夜ふかしの窓辺に蝋燭を(……ん、)
中庭でのネロとの晩酌の後、部屋に戻る時にふと視線をやると、リリーの部屋から明かりが漏れているのが見えた。あの子は炊事洗濯と魔法舎の細々したことをやるのに早く寝ることが多い。今日は偶々読み物でもしているのだろうか。そんな日もあるだろうと特に気に留めず、その日は自室に戻った。
それから数日経って顔を合わせたリリーは目の下にクマを作っていた。ここの所眠れていないのだろうか。どこか動きも緩慢だ。
「リリーベル、眠れていないのですか?」
「リリーさん、ちょっとここに座りませんか?」
朝食を食べているリケとミチルに促されてリリーベルが着席する。その手には普段飲まないコーヒーのカップが握られている。
「ありがとうございます、二人とも。……ちょっと最近読んでいる本が面白くて」
つい手が止まらなくて夜ふかしをしてしまうのだと眉を下げてリリーが笑う。子供たちは仕方ないなという風な顔をしてリリーをたしなめている。
「楽しいことをしたい気持ちは分かりますが、キチンと寝ないと」
「ちゃんと体を休めないと疲れちゃいますよ」
「はい、気を付けます」
健康優良児二人に叱られてリリーがゆっくりと頭を下げる。同じくのんびりと顔を上げて僕と目が合う。一拍動きが止まって視線がほんの一瞬逸れる。
「おはようございます、ファウスト様」
へにゃりと力なく笑う顔を向けられる。怒られちゃいましたと眉を下げて笑うリリーにふぅと軽く息を吐いて「見ていたよ」と返すと肩をすくめて小さく笑った。
「夜ふかしはよくないってわかってるんですけどねぇ……」
リケとミチルに口を揃えて今日は早く寝るようにと念を押されて「善処します」と返事をしていた。答えている内容からして信用できないが、話がまとまりそうな雰囲気を壊しそうだったので口を閉じた。ヒースに呼ばれてそちらの席に着席する。座席からリリーの方を見ると背中を丸めて小さくなっていた。
いつもはカナリアと共にシャキシャキと家事をこなすリリーは洗濯カゴを抱えてのたのたと歩いていた。寝不足の抜け切っていない証拠だ。あくびをする声が聞こえ、直後かくんと首が折れた。
「リリー」
一拍置いてリリーが振り向く。向けられる目はどこかぼんやりとしている。その手からカゴを取り上げて休むように告げるとワタワタと慌てた。
「今日は早めにベッドに入りますから見逃してください」
そうは言っても睡眠が足りていないのは火を見るより明らかだ。生活に支障が出るなら体を休めるに限る。けれど、リリーは取り上げたカゴをガッチリ抱えて離すまいとしている。仕方がないなと溜め息を吐く。リリーが時々見せる強情さを上手く懐柔する術は僕にはない。説き伏せても言い聞かせても頑として聞き入れないだろうことは考えなくても分かる。
それより気になるのはベッドに早めに入るという返答だった。そこは眠るではないのか。それを指摘するとリリーは目を伏せる。
「最近寝つきが悪くて……」
寝つきが悪くて本を読んで目が冴えての悪循環を繰り返しているのだとリリーは言う。リケとミチルには本当のことを言っていないが嘘を言っているわけでもない。そこは責められないし、夜ふかしを叱ることもできない。
「……カゴは僕が運ぼう。これを済ませたら君はリラックスできる飲み物でも飲んで少し休むといい」
「……すみません」
しゅんとしょげるリリーを連れて洗濯カゴを運ぶ。周りに心配をかけたくないのはわかるがフィガロに話したらどうかと提案してみても色良い返事は返ってこなかった。
中央の市場に買い出しに出る魔法使いの付き添いとしてついてきていた。それぞれが思い思いの買い物をする中、キャンドルを買い足しておこうと品物を選んでいた時だった。ふと脇に置かれた小さな蝋燭が目に入る。
「これは?」
「香り付けがしてあるキャンドルだ。キャンドルの中に匂い付きのオイルを混ぜてるんだ」
どうやら香りによって効果が変わるらしい。ひとつひとつ説明してくれた店主にその中の一つを示す。
「これをもらおう」
包んでもらったキャンドルを手に他の魔法使いと合流する。リリーは受け取ってくれるだろうか。あの子の性格からして突き返したりはしないだろうとは思うが、遠慮されそうな気はする。衝動的に買ってしまったものの、どうしようかと考えながら魔法舎に戻った。
その夜、リリーを訪ねた。僕の来訪に戸惑ったようだが、渡したいものがあると伝えれば部屋に通してくれた。机には明かりが灯っていて読書をしていたのは一目瞭然だった。けれど机に積まれた本のタイトルに目を走らせると図鑑や辞典ばかりで娯楽的なものではなかった。読み物ではなく調べ物のように見える。眠気が来るまで読むというより逆に集中して目が冴えそうなラインナップだ。
「それでファウスト様、渡したいものとは……」
遠慮がちに尋ねるリリーに袋から取り出したガラスに入ったキャンドルを渡す。目を瞬かせるリリーの手からキャンドルを受け取って窓辺に置いて呪文を唱える。
「サティルクナート・ムルクリード」
小さな灯りが灯る。覗き込むリリーが息を大きく吸い込んで、それから静かに吐き出した。
「落ち着く香りですね」
「リラックス効果のあるキャンドルらしい。これで少しは眠りやすくなるといいんだが……」
僕を見上げていたリリーの目が丸くなって、それから申し訳なさそうに伏せられた。しばらく沈黙が下りて、やがてリリーが口を開く。
「……嘘なんです」
しょんぼりしたリリーが罪を告白するように続ける。
「読書も、寝つきが悪いのも嘘なんです。ずっと、調べ物をしていて……」
何となく予想はついていた。驚きも責めもせず静かに続きを促す。
「……その、ファウスト様がよく眠れないと話を聞いて安眠効果のある調合を考えていて……でもそれでご心配をおかけしていたら意味ないですよね……」
リリーの答えに口を引き結ぶ。この子に僕の厄災の傷の話はしていない。僕は眠っている間に見た夢が外に漏れ出てしまう。誰にも心の内を知られたくなかったし、触れられたくなかった。相手がリリーベルなら余計に。優しすぎるが故に心配して傷ついてしまう子だから。
「心配をかけていたのは僕の方だったのか……すまない」
「ファウスト様のせいではありません!私が勝手に……」
真実を打ち明けられない僕のためにあれこれ考えさせてしまったのは悪いと思う。……悪いと思うのに、この子が一生懸命僕のことを考えてくれたことが嬉しいと言ったら不謹慎だろうか。
「……今日は」
僕の声にリリーが顔を上げる。そっと微笑みかけて告げる。
「ゆっくり眠れそうだ」
「まだお薬完成していませんよ?」
「それでも」
「……もしかしてファウスト様にもこのキャンドルの効果がありましたか?」
「そうかもしれないな」
リリーの目が優しくキャンドルを見つめる。彼女にならって僕もキャンドルの灯りを見つめる。優しくささやかな小さな火が僕らの前で揺れていた。