小旅行 出発編「辻ちゃーん!こっちこっち」
待ち合わせ場所で犬飼先輩が大きく手を振った。いつも使う最寄り駅だから迷ったりしないだろうに、楽しみにしていた様子が伝わってくる。
「おはようございます」
「おはよ。晴れてよかったね」
駅を行き交う人々にも私服の人が多い。カジュアルな格好の人もいれば華やかなよそゆきの格好の人もいるけど、みんなそれぞれに土曜日を楽しんでいるように見える。
「ええ、ちょうど梅雨の晴れ間になってよかったです」
きっかけは犬飼先輩の一言だった。
「ねえ、辻ちゃん家って家族旅行とか行く?」
と聞かれて俺は少し考えてから
「小学生の頃は行きましたけど、兄の部活が忙しくなってから行ってないです」
と答えた。そろそろ夏休みの予定について聞きたいんだろうか。
「そっか。うちは"毎年必ず一回は家族旅行に行く!"って家で、両親もそのために毎日頑張ってるってタイプなんだよね」
初めて飛行機に乗ったのも家族旅行の時だったなーと空を仰ぐ。やや間があって、
「行こうか、旅行」
といった。俺は面食らって思わず確認してしまう。
「え……先輩と、ですよね?」
「うん」
犬飼先輩は穏やかな笑みでうなずいた。からかってる様子や漠然とした希望というわけでもなさそうなので
「いつにします?」
と聞き返すと先輩はすぐにスケジュールアプリを開いた。俺たちは学年こそ違えど同じ学校同じ隊に属しているから、スケジュールは共通の予定の方が多い。
「夏休みはもう夏季講習も防衛任務もあるし……」
「秋以降もきっと忙しいですよ。そもそも、何日くらいの旅行にするんですか?」
「一泊二日でいいんだけど。あ……今度の週末ちょうど空いてる」
「急過ぎますよ」
ぽっかりと空いた週末はスケジュールカレンダーの中で目立っているが、そこが空いてるのはそもそもテスト前だからだ。
「先輩、受験生なのにテスト前に旅行の許可なんか下りないんじゃないですか?」
「次の週にもう一回土日あるから大丈夫だって。辻ちゃんのご家族にもおれから説明しといてあげるから」
犬飼先輩と俺の家族はたまにしか会わないはずなのに、犬飼の社交性が高いからか俺がよく食卓の話題に出すからか妙に気に入られていて、信頼も厚い。口の上手い先輩が説得すれば一泊外泊するくらい簡単だろう。
「一泊二日だとあんまり遠出はできませんね」
「もしかして恐竜博物館とか狙ってた?」
国内最大規模の恐竜博物館は他県にあり、一泊二日だとかなりの強行スケジュールになってしまう。
「少し……。家族で行ったのは小学生の頃だったので」
「まあ、それは二人共大学入ってからにするとして、今回は初めてだし近くにしようよ」
「わかりました」
というのが、今回の小旅行のきっかけだ。
「この辺でいい?」
「はい」
今日乗る列車は急行だけど普通列車なので、座席は壁沿いの長椅子だ。ボックス席だったら隣り合って座れたのに、と思わないでもない。
休日の温泉街行き列車はそこそこ乗客があり賑やかだ。
「それにしても、犬飼先輩が温泉に行きたがるなんて少し意外でした」
「そう?今回は日づけが近いし、あまり遠くまで行けないってのもあったけど」
出発のメロディが流れ、会話が止まる。列車のドアが閉まりゆっくりと景色が流れていく。
「……真ん中姉ちゃん、今年の夏は彼氏と由布院行くんだって」
車窓を眺めている先輩の横顔は憂いを帯びている。
「なんか悔しいから、おれもカッコイイ彼氏と温泉行きたいなって」
「はあ」
なにか感傷的な理由があるのかと思ったらすごく普通の理由だった。いや、俺にも兄弟がいるから、兄弟に負けたくないという気持ちが本人にとって小さくないというはわかるけど。
「あ、おやつ持ってきた?おれいっぱい持ってきたから一緒に食べよ」
手のひらにカラフルなグミキャンディが転がり出てくる。
犬飼先輩が本心を言いたがらないのは今に始まったことじゃないし、必要があればきっと教えてくれるはずだ。
ニ色のグミの味が口の中で混ざり合う。ちょっと甘酸っぱいような味になった。
END