんもそういうところが好きなんじゃないかな。知らんけど。
レオナルドって感情も表現もわかりづらいけど、根底にはラファエロくんへの無垢な信頼があるって思ってて、その信頼は裏切ろうと想えばあっさりと裏切れるし、人間関係の摩擦でふっと切れてしまうくらい柔い信頼で、例え裏切ったとしてもレオナルドとラファエロくんの関係は大きく変わらないんだろうけど、でもレオナルドはもう二度とラファエロくんを最後の最後どうしようもなくなったとき頼ろうとしてこなくなるんじゃないかなって思うんですね。そしてラファエロくんはそんなか細い信頼であってもレオナルドの特別であることを薄っすら感じ取っていて、無意識で縛られてがんじがらめになってしまっていると思うんです。
それがレオナルドの数少ない純粋なわがままであることを無意識の内に理解しているんじゃないかなって思うんですね。
レオナルドの数少ないわがままって違和感あるかもしれないですけど、ニック亀のレオナルドって、傲慢だし家族のこと顧みないし自信過剰だけど、それって自分のためっていうより家族を守るための方向でそうなっているなって感じがするんですよね。
もともとニック亀の世界観ってリーダーって概念がなかったのもあって、ニックのレオナルドってほかのディメンションのレオナルド(ROT除く)より圧倒的にリーダー歴が短くて、なおかつその立場が不安定なものなんです。よきリーダーであるか悩んでいるレオナルドはいるけど自分がリーダーでいいのかって悩むレオナルドはいなかったですしね。
パニ亀がどうかはわからないですけど、あの子たちはリーダーって立場にそんなにプライオリティを感じてなさそうだしな。
そんな経験不足で周りからのリーダーとしての信頼もいまから築き上げていく中で、レオナルドがリーダーとして家族の命を預かって時に非情な決断を下さなければならなくなった時に、犠牲にしたのは自分の命と感情なのかなって考えています。
誰かが危険な目にあわなければならないなら自分がその役目を負うし、そのことについて自分や家族がどう考えているかどう思うかってところをまるっと無視するようになってしまっているのかなって思うんです。
ここからは考察ではなく妄想なんですけど、そんななかラファエロは自分を待っているはず、自分に渡した住所でずっと待っていてくれているはずって親子とか家族に対する理由のない信頼で愛じゃないですか。いざという時に自分の味方でいてくれるはずって確信をレオナルドは無意識にラファエロくんに対して持っててほしいんです。
それがレオナルドの中にある数少ない自分都合のわがままなんじゃないかなって思います。
正直付き合ってなくていいからこうあってほしい。なんならお互い別のパートナーがいるのにそういう関係であってほしい。
もうモブと付き合わせるしかねぇなってことです(?)
あと世界観的にガイズには深く新しい社会と向き合ってほしくて、それって職場とかの付き合いじゃなくて、プライベートな友達とか恋人とかにならないとその人に深く踏み込もうとしないと思うので、まあ十五年もあったし新しい人間関係があっただろうなって妄想です。
今回、原色はそれぞれモブと付き合っていますが、前日譚とあるように別れます。別れることが決まっている恋愛小説を書いてます。
これが夢小説なのかどうかはわからないのですが、有識者の方にご意見もらえたらなと思います。ちょっと不確かな知識で申し訳ないのですが、振られ妄想とかありますけどあてはめていいんですかね?
さて長々語ってしまいましたが準備号ということで、来年にはここに載っている小説を完結させてpixivに上がっている小説の再録とともに、一冊の本にできたらなと思います。
その時またお手に取っていただければ嬉しいです。
柚木