『禁じられた遊び』①芝大寿「おまえはなぜ乾に尽くすんだ」
打ち合わせの合間に、ふと尋ねられた。聞いたくせに、芝大寿はさして興味のなさそうな顔で、九井に視線すら向けない。彼にとってはどうでもいいことで、けれど確認はしておきたいというところか。
その質問は九井にとってありきたりで、なんどとなく繰り返されてきた。幼馴染だから。放っておけないから。偽りの言葉で誤魔化してきたが、大寿になら本当のことを言っていいかと、気まぐれに思った。黒龍十代目の実態は、芝大寿の暴力的カリスマと、九井一の潤沢な資金によって成り立っている。実質、パートナーに近い存在だと思う。それは大寿自身も自覚しているだろう。だからこそ、大寿は九井と乾の関係を聞いてきたのだ。
「イヌピーがいなけりゃ、九井一はいないからさ」
「なんだそりゃ」
「そのままの意味だけど。あんたはいいとこの坊ちゃんだから、わからないかもしれないけどな、この世には存在しない人間がいる」
「あぁ?」
「これはイヌピーにも言ったことがない話だぜ。あんたにだけ話す」
その覚悟があるならな、と挑発すると、大寿は目を通していた書類から顔をあげた。じろりと九井を睨む。その度胸の良さ、決断力の速さを、九井は気に入っている。こればかりは生来のものだ。鍛えて身につくものではない。
「俺には戸籍がない」
「は?」
「馬鹿な女と馬鹿な男がセックスをして、ガキができた。届けは出していない。馬鹿だからな。自宅で産んで、そのままにした」
「それがおまえだというのか」
答える代わりに、肩をすくめる。
「たまにまっとうな男が恋人になって、飯をくれたり、勉強を教えてくれたりして、運よく生き延びた。でも、そんなまっとうな男ばっかりじゃない。だから自分で金を稼いでいた」
「どうやって」
「まぁ、だいたい万引きだな。女の恋人がヤクザだった時は、借金の受け取りに行ったこともあるぜ。薬の運び屋とかもな。おかげさまで九井一になるまえから、金を稼ぐノウハウは掴んでいた」
大寿はじろじろと九井を眺める。真相を図りかねているのだろう。海外ならともかく、日本でそんなことがありうるのか。けれど、若い女がひそかに出産したという話は無くなることがない。たいていの場合は死産か、あるいは親兄弟あたりに見つけられるのだが、秘密裏に生き延びる可能性はゼロではない。
つづけろ、と言う風に大寿は顎をしゃくる。
「女に恋人ができると家から追い出されんだよな。オレが稼いでやってるのに。まぁ、オレはアパートを借りらんねぇから、共存ってわけだ。で、行くところがないから、公園で暇をつぶす」
「そこにいたのが乾というわけか」
「そうそう。イヌピーね。あの頃から、人付き合いが下手で、ともだちがいなくて、ひとりで遊んでいた」
それだけなら、九井は興味をひかれなかった。彼はスコップでなにかを掘って、なにかを埋めていた。その上に、いびつな十字架を立てる。
「墓を掘っていたんだ」
一部始終を見ていたからだろう。乾は九井に気づいていた。振り返って、こう言った。
「ココの墓」
彼はそれを金魚だと言った。
夏祭りの金魚すくい。黒い金魚が死んでしまった。庭に埋めようとしたけれど、母親がやめろと言うので、公園に来たのだと言っていた。
彼はにこりとしないままに、九井に訊ねた。
「おまえ、どこの小学校?」
九井は答えられなかった。九井には戸籍がない。つまり義務教育を受けていない。
引っ越してきたばかりなんだという九井の言い訳に、乾はあっさりと納得した。
「オレ、××小。三年なんだけど、おまえ、何年?」
「オレも三年」
もちろん九井は自分の年齢など知らない。なにせ生んだ女から聞いたことがない。そもそも覚えていないだろう。
「同じクラスになったらいいな」
乾はすこしだけ笑った。不愛想な子供だったが、笑った顔は幼かった。
「それで戸籍を買おうと思った」
大寿は露骨に顔を顰めている。まっとうな男だ。話についていけないのだろう。
「薬を売っていた女がアパートで死んだのを知ってたからさ、交番に行って、こう言ったんだ。母親が死にました。ネグレクトされてて、小学校に行ってませんって」
女の死は確認され、そのまま九井は警察署につれていかれて、上から下まで大騒ぎになった。あれはすこし面白かった。
あれから九井が生まれ育ったアパートには帰っていない。九井を生んだ女がどうなったのかを知らない。あのアパートに赴くことはないだろう。そもそもかなり古いアパートだった。まだ残っているかも怪しいが。
「警察に保護されたら、死んだ女の家族のところに帰されるんじゃないのか」
「それを金で買ったんだ」
「は?」
「戸籍を売るガキは聞いたことがないが、戸籍を売る大人ならいる。だから大人の方の戸籍を買って、女と関係があったということにしてオレを引き取らせた」
「よくやるな」
「はは、大寿も戸籍が買いたくなったら紹介してやるぜ」
「いらねぇよ」
大寿の声を聞き流し、「九井という男がいたから、そいつを買った。名前は一にした」と歌うように言う。
「イヌピーが乾っていう苗字なのは聞いていたからさ、それに合わせてつけたんだ。八卦で乾は一なんだぜ。だから、はじめ」
「もし『九井』がいなかったらどうしたんだ」
「佐藤心か田中心か。まぁ、そんなところじゃねぇの。大寿が嘘だと思うなら、嘘だって言ってやってもいいぜ」
大寿はなにも言わなかった。信じたか、信じていないか、どちらでもいい。九井はにこりと笑う。
「いろいろあったが、学力には問題がないってことで、満を持して四年で小学校に転入した。イヌピーと同じクラスになったときは、さすがにオレも運命を感じたな。まぁ、あの辺は子供が少ないうえ、みんな私立に行っちまうから、公立は二クラスしかないんだけどな」
あのときの、乾の顔。今も覚えている。ぱっと顔が明るくなった。
休み時間になって、九井から話しかけると、うれしそうな顔をした。
「イヌピーとはそれからのつきあいってわけ」
「聞かなきゃよかったぜ」
大寿は溜息をついて、丸めた書類で九井の頭を叩く。この話はこれで終了の合図だ。やはり大寿をパートナーに選んでよかった。きっと黒龍は大きな組織になるだろう。間もなくここに来るだろう幼馴染の顔を思い浮かべて、九井は薄く笑った。