春になっても 吐く息が少しだけ白い朝、六頴館行きのバスの中で辻はよく知った人の姿を見つけた。
明るい髪が目立つ、ネックウォーマーにもカバンにも手を抜かない隙のない格好の先輩。犬飼だ。
つり革に掴まってスマホを見る彼の表情は朝の高校生らしく少しだけ不機嫌に見える。
バス停に停まって乗客が動いた流れに乗って、辻は犬飼の隣に立った。
「おはようございます。」
犬飼は一瞬気づかなかったようで、耳のワイヤレスイヤホンを片方外すとパッといつもの笑顔になって、
「おはよ、辻ちゃん。」
と挨拶してくれた。
「あっという間に3月ですね。」
「ホントだよ。ランク戦やってると学校の行事とか全然気にしてるヒマないね。」
窓の外の並木も蕾をつけ始めた。若葉の芽がのぞく木もある。
「卒業式、出るんですか?」
「うん。そこはさすがに本部もスケジュール調整してくれた。」
「良かったです。……卒業したら、犬飼先輩って呼べなくなりますね。」
「え?そういうもん?」
ボーダーでは高校を卒業すると自然と『さん』付けで呼ばれるようになる。
「そういうものだと思ってました。犬飼先輩も『二宮さん』って呼んでますし。」
「でも鈴鳴第一とかずっと『来馬先輩』じゃん。」
「鈴鳴第一は来馬隊長が許してるんじゃないですか?」
仏に例えられるほど慈悲深い人柄を考えれば許可しないわけがないだろう。
「じゃあ、辻ちゃんもずっと呼んでよ。おれ辻ちゃんに『先輩』って呼ばれるの好きだし。」
「……いいんですか?」
「おれがいいんだから、いいでしょ。」
「はい。犬飼先輩。」
そう呼ばれるとニカッと年相応の笑顔を見せる。
「春になっても、おれ達は変わんないよ。」
END